41 / 56
第41話:闇の中のもう1人のシュウ
第41話:闇の中のもう1人のシュウ
しおりを挟む
星が軋むような音が――確かに、した。
空は晴れている。
雲ひとつない夜空に、いつものように星々が瞬いている。
だが、そのどれもが落ち着きなく揺れ、視界の端で軌道をずらしては、また元の場所に戻ろうとしているように見えた。
正しく在ろうとする星々と、
それを引きずり下ろそうとする“何か”の綱引き。
シュウは、胸の奥の痛みを押さえながら、目の前の“もう一人の自分”を見据えた。
黒いマントを揺らす闇のシュウは、ゆっくりと一歩踏み出す。
その足元から、黒い霧がじわりと広がっていく。
テラスの木の床板に、黒い影が染み込むように浸食していくのを、ネロが息を呑んで見つめた。
「兄ちゃん⋯⋯床が、夜みたいになってる⋯⋯」
ミラがネロを庇うように前に出る。
「ネロ、下がってください。ここは危険です」
フェイも一歩前に出ようとしたが、ウォルフが前脚を伸ばして制した。
「やめろ、フェイ。あの影は、“星の系譜”以外を拒む」
「拒む?」
「ああ。踏み込めば、魂ごと喰われる。少なくとも、今の我らでは太刀打ちできぬ」
闇の影は、確かに“境界”を描いていた。
テラスの板の半分ほどが黒に染まり、その先――闇のシュウとの間には、目に見えない溝があるようだった。
シュウの足元にも、同じ黒い影が薄くまとわりついている。
だが、それは彼を飲み込むことなく、ただ“撫でる”だけだ。
こめかみがじわりと熱を帯びる。
胸の中で、星光が脈を打つ。
(――呼ばれている)
はっきりと、そう感じた。
「シュウ」
名前を呼ぶ声は――自分と同じ響きでありながら、底に“空洞”を抱えていた。
闇のシュウは、ゆっくりと右手を上げる。
その手のひらに、黒い星光が渦を巻く。
「ここは、まだ“入り口”にすぎない。星の道は、完全には開いていない。今ならまだ、お前は選べる」
「選ぶ?」
「そうだ」
黒い瞳が、淡く揺れる。
そこに映るのは、テラスに並ぶ顔ぶれ――ネロ、リオ、フェイ、アレン、ヨシュア、ミラ、ウォルフ、ラム。
「お前の生活を選ぶか。それとも――星の未来を選ぶか」
その言葉に、ヨシュアが眉を寄せた。
「二つが両立しないと、誰が決めた?」
静かな声。
しかし、その中に微かな怒りが混じっているのを、シュウは感じた。
闇のシュウは、ヨシュアを一瞥すると、小さく笑った。
「決めたのは、星そのものさ。星の流れは、代償なしには変えられない。誰かが傷つき、何かを失ってようやく、軌道は正される」
「そんな理屈は――」
フェイが言いかけたとき、ラムが静かに口を開いた。
「⋯⋯完全なる間違いとも言えぬ」
皆の視線が、銀狐へと向けられる。
ラムは九つの尾をゆるやかに揺らしながら、夜空を見上げた。
「星の流れは、確かに“代償”を求める。星々の位置が変わるということは、それだけ多くの“可能性”が押し潰されるということだからな」
「ラム」
「だが――」
ラムは、闇のシュウをまっすぐに見据えた。
「代償を“命”に限定する必要もない。何かを“諦める”こともまた、代償となり得る。“前世と同じ結末”だけが、星の望む答えではあるまい」
闇のシュウの眉が、わずかに動いた。
「⋯⋯理屈の上では、そうかもしれない」
「理屈上では、のう」
ラムは静かに続ける。
「だが、現にお前は“命を投げ打った結末”しか知らぬ。だからこそ、その可能性しか信じられぬのだろう」
沈黙が、ひとつ。
星の渦が、遠くの空で軋む。
闇のシュウは、ふと視線を外し、夜空を見上げた。
「俺は⋯⋯あの日、全部を失った」
その声には、怒りでも憎しみでもないもの――“空虚さ”が混じっていた。
「星の流れを正すために立ち上がり、戦い、仲間も持たず、理解者もおらず、ただひたすら使命だけを抱えて⋯⋯そして、死んだ」
アレンが、わずかに身じろぎした。
胸の奥で疼く感覚が、過去の断片を押し上げる。
崩れ落ちる塔。
暗く渦巻く星空。
自分の前で、光を失った“誰か”。
息が詰まりそうになる。
「俺は、死んだはずだった」
闇のシュウは、自分の手のひらを見つめる。
「だが、星の道が閉ざされるとき、“選ばれなかった可能性”は切り捨てられず、どこかに溜まり続ける。お前が転生を許されたとき――“選ばれなかった俺”は、行き場を失って闇に沈んだ」
その言葉を聞いた瞬間――
シュウの胸の中で、何かが小さく軋んだ。
(⋯⋯選ばれなかった俺)
もし、あのとき女神エリシアが「やり直せるのは一つの可能性だけ」と言っていたのだとしたら。
目の前にいるのは、その裏側で切り捨てられた“自分”なのだ。
綺麗事では済まされない、重たい現実。
闇のシュウの目が、シュウに戻る。
「だからこそ、お前が許せない。俺が全部を失った後で、同じ顔をしたお前が、“普通の生活”を手に入れている。星の流れから目を逸らし、大切なものに囲まれて笑っている」
その声には、嫉妬というにはあまりにも乾いた感情が滲んでいた。
「⋯⋯俺が欲しかったものを、全部持っているくせに」
テラスの空気が、少しだけ震えた。
ネロが、そっとシュウの服の裾を掴んだ。
「兄ちゃん⋯⋯」
その手は、かすかに震えている。
「“闇の兄ちゃん”は⋯⋯ずっと一人だったの?」
その問いに、闇のシュウは目を細めた。
「一人だったさ。星の声だけが、唯一の会話相手だった」
「それで⋯⋯星の方を選んだの?」
「他に何もなかった」
短く返された言葉は、淡々としていて――それがかえって、ネロの胸を締め付けた。
ネロは俯き、ぽつりと呟く。
「⋯⋯それは、それで⋯⋯すごく、寂しい」
闇のシュウの瞳が、かすかに揺れた。
「寂しい?」
「うん。だって、兄ちゃんも、リオも、みんながいるから⋯⋯星がざわざわしてても、ここはあったかいって、さっき言ったばっかりなのに」
ネロは顔を上げ、真っ直ぐに闇のシュウを見た。
「“闇の兄ちゃん”には⋯⋯そういう場所、なかったんでしょ?」
問いかけというより、確認に近い声音。
闇のシュウは、一瞬だけ言葉を失い――次の瞬間、短く笑った。
「⋯⋯お前は、本当に厄介だな」
その笑いは、嘲りではなく、どこか自嘲に近い。
「俺は、星に選ばれた。そのとき、“場所”を持つ資格を捨てたんだ。そうしなければ、星の流れを背負えなかった」
「それ、誰が決めたの?」
今度は、リオの声だった。
ベッドから起き上がったリオが、ふらつきながらも寝室の入り口に立っていた。
胸元にはまだ淡い星光が揺らめいている。
「リオ、まだ休んでろ」
シュウが眉をひそめて近づこうとするが、リオは首を振った。
「⋯⋯大丈夫。痛いけど、歩ける」
その瞳は、少し涙を滲ませながらも、まっすぐに闇のシュウを見据えていた。
「“場所を持っちゃいけない”って、誰が決めたの? 星? それとも――兄さん?」
その「兄さん」は、シュウではなく、闇のシュウを指していた。
闇のシュウは、わずかに目を見開いた。
「星の守護者の末裔が⋯⋯ずいぶんと生意気になったな」
「⋯⋯前世のことは、よく分からない。でも、今世の俺は、星の血を引いてても⋯⋯兄さんに拾われて、ここに“場所”をもらった」
リオは胸に手を当てた。
「痛いよ。今も、星が暴れてる。怖い。でも⋯⋯この痛みがあっても、“ここ”を捨てようとは思わない」
その言葉に、アレンが小さく頷く。
「⋯⋯同感だ。前世で命を賭したことを、俺は否定しない。あのときの選択も、きっと間違いじゃなかった。けど――」
アレンは一歩前に出て、闇のシュウを真っ直ぐ見た。
「それが“唯一の正解”だとは、もう思わない」
闇のシュウの瞳に、かすかな苛立ちが宿る。
「お前たちは、甘い。星は、そんなに甘くない」
「甘いさ」
シュウが口を開いた。
胸の痛みはまだ続いている。
だが、その中にある“温度”を、シュウは見失っていなかった。
「俺は、甘くていいと思ってる」
そう言って、シュウは一歩前に出る。
足元の影が、少しだけ濃くなる。
「俺はもう、全部を星に捧げる生き方はしない。星のことを無視するつもりもないけど⋯⋯」
シュウは振り返り、テラスに並ぶ仲間たちを見渡した。
「この生活を守ることも、星の未来を守ることも――両方やる」
闇のシュウが、わずかに目を細める。
「両方だと?」
「ああ」
シュウは再び、闇のシュウを見据えた。
「俺は“星の道を見守る者”なんだろ? だったら――“星の道に踏み込まない方法”だって探す」
「そんな都合のいい道が存在すると?」
「あるかどうかは、知らない。でも――」
シュウは胸に手を当てた。
「今までも、俺はずっとそうやってきた」
異世界に放り込まれ、チート能力を与えられ、それでも“勇者”にも“英雄”にもならず、ただ“生活”を積み上げてきた。
「星のことも、世界のことも、もちろん放っておかない。けど、いちばん最初に守りたいのは――ここにいる連中との生活だ」
ネロが、そっと笑う。
リオが、少しだけ肩の力を抜く。
ミラはその場で小さく頷き、フェイは胸の前で拳を握りしめ、ヨシュアは穏やかな眼差しでシュウを見つめ、アレンは低く息を吐いた。
ウォルフは尻尾を一度だけ振り、ラムは九つの尾をふわりと広げた。
「⋯⋯それが、お前の“答え”か」
闇のシュウの声が、少しだけ低くなる。
「星と向き合うことからは逃げない。けど、“星のために全部捨てる”こともしない。それが、今の俺の選択だ」
シュウは、はっきりと言い切った。
「それを――星に示すために戦うって、さっき言っただろ?」
闇のシュウは、しばらく黙ったままシュウを見つめていた。
まるで、言葉ではなく“揺らぎ”そのものを測っているかのように。
やがて、ぽつりと呟いた。
「⋯⋯羨ましいな」
その一言は、あまりにも小さく、そしてあまりにも本音だった。
誰も、すぐに返せなかった。
ラムでさえ、その言葉には口を挟まない。
闇のシュウは、自分の胸に手を当てた。
黒いマントの内側で、何かが淡く揺らめく。
「俺には、もう戻る場所はない。仲間もいない。生活もない。星に全てを捧げた後で、何も残らなかった」
指先が、わずかに震える。
「だからこそ、お前を試す」
顔を上げた瞳は、冷たくもあり、どこか救いを求めてもいた。
「本当に、“両方守る”なんてことが出来るのか。星の道は、そんなに甘くない。中途半端な覚悟で踏み込めば――お前は、すべてを失う」
その言葉には、警告の響きも混じっていた。
シュウは、にやりと笑った。
「だったら――試してみればいい」
闇のシュウの目が、わずかに見開かれる。
「俺は、お前とは違う道を選ぶ。“星の流れに逆らいながら生きる日常”を、現実にしてみせる」
シュウは、深く息を吸った。
「そのためなら――戦うことも厭わない」
闇のシュウの口角が、ゆっくりと上がる。
「やっと、その顔になったな」
低く笑う声。
その笑いには、わずかな満足が滲んでいた。
「いいだろう、シュウ・タチバナ。今の生活を守りたいというのなら――その覚悟を、星の前で証明してみせろ」
黒い星光が、闇のシュウの手のひらに集まる。
「ここから先は、“星の道”の領域だ」
その瞬間――
シュウの足元から、眩い星光が立ち昇った。
床板が消えるわけではない。
だが、視界が一瞬で“重なった”。
テラスの板の木目と、夜空に散る星々。
森の輪郭と、白く輝く星の道。
世界が二重に見える。
「っ⋯⋯!」
シュウは思わず片目を閉じかけ――その肩を、誰かの手が支えた。
振り向くと、そこにはアレンがいた。
「⋯⋯行くつもりなんだろう?」
アレンの瞳もまた、淡い光を宿している。
「前世で星の道を踏み抜いた俺としては、黙って見ているわけにはいかない」
「アレン、お前――」
「無茶はしないさ。前世みたいに“全部賭ける”気はない。お前が今の生活を守るって言うなら、俺もそこに乗る」
アレンは、どこか楽しげに笑った。
「星と“普通の生活”を両立するなんて、前世の俺からしたら考えられない賭けだ。――だったら、見てみたくなるだろ?」
その言葉に、フェイが目を見開く。
「アレン殿下、危険すぎます!」
「知ってる。でも、行く」
フェイは言い返そうとして――飲み込む。
その代わりに、シュウの方を見た。
「シュウさん。私は――」
「お前は残れ」
シュウは、はっきりと言った。
「ここを頼む。俺たちが戻る場所を、守っていてくれ」
フェイは悔しそうに唇を噛んだが、やがて小さく頷いた。
「⋯⋯必ず、戻ってきてください」
「ああ」
ヨシュアも、静かに前に出た。
「僕は――」
「ヨシュアも、だめだ」
シュウは即答する。
「お前まで連れてったら、さすがに国が泣く」
「⋯⋯それを言われると弱いな」
苦笑しながらも、ヨシュアは一歩下がった。
「では、僕もフェイと共にここを守ります。兄ちゃんの帰る場所⋯⋯そして、シュウさんたちの帰る場所を」
ミラが、ぎゅっとエプロンの裾を握りしめた。
「シュウ様⋯⋯薬は、何か持って行かれますか?」
「そうだな⋯⋯」
星の道が開きかけているこの状態で、どこまで物理的な薬が意味を持つかは分からない。
だが――ミラの問いかけの裏にあるものを、シュウは理解していた。
“何かを持たせたい”。
“何かを託したい”。
シュウは微笑んだ。
「いつもの回復ポーションと、解毒ポーション。それと⋯⋯」
少し考え、言葉を足す。
「お前の作った“香り付き魔力安定石鹸”を一つ」
ミラが目を瞬いた。
「石鹸、ですか?」
「ああ」
シュウは、少しだけ照れくさそうに笑う。
「匂いがしたら、多分落ち着く。星の道の真ん中でソープの匂い嗅いでるやつなんて、聞いたことないけどな」
ネロがくすっと笑い、リオも小さく笑った。
「兄さんらしい」
「そういうところ、好き」
ミラは目元を緩め、すぐに真剣な表情に戻ると、慌てて薬箱へと走った。
ラムが、九つの尾をゆらりと広げた。
「シュウ。星の道は、お前とリオ、そしてアレンを“許す”だろう。ネロは⋯⋯微妙だな」
ネロがびくりと肩を揺らす。
「えっ、俺も行くの?」
「星の渦に“予知眼”は必須じゃ。おそらく、向こうはお前の目を計算に入れておる」
ウォルフが息を吐いた。
「だが、危険すぎる」
「分かっておる。だから――」
ラムは、ネロの額にそっと鼻先を寄せた。
「一時的に、儂の尾の一つを分け与えよう」
「えっ」
九つの尾のうち、一本がふわりと光を帯びる。
銀色の尾は、次の瞬間、細い光の糸となってネロの胸の中へと溶け込んだ。
「わっ⋯⋯あったかい⋯⋯」
ネロが目を丸くする。
「それは、“道を戻るための繋ぎ目”じゃ。迷ったとき、儂の方角を感じるはずじゃから、それを目印に戻ってこい」
「ラム⋯⋯」
シュウが思わず名前を呼ぶ。
「何だ。儂も行くとは言っておらんぞ。あくまで“尾の一部”を預けるだけだ」
ラムはふいと顔を背ける。
「ただ――儂も、見てみたいのだ。星の道の先で、“生活”を選び続けるお前たちの行く末をな」
ウォルフが、喉の奥で小さく笑った。
「⋯⋯お前も相当、甘くなったな」
「うるさいわい、狼風情が」
そう言いながらも、ラムの目はどこか楽しげだった。
準備は、驚くほどあっけなく整った。
ミラからポーションと石鹸を受け取り、ネロはラムの尾の光を宿し、リオは星の痛みを抱えたまま、それでも立っている。
アレンは剣の柄に手を置き、シュウは深く息を吸い込んだ。
闇のシュウは、ずっとその様子を黙って見ていた。
やがて、静かに言う。
「覚悟は、見せてもらった」
黒い星光が、さらに強くなる。
「ならば――扉を開こう」
その声とともに、星空が――裂けた。
音は、なかった。
だが、夜空の一部が、まるで薄い布を引き裂くように、細く長く開いていくのが見えた。
そこからあふれ出すのは、白とも銀ともつかない眩い光。
同時に、テラスの先――森の奥、黒い霧が渦巻く地点から、同じ光が逆流するように立ち昇る。
空と森の奥。
二つの光が、一本の線で繋がる。
それは――“道”だった。
リオの額に、淡い紋が浮かぶ。
星の守護者の証。
アレンの胸もまた、薄く光を帯びる。
前世から引き継いだ、星の守護者としての記憶が反応している。
ネロの翡翠色の瞳に、星の道が映り込む。
それは、先の先まで続く“可能性の線”。
そして――シュウの胸の星光が、強く脈を打った。
「来い」
闇のシュウが、一歩後ろへと下がる。
背後の闇が、星光に満たされていく。
「ここから先が、“星の道”だ。選ばれた者だけが踏み入れられる領域」
シュウは、一瞬だけ振り返る。
テラスの上に並ぶ仲間たち。
灯りに照らされたログハウス。
囲炉裏部屋から漏れる、暖かな光。
胸の奥で、静かに決意が固まる。
「――行ってくる」
短い言葉。
だが、その中に、全てを込めた。
そしてシュウは、一歩――星の道へと足を踏み出した。
空気が変わった。
冷たいわけではない。
暑いわけでもない。
だが、肌を撫でる感触そのものが違う。
足元には、確かに“何か”がある。
だが、それは地面ではなく、凝縮された光の帯だった。
星の粒が集まり、折り重なり、一本の道を形作っている。
振り返ると、そこにはまだテラスが見えた。
フェイ、ヨシュア、ミラ、ウォルフ、ラム。
皆の姿は、遠ざかりながらも、はっきりと見える。
だが――その輪郭は、薄い水膜越しに見ているように揺らいでいた。
「⋯⋯ここが、星の道」
アレンが呟く。
前世で一度踏み抜いた道。
だが、そのときとは違う何かを感じさせる。
「前より⋯⋯温度がある」
「温度?」
「前は、もっと冷たかった。すべてを削ぎ落とされたような、乾いた道だった。今は――」
アレンは、小さく笑った。
「お前たちの生活の匂いが、混じっている」
ネロが鼻をひくひくさせる。
「⋯⋯本当だ。ちょっとだけ、ハーブと肉の匂いする」
ミラの料理の匂い。
囲炉裏の煙の匂い。
石鹸の、優しい香り。
シュウは思わず、ポケットの中の石鹸に手で触れた。
「⋯⋯馬鹿げてるな、本当に」
そう言いながらも、口元には笑みが浮かぶ。
闇のシュウは、少し前方――道の先に立っていた。
黒いマントを揺らしながら、彼は振り向く。
「ようこそ、“星の渦の中心”へ」
その先に――何が待つのか。
星を喰らう“何か”か。
それとも、“選ばれなかった可能性”たちの墓場か。
シュウは、胸の痛みを抱えたまま、一歩ずつ進んでいった。
足元の星々が、静かに揺れる。
星が――
揺れる夜の、
そのさらに奥へと。
シュウの選んだ“答え”を証明するための旅が、今まさに始まろうとしていた。
空は晴れている。
雲ひとつない夜空に、いつものように星々が瞬いている。
だが、そのどれもが落ち着きなく揺れ、視界の端で軌道をずらしては、また元の場所に戻ろうとしているように見えた。
正しく在ろうとする星々と、
それを引きずり下ろそうとする“何か”の綱引き。
シュウは、胸の奥の痛みを押さえながら、目の前の“もう一人の自分”を見据えた。
黒いマントを揺らす闇のシュウは、ゆっくりと一歩踏み出す。
その足元から、黒い霧がじわりと広がっていく。
テラスの木の床板に、黒い影が染み込むように浸食していくのを、ネロが息を呑んで見つめた。
「兄ちゃん⋯⋯床が、夜みたいになってる⋯⋯」
ミラがネロを庇うように前に出る。
「ネロ、下がってください。ここは危険です」
フェイも一歩前に出ようとしたが、ウォルフが前脚を伸ばして制した。
「やめろ、フェイ。あの影は、“星の系譜”以外を拒む」
「拒む?」
「ああ。踏み込めば、魂ごと喰われる。少なくとも、今の我らでは太刀打ちできぬ」
闇の影は、確かに“境界”を描いていた。
テラスの板の半分ほどが黒に染まり、その先――闇のシュウとの間には、目に見えない溝があるようだった。
シュウの足元にも、同じ黒い影が薄くまとわりついている。
だが、それは彼を飲み込むことなく、ただ“撫でる”だけだ。
こめかみがじわりと熱を帯びる。
胸の中で、星光が脈を打つ。
(――呼ばれている)
はっきりと、そう感じた。
「シュウ」
名前を呼ぶ声は――自分と同じ響きでありながら、底に“空洞”を抱えていた。
闇のシュウは、ゆっくりと右手を上げる。
その手のひらに、黒い星光が渦を巻く。
「ここは、まだ“入り口”にすぎない。星の道は、完全には開いていない。今ならまだ、お前は選べる」
「選ぶ?」
「そうだ」
黒い瞳が、淡く揺れる。
そこに映るのは、テラスに並ぶ顔ぶれ――ネロ、リオ、フェイ、アレン、ヨシュア、ミラ、ウォルフ、ラム。
「お前の生活を選ぶか。それとも――星の未来を選ぶか」
その言葉に、ヨシュアが眉を寄せた。
「二つが両立しないと、誰が決めた?」
静かな声。
しかし、その中に微かな怒りが混じっているのを、シュウは感じた。
闇のシュウは、ヨシュアを一瞥すると、小さく笑った。
「決めたのは、星そのものさ。星の流れは、代償なしには変えられない。誰かが傷つき、何かを失ってようやく、軌道は正される」
「そんな理屈は――」
フェイが言いかけたとき、ラムが静かに口を開いた。
「⋯⋯完全なる間違いとも言えぬ」
皆の視線が、銀狐へと向けられる。
ラムは九つの尾をゆるやかに揺らしながら、夜空を見上げた。
「星の流れは、確かに“代償”を求める。星々の位置が変わるということは、それだけ多くの“可能性”が押し潰されるということだからな」
「ラム」
「だが――」
ラムは、闇のシュウをまっすぐに見据えた。
「代償を“命”に限定する必要もない。何かを“諦める”こともまた、代償となり得る。“前世と同じ結末”だけが、星の望む答えではあるまい」
闇のシュウの眉が、わずかに動いた。
「⋯⋯理屈の上では、そうかもしれない」
「理屈上では、のう」
ラムは静かに続ける。
「だが、現にお前は“命を投げ打った結末”しか知らぬ。だからこそ、その可能性しか信じられぬのだろう」
沈黙が、ひとつ。
星の渦が、遠くの空で軋む。
闇のシュウは、ふと視線を外し、夜空を見上げた。
「俺は⋯⋯あの日、全部を失った」
その声には、怒りでも憎しみでもないもの――“空虚さ”が混じっていた。
「星の流れを正すために立ち上がり、戦い、仲間も持たず、理解者もおらず、ただひたすら使命だけを抱えて⋯⋯そして、死んだ」
アレンが、わずかに身じろぎした。
胸の奥で疼く感覚が、過去の断片を押し上げる。
崩れ落ちる塔。
暗く渦巻く星空。
自分の前で、光を失った“誰か”。
息が詰まりそうになる。
「俺は、死んだはずだった」
闇のシュウは、自分の手のひらを見つめる。
「だが、星の道が閉ざされるとき、“選ばれなかった可能性”は切り捨てられず、どこかに溜まり続ける。お前が転生を許されたとき――“選ばれなかった俺”は、行き場を失って闇に沈んだ」
その言葉を聞いた瞬間――
シュウの胸の中で、何かが小さく軋んだ。
(⋯⋯選ばれなかった俺)
もし、あのとき女神エリシアが「やり直せるのは一つの可能性だけ」と言っていたのだとしたら。
目の前にいるのは、その裏側で切り捨てられた“自分”なのだ。
綺麗事では済まされない、重たい現実。
闇のシュウの目が、シュウに戻る。
「だからこそ、お前が許せない。俺が全部を失った後で、同じ顔をしたお前が、“普通の生活”を手に入れている。星の流れから目を逸らし、大切なものに囲まれて笑っている」
その声には、嫉妬というにはあまりにも乾いた感情が滲んでいた。
「⋯⋯俺が欲しかったものを、全部持っているくせに」
テラスの空気が、少しだけ震えた。
ネロが、そっとシュウの服の裾を掴んだ。
「兄ちゃん⋯⋯」
その手は、かすかに震えている。
「“闇の兄ちゃん”は⋯⋯ずっと一人だったの?」
その問いに、闇のシュウは目を細めた。
「一人だったさ。星の声だけが、唯一の会話相手だった」
「それで⋯⋯星の方を選んだの?」
「他に何もなかった」
短く返された言葉は、淡々としていて――それがかえって、ネロの胸を締め付けた。
ネロは俯き、ぽつりと呟く。
「⋯⋯それは、それで⋯⋯すごく、寂しい」
闇のシュウの瞳が、かすかに揺れた。
「寂しい?」
「うん。だって、兄ちゃんも、リオも、みんながいるから⋯⋯星がざわざわしてても、ここはあったかいって、さっき言ったばっかりなのに」
ネロは顔を上げ、真っ直ぐに闇のシュウを見た。
「“闇の兄ちゃん”には⋯⋯そういう場所、なかったんでしょ?」
問いかけというより、確認に近い声音。
闇のシュウは、一瞬だけ言葉を失い――次の瞬間、短く笑った。
「⋯⋯お前は、本当に厄介だな」
その笑いは、嘲りではなく、どこか自嘲に近い。
「俺は、星に選ばれた。そのとき、“場所”を持つ資格を捨てたんだ。そうしなければ、星の流れを背負えなかった」
「それ、誰が決めたの?」
今度は、リオの声だった。
ベッドから起き上がったリオが、ふらつきながらも寝室の入り口に立っていた。
胸元にはまだ淡い星光が揺らめいている。
「リオ、まだ休んでろ」
シュウが眉をひそめて近づこうとするが、リオは首を振った。
「⋯⋯大丈夫。痛いけど、歩ける」
その瞳は、少し涙を滲ませながらも、まっすぐに闇のシュウを見据えていた。
「“場所を持っちゃいけない”って、誰が決めたの? 星? それとも――兄さん?」
その「兄さん」は、シュウではなく、闇のシュウを指していた。
闇のシュウは、わずかに目を見開いた。
「星の守護者の末裔が⋯⋯ずいぶんと生意気になったな」
「⋯⋯前世のことは、よく分からない。でも、今世の俺は、星の血を引いてても⋯⋯兄さんに拾われて、ここに“場所”をもらった」
リオは胸に手を当てた。
「痛いよ。今も、星が暴れてる。怖い。でも⋯⋯この痛みがあっても、“ここ”を捨てようとは思わない」
その言葉に、アレンが小さく頷く。
「⋯⋯同感だ。前世で命を賭したことを、俺は否定しない。あのときの選択も、きっと間違いじゃなかった。けど――」
アレンは一歩前に出て、闇のシュウを真っ直ぐ見た。
「それが“唯一の正解”だとは、もう思わない」
闇のシュウの瞳に、かすかな苛立ちが宿る。
「お前たちは、甘い。星は、そんなに甘くない」
「甘いさ」
シュウが口を開いた。
胸の痛みはまだ続いている。
だが、その中にある“温度”を、シュウは見失っていなかった。
「俺は、甘くていいと思ってる」
そう言って、シュウは一歩前に出る。
足元の影が、少しだけ濃くなる。
「俺はもう、全部を星に捧げる生き方はしない。星のことを無視するつもりもないけど⋯⋯」
シュウは振り返り、テラスに並ぶ仲間たちを見渡した。
「この生活を守ることも、星の未来を守ることも――両方やる」
闇のシュウが、わずかに目を細める。
「両方だと?」
「ああ」
シュウは再び、闇のシュウを見据えた。
「俺は“星の道を見守る者”なんだろ? だったら――“星の道に踏み込まない方法”だって探す」
「そんな都合のいい道が存在すると?」
「あるかどうかは、知らない。でも――」
シュウは胸に手を当てた。
「今までも、俺はずっとそうやってきた」
異世界に放り込まれ、チート能力を与えられ、それでも“勇者”にも“英雄”にもならず、ただ“生活”を積み上げてきた。
「星のことも、世界のことも、もちろん放っておかない。けど、いちばん最初に守りたいのは――ここにいる連中との生活だ」
ネロが、そっと笑う。
リオが、少しだけ肩の力を抜く。
ミラはその場で小さく頷き、フェイは胸の前で拳を握りしめ、ヨシュアは穏やかな眼差しでシュウを見つめ、アレンは低く息を吐いた。
ウォルフは尻尾を一度だけ振り、ラムは九つの尾をふわりと広げた。
「⋯⋯それが、お前の“答え”か」
闇のシュウの声が、少しだけ低くなる。
「星と向き合うことからは逃げない。けど、“星のために全部捨てる”こともしない。それが、今の俺の選択だ」
シュウは、はっきりと言い切った。
「それを――星に示すために戦うって、さっき言っただろ?」
闇のシュウは、しばらく黙ったままシュウを見つめていた。
まるで、言葉ではなく“揺らぎ”そのものを測っているかのように。
やがて、ぽつりと呟いた。
「⋯⋯羨ましいな」
その一言は、あまりにも小さく、そしてあまりにも本音だった。
誰も、すぐに返せなかった。
ラムでさえ、その言葉には口を挟まない。
闇のシュウは、自分の胸に手を当てた。
黒いマントの内側で、何かが淡く揺らめく。
「俺には、もう戻る場所はない。仲間もいない。生活もない。星に全てを捧げた後で、何も残らなかった」
指先が、わずかに震える。
「だからこそ、お前を試す」
顔を上げた瞳は、冷たくもあり、どこか救いを求めてもいた。
「本当に、“両方守る”なんてことが出来るのか。星の道は、そんなに甘くない。中途半端な覚悟で踏み込めば――お前は、すべてを失う」
その言葉には、警告の響きも混じっていた。
シュウは、にやりと笑った。
「だったら――試してみればいい」
闇のシュウの目が、わずかに見開かれる。
「俺は、お前とは違う道を選ぶ。“星の流れに逆らいながら生きる日常”を、現実にしてみせる」
シュウは、深く息を吸った。
「そのためなら――戦うことも厭わない」
闇のシュウの口角が、ゆっくりと上がる。
「やっと、その顔になったな」
低く笑う声。
その笑いには、わずかな満足が滲んでいた。
「いいだろう、シュウ・タチバナ。今の生活を守りたいというのなら――その覚悟を、星の前で証明してみせろ」
黒い星光が、闇のシュウの手のひらに集まる。
「ここから先は、“星の道”の領域だ」
その瞬間――
シュウの足元から、眩い星光が立ち昇った。
床板が消えるわけではない。
だが、視界が一瞬で“重なった”。
テラスの板の木目と、夜空に散る星々。
森の輪郭と、白く輝く星の道。
世界が二重に見える。
「っ⋯⋯!」
シュウは思わず片目を閉じかけ――その肩を、誰かの手が支えた。
振り向くと、そこにはアレンがいた。
「⋯⋯行くつもりなんだろう?」
アレンの瞳もまた、淡い光を宿している。
「前世で星の道を踏み抜いた俺としては、黙って見ているわけにはいかない」
「アレン、お前――」
「無茶はしないさ。前世みたいに“全部賭ける”気はない。お前が今の生活を守るって言うなら、俺もそこに乗る」
アレンは、どこか楽しげに笑った。
「星と“普通の生活”を両立するなんて、前世の俺からしたら考えられない賭けだ。――だったら、見てみたくなるだろ?」
その言葉に、フェイが目を見開く。
「アレン殿下、危険すぎます!」
「知ってる。でも、行く」
フェイは言い返そうとして――飲み込む。
その代わりに、シュウの方を見た。
「シュウさん。私は――」
「お前は残れ」
シュウは、はっきりと言った。
「ここを頼む。俺たちが戻る場所を、守っていてくれ」
フェイは悔しそうに唇を噛んだが、やがて小さく頷いた。
「⋯⋯必ず、戻ってきてください」
「ああ」
ヨシュアも、静かに前に出た。
「僕は――」
「ヨシュアも、だめだ」
シュウは即答する。
「お前まで連れてったら、さすがに国が泣く」
「⋯⋯それを言われると弱いな」
苦笑しながらも、ヨシュアは一歩下がった。
「では、僕もフェイと共にここを守ります。兄ちゃんの帰る場所⋯⋯そして、シュウさんたちの帰る場所を」
ミラが、ぎゅっとエプロンの裾を握りしめた。
「シュウ様⋯⋯薬は、何か持って行かれますか?」
「そうだな⋯⋯」
星の道が開きかけているこの状態で、どこまで物理的な薬が意味を持つかは分からない。
だが――ミラの問いかけの裏にあるものを、シュウは理解していた。
“何かを持たせたい”。
“何かを託したい”。
シュウは微笑んだ。
「いつもの回復ポーションと、解毒ポーション。それと⋯⋯」
少し考え、言葉を足す。
「お前の作った“香り付き魔力安定石鹸”を一つ」
ミラが目を瞬いた。
「石鹸、ですか?」
「ああ」
シュウは、少しだけ照れくさそうに笑う。
「匂いがしたら、多分落ち着く。星の道の真ん中でソープの匂い嗅いでるやつなんて、聞いたことないけどな」
ネロがくすっと笑い、リオも小さく笑った。
「兄さんらしい」
「そういうところ、好き」
ミラは目元を緩め、すぐに真剣な表情に戻ると、慌てて薬箱へと走った。
ラムが、九つの尾をゆらりと広げた。
「シュウ。星の道は、お前とリオ、そしてアレンを“許す”だろう。ネロは⋯⋯微妙だな」
ネロがびくりと肩を揺らす。
「えっ、俺も行くの?」
「星の渦に“予知眼”は必須じゃ。おそらく、向こうはお前の目を計算に入れておる」
ウォルフが息を吐いた。
「だが、危険すぎる」
「分かっておる。だから――」
ラムは、ネロの額にそっと鼻先を寄せた。
「一時的に、儂の尾の一つを分け与えよう」
「えっ」
九つの尾のうち、一本がふわりと光を帯びる。
銀色の尾は、次の瞬間、細い光の糸となってネロの胸の中へと溶け込んだ。
「わっ⋯⋯あったかい⋯⋯」
ネロが目を丸くする。
「それは、“道を戻るための繋ぎ目”じゃ。迷ったとき、儂の方角を感じるはずじゃから、それを目印に戻ってこい」
「ラム⋯⋯」
シュウが思わず名前を呼ぶ。
「何だ。儂も行くとは言っておらんぞ。あくまで“尾の一部”を預けるだけだ」
ラムはふいと顔を背ける。
「ただ――儂も、見てみたいのだ。星の道の先で、“生活”を選び続けるお前たちの行く末をな」
ウォルフが、喉の奥で小さく笑った。
「⋯⋯お前も相当、甘くなったな」
「うるさいわい、狼風情が」
そう言いながらも、ラムの目はどこか楽しげだった。
準備は、驚くほどあっけなく整った。
ミラからポーションと石鹸を受け取り、ネロはラムの尾の光を宿し、リオは星の痛みを抱えたまま、それでも立っている。
アレンは剣の柄に手を置き、シュウは深く息を吸い込んだ。
闇のシュウは、ずっとその様子を黙って見ていた。
やがて、静かに言う。
「覚悟は、見せてもらった」
黒い星光が、さらに強くなる。
「ならば――扉を開こう」
その声とともに、星空が――裂けた。
音は、なかった。
だが、夜空の一部が、まるで薄い布を引き裂くように、細く長く開いていくのが見えた。
そこからあふれ出すのは、白とも銀ともつかない眩い光。
同時に、テラスの先――森の奥、黒い霧が渦巻く地点から、同じ光が逆流するように立ち昇る。
空と森の奥。
二つの光が、一本の線で繋がる。
それは――“道”だった。
リオの額に、淡い紋が浮かぶ。
星の守護者の証。
アレンの胸もまた、薄く光を帯びる。
前世から引き継いだ、星の守護者としての記憶が反応している。
ネロの翡翠色の瞳に、星の道が映り込む。
それは、先の先まで続く“可能性の線”。
そして――シュウの胸の星光が、強く脈を打った。
「来い」
闇のシュウが、一歩後ろへと下がる。
背後の闇が、星光に満たされていく。
「ここから先が、“星の道”だ。選ばれた者だけが踏み入れられる領域」
シュウは、一瞬だけ振り返る。
テラスの上に並ぶ仲間たち。
灯りに照らされたログハウス。
囲炉裏部屋から漏れる、暖かな光。
胸の奥で、静かに決意が固まる。
「――行ってくる」
短い言葉。
だが、その中に、全てを込めた。
そしてシュウは、一歩――星の道へと足を踏み出した。
空気が変わった。
冷たいわけではない。
暑いわけでもない。
だが、肌を撫でる感触そのものが違う。
足元には、確かに“何か”がある。
だが、それは地面ではなく、凝縮された光の帯だった。
星の粒が集まり、折り重なり、一本の道を形作っている。
振り返ると、そこにはまだテラスが見えた。
フェイ、ヨシュア、ミラ、ウォルフ、ラム。
皆の姿は、遠ざかりながらも、はっきりと見える。
だが――その輪郭は、薄い水膜越しに見ているように揺らいでいた。
「⋯⋯ここが、星の道」
アレンが呟く。
前世で一度踏み抜いた道。
だが、そのときとは違う何かを感じさせる。
「前より⋯⋯温度がある」
「温度?」
「前は、もっと冷たかった。すべてを削ぎ落とされたような、乾いた道だった。今は――」
アレンは、小さく笑った。
「お前たちの生活の匂いが、混じっている」
ネロが鼻をひくひくさせる。
「⋯⋯本当だ。ちょっとだけ、ハーブと肉の匂いする」
ミラの料理の匂い。
囲炉裏の煙の匂い。
石鹸の、優しい香り。
シュウは思わず、ポケットの中の石鹸に手で触れた。
「⋯⋯馬鹿げてるな、本当に」
そう言いながらも、口元には笑みが浮かぶ。
闇のシュウは、少し前方――道の先に立っていた。
黒いマントを揺らしながら、彼は振り向く。
「ようこそ、“星の渦の中心”へ」
その先に――何が待つのか。
星を喰らう“何か”か。
それとも、“選ばれなかった可能性”たちの墓場か。
シュウは、胸の痛みを抱えたまま、一歩ずつ進んでいった。
足元の星々が、静かに揺れる。
星が――
揺れる夜の、
そのさらに奥へと。
シュウの選んだ“答え”を証明するための旅が、今まさに始まろうとしていた。
0
あなたにおすすめの小説
高校生の俺、異世界転移していきなり追放されるが、じつは最強魔法使い。可愛い看板娘がいる宿屋に拾われたのでもう戻りません
下昴しん
ファンタジー
高校生のタクトは部活帰りに突然異世界へ転移してしまう。
横柄な態度の王から、魔法使いはいらんわ、城から出ていけと言われ、いきなり無職になったタクト。
偶然会った宿屋の店長トロに仕事をもらい、看板娘のマロンと一緒に宿と食堂を手伝うことに。
すると突然、客の兵士が暴れだし宿はメチャクチャになる。
兵士に殴り飛ばされるトロとマロン。
この世界の魔法は、生活で利用する程度の威力しかなく、とても弱い。
しかし──タクトの魔法は人並み外れて、無法者も脳筋男もひれ伏すほど強かった。
99歳で亡くなり異世界に転生した老人は7歳の子供に生まれ変わり、召喚魔法でドラゴンや前世の世界の物を召喚して世界を変える
ハーフのクロエ
ファンタジー
夫が病気で長期入院したので夫が途中まで書いていた小説を私なりに書き直して完結まで投稿しますので応援よろしくお願いいたします。
主人公は建築会社を55歳で取り締まり役常務をしていたが惜しげもなく早期退職し田舎で大好きな農業をしていた。99歳で亡くなった老人は前世の記憶を持ったまま7歳の少年マリュウスとして異世界の僻地の男爵家に生まれ変わる。10歳の鑑定の儀で、火、水、風、土、木の5大魔法ではなく、この世界で初めての召喚魔法を授かる。最初に召喚出来たのは弱いスライム、モグラ魔獣でマリウスはガッカリしたが優しい家族に見守られ次第に色んな魔獣や地球の、物などを召喚出来るようになり、僻地の男爵家を発展させ気が付けば大陸一豊かで最強の小さい王国を起こしていた。
異世界へ行って帰って来た
バルサック
ファンタジー
ダンジョンの出現した日本で、じいさんの形見となった指輪で異世界へ行ってしまった。
そして帰って来た。2つの世界を往来できる力で様々な体験をする神須勇だった。
ボクが追放されたら飢餓に陥るけど良いですか?
音爽(ネソウ)
ファンタジー
美味しい果実より食えない石ころが欲しいなんて、人間て変わってますね。
役に立たないから出ていけ?
わかりました、緑の加護はゴッソリ持っていきます!
さようなら!
5月4日、ファンタジー1位!HOTランキング1位獲得!!ありがとうございました!
水神飛鳥の異世界茶会記 ~戦闘力ゼロの茶道家が、神業の【陶芸】と至高の【和菓子】で、野蛮な異世界を「癒やし」で侵略するようです~
月神世一
ファンタジー
「剣を下ろし、靴を脱いでください。……茶が入りましたよ」
猫を助けて死んだ茶道家・水神飛鳥(23歳)。
彼が転生したのは、魔法と闘気が支配する弱肉強食のファンタジー世界だった。
チート能力? 攻撃魔法?
いいえ、彼が手にしたのは「茶道具一式」と「陶芸セット」が出せるスキルだけ。
「私がすべき事は、戦うことではありません。一服の茶を出し、心を整えることです」
ゴブリン相手に正座で茶を勧め、
戦場のど真ん中に「結界(茶室)」を展開して空気を変え、
牢屋にぶち込まれれば、そこを「隠れ家カフェ」にリフォームして看守を餌付けする。
そんな彼の振る舞う、異世界には存在しない「極上の甘味(カステラ・羊羹)」と、魔法よりも美しい「茶器」に、武闘派の獣人女王も、強欲な大商人も、次第に心を(胃袋を)掴まれていき……?
「野暮な振る舞いは許しません」
これは、ブレない茶道家が、殺伐とした異世界を「おもてなし」で平和に変えていく、一期一会の物語。
異世界転生したらたくさんスキルもらったけど今まで選ばれなかったものだった~魔王討伐は無理な気がする~
宝者来価
ファンタジー
俺は異世界転生者カドマツ。
転生理由は幼い少女を交通事故からかばったこと。
良いとこなしの日々を送っていたが女神様から異世界に転生すると説明された時にはアニメやゲームのような展開を期待したりもした。
例えばモンスターを倒して国を救いヒロインと結ばれるなど。
けれど与えられた【今まで選ばれなかったスキルが使える】 戦闘はおろか日常の役にも立つ気がしない余りものばかり。
同じ転生者でイケメン王子のレイニーに出迎えられ歓迎される。
彼は【スキル:水】を使う最強で理想的な異世界転生者に思えたのだが―――!?
※小説家になろう様にも掲載しています。
スーパーの店長・結城偉介 〜異世界でスーパーの売れ残りを在庫処分〜
かの
ファンタジー
世界一周旅行を夢見てコツコツ貯金してきたスーパーの店長、結城偉介32歳。
スーパーのバックヤードで、うたた寝をしていた偉介は、何故か異世界に転移してしまう。
偉介が転移したのは、スーパーでバイトするハル君こと、青柳ハル26歳が書いたファンタジー小説の世界の中。
スーパーの過剰商品(売れ残り)を捌きながら、微妙にズレた世界線で、偉介の異世界一周旅行が始まる!
冒険者じゃない! 勇者じゃない! 俺は商人だーーー! だからハル君、お願い! 俺を戦わせないでください!
セーブポイント転生 ~寿命が無い石なので千年修行したらレベル上限突破してしまった~
空色蜻蛉
ファンタジー
枢は目覚めるとクリスタルの中で魂だけの状態になっていた。どうやらダンジョンのセーブポイントに転生してしまったらしい。身動きできない状態に悲嘆に暮れた枢だが、やがて開き直ってレベルアップ作業に明け暮れることにした。百年経ち、二百年経ち……やがて国の礎である「聖なるクリスタル」として崇められるまでになる。
もう元の世界に戻れないと腹をくくって自分の国を見守る枢だが、千年経った時、衝撃のどんでん返しが待ち受けていて……。
【お知らせ】6/22 完結しました!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる