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第五章 寂滅の秋(とき)

第五回 逸死隊(後編)

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 待っていたのは、意外な男だった。
 江上八十太夫。犬山家の執事であり、この手で斬り殺した江上弥刑部の忘れ形見である。
 穂波郡、萢原やちはら。一見して未開墾の原野だが、傍には池もある湿地帯で、季節柄かガマや葦が生い茂っている。肌に絡みつくような湿っぽい風が吹いていて、どうも雰囲気がよくない。だからか、人の往来は殆ど無かった。
 八十太夫は、一人で待っていた。池を眺めているようだ。清記の姿を認めると、視線を向けた。

「わざわざ申し訳ございませぬ、平山様」

 八十太夫が、軽く微笑んで頭を下げた。目元に泣きぼくろがあるこの美青年は、一つ一つの行動が嫌味なほど風雅に見える。

「久しいな。御別家様は御達者か?」
「それはもう。身体の丈夫さだけが取り柄のような方でございますから」
「確かに。並みの武士よりは壮健であられるからな。で、今日は私に話があるそうだと聞いたが」
「ええ」

 八十太夫は、清記の背後にいる皆藤に目配せした。消えろという事だろう。皆藤は一礼し、その場を離れた。

「まずはこれを」

 と、八十太夫は懐から書状を取り出した。

「読めという事か」
「お手数ですが」

 清記は、その書状をひとしきり目を通し、それを八十太夫に突き返した。
 書状は、かつて中老を務め犬山梅岳失脚と同時に解任された、岩城右衛門丞いわき うえもんのじょうから兵部に宛てたものだった。利景が亡き後は、常寿丸ではなく兵部を藩主に推し立て、夜須藩を〔あるべき姿〕に戻そうと言うものだ。
〔あるべき姿〕とは、利景が梅岳を失脚させる前の政事だろう。つまり、犬山派の独裁。右衛門丞が同志として挙げている名前は、全て犬山派に属し現在では閑職に追われている者ばかりだった。
 利景の権力は絶大だ。その子飼いと呼べる幕僚も優秀である。政権転覆の隙は微塵もない。であるから、利景の死を待ち、復権しようとする腹なのだ。

「さて、これを私に読ませる真意が訊きたい」

 清記は訊いた。問題はそれだった。


「御手先役として、一応は知るべき情報ではないかと」
「どうであろう。御手先役は御家の刀。時勢を頭に入れ、判断する立場にはない」
「そうは言っても、考えるでしょう、色々と」

 それに清記は返事はしなかった。池に目をやる。無数の蜻蛉が遊泳していた。

「特に平山様は、ご身内やご友人を多く斬って来られた。ああ、岩城様の弟御であられた、岩城新之助なる者も斬っておられましたね」
「……」
「確か、右衛門丞様からの依頼だったとか」

 あれは、雷蔵が生まれる前。亡妻である志月と出会ってすぐの事だ。平山家は、かつて御手先役としての役目を遂行するに掛かる費用を捻出する為に、〔内職〕という名で始末屋をしていた。自分の代になって足を洗ったが、新之助を斬ったのは始末屋時代の事だ。

「何が言いたい」
「理不尽だと憤慨する事もあったはずです」
「そうか。そういう事か……」

 清記が低く笑うと、八十太夫は首を静かに振った。

「平山様がご想像されている事は、おそらく違います」
「では、どういう了見だ」
「この策謀に、我が殿は関わっておりません」
「もしもだ。おぬしが私なら、それを素直に信じられるかね?」
「信じないでしょうね。だから、我が殿が関わっていない証拠をお見せします」
「ほう。どのような証拠か気になるな。返答次第では覚悟をしてもらおう」
「もうすぐ、岩城様が此処を通ります」
「藤河雅楽殿に会いに行ったわけか」

 藤河は有能な代官であるが、犬山と近しい関係にあった。しかし、いち早く利景の改革に賛同した事で、犬山派から離反したと見られている。

「しかし、藤河殿は犬山派から見れば裏切り者であろう」
「そうでしょう。しかし、藤河様は勤王派に近しい御方。さぞ肩身は狭い想いをされているはず。岩城様は、そこを狙ったのかもしれませぬ」

 藤河の部下から、多くの志士を出していた。芳雲と名を変えた武富陣内も、元は藤河の下にいたのだ。故に、藤河自身が勤王派と言われているが、実は本人が関与している証拠は何処にも無く、清記も噂の類だと信じてはいなかった。

「その岩城殿を捕えるのか?」
「いえ、殺します」

 八十太夫が平然と言い放った。

「それは、御別家様の命令か?」
「勿論。私の一存で出来る事ではありません」
「お殿様はご存知なのか?」
「いいえ。病身であられる上にその御心を騒がす事は出来ませぬ」

 暫くして、駕篭が現れた。数名の護衛も付いている。
 辺りは逢魔が刻を迎えていた。八十太夫が片手を挙げると、暗い闇の中から十の人影が浮かび上がった。
 八十太夫が手を下ろす。それが合図だった。殺気が湧き上がると、十名は飢えた狼のように、駕篭に斬りかかった。
 闘争は一息で、決着を見た。護衛は斬り伏せられ、駕篭から引き出された右衛門丞は首を打たれた。

「見事だ」

 そう八十太夫に言って駕篭の傍に歩み寄ると、十名の刺客団は一列に整列した。黒装束を着込み、一応にして全員表情は薄い。

「よく躾けてもいる」
逸死隊いっしたいと申します。死すら逸して御家を守らんとする志を込めて」

 見た事の無い顔ばかりだった。それでいて、若者が目立つ。雷蔵と変わらないぐらいだろう。

「御別家様が浪人を登用していたのは、この為だったか」
「いえ、逸死隊の餌にする為です」
「面白い表現をする、おぬしは」
「狼になるには、狩りの訓練は必要ですからね」

 八十太夫は、少し目を伏せた。そして、逸死隊に向かって手で払う仕草をすると、十名は風のように消えていた。感心するほど訓練をされている。

「我が殿が時勢を睨み、設立しました。組織として動く事を主眼とし、今の所は二十名います」
「お殿様は逸死隊の事は何と?」
「御手先役を助けてやれと申されたとか」

 それは、したたかな衝撃だった。御家を守るとは言うが、つまるところ兵部の私兵。利景は兵部の野心を警戒している今、逸死隊など必要ないと言うはずだ。そうした判断が出来ぬほど、利景の病が篤いという事なのか。

「しかし、戦い方が違うな」
「まず違うものを作る。そこから始めました。逸死隊に、一対一の美学はありません。必ず一対多数の状況を作る。そこが御手先役との違いでしょうか」
「確かに、理に適っている」
「多人数だと、手抜かりが無くなります。聞くところによると、平山様は宇美津で勤王派の一人を取り逃したとか。一応、海に落ちて骸は上がらぬという事になっているようですが」

 滝沢求馬の事だ。求馬は勤王党に属し、そこから橘民部の叛乱に誘われていた志士である。雷蔵を倒した約束として、清記が妻と共に逃がしてやったのだ。

「今はどのあたりに潜んでいるのでしょうか。九州方面に逃げたと聞きましたので、長崎が妥当ですかね。まさか琉球までは行きますまい」
「追うつもりか」
「いいえ。彼は小物ですから。捨てて置いて構いません。いくら私と因縁浅からぬ相手だとしても」

 八十太夫の父・弥刑部は、かつて江戸家老だった。しかし、女を巡る痴情の縺れから求馬の父である作衛門から斬り殺されている。それが表向きであるが、事実は違う。
 明和六年に始まった、清水徳河騒動が原因だった。時の女帝・緋子が、老中の阿部福右あべ よしすけと清水徳河家に対し、勤王の志厚い徳河重好とくがわ しげよしを将軍職に継がせるように綸旨を発した事で、幕府が二つに割れ政争に発展した。江上と滝沢の父は、幕府方という藩庁の方針を無視して、朝廷方に付いた。だから御手先役として、清記に命が下り斬ったのである。

「何より、取り逃がした平山様の顔を潰す事にもなりますから」

 清記は、鼻を鳴らした。

「逸死隊か。隊長はお前か?」
「一応は。剣術指南と副長で、皆藤を」
「なるほど」

 いつの間にか皆藤は姿を現し、遠く離れた場所に立っていた。

「見事に育てたな。だが、これからお前は闇を抱えて生きねばならん。夜も長く感じる。それだけは覚悟せよ」
「ありがとうございます。平山様には何かとご教示を頂く事になると思います。しかし、父が滝沢に殺され、私は苦労をしました。百姓にとっては何程にもない苦労でしょうが、それまで安穏と育った私には苦労でした。その経験が、活きると思います」
「苦労か。活かすべきだな。亡き弥刑部殿の為にも」

 自分で弥刑部を殺しておいて何を言うか。清記は我ながら白々しい気分になった。

「父が死に家が傾きました。何せ女を取り合って殺されたのですから、嘲りも受けました。その私を引き取ってくれたのが、兵部様のご養父である梅岳様でした。梅岳様は私を可愛がり、高い教育を与えて下さいました。その見返りに、私は身体を捧げましたけども」
「そうか」
「今思えば、全て思い出です」

 そう言って、八十太夫は軽く微笑んだ。男色の相手をしたと聞いたからか、その笑みには妖艶な色が見て取れた。
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