続・性春時代

あかいとまと

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七夕祭り

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### 七夕祭り

 七夕祭りの朝、窓の外には淡い朝焼けが空を染めていた。
 夏の匂いが微かに漂い、風鈴の音が遠くから聞こえる。
 カズはキッチンで竹の笹の枝を飾りつけながら、短冊を手に取った。
 彼の指先はいつもペンを走らせるように、短冊にそっと文字を書き込む。

「皆んな、今日は七夕だぞ! 短冊に願いごとを書け!」

 彼の声は朝の静けさを切り裂くように響き、リビングに散らばっていた三人の意識を一気に引き寄せた。

「もうそんな季節か⋯⋯」

 パジャマ姿のまま、ソファに深く沈み込むように座っていたハヤトが、ぼんやりと呟いた。
 彼の髪は寝ぐせのまま、まるで小説のラストシーンを書き終えた後のようだ。
 現実と虚構の境界がまだ溶けきっていないような、そんな表情。

「ほんと、カズはマメにやるよな」

 新聞を広げながら、ハルが苦笑を浮かべる。
 彼の手には、今週発売された自身のイラスト集が挟まれていた。
 表紙には、星空を泳ぐ少女が描かれており、まるで今日の七夕を予見しているかのようだ。

「おはよう⋯⋯」

 半分寝ぼけたまま、マサシがキッチンの入り口に現れた。
 彼の髪はいつもよりさらに乱れていて、まるで深夜までペンを走らせていた証だ。
 カズはその姿を見て、思わず笑みをこぼす。

「おはよう、マサシ。今日も朝から絵を描いてた?」

「うん⋯⋯夢に出てきたシーンが気になって、つい⋯⋯」

 マサシは照れくさそうに頭を掻いた。
 彼の瞳には、まだインクの匂いと物語の余韻が残っている。

 カズは短冊を三枚、テーブルの上に並べた。

「七夕ってなあ、もともとは『たなばた』って言うんだよ。中国から伝わった『乞巧奠(きこうでん)』っていう行事がルーツで、織姫と彦星の物語と結びついて、今の形になったんだ。昔の女の子たちが、針仕事の上達を願って、夜空に星に祈ったんだって。だから今でも、短冊に願い事を書いて、笹の葉に飾るんだよ」

 ハヤトが眉を上げる。

「へえ⋯⋯作家のくせに、カズ、意外と伝統行事に詳しいじゃん」

「売れっ子作家だからな。取材もするし、調べるのも仕事のうちだよ」

 カズは胸を張ったが、すぐにマサシに肘で軽く突かれた。

「でも、カズの願い事っていつも『新刊が売れますように』とか『締切に間に合いますように』だろ?」

「それも立派な願い事だよ! それに⋯⋯」

 カズは少し顔を赤らめ、マサシの手をそっと握った。

「今年は、ちょっと違う願い事を書くよ」

 マサシはその言葉に、思わず息を呑んだ。

 ハルはそんな二人のやり取りを眺めながら、ふと静かに言った。

「そうだ、カズ。俺、そろそろ実家に戻ろうかと思うんだが⋯⋯」

 その言葉に、キッチンの空気が一瞬、凍りついた。

「えっ、ずっとここに住んでればいいじゃん!」

 カズが慌てて振り返る。
 彼の表情には、驚きと、わずかな寂しさが混ざっていた。

「でもな~、家を出てきてそろそろ一年になるだろ? 両親のことも心配だし、俺は帰った方がいいかと思って」

 ハルは新聞を折りたたみ、テーブルに置いた。
 彼の声はいつもより低く、どこか遠くを見つめるような調子だった。

 カズは眉をひそめる。

「父さんも母ちゃんも、兄貴が俺のところに住んでるのは知ってるんだろ? なら、問題無いじゃないか」

「知ってるけど⋯⋯俺も今年で29だ。ずっと弟の家に居候してるのも、どうかと思うよ。それに、実家にも仕事の依頼が来てて⋯⋯地元の文化祭のポスターや、地域の子どもたち向けの絵本のイラストとか。帰って、少し地元に貢献したいって気持ちもあるんだ」

 ハヤトが、その言葉に深くうなずいた。

「なるほどな。ハルらしいな。売れっ子になっても、地元を忘れないってのは、作家としても大事なことだよ」

 マサシも静かに口を開いた。

「でも⋯⋯寂しくなるよ。毎朝、ハルのコーヒーの香りで目が覚める生活がなくなるなんて⋯⋯」

「バカ言え、マサシ。お前らの朝食だって、ほとんどカズが作ってるだろ」

 ハルが笑いながら言うが、その目は少し潤んでいた。

 カズはしばらく黙っていた。
 やがて、彼は短冊を一枚取り、ペンを走らせた。

『兄貴が、自分の道を歩めますように』

 そして、もう一枚。

『でも、またすぐに会えますように』

 笹の葉に、その二枚の短冊をそっと結びつける。

「ハル⋯⋯俺、兄貴がいなくなるのは寂しいよ。でも、兄貴の気持ち、わかるよ。自分の居場所を見つけるって、大事なことだもんね。だから⋯⋯応援する。でも、絶対にまた遊びに来いよ? 七夕じゃなくても、誕生日でも、ただの水曜日でもいい。ここは、兄貴の家でもあるんだから」

 ハルはその言葉に、胸を打たれたように目を伏せた。
 そして、ゆっくりと顔を上げ、笑った。

「⋯⋯ありがとな、カズ。お前、本当に弟じゃなくて、俺の心の支えだよ」

 ハヤトが立ち上がり、冷蔵庫からビールを取り出す。

「じゃあ、今日は七夕だし、ちょっと早いけど乾杯しようぜ。ハルの帰郷を祝って、そして、これからも変わらぬ友情を誓って」

「ビール? 朝から?」

 マサシが呆れるが、カズはニヤリと笑った。

「七夕の朝ビール、これも新しいしきたりだ!」

 四人はリビングの窓辺に集まり、笹の枝を囲む。
 短冊が風に揺れ、それぞれの願いが空へと昇っていくようだった。

 ハヤトの短冊にはこう書かれていた。

『次の小説が、誰かの心に届きますように』

 マサシのは。

『カズとの毎日が、ずっと続きますように』

 ハルは、最後に短冊を手に取った。
 彼の筆跡は、いつもより少し震えていた。

『弟たちが、ずっと笑っていられますように』

 カズはその短冊を見て、思わず目を細めた。

「⋯⋯兄貴、それ、俺たちへの願い事?」

「当たり前だろ。お前らが幸せなら、俺も安心だよ」

 風が窓を開け放ったままの部屋を通り抜け、短冊たちがそっと揺れる。
 まるで織姫と彦星が、その願いに応えるように。

「ねえ、カズ」

 マサシがふと、小さな声で言った。

「もし、彦星と織姫が、毎日会えたら⋯⋯それでも、こんなに愛し合っていられるかな?」

 カズはマサシの横顔を見つめ、そっと微笑んだ。

「会えないからこそ、想いが強くなることもあるよ。でも⋯⋯俺たちは、毎日会える。それでも、マサシのことが、一年前よりずっと好きになってる」

 マサシの頬が、赤く染まった。

 ハヤトが咳払いをして、場を和ませる。

「⋯⋯重いな、カズ。七夕の朝から、そんなセリフ吐かなくていいって」

「いや、いいじゃん。七夕って、願い事と恋の物語の日なんだから」

 ハルが立ち上がり、四人のグラスに、朝のビールを注いだ。

「じゃあ、乾杯。俺たちの、これからも続く物語に——」

「乾杯!」

 グラスが触れ合い、音が鳴った。
 その瞬間、外の空に、一筋の流れ星が走った。

「わぁ! 流れ星!」

 マサシが叫ぶ。

「七夕に流れ星なんて、珍しいな」

 ハヤトが空を見上げる。

 カズは微笑んだ。

「きっと⋯⋯織姫と彦星が、俺たちの願いを聞き届けてくれたんだよ」

 その夜、四人は屋上に上がった。
 カズが用意した天の川のプロジェクターが、空に無数の星を映し出す。
 実際の星空よりも、ずっと美しくて、まるで物語の世界のようだった。

 ハルはその光を見つめながら、静かに言った。

「⋯⋯俺、来月の文化祭が終わったら、またここに戻ってくるよ。一週間だけでも、滞在させてくれないか?」

 カズの目が、一瞬で輝いた。

「当たり前だろ! いつでも、兄貴の部屋は空けてあるよ」

 マサシが笑い、ハヤトが肩を叩いた。

「じゃあ、次はハルの短冊に『また遊びにいきますように』って書くか?」

「それもいいな」

 ハルは笑った。
 そして、空を見上げた。

「⋯⋯彦星も織姫も、一年に一度しか会えないけど、きっと、毎日を大切にしてるんだろうな」

 カズはマサシの手を握りしめた。

「俺たちも、毎日を大切にしよう。会える日も、会えない日も、想いは繋がってるんだから」

 風が、また短冊を揺らした。

 七夕の夜は、まだ終わらない。
 願いは、空へと昇り、星となって、ずっとずっと、彼らを見守っているようだった。

 そして翌日、ハルは実家へと帰って行った。

 来月にまた訪ねて来ることを約束して。





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