29 / 48
28.
ハルの訪問
しおりを挟む
### ハルの訪問
とある日の昼下がりのことだった。
昼食を摂り終え、カズは自分の執筆机に向かおうと立ち上がったそのとき、マンションのインターホンが鳴った。
「誰だろう?」
そう言いながら、マサシが玄関のTV付きインターフォンのモニターを確認する。
画面に映った人物を見て、彼は思わず声を上げた。
「カズ、お兄さんだよ!」
「えっ!?」
カズはキッチンから顔を出し、タオルを手にしたまま駆け寄った。
モニターに映るのは、黒いTシャツにデニムを履いた、見慣れた長身の男——カズの兄、ハルだった。
太陽を浴びたような明るい茶髪に、どこか余裕のある笑み。
28歳とは思えないほど若々しく、でも確かな存在感を持っている。
「まさか、今から来るなんて言ってなかったのに⋯⋯」
カズが戸惑っている間に、マサシはすでにドアロックを解除していた。
「まあ、来てるんだから仕方ないじゃん。しかも、荷物まで持って来てるみたいだし」
確かに、ハルの足元には大きなキャリーバッグが一つ。
カズは眉をひそめた。
「まさか⋯⋯泊まりに来るつもりか?」
「まさかじゃないよ。だって、ここしか逃げ場ないじゃん」
ドアがノックされ、カズは渋々開けた。
「よっ! 久し振りだな」
ハルはにっこりと笑い、カズの肩を軽く叩く。
そして、リビングに視線を走らせると、ソファでタブレットを弄っていたハヤトを見つけ、声をかけた。
「よっ! ハヤト、久し振り。マサシくんも久し振り」
「お久し振りです」
マサシとハヤトが声をそろえて応える。
ハヤトは立ち上がり、ハルと軽くハグを交わした。
「元気だった? 最近、雑誌で兄貴のイラストばっかり見かけるよ。あの新連載の表紙、めっちゃカッコよかった」
「お、ありがとう。でもあれ、編集部に無理やりやらされたんだよ。『人気作家の兄貴なんだから、もっと派手にやれ』って」
「そりゃ、カズのお兄さんだもんな。期待されるのも当然だよ」
マサシが笑いながら言うと、カズは眉間にシワを寄せた。
「俺のせいにすんなよ。こっちは毎日、三人分の家事と原稿でヘトヘトなんだから」
「ああ、ごめんごめん。でも、感謝してるよ。カズの料理、世界一だもんな」
ハルはそう言って、冷蔵庫からサイダーを取り出し、カズに渡されたコップに注いだ。
一口飲み、満足げに「ゴクリ」と喉を鳴らす。
「⋯⋯で、本当に何かあったのか? まさか、また親と喧嘩したのか?」
カズが尋ねると、ハルは肩をすくめた。
「いや、何もないよ。たださ、ウチの両親が『結婚しろ』とか『孫見たい』とか、毎日のようにプレッシャーかけてくるから。もう限界。逃げてきた」
「またそれか⋯⋯」
カズはため息をついた。
ハルは才色兼備の人気イラストレーターだが、恋愛には無関心を装っている。
実際は、過去に深い恋をしたことがあり、それがうまくいかなかったことで、今は「結婚なんて面倒」と言い続けていた。
「俺のところ以外に行くところは無いのかよ⋯⋯」
「あるにはあるさ。でも、久し振りにお前と話をしてみたかったからな」
ハルはそう言って、カズの頭を軽く撫でた。
カズはムッとして手で払う。
「子供扱いすんなよ。もう26歳だぞ」
「でも、俺から見たら弟はいつまでも弟だよ。それに⋯⋯」
ハルは少し真剣な顔つきになり、カズを見つめた。
「お前ら、ちゃんとやってる? マサシとハヤトも含めて。三人で暮らしてて、大変じゃないか?」
「別に⋯⋯まあ、大変なときもあるけど、でも、好きだから。毎日、料理作って、洗濯して、掃除して、原稿書いて⋯⋯まあ、普通の生活だよ」
「普通の生活、か。でも、お前、昔から家族みたいなの好きだったもんな」
ハルはそう言って、遠い目をした。
「小さい頃、俺が学校でいじめられて帰ってきた日、お前が泣きながら『兄貴、大丈夫?』って言ってくれたこと、覚えてる?」
カズは少し驚いたように目を見開いた。
「覚えてるよ。あのとき、兄貴、顔にあざできてたじゃん。オレ、マジで泣いたよ」
「うん。でも、そのあと、お前が俺の部屋にこっそりお菓子を持ってきてくれたんだよな。それ以来、俺、カズが世界で一番好きだって決めた」
「⋯⋯今さら言ってもな」
カズは照れくさそうに顔をそむけたが、耳が赤くなっている。
そのとき、ハヤトが静かに口を開いた。
「ハル、もしかして⋯⋯このマンションにしばらく泊まるつもり?」
ハルはにやりと笑った。
「どうだ? 空き部屋、あるよな?」
マサシが苦笑いしながら言う。
「もちろん、カズのお兄さんなら歓迎ですが⋯⋯でも、カズの負担が増えるのは心配ですね」
「そこは心配いらない。俺も家事くらい手伝うよ。料理は下手だけど、洗濯と掃除は得意だし」
「⋯⋯ホントに?」
カズが半信半疑で見つめると、ハルは真剣な顔で言った。
「うん。それに、お前らの生活、ちょっと覗いてみたかったんだ。カズが毎日どんな風に過ごしてるか。マサシとハヤトとどうやって一つの家を回してるか。俺も、そろそろそういうこと、ちゃんと学ばなきゃなって思ってさ」
カズは少し驚いた。
「⋯⋯兄貴、変わったな」
「そりゃ、28にもなればな。もう、ただの自由気ままなイラストレーターじゃいられないよ。そろそろ、大人の責任ってやつを感じてるんだ」
ハルはそう言って、空のコップをテーブルに置き、立ち上がった。
「じゃあ、とりあえず、部屋の片付けから手伝うよ。荷物、運ぶの手伝ってもらえる?」
カズはしばらく黙ってから、小さくうなずいた。
「⋯⋯わかった。でも、朝ごはんは自分で作れよ?」
「了解。卵焼きくらいは焼けるから」
「⋯⋯信じてないけど、まあ、いいか」
カズが小さく笑うと、マサシとハヤトも思わず笑った。
その夜、四人は久しぶりに揃ってリビングで晩ご飯を食べた。
カズの手料理——チキンのトマト煮込みに、マサシが作ってくれたサラダ、ハヤトの淹れるコーヒー。
ハルは「久しぶりに家庭の味だ」と、何度も皿をよそった。
食後、ハルはカズの部屋の隣の空き部屋に荷物を運び終え、ベッドに腰を下ろした。
「⋯⋯いい家だな」
窓から見える夜景を見ながら、ハルは独りごちた。
「カズも、マサシも、ハヤトも⋯⋯ちゃんと、自分たちの生き方を掴んでる。俺も、もうちょっと真面目に生きようかな」
その言葉を、誰も聞いてはいなかった。
でも、風に乗って、リビングまで届いた。
カズはソファで原稿を書きながら、ふと、兄の笑顔を思い出していた。
「⋯⋯まあ、しばらく居てもいいか」
そうつぶやいて、微笑んだ。
とある日の昼下がりのことだった。
昼食を摂り終え、カズは自分の執筆机に向かおうと立ち上がったそのとき、マンションのインターホンが鳴った。
「誰だろう?」
そう言いながら、マサシが玄関のTV付きインターフォンのモニターを確認する。
画面に映った人物を見て、彼は思わず声を上げた。
「カズ、お兄さんだよ!」
「えっ!?」
カズはキッチンから顔を出し、タオルを手にしたまま駆け寄った。
モニターに映るのは、黒いTシャツにデニムを履いた、見慣れた長身の男——カズの兄、ハルだった。
太陽を浴びたような明るい茶髪に、どこか余裕のある笑み。
28歳とは思えないほど若々しく、でも確かな存在感を持っている。
「まさか、今から来るなんて言ってなかったのに⋯⋯」
カズが戸惑っている間に、マサシはすでにドアロックを解除していた。
「まあ、来てるんだから仕方ないじゃん。しかも、荷物まで持って来てるみたいだし」
確かに、ハルの足元には大きなキャリーバッグが一つ。
カズは眉をひそめた。
「まさか⋯⋯泊まりに来るつもりか?」
「まさかじゃないよ。だって、ここしか逃げ場ないじゃん」
ドアがノックされ、カズは渋々開けた。
「よっ! 久し振りだな」
ハルはにっこりと笑い、カズの肩を軽く叩く。
そして、リビングに視線を走らせると、ソファでタブレットを弄っていたハヤトを見つけ、声をかけた。
「よっ! ハヤト、久し振り。マサシくんも久し振り」
「お久し振りです」
マサシとハヤトが声をそろえて応える。
ハヤトは立ち上がり、ハルと軽くハグを交わした。
「元気だった? 最近、雑誌で兄貴のイラストばっかり見かけるよ。あの新連載の表紙、めっちゃカッコよかった」
「お、ありがとう。でもあれ、編集部に無理やりやらされたんだよ。『人気作家の兄貴なんだから、もっと派手にやれ』って」
「そりゃ、カズのお兄さんだもんな。期待されるのも当然だよ」
マサシが笑いながら言うと、カズは眉間にシワを寄せた。
「俺のせいにすんなよ。こっちは毎日、三人分の家事と原稿でヘトヘトなんだから」
「ああ、ごめんごめん。でも、感謝してるよ。カズの料理、世界一だもんな」
ハルはそう言って、冷蔵庫からサイダーを取り出し、カズに渡されたコップに注いだ。
一口飲み、満足げに「ゴクリ」と喉を鳴らす。
「⋯⋯で、本当に何かあったのか? まさか、また親と喧嘩したのか?」
カズが尋ねると、ハルは肩をすくめた。
「いや、何もないよ。たださ、ウチの両親が『結婚しろ』とか『孫見たい』とか、毎日のようにプレッシャーかけてくるから。もう限界。逃げてきた」
「またそれか⋯⋯」
カズはため息をついた。
ハルは才色兼備の人気イラストレーターだが、恋愛には無関心を装っている。
実際は、過去に深い恋をしたことがあり、それがうまくいかなかったことで、今は「結婚なんて面倒」と言い続けていた。
「俺のところ以外に行くところは無いのかよ⋯⋯」
「あるにはあるさ。でも、久し振りにお前と話をしてみたかったからな」
ハルはそう言って、カズの頭を軽く撫でた。
カズはムッとして手で払う。
「子供扱いすんなよ。もう26歳だぞ」
「でも、俺から見たら弟はいつまでも弟だよ。それに⋯⋯」
ハルは少し真剣な顔つきになり、カズを見つめた。
「お前ら、ちゃんとやってる? マサシとハヤトも含めて。三人で暮らしてて、大変じゃないか?」
「別に⋯⋯まあ、大変なときもあるけど、でも、好きだから。毎日、料理作って、洗濯して、掃除して、原稿書いて⋯⋯まあ、普通の生活だよ」
「普通の生活、か。でも、お前、昔から家族みたいなの好きだったもんな」
ハルはそう言って、遠い目をした。
「小さい頃、俺が学校でいじめられて帰ってきた日、お前が泣きながら『兄貴、大丈夫?』って言ってくれたこと、覚えてる?」
カズは少し驚いたように目を見開いた。
「覚えてるよ。あのとき、兄貴、顔にあざできてたじゃん。オレ、マジで泣いたよ」
「うん。でも、そのあと、お前が俺の部屋にこっそりお菓子を持ってきてくれたんだよな。それ以来、俺、カズが世界で一番好きだって決めた」
「⋯⋯今さら言ってもな」
カズは照れくさそうに顔をそむけたが、耳が赤くなっている。
そのとき、ハヤトが静かに口を開いた。
「ハル、もしかして⋯⋯このマンションにしばらく泊まるつもり?」
ハルはにやりと笑った。
「どうだ? 空き部屋、あるよな?」
マサシが苦笑いしながら言う。
「もちろん、カズのお兄さんなら歓迎ですが⋯⋯でも、カズの負担が増えるのは心配ですね」
「そこは心配いらない。俺も家事くらい手伝うよ。料理は下手だけど、洗濯と掃除は得意だし」
「⋯⋯ホントに?」
カズが半信半疑で見つめると、ハルは真剣な顔で言った。
「うん。それに、お前らの生活、ちょっと覗いてみたかったんだ。カズが毎日どんな風に過ごしてるか。マサシとハヤトとどうやって一つの家を回してるか。俺も、そろそろそういうこと、ちゃんと学ばなきゃなって思ってさ」
カズは少し驚いた。
「⋯⋯兄貴、変わったな」
「そりゃ、28にもなればな。もう、ただの自由気ままなイラストレーターじゃいられないよ。そろそろ、大人の責任ってやつを感じてるんだ」
ハルはそう言って、空のコップをテーブルに置き、立ち上がった。
「じゃあ、とりあえず、部屋の片付けから手伝うよ。荷物、運ぶの手伝ってもらえる?」
カズはしばらく黙ってから、小さくうなずいた。
「⋯⋯わかった。でも、朝ごはんは自分で作れよ?」
「了解。卵焼きくらいは焼けるから」
「⋯⋯信じてないけど、まあ、いいか」
カズが小さく笑うと、マサシとハヤトも思わず笑った。
その夜、四人は久しぶりに揃ってリビングで晩ご飯を食べた。
カズの手料理——チキンのトマト煮込みに、マサシが作ってくれたサラダ、ハヤトの淹れるコーヒー。
ハルは「久しぶりに家庭の味だ」と、何度も皿をよそった。
食後、ハルはカズの部屋の隣の空き部屋に荷物を運び終え、ベッドに腰を下ろした。
「⋯⋯いい家だな」
窓から見える夜景を見ながら、ハルは独りごちた。
「カズも、マサシも、ハヤトも⋯⋯ちゃんと、自分たちの生き方を掴んでる。俺も、もうちょっと真面目に生きようかな」
その言葉を、誰も聞いてはいなかった。
でも、風に乗って、リビングまで届いた。
カズはソファで原稿を書きながら、ふと、兄の笑顔を思い出していた。
「⋯⋯まあ、しばらく居てもいいか」
そうつぶやいて、微笑んだ。
0
あなたにおすすめの小説
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ
零
BL
鍛えられた肉体、高潔な魂――
それは選ばれし“供物”の条件。
山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。
見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。
誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。
心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。
[BL]憧れだった初恋相手と偶然再会したら、速攻で抱かれてしまった
ざびえる
BL
エリートリーマン×平凡リーマン
モデル事務所で
メンズモデルのマネージャーをしている牧野 亮(まきの りょう) 25才
中学時代の初恋相手
高瀬 優璃 (たかせ ゆうり)が
突然現れ、再会した初日に強引に抱かれてしまう。
昔、優璃に嫌われていたとばかり思っていた亮は優璃の本当の気持ちに気付いていき…
夏にピッタリな青春ラブストーリー💕
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる