元アラフィフ男の異世界転生記 〜新しい家族とともに異世界を謳歌する〜

あかいとまと

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第41話:闇の中のもう1人のシュウ

第41話:闇の中のもう1人のシュウ

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 星が軋むような音が――確かに、した。

 空は晴れている。  
 雲ひとつない夜空に、いつものように星々が瞬いている。  
 だが、そのどれもが落ち着きなく揺れ、視界の端で軌道をずらしては、また元の場所に戻ろうとしているように見えた。

 正しく在ろうとする星々と、  
 それを引きずり下ろそうとする“何か”の綱引き。

 シュウは、胸の奥の痛みを押さえながら、目の前の“もう一人の自分”を見据えた。

 黒いマントを揺らす闇のシュウは、ゆっくりと一歩踏み出す。  
 その足元から、黒い霧がじわりと広がっていく。

 テラスの木の床板に、黒い影が染み込むように浸食していくのを、ネロが息を呑んで見つめた。

「兄ちゃん⋯⋯床が、夜みたいになってる⋯⋯」

 ミラがネロを庇うように前に出る。

「ネロ、下がってください。ここは危険です」

 フェイも一歩前に出ようとしたが、ウォルフが前脚を伸ばして制した。

「やめろ、フェイ。あの影は、“星の系譜”以外を拒む」

「拒む?」

「ああ。踏み込めば、魂ごと喰われる。少なくとも、今の我らでは太刀打ちできぬ」

 闇の影は、確かに“境界”を描いていた。

 テラスの板の半分ほどが黒に染まり、その先――闇のシュウとの間には、目に見えない溝があるようだった。

 シュウの足元にも、同じ黒い影が薄くまとわりついている。  
 だが、それは彼を飲み込むことなく、ただ“撫でる”だけだ。

 こめかみがじわりと熱を帯びる。  
 胸の中で、星光が脈を打つ。

(――呼ばれている)

 はっきりと、そう感じた。



「シュウ」

 名前を呼ぶ声は――自分と同じ響きでありながら、底に“空洞”を抱えていた。

 闇のシュウは、ゆっくりと右手を上げる。  
 その手のひらに、黒い星光が渦を巻く。

「ここは、まだ“入り口”にすぎない。星の道は、完全には開いていない。今ならまだ、お前は選べる」

「選ぶ?」

「そうだ」

 黒い瞳が、淡く揺れる。  
 そこに映るのは、テラスに並ぶ顔ぶれ――ネロ、リオ、フェイ、アレン、ヨシュア、ミラ、ウォルフ、ラム。

「お前の生活を選ぶか。それとも――星の未来を選ぶか」

 その言葉に、ヨシュアが眉を寄せた。

「二つが両立しないと、誰が決めた?」

 静かな声。  
 しかし、その中に微かな怒りが混じっているのを、シュウは感じた。

 闇のシュウは、ヨシュアを一瞥すると、小さく笑った。

「決めたのは、星そのものさ。星の流れは、代償なしには変えられない。誰かが傷つき、何かを失ってようやく、軌道は正される」

「そんな理屈は――」

 フェイが言いかけたとき、ラムが静かに口を開いた。

「⋯⋯完全なる間違いとも言えぬ」

 皆の視線が、銀狐へと向けられる。

 ラムは九つの尾をゆるやかに揺らしながら、夜空を見上げた。

「星の流れは、確かに“代償”を求める。星々の位置が変わるということは、それだけ多くの“可能性”が押し潰されるということだからな」

「ラム」

「だが――」

 ラムは、闇のシュウをまっすぐに見据えた。

「代償を“命”に限定する必要もない。何かを“諦める”こともまた、代償となり得る。“前世と同じ結末”だけが、星の望む答えではあるまい」

 闇のシュウの眉が、わずかに動いた。

「⋯⋯理屈の上では、そうかもしれない」

「理屈上では、のう」

 ラムは静かに続ける。

「だが、現にお前は“命を投げ打った結末”しか知らぬ。だからこそ、その可能性しか信じられぬのだろう」



 沈黙が、ひとつ。  
 星の渦が、遠くの空で軋む。

 闇のシュウは、ふと視線を外し、夜空を見上げた。

「俺は⋯⋯あの日、全部を失った」

 その声には、怒りでも憎しみでもないもの――“空虚さ”が混じっていた。

「星の流れを正すために立ち上がり、戦い、仲間も持たず、理解者もおらず、ただひたすら使命だけを抱えて⋯⋯そして、死んだ」

 アレンが、わずかに身じろぎした。  
 胸の奥で疼く感覚が、過去の断片を押し上げる。

 崩れ落ちる塔。  
 暗く渦巻く星空。  
 自分の前で、光を失った“誰か”。

 息が詰まりそうになる。

「俺は、死んだはずだった」

 闇のシュウは、自分の手のひらを見つめる。

「だが、星の道が閉ざされるとき、“選ばれなかった可能性”は切り捨てられず、どこかに溜まり続ける。お前が転生を許されたとき――“選ばれなかった俺”は、行き場を失って闇に沈んだ」

 その言葉を聞いた瞬間――  
 シュウの胸の中で、何かが小さく軋んだ。

(⋯⋯選ばれなかった俺)

 もし、あのとき女神エリシアが「やり直せるのは一つの可能性だけ」と言っていたのだとしたら。  
 目の前にいるのは、その裏側で切り捨てられた“自分”なのだ。

 綺麗事では済まされない、重たい現実。

 闇のシュウの目が、シュウに戻る。

「だからこそ、お前が許せない。俺が全部を失った後で、同じ顔をしたお前が、“普通の生活”を手に入れている。星の流れから目を逸らし、大切なものに囲まれて笑っている」

 その声には、嫉妬というにはあまりにも乾いた感情が滲んでいた。

「⋯⋯俺が欲しかったものを、全部持っているくせに」

 テラスの空気が、少しだけ震えた。

 ネロが、そっとシュウの服の裾を掴んだ。

「兄ちゃん⋯⋯」

 その手は、かすかに震えている。

「“闇の兄ちゃん”は⋯⋯ずっと一人だったの?」

 その問いに、闇のシュウは目を細めた。

「一人だったさ。星の声だけが、唯一の会話相手だった」

「それで⋯⋯星の方を選んだの?」

「他に何もなかった」

 短く返された言葉は、淡々としていて――それがかえって、ネロの胸を締め付けた。

 ネロは俯き、ぽつりと呟く。

「⋯⋯それは、それで⋯⋯すごく、寂しい」

 闇のシュウの瞳が、かすかに揺れた。

「寂しい?」

「うん。だって、兄ちゃんも、リオも、みんながいるから⋯⋯星がざわざわしてても、ここはあったかいって、さっき言ったばっかりなのに」

 ネロは顔を上げ、真っ直ぐに闇のシュウを見た。

「“闇の兄ちゃん”には⋯⋯そういう場所、なかったんでしょ?」

 問いかけというより、確認に近い声音。

 闇のシュウは、一瞬だけ言葉を失い――次の瞬間、短く笑った。

「⋯⋯お前は、本当に厄介だな」

 その笑いは、嘲りではなく、どこか自嘲に近い。

「俺は、星に選ばれた。そのとき、“場所”を持つ資格を捨てたんだ。そうしなければ、星の流れを背負えなかった」

「それ、誰が決めたの?」

 今度は、リオの声だった。

 ベッドから起き上がったリオが、ふらつきながらも寝室の入り口に立っていた。  
 胸元にはまだ淡い星光が揺らめいている。

「リオ、まだ休んでろ」

 シュウが眉をひそめて近づこうとするが、リオは首を振った。

「⋯⋯大丈夫。痛いけど、歩ける」

 その瞳は、少し涙を滲ませながらも、まっすぐに闇のシュウを見据えていた。

「“場所を持っちゃいけない”って、誰が決めたの? 星? それとも――兄さん?」

 その「兄さん」は、シュウではなく、闇のシュウを指していた。

 闇のシュウは、わずかに目を見開いた。

「星の守護者の末裔が⋯⋯ずいぶんと生意気になったな」

「⋯⋯前世のことは、よく分からない。でも、今世の俺は、星の血を引いてても⋯⋯兄さんに拾われて、ここに“場所”をもらった」

 リオは胸に手を当てた。

「痛いよ。今も、星が暴れてる。怖い。でも⋯⋯この痛みがあっても、“ここ”を捨てようとは思わない」

 その言葉に、アレンが小さく頷く。

「⋯⋯同感だ。前世で命を賭したことを、俺は否定しない。あのときの選択も、きっと間違いじゃなかった。けど――」

 アレンは一歩前に出て、闇のシュウを真っ直ぐ見た。

「それが“唯一の正解”だとは、もう思わない」

 闇のシュウの瞳に、かすかな苛立ちが宿る。

「お前たちは、甘い。星は、そんなに甘くない」

「甘いさ」

 シュウが口を開いた。  
 胸の痛みはまだ続いている。  
 だが、その中にある“温度”を、シュウは見失っていなかった。

「俺は、甘くていいと思ってる」

 そう言って、シュウは一歩前に出る。  
 足元の影が、少しだけ濃くなる。

「俺はもう、全部を星に捧げる生き方はしない。星のことを無視するつもりもないけど⋯⋯」

 シュウは振り返り、テラスに並ぶ仲間たちを見渡した。

「この生活を守ることも、星の未来を守ることも――両方やる」

 闇のシュウが、わずかに目を細める。

「両方だと?」

「ああ」

 シュウは再び、闇のシュウを見据えた。

「俺は“星の道を見守る者”なんだろ? だったら――“星の道に踏み込まない方法”だって探す」

「そんな都合のいい道が存在すると?」

「あるかどうかは、知らない。でも――」

 シュウは胸に手を当てた。

「今までも、俺はずっとそうやってきた」

 異世界に放り込まれ、チート能力を与えられ、それでも“勇者”にも“英雄”にもならず、ただ“生活”を積み上げてきた。

「星のことも、世界のことも、もちろん放っておかない。けど、いちばん最初に守りたいのは――ここにいる連中との生活だ」

 ネロが、そっと笑う。  
 リオが、少しだけ肩の力を抜く。

 ミラはその場で小さく頷き、フェイは胸の前で拳を握りしめ、ヨシュアは穏やかな眼差しでシュウを見つめ、アレンは低く息を吐いた。

 ウォルフは尻尾を一度だけ振り、ラムは九つの尾をふわりと広げた。

「⋯⋯それが、お前の“答え”か」

 闇のシュウの声が、少しだけ低くなる。

「星と向き合うことからは逃げない。けど、“星のために全部捨てる”こともしない。それが、今の俺の選択だ」

 シュウは、はっきりと言い切った。

「それを――星に示すために戦うって、さっき言っただろ?」

 闇のシュウは、しばらく黙ったままシュウを見つめていた。  
 まるで、言葉ではなく“揺らぎ”そのものを測っているかのように。

 やがて、ぽつりと呟いた。

「⋯⋯羨ましいな」

 その一言は、あまりにも小さく、そしてあまりにも本音だった。

 誰も、すぐに返せなかった。

 ラムでさえ、その言葉には口を挟まない。

 闇のシュウは、自分の胸に手を当てた。  
 黒いマントの内側で、何かが淡く揺らめく。

「俺には、もう戻る場所はない。仲間もいない。生活もない。星に全てを捧げた後で、何も残らなかった」

 指先が、わずかに震える。

「だからこそ、お前を試す」

 顔を上げた瞳は、冷たくもあり、どこか救いを求めてもいた。

「本当に、“両方守る”なんてことが出来るのか。星の道は、そんなに甘くない。中途半端な覚悟で踏み込めば――お前は、すべてを失う」

 その言葉には、警告の響きも混じっていた。

 シュウは、にやりと笑った。

「だったら――試してみればいい」

 闇のシュウの目が、わずかに見開かれる。

「俺は、お前とは違う道を選ぶ。“星の流れに逆らいながら生きる日常”を、現実にしてみせる」

 シュウは、深く息を吸った。

「そのためなら――戦うことも厭わない」

 闇のシュウの口角が、ゆっくりと上がる。

「やっと、その顔になったな」

 低く笑う声。  
 その笑いには、わずかな満足が滲んでいた。

「いいだろう、シュウ・タチバナ。今の生活を守りたいというのなら――その覚悟を、星の前で証明してみせろ」

 黒い星光が、闇のシュウの手のひらに集まる。

「ここから先は、“星の道”の領域だ」

 その瞬間――

 シュウの足元から、眩い星光が立ち昇った。



 床板が消えるわけではない。  
 だが、視界が一瞬で“重なった”。

 テラスの板の木目と、夜空に散る星々。  
 森の輪郭と、白く輝く星の道。

 世界が二重に見える。

「っ⋯⋯!」

 シュウは思わず片目を閉じかけ――その肩を、誰かの手が支えた。

 振り向くと、そこにはアレンがいた。

「⋯⋯行くつもりなんだろう?」

 アレンの瞳もまた、淡い光を宿している。

「前世で星の道を踏み抜いた俺としては、黙って見ているわけにはいかない」

「アレン、お前――」

「無茶はしないさ。前世みたいに“全部賭ける”気はない。お前が今の生活を守るって言うなら、俺もそこに乗る」

 アレンは、どこか楽しげに笑った。

「星と“普通の生活”を両立するなんて、前世の俺からしたら考えられない賭けだ。――だったら、見てみたくなるだろ?」

 その言葉に、フェイが目を見開く。

「アレン殿下、危険すぎます!」

「知ってる。でも、行く」

 フェイは言い返そうとして――飲み込む。

 その代わりに、シュウの方を見た。

「シュウさん。私は――」

「お前は残れ」

 シュウは、はっきりと言った。

「ここを頼む。俺たちが戻る場所を、守っていてくれ」

 フェイは悔しそうに唇を噛んだが、やがて小さく頷いた。

「⋯⋯必ず、戻ってきてください」

「ああ」

 ヨシュアも、静かに前に出た。

「僕は――」

「ヨシュアも、だめだ」

 シュウは即答する。

「お前まで連れてったら、さすがに国が泣く」

「⋯⋯それを言われると弱いな」

 苦笑しながらも、ヨシュアは一歩下がった。

「では、僕もフェイと共にここを守ります。兄ちゃんの帰る場所⋯⋯そして、シュウさんたちの帰る場所を」

 ミラが、ぎゅっとエプロンの裾を握りしめた。

「シュウ様⋯⋯薬は、何か持って行かれますか?」

「そうだな⋯⋯」

 星の道が開きかけているこの状態で、どこまで物理的な薬が意味を持つかは分からない。  
 だが――ミラの問いかけの裏にあるものを、シュウは理解していた。

 “何かを持たせたい”。  
 “何かを託したい”。

 シュウは微笑んだ。

「いつもの回復ポーションと、解毒ポーション。それと⋯⋯」

 少し考え、言葉を足す。

「お前の作った“香り付き魔力安定石鹸”を一つ」

 ミラが目を瞬いた。

「石鹸、ですか?」

「ああ」

 シュウは、少しだけ照れくさそうに笑う。

「匂いがしたら、多分落ち着く。星の道の真ん中でソープの匂い嗅いでるやつなんて、聞いたことないけどな」

 ネロがくすっと笑い、リオも小さく笑った。

「兄さんらしい」

「そういうところ、好き」

 ミラは目元を緩め、すぐに真剣な表情に戻ると、慌てて薬箱へと走った。



 ラムが、九つの尾をゆらりと広げた。

「シュウ。星の道は、お前とリオ、そしてアレンを“許す”だろう。ネロは⋯⋯微妙だな」

 ネロがびくりと肩を揺らす。

「えっ、俺も行くの?」

「星の渦に“予知眼”は必須じゃ。おそらく、向こうはお前の目を計算に入れておる」

 ウォルフが息を吐いた。

「だが、危険すぎる」

「分かっておる。だから――」

 ラムは、ネロの額にそっと鼻先を寄せた。

「一時的に、儂の尾の一つを分け与えよう」

「えっ」

 九つの尾のうち、一本がふわりと光を帯びる。  
 銀色の尾は、次の瞬間、細い光の糸となってネロの胸の中へと溶け込んだ。

「わっ⋯⋯あったかい⋯⋯」

 ネロが目を丸くする。

「それは、“道を戻るための繋ぎ目”じゃ。迷ったとき、儂の方角を感じるはずじゃから、それを目印に戻ってこい」

「ラム⋯⋯」

 シュウが思わず名前を呼ぶ。

「何だ。儂も行くとは言っておらんぞ。あくまで“尾の一部”を預けるだけだ」

 ラムはふいと顔を背ける。

「ただ――儂も、見てみたいのだ。星の道の先で、“生活”を選び続けるお前たちの行く末をな」

 ウォルフが、喉の奥で小さく笑った。

「⋯⋯お前も相当、甘くなったな」

「うるさいわい、狼風情が」

 そう言いながらも、ラムの目はどこか楽しげだった。



 準備は、驚くほどあっけなく整った。

 ミラからポーションと石鹸を受け取り、ネロはラムの尾の光を宿し、リオは星の痛みを抱えたまま、それでも立っている。

 アレンは剣の柄に手を置き、シュウは深く息を吸い込んだ。

 闇のシュウは、ずっとその様子を黙って見ていた。  
 やがて、静かに言う。

「覚悟は、見せてもらった」

 黒い星光が、さらに強くなる。

「ならば――扉を開こう」

 その声とともに、星空が――裂けた。



 音は、なかった。

 だが、夜空の一部が、まるで薄い布を引き裂くように、細く長く開いていくのが見えた。  
 そこからあふれ出すのは、白とも銀ともつかない眩い光。

 同時に、テラスの先――森の奥、黒い霧が渦巻く地点から、同じ光が逆流するように立ち昇る。

 空と森の奥。  
 二つの光が、一本の線で繋がる。

 それは――“道”だった。

 リオの額に、淡い紋が浮かぶ。  
 星の守護者の証。

 アレンの胸もまた、薄く光を帯びる。  
 前世から引き継いだ、星の守護者としての記憶が反応している。

 ネロの翡翠色の瞳に、星の道が映り込む。  
 それは、先の先まで続く“可能性の線”。

 そして――シュウの胸の星光が、強く脈を打った。

「来い」

 闇のシュウが、一歩後ろへと下がる。  
 背後の闇が、星光に満たされていく。

「ここから先が、“星の道”だ。選ばれた者だけが踏み入れられる領域」

 シュウは、一瞬だけ振り返る。

 テラスの上に並ぶ仲間たち。  
 灯りに照らされたログハウス。  
 囲炉裏部屋から漏れる、暖かな光。

 胸の奥で、静かに決意が固まる。

「――行ってくる」

 短い言葉。  
 だが、その中に、全てを込めた。

 そしてシュウは、一歩――星の道へと足を踏み出した。



 空気が変わった。

 冷たいわけではない。  
 暑いわけでもない。

 だが、肌を撫でる感触そのものが違う。

 足元には、確かに“何か”がある。  
 だが、それは地面ではなく、凝縮された光の帯だった。

 星の粒が集まり、折り重なり、一本の道を形作っている。

 振り返ると、そこにはまだテラスが見えた。  
 フェイ、ヨシュア、ミラ、ウォルフ、ラム。  
 皆の姿は、遠ざかりながらも、はっきりと見える。

 だが――その輪郭は、薄い水膜越しに見ているように揺らいでいた。

「⋯⋯ここが、星の道」

 アレンが呟く。

 前世で一度踏み抜いた道。  
 だが、そのときとは違う何かを感じさせる。

「前より⋯⋯温度がある」

「温度?」

「前は、もっと冷たかった。すべてを削ぎ落とされたような、乾いた道だった。今は――」

 アレンは、小さく笑った。

「お前たちの生活の匂いが、混じっている」

 ネロが鼻をひくひくさせる。

「⋯⋯本当だ。ちょっとだけ、ハーブと肉の匂いする」

 ミラの料理の匂い。  
 囲炉裏の煙の匂い。  
 石鹸の、優しい香り。

 シュウは思わず、ポケットの中の石鹸に手で触れた。

「⋯⋯馬鹿げてるな、本当に」

 そう言いながらも、口元には笑みが浮かぶ。

 闇のシュウは、少し前方――道の先に立っていた。

 黒いマントを揺らしながら、彼は振り向く。

「ようこそ、“星の渦の中心”へ」

 その先に――何が待つのか。

 星を喰らう“何か”か。  
 それとも、“選ばれなかった可能性”たちの墓場か。

 シュウは、胸の痛みを抱えたまま、一歩ずつ進んでいった。

 足元の星々が、静かに揺れる。

 星が――  
 揺れる夜の、  
 そのさらに奥へと。

 シュウの選んだ“答え”を証明するための旅が、今まさに始まろうとしていた。 



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