元アラフィフ男の異世界転生記 〜新しい家族とともに異世界を謳歌する〜

あかいとまと

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第40話:星が揺れる夜

第40話:星が揺れる夜

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 森の朝は、今日も薄い霧に包まれていた。  
 夜の冷気が地面の湿り気を吸い上げ、白い靄となって木々の間を漂っている。  
 その霧が朝日を受けて淡く光り、森全体が柔らかい光の膜に包まれているように見えた。

 ログハウスの前のテラスには、昨日のうちに作り終えたポーションと石鹸の木箱が、整然と並べられている。  
 木箱の表面には、ヨシュアが書いた端正な字でラベルが貼られていた。

《回復ポーション》  
《魔力回復ポーション》  
《解毒ポーション》  
《香り付き魔力安定石鹸》

 ラベルの紙は、ミラが丁寧に切りそろえ、ネロとリオが糊付けしたものだ。  
 その一つ一つに、家族の手の温度が宿っている。

 シュウは帳簿を片手に、木箱の蓋を開けて中身を確認していく。  
 瓶の中の液体は朝の光を受けてきらりと反射し、石鹸は淡い魔力の輝きを帯びていた。

 その光景を見ながら、シュウの胸の奥には、いつものように静かな満足感が広がっていた。  
 ――今日も、ちゃんと“生活”が回っている。  
 そう思える瞬間が、何よりも好きだった。

「兄ちゃん、こっちの箱も大丈夫!」

 ネロが元気よく声を上げる。  
 その声は、朝の空気を軽やかに震わせた。

「⋯⋯こっちも、ちゃんと入ってる」

 リオは、少し眠たそうな目をこすりながらも、真剣に瓶の並びを確認していた。  
 ただ、その動きがほんの少しだけ重い。  
 シュウはその違和感を見逃さなかった。

「リオ、大丈夫か?」

「⋯⋯うん。ちょっと疲れてるだけ」

 リオはそう言って微笑んだが、その笑顔はどこか薄かった。

(⋯⋯気のせいだといいんだが)

 胸の奥に、小さな棘のような不安が刺さる。  
 だが、今はまだ、深く考えないようにした。



 森を抜け、街道を進み、小さな街の門をくぐる頃には、太陽はすっかり高くなっていた。  
 街の中は、朝の活気に満ちている。

 パン屋からは焼きたての香りが漂い、露店では野菜や果物が色とりどりに並んでいた。  
 焼き串の匂い、果物の甘い香り、馬車のきしむ音、人々の話し声。  
 異世界エリュシアの“生活の匂い”が、ここにはある。

「兄ちゃん、見て見て! リンゴが山盛り!」

「ほんとだ。帰りに少し買って帰るか」

「やった!」

 ネロが跳ねるように歩く。  
 その後ろで、リオはゆっくりとした足どりでついてくる。  
 ときおり胸のあたりを押さえるしぐさがあるのを、シュウは見逃さなかった。

(⋯⋯やっぱり、どこかおかしいな)

 だが、リオは「大丈夫」と言うように微笑んだ。  
 その笑顔が、逆に胸を締めつけた。

 ギルドの扉を押し開けると、受付嬢エリナがぱっと顔を明るくした。

「シュウ・タチバナ公爵様! いつもありがとうございます!」

 納品を済ませ、店頭に並べた瞬間――

「これ、先日噂になってた光る石鹸だ!」  

「ポーションも補充されてるぞ!」

 客たちが群がるように手に取り、棚はみるみる空になっていく。

「兄ちゃん、売れてる!」

「⋯⋯すごい」

 ネロとリオが目を輝かせる。  
 だが、リオの笑顔はどこか薄く、額にはうっすらと汗が滲んでいた。

(⋯⋯やっぱり無理させたか)

 胸の奥に、また小さな棘が刺さる。



 昼食を済ませ、家に戻ると、リオが胸を押さえて顔をしかめた。

「兄さん⋯⋯なんか、体の節々が⋯⋯痛い⋯⋯」

「またか。ちょっと横になれ」

 シュウは癒し魔法を流し込む。  
 だが、リオの身体の痛みは消えない。

「⋯⋯ごめん⋯⋯兄さん⋯⋯」

「謝るな。原因が分からないだけだ」

 ミラが心配そうに額に手を当てる。

「熱はありません。でも⋯⋯魔力の流れが少し乱れています」

「魔力の乱れ⋯⋯?」

 シュウはリオを部屋に寝かせ、夕食まで休ませることにした。

(⋯⋯魔力の乱れ。リオは星の守護者の血を引いている。そして俺も⋯⋯“星の守護者と同格の血筋”。星の流れが揺らげば、何かが起きてもおかしくない⋯⋯)

 胸の奥の棘が、少しずつ大きくなっていく。



 夕暮れ。  
 キッチンには、肉の焼ける香ばしい匂いと、ハーブの香りが満ちていた。

「兄ちゃん、リオは?」

「まだ痛むみたいだ。食事は後で運ぶよ」

 ネロは心配そうに眉を寄せた。

 テーブルには、いつものように全員分の皿が並ぶ。  
 だが、リオの席だけが空席のままだった。

 その空席が、家の中の空気を少しだけ重くしていた。

 囲炉裏部屋の梁の上で、銀色の尾がふわりと揺れた。

「⋯⋯星の流れが、昼から揺らぎ始めておるな」

 ラムが静かに言った。

「ラム、それって⋯⋯リオの痛みと関係あるのか?」

「可能性は高い。星の守護者の血が動き始めておる。そして――シュウよ。お前の血もまた、星の流れに呼応しておるはずだ」

 シュウは息を呑んだ。

「⋯⋯俺も、か?」

「うむ。お前は“星の守護者と対を成す血筋”。星の乱れは、お前にも影響を及ぼす」

 胸の奥が、静かにざわついた。



 夕食を終え、片付けも済んだ頃。  
 外はすっかり夜の帳が降りていた。

 ネロはテラスに出て、夜空を見上げていた。  
 翡翠色の瞳が、星々を映して揺れている。

「兄ちゃん⋯⋯」

 その声は、いつもよりずっと静かだった。

「星の流れが⋯⋯変わった」

 その瞬間、家の空気がひやりと冷えた。

 ラムが梁の上で目を細める。

「⋯⋯とうとう来たか。予知眼が動くということは、星の乱れが“確定”したということだ」

 ウォルフが低く唸る。

「森の奥がざわついている。何かが⋯⋯目を覚ましつつある」

 アレンが息を呑む。

「まさか⋯⋯俺たちの出番が来るのか?」

「まだ分からぬ。だが、星は嘘をつかぬ」



 ネロは夜空を見つめたまま、震える声で続けた。

「星が⋯⋯渦になってる。本当は交わらないはずの星が寄り添って⋯⋯その真ん中に⋯⋯誰かがいる⋯⋯」

「誰か?」

「分からない⋯⋯でも⋯⋯“やっと起きた”って⋯⋯笑ってる⋯⋯」

 ネロの肩が小さく震えた。

「怖いか?」

「⋯⋯怖い。でも、それだけじゃない。なんか⋯⋯呼ばれてる気がする」



 ラムは静かに尾を揺らした。

「星の渦は、星の守護者だけを呼ぶものではない。シュウよ⋯⋯お前の血もまた、星の系譜に連なる。星の乱れは、お前にも影響を及ぼすだろう」

「俺にも⋯⋯?」

「うむ。星の守護者が“星の道を正す者”ならば⋯⋯お前の血は“星の道を見守る者”。どちらが欠けても、星の流れは成り立たぬ」

 シュウは胸の奥が熱くなるのを感じた。

(⋯⋯俺も、星に繋がっている⋯⋯リオだけじゃない。アレンだけじゃない。俺も、この流れの中にいる⋯⋯)



 ネロはまだ夜空を見上げていた。  
 翡翠色の瞳に映る星々は、どこかいつもと違う軌道を描いているように見えた。

「兄ちゃん⋯⋯星、すごくざわざわしてるのに⋯⋯でも、不思議と、ここはあったかいね」

「それは、みんながここにいるからだろ」

 シュウはネロの頭をぽんと撫でた。

「星がどう動こうが、外で何が始まろうが⋯⋯俺たちの一日は、ちゃんとここから始まって、ここに戻ってくる。それだけは、変わらない」

 ラムは梁の上で静かに目を閉じた。  
 ウォルフは尻尾を一度だけ揺らし、アレンは小さく息を吐き、フェイは胸の前で手を組んだ。  
 ヨシュアは本を閉じ、そっとページに指を挟んだ。

 遠く、森の奥で、何かが微かに動いた。

 それはまだ形を持たない。  
 だが――  
 星の流れは確かに変わった。

 そしてその変化は、  
 リオだけでなく、  
 アレンだけでなく、  
 シュウ自身にも及び始めていた。



 夜が深まるにつれ、森のざわめきは次第に輪郭を帯びていった。  
 風が木々を揺らす音ではない。  
 獣が走る気配でもない。

 ――星の流れが、森の奥へと吸い込まれていく。

 ネロはテラスの手すりを握りしめ、震える声で言った。

「兄ちゃん⋯⋯星が⋯⋯呼ばれてる⋯⋯」

 その瞬間、シュウの胸の奥に、鋭い痛みが走った。

「っ⋯⋯!」

「兄さん!?」

 家の中からミラが駆け寄る。  
 だが、シュウは手を上げて制した。

「⋯⋯大丈夫だ。少し⋯⋯胸が熱いだけだ」

 だが、その熱はただの熱ではなかった。  
 星の流れが、まるで心臓を直接掴むように脈打っている。

 ラムが梁の上から静かに告げた。

「始まったな。星の系譜に連なる者だけが感じる“呼び声”じゃ」



 そのとき――

 森の奥から、低く、重い音が響いた。

 ゴォォォォ⋯⋯ン⋯⋯

 鐘の音のようであり、地鳴りのようでもある。  
 星の渦が、森の中心へと落ちていくような音だった。

「兄ちゃん⋯⋯あそこ⋯⋯!」

 ネロが指さした先。  
 森の奥に、黒い霧のようなものが渦を巻いていた。

 星の光が吸い込まれ、夜空の一部が歪んで見える。

 ウォルフが牙を剥く。

「⋯⋯あれは、星の流れを“喰う”気配だ。普通の魔物ではない」

 アレンが剣に手をかけた。

「行くべきか?」

 だが、ラムは首を横に振った。

「いや⋯⋯今行けば、星の渦に呑まれる。あれは“呼ばれた者”だけが踏み入れられる領域じゃ」

「呼ばれた者⋯⋯?」

 シュウは胸の痛みを押さえながら、息を整えた。

「⋯⋯俺と、リオ⋯⋯か?」

「うむ。そして――」

 ラムは、静かに目を細めた。

「“お前ではない、お前”もまた、呼ばれておる」



 その言葉の意味を問おうとした瞬間だった。

 ――家の中から、リオの悲鳴が響いた。

「っ……あああぁぁぁぁぁぁっ!!」

「リオ!?」

 シュウは駆け込んだ。  
 リオはベッドの上で身体を丸め、胸を押さえて震えていた。

 その身体から、淡い星光が漏れている。

「兄さん⋯⋯っ⋯⋯星が⋯⋯痛い⋯⋯!」

 シュウはリオの手を握った。

「大丈夫だ、俺がいる」

 だが――その瞬間。

 シュウの胸にも、同じ痛みが走った。

「っ⋯⋯ぐ⋯⋯!」

「兄さん!?」

 リオの瞳が揺れる。  
 シュウの胸からも、同じ星光が漏れ始めていた。

 ラムが低く呟く。

「⋯⋯星の系譜が、完全に呼応したか。“始まりの痛み”じゃ。星の道が開く前兆よ」

 星の道――  
 それは、星の守護者と、その対を成す者だけが踏み入れられる領域。

 そして――  
 その道の先にいるのは、ただ一人。



 家の外で、風が止んだ。

 森のざわめきも、虫の声も、すべてが静止した。

 まるで世界が息を潜めたような静寂。

 その静寂を破ったのは――  
 闇の中から響く、低く、乾いた笑い声だった。

「⋯⋯やっと、目を覚ましたか」

 その声は、シュウの声だった。

 だが、シュウではない。

 テラスの向こう、森の闇の中に――黒い霧をまとい、真っ黒なマントを揺らす“男”が立っていた。

 黒髪。  
 茶色の瞳。  
 だが、その瞳は光を宿していない。  
 深い井戸の底のように、冷たく、静かで、底が見えない。

 そして――  
 その顔は、シュウとまったく同じだった。

「⋯⋯なんだ⋯⋯あれは⋯⋯」

 アレンが息を呑む。

 フェイは剣を抜きかけたが、ウォルフが低く唸って止めた。

「下がれ。あれは⋯⋯ただの影ではない」

 黒いシュウは、ゆっくりと口角を上げた。

「久しいな、シュウ・タチバナ。いや⋯⋯“俺”と言ったほうがいいか?」

 シュウは息を呑んだ。

「⋯⋯お前は⋯⋯誰だ」

 黒いシュウは、まるで懐かしい友に語りかけるように微笑んだ。

「俺はお前だよ。星の道が閉ざされたとき、切り捨てられた“もう一つの可能性”。お前が選ばなかった道の先に生まれた――“影のシュウ”だ」

 星が揺れた。

 リオの胸の痛みが強くなる。

 ネロの予知眼が震える。

 そしてシュウの胸の奥で、星光が脈打った。

「さあ、シュウ。星の道が開く。お前が歩むべき道は――本当に“今の生活”なのか?」

 黒いシュウは、闇の中で静かに笑った。

「俺はずっと待っていた。  
 お前が、星に呼ばれるこの瞬間を」

 黒い霧をまとった“闇のシュウ”は、星の光を吸い込むように静かに立っていた。  
 その瞳は、今のシュウと同じ色をしているのに、どこまでも冷たく、深い闇を湛えている。

「⋯⋯お前は今の生活のままでいいのか?」

 その声は、まるで胸の奥を直接叩くように響いた。

「かつての俺は、星の流れを正すために生命を落とした。  
 それなのに――お前は何もせず、ただ家族との生活を楽しんでいる」

 闇のシュウの言葉に、家の空気がひやりと冷えた。

「この星の未来を閉ざす気なのか?」



 その瞬間、アレンが息を呑んだ。  
 胸の奥に、忘れていたはずの痛みが蘇る。

 ――星の渦。  
 ――崩れゆく空。  
 ――隣で倒れた“誰か”。

 アレンは額を押さえ、震える声で呟いた。

「⋯⋯俺は⋯⋯前世で⋯⋯」

 フェイが支えようと手を伸ばしたが、アレンは静かに首を振った。

「思い出した⋯⋯いや、思い出し始めた。俺は⋯⋯前世で、星の流れを正すために⋯⋯命を賭した⋯⋯」

 闇のシュウが薄く笑う。

「そうだ。お前もまた、星に選ばれた者。そして俺と共に散った“星の守護者”だ」

 アレンはゆっくりと顔を上げ、闇のシュウを真っ直ぐに見据えた。

「⋯⋯確かに、前世ではそうだった。星の流れを正すために、命を賭した。でも――」

 アレンの声が強くなる。

「普通の生活を楽しんで、何が悪い。星の流れが変われば、それを正す。だが、前世のように命を賭してまで、今世で星を正そうとは思わない!」

 その言葉は、闇の中に鋭く響いた。



 シュウもまた、一歩前に出た。

「俺は⋯⋯今の生活が大事だ」

 胸の奥の痛みはまだ続いている。  
 だが、それ以上に胸の中にある“温かさ”が、シュウを支えていた。

「ネロも、リオも、フェイも、アレンも、ヨシュアも、ミラも⋯⋯みんな、俺の大切な仲間だ。この生活を守りたい。それが⋯⋯俺の答えだ」

 闇のシュウの瞳が、わずかに揺れた。

「⋯⋯仲間、か」

 その声には、ほんの一瞬だけ、痛みが滲んだ。

「かつての俺には⋯⋯仲間などいなかった。星の流れを正すために、ただ使命だけを背負い⋯⋯誰にも頼れず、誰にも支えられず⋯⋯そして――死んだ」

 闇のシュウは、ゆっくりと拳を握りしめた。

「だからこそ⋯⋯お前が憎い」

 その言葉は、静かで、深く、重かった。

「仲間に囲まれ、守られ、愛され⋯⋯それでも星の道から逃げようとするお前が⋯⋯俺には、どうしても許せない」



 風が止んだ。  
 星の渦が、森の奥でさらに大きく揺らぐ。

 ネロの予知眼が震え、リオの胸の星光が脈打つ。

 ウォルフが低く唸り、ラムは尾を広げて構えた。

「⋯⋯来るぞ」

 ラムの声は、いつになく鋭かった。

 闇のシュウは、ゆっくりと手を上げた。  
 その手のひらに、黒い星光が集まっていく。

「さあ、シュウ。お前の“答え”を⋯⋯星に示せ」

 シュウは深く息を吸い、仲間たちを背に立った。

「⋯⋯逃げない。俺は、俺の生活を守るために――戦う」

 闇のシュウの口角が、静かに上がった。

「それでこそ⋯⋯“俺”だ」



 星の渦が、夜空を裂くように光を放つ。

 闇のシュウが一歩踏み出し――シュウもまた、一歩前へ。

 空気が震え、星光が弾ける。

 そして――

 闘いが始まる、その直前。



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