続・性春時代

あかいとまと

文字の大きさ
40 / 48
39.

夏越の大祓

しおりを挟む
### 夏越の大祓

 六月最後の朝、カズのマンションのリビングは、いつものように朝日を浴びて明るく、ふんわりとコーヒーの香りが漂っていた。
 窓の外では、梅雨の晴れ間の青空が広がり、夏の気配がじわじわと肌に伝わってくる。
 カズは白いエプロンを着け、朝食の片付けを終えたばかりのテーブルの前に立っていた。
 彼の手には、小さな赤い紙の「茅の輪(ちのわ)」が握られていた。

「皆んな、今日は皆んなで神社に行くぞ!」

 突然の宣言に、リビングに集まっていた三人は一瞬動きを止めた。

「どうしたんだよ、突然?」  

 マサシが、まだ半分しか食べていないトーストを手に、不思議そうな顔で尋ねる。
 彼の髪はまだ寝ぐせのまま、スケッチブックを膝の上に載せたままの姿勢だ。

「あぁ、あれか⋯⋯」  

 ハルが小さく呟いた。
 彼はソファに深く腰を沈め、タブレットを操作しながらも、カズの言葉に反応した。
 黒いフレームの眼鏡の奥で、記憶をたどるような表情。

「何、また何かあるのか?」  

 ハヤトは机の上にメモ用紙を広げ、ペンを構える。
 彼は常に何かを書き留める習慣があり、カズの突発行動も「取材材料」として捉えている節がある。

 カズはにっこりと笑い、手の茅の輪を掲げた。

「今日は夏越の大祓! 半年の汚れを祓い清める、禊(みそぎ)の日なんです!」

「あー、なるほど。茅の輪くぐりか」  

 ハルが納得したように頷く。

「昔、母さんがよく連れてってくれたな。六月の終わりに、神社で茅の輪をくぐって、『罪穢れを祓い清め、残り半年も無病息災で過ごせますよう』って唱えてたよ」

「そう! まさにそれ!」  

 カズは目を輝かせ、まるで授業を始める先生のように手を広げた。

「夏越の大祓(なごしのおおはらえ)は、古くは『大祓式』と呼ばれ、陰暦六月の終わり、つまり陽暦の六月末に、半年間の間に溜まった罪や穢れ、言い訳や後悔、ストレスや人間関係のモヤモヤ——全部まとめて神様に祓ってもらう儀式なんです!」

「⋯⋯ストレスまで祓えるのか?」  

 マサシが眉をひそめる。

「締切前の俺のストレス、ぜんぶ消えてくれたらありがたいけど」

「もちろん! 神様も現代に対応してるってば」  

 カズは笑いながら続ける。

「この茅の輪、昔は茅(かや)の草で作られていて、『災いを跳ね返す力』があるとされてるんだ。神社の入り口に設置されてて、それをくぐることで、心身の穢れを祓うんだよ。くぐるときは、『左、右、左』の順に回るのが正式なやり方。『二礼二拍手一礼』の要領で、心を清めてくぐる。そして——」

 カズは声を落とし、少し真剣な顔になる。

「『みなごころにささりて、わがながよろずのたまきほふる、つきひのゆふべ』っていう祝詞(のりと)を心の中で唱えると、より効果的なんだって。意味はね、『皆様の心に届きますように、私の魂を捧げます。月日のおわりの夕べに』っていう、半年の締めくくりの祈り」

「⋯⋯なんか、すごく心が洗われる気がするな」  

 ハヤトがメモを止めて、しみじみと言った。

「作家冥利に尽きる。こういうの、小説の題材にしたい」

「それより、カズ、なんで急にやる気になったの?」  

 マサシが尋ねる。

「普段、神社とか行かないじゃん?」

 カズは少し照れたように頭をかいた。

「実はな、先週、担当編集さんと話しててさ。『最近、カズさん、作品に深みが増したね』って言われて。そしたら、『でも、その分、心のどこかで疲れが溜まってるんじゃない?』って。それでさ、『夏越の大祓、行ってみたら?』って勧められて」

「へぇ⋯⋯編集さんにまで心配されるなんて、珍しいな」  

 ハルがからかうように笑う。

「普段は家事も完璧、仕事もバリバリ、恋人も満足させてるってのに」

「うるさい、兄貴!」  

 カズが赤面してツッコむと、マサシは「満足してるよ」とニヤリと笑った。

「でも、言われてみれば、最近確かに忙しかったもんな」  

 ハヤトがうなずく。

「新連載の構想、締切、取材⋯⋯俺も心のどこかでモヤモヤしてたかも」

「それだよ!」  

 カズは拳を握りしめた。

「だから、今日は全員で神社に行って、半年の疲れと罪穢れを全部祓っちゃおうぜ! そして、後半戦も元気に、楽しく、創造的に過ごすために、心も体もリセットするんだ!」

「⋯⋯なんか、カズの言うとおりにしないと、朝ご飯抜きにされそうな気がする」  

 マサシが苦笑いする。

「それもあり得るよ?」  

 カズはにやりと笑った。

「だって、主夫の権限だもん」

「了解しました、神主カズ様」  

 ハヤトが敬礼する。

「参ろう、神域へ!」



 午前十一時、四人は駅前の大きな神社に到着した。
 境内には、すでに茅の輪が設置されていて、訪れる人々が順番にくぐっている。
 空には青空が広がり、鳥のさえずりと風鈴の音が心地よく響く。

「わあ、雰囲気いいね」  

 マサシがスケッチブックを取り出し、茅の輪と鳥居の構図をさっとスケッチする。

「茅の輪、意外とインスタ映えしそう」  

 ハヤトがスマホで写真を撮る。

「お前ら、神聖な場所でSNSかよ」  

 ハルが呆れながらも、自分もこっそり写真を撮っていた。

「じゃあ、行きますよ」  

 カズが真剣な顔で言う。

「左、右、左の順に、心を込めてくぐって。無言で、でも心の中で何か祈ってもいい」

 四人は茅の輪の前に整列し、カズの合図で、左足から一歩を踏み出した。

 左 → 右 → 左。

 茅の輪をくぐる瞬間、ふわりと風が吹き、夏の香りが鼻をくすぐった。
 まるで、半年分の重さが肩からすっと離れていくような感覚。

 カズは心の中で、そっと祝詞を唱えた。

『みなごころにささりて、わがながよろずのたまきほふる、つきひのゆふべ』

 ——半年間、たくさん書いた。
 たくさん笑った。
 たくさん喧嘩もした。
 マサシとケンカして、泣いたこともあった。
 でも、それも全部、今の自分を形作ってる。  
 これからも、もっと書きたい。
 もっと愛したい。
 もっと、この家のみんなと笑いたい。  
 どうか、心も体も、健やかに、清らかに、残り半年を歩ませてください。

 くぐり終えると、全員が顔を見合わせ、自然と笑みがこぼれた。

「⋯⋯なんか、スッキリした気がする」  

 マサシが首を回しながら言う。

「肩こりまで軽くなった気がする」

「心理的効果かもしれないけど、それも立派な効果だよ」  

 ハヤトが笑う。

「心が軽くなるって、一番大事なことだ」

「カズ、ありがとう」  

 ハルがぽつりと言った。

「久しぶりに、家族みたいなことをした気がする」

 カズは胸が熱くなった。
 彼はこの四人家族——血は繋がってないけれど、心で繋がったこの暮らしを、何より大切に思っている。

「じゃあ、次は『大祓の紙人形(かしら)』を流しに行こう!」  

 カズが言う。

「神社の境内に、川があるでしょ? そこに紙の人形を流して、『自分の穢れを乗せて川に流す』って儀式があるんだよ」

「人形? 人形術とかじゃなくていいよな?」  

 マサシが警戒する。

「大丈夫、紙の人に書いてるだけ。名前とか、悩みとか、書き込んで川に流すんだ」

 四人は神社の裏手にある小さなせせらぎへと向かった。
 川のほとりには、すでに何枚もの紙人形が流れている。

 カズが持参した和紙と筆ペンを取り出す。

「じゃあ、各自、自分の紙人形に、半年間の『悩み』『後悔』『ストレス』を書いて、流そう」

 ハヤトは真剣な顔で筆を走らせる。

『締切に追われすぎて、恋人と会えなかったこと』

 マサシは少し迷ってから書いた。

『カズに甘えすぎて、家事の負担が増えたこと』

 ハルはクールな顔で、でもちゃんと書いていた。

『弟の才能に嫉妬したことがあること』

 カズはそれを読んで、思わず笑った。

「兄貴、それ⋯⋯今更言わなくていいよ」

「⋯⋯書かないと、祓えないだろ?」  

 ハルが照れくさそうに顔を背ける。

 そしてカズは、自分の紙人形にこう書いた。

『自分を追い詰めすぎたこと。もっと、みんなと笑いたかった』

 四人は川べりに立ち、紙人形をそっと川に浮かべた。
 流れに乗り、紙はゆっくりと下流へと運ばれていく。

「⋯⋯さよなら、半年の疲れ」  

 カズが呟く。

「またな、来年の夏越で」  

 ハヤトが笑う。

「来年も、絶対に来ような」  

 マサシがカズの手を握った。

「ああ、約束だ」  

 ハルも微笑んだ。

 川のせせらぎと、夏の風が、四人の心を優しく洗い流していく。

 帰り道、カズはふと考えた。

 ——作家として、日々を書き続けること。  
 それも、立派な「祓い」なのかもしれない。  
 自分の心を紙に吐き出し、読む人の心に届け、また新しい物語を紡ぐ。  
 それが、現代の「禊」なのだと。

「ねえ、みんな。」  

 カズが歩きながら言う。

「今日のことを、小説にしようかな」

「ぜひ、俺が表紙描くよ。」  

 ハルが言う。

「俺はマンガ化する。」  

 マサシ。

「俺は解説付きで読む。」  

 ハヤト。

 カズは、満面の笑みで空を見上げた。

「⋯⋯最高の家族だな」

 カズはそう言って微笑んだ。





しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

騙されて快楽地獄

てけてとん
BL
友人におすすめされたマッサージ店で快楽地獄に落とされる話です。長すぎたので2話に分けています。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

BL短編

水無月
BL
兄弟や幼馴染物に偏りがちです。

邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ

BL
鍛えられた肉体、高潔な魂―― それは選ばれし“供物”の条件。 山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。 見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。 誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。 心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。

ヤンデレBL作品集

みるきぃ
BL
主にヤンデレ攻めを中心としたBL作品集となっています。

[BL]憧れだった初恋相手と偶然再会したら、速攻で抱かれてしまった

ざびえる
BL
エリートリーマン×平凡リーマン モデル事務所で メンズモデルのマネージャーをしている牧野 亮(まきの りょう) 25才 中学時代の初恋相手 高瀬 優璃 (たかせ ゆうり)が 突然現れ、再会した初日に強引に抱かれてしまう。 昔、優璃に嫌われていたとばかり思っていた亮は優璃の本当の気持ちに気付いていき… 夏にピッタリな青春ラブストーリー💕

処理中です...