続・性春時代

あかいとまと

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穏やかな一日

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### 穏やかな一日

 朝の光がキッチンのカウンターに差し込み、マサシの指先を淡く照らしていた。
 カズの唇の温もりがまだ頬に残っているようで、彼は思わずその場所に触れ、小さく笑った。  

「⋯⋯洗い物、まだあるよ?」  

 カズがふっと声をかけ、マサシは我に返ったように顔を上げた。  

「あ、ごめん⋯⋯ちょっと、ぼーっとしてた」  

「うん。でも、いいよ。オレ、その顔、好きだ」  

 カズは笑いながらスポンジを手に取り、シンクに残る食器を洗い始めた。
 マサシもすぐ隣に立ち、手を伸ばしてお皿を受け取る。
 二人の指が何度か触れ合い、そのたびに、微かに胸が震えた。  

「昨日の映画、最後のシーン、ちょっと泣きそうになった」  

 マサシがふと思い出して言うと、カズは「うん、オレも」と頷いた。  

「主人公が、自分の言葉で『好き』って言えた瞬間、なんか⋯⋯胸が熱くなった」  

「俺もだよ。あのシーン、カズのこと思いながら見てた」  

 カズは手を止めて、マサシを見た。
 目が合う。
 言葉はいらない。
 ただ、その視線の中に、昨日の夜、初めて抱き合ったときの戸惑いや緊張が、今では確かな絆に変わっているのがわかった。  

 洗い物を終え、二人は再びリビングのソファに並んで座った。
 窓の外では、春の風が木々の葉を揺らし、遠くで子供たちの笑い声が聞こえる。  

「今日、天気いいね」  

「うん。こういう日は、外に出たいな」  

「そうだ。昨日言ってた、あの公園、行ってみない?」  

「いいね。桜、まだ咲いてるかもしれない」  

 マサシがスマホで天気予報を確認すると、午後から曇る予報だった。  

「じゃあ、早めに行こう」  

「うん、準備するよ」  

 カズが立ち上がり、部屋に戻ろうとした瞬間、マサシはふとその手を掴んだ。  

「⋯⋯カズ」  

「ん?」  

「今日は、カズと過ごす、一日目の朝なんだね」  

 カズは少し考えて、それから柔らかく笑った。  

「そうか⋯⋯今朝は、緊張してほとんど寝られなかったな」  

「俺もだよ。隣にカズがいるって思うだけで、心臓が止まりそうだった」  

「でも、今は⋯⋯安心してる」  

「うん。俺も、すごく」  

 手を繋いだまま、二人は玄関に向かった。  



 公園は住宅街の裏手にあり、小さな池と遊具、そして見事な桜並木が特徴だった。
 まだ開花のピークは過ぎていたが、風に舞う薄紅の花びらが、地面に淡い絨毯を敷き詰めている。  

「きれいだな」  

 マサシが呟くと、カズが「うん」と頷き、カメラアプリを起動した。  

「マサシ、ちょっとそこで立ってて」  

「え? なんで?」  

「いいから、ちょっと」  

 マサシは戸惑いながらも、桜の木の下に立つ。
 カズは数歩後ろに下がり、スマホを構えた。  

「⋯⋯カワイイ」  

「えっ!?」  

「自然体のマサシ、すごくいい」  

 カズは笑いながら写真を撮り、すぐにマサシに見せてくれた。
 画面の中の自分は、少し照れくさそうにしながらも、確かに笑っていた。  

「⋯⋯カズこそ、もっと撮らせてくれよ」  

「いや、オレはダメだ。照れる」  

「そんなことないよ。カズの笑顔、世界一好きなんだから」  

 その言葉に、カズは顔を赤らめ、そっとマサシの肩を押した。  

「⋯⋯また、そういうこと言う」  

「だって、本当だもん」  

 二人は歩きながら、池の周りをゆっくりと回った。
 鴨が水面を滑るように泳ぎ、子供たちがシャボン玉を飛ばしている。  

「ねえ、カズ」  

「ん?」  

「俺たち、これからも、こういう普通の日を、たくさん過ごせるかな?」  

 カズは少し考えて、それから静かに言った。  

「普通の日が、一番特別だと思うよ」  

「⋯⋯そうか」  

「オレたちが一緒にいる、そのすべてが、普通じゃない。だから、今日も、明日も、毎日が、『初めて』なんだよ」  

 マサシはその言葉を胸にしまい込むように、深く頷いた。  



 夕方近く、二人は再び自宅に戻った。  

「疲れた⋯⋯でも、楽しかった」  

 マサシがソファに倒れ込むと、カズがキッチンからお茶を運んできた。  

「うん。オレも、久しぶりに心から笑えた気がする」  

「カズって、昔からこんなに笑ってた?」  

「⋯⋯いや、多分、違う。昔は、ずっと、自分を隠してた」  

 マサシは黙ってカズを見た。  

「オレ、高校の頃、仕事が忙しくて誰にも心を開けなくて。家族にも、友達にも、本当の気持ちを言えなかった。『こうあるべき』って、自分で自分を縛ってたんだな」  

「⋯⋯俺も、似たようなとこあるよ」  

「マサシは、もっと素直だったよ。オレが初めて声かけたとき、すぐ返してくれたじゃん」  

「でも、あのとき、めっちゃドキドキしてた。カズがカッコよくて、話し方にも惹かれて⋯⋯でも、まさか、カズが俺のこと、好きだって思ってたなんて、思わなかった」  

 カズは小さく笑った。  

「オレも、最初はただの友達だと思ってた。でも、ある日、マサシが雨の中、傘も差さずに走って帰っていったのを見て⋯⋯『この人、守りたい』って、初めて思った」  

 マサシは驚いて目を見開いた。  

「⋯⋯それ、覚えてる。あの日、カズ、後から追いかけてきてくれたよね。『無理すんな』って言って、自分の傘を半分差してくれた」  

「うん。そのとき、マサシの横顔を見て、『もしかして⋯⋯』って、初めて、自分の気持ちに気づいた」  

 二人はしばらく無言で、お茶を飲みながら夕焼けを見ていた。  

「⋯⋯カズ」  

「ん?」  

「俺、これからも、カズのそばにいさせてね」  

「⋯⋯当たり前だよ。オレも、マサシがいない世界なんて、考えられない」  

 マサシは立ち上がり、カズの隣に座り直した。
 そっと、頭をカズの肩に預ける。  

「⋯⋯大好きだよ」  

「うん。オレも、マサシのことが、世界で一番好きだ」  



 夜になり、二人は並んでベッドに入った。  

「明日も、一緒に起きようね」  

「うん。朝ごはん、今度はマサシ作ってみる?」  

「⋯⋯いいよ。カズの好きな味、覚えたから」  

 カズは嬉しそうに目を細めた。  

「楽しみだな」  

 電気を消し、部屋は静けさに包まれた。
 月明かりがカーテンの隙間から差し込み、床に細長い光の線を描いている。  

「⋯⋯カズ」  

「ん? まだ起きてる?」  

「うん。ちょっと、言いたいことがあって」  

「何?」  

「昨日、初めて、カズとキスしたとき⋯⋯心が、まるで壊れそうになるくらい、嬉しかった」  

 カズは黙って聞いていた。  

「でも、今思うと、それ以上に、今、こうして一緒に眠れることが、奇跡みたいに感じる」  

「⋯⋯マサシ」  

「俺たち、これからも、ケンカもするだろうし、辛いこともあるかもしれない。でも、そのたびに、こうして隣にいられるって、思えるだけで、強くなれる気がする」  

 カズはそっと、マサシの手を握った。  

「うん。オレも、そう思う。マサシがいるから、前に進めると、心から思える」  

「⋯⋯じゃあ、約束しよう」  

「うん。何を?」  

「どんなときも、素直に、伝えよう。悲しいことも、嬉しいことも、全部、カズに話すよ」  

「オレも、マサシに、全部話す。隠さない。逃げない」  

「うん。二人で、歩いていこう」  

「⋯⋯うん。ずっと、そばにいるよ」  

 静かな呼吸が重なり、やがて、二人は穏やかな眠りについた。  



 次の朝、目覚めたマサシは、カズがすでにキッチンに立っているのを見た。
 背中姿が、昨日よりもずっと、柔らかく、温かく見えた。  

「おはよう」  

「おはよう。今日の朝ごはん、マサシのリクエストでトーストとスクランブルエッグにしたよ」  

「ありがとう。カズの作る朝ご飯、もう、俺の日常だな」  

「⋯⋯そう言ってくれると、嬉しいな」  

 マサシはカズの隣に立ち、そっと背中から抱きしめた。  

「俺たちの『普通』が、これからも続いていくんだって、感じられる」  

 カズは振り返らず、でも、その背中が、ほんの少し震えた。  

「うん。これからも、毎日が、新しい日常だ」  

 朝日が窓辺に差し込み、二人の影を、再び一つに重ねていた。  

 世界は変わらないようで、確実に、二人の物語を運んでいた。  

 そして、今日も、新しい一日が始まる。  

 ――二人で、歩いていく、その一歩が、愛だった。





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