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最終章 天暗の仔

第五回 後手(前編)

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 衝撃的な報告を、さも平然と八十太夫が伝えてきた。
 夜吼党の全滅と、斉木利三郎の闘死である。それを聞いた利重は立ち上がり、脇息きょうそくを投げつけていた。
 それが、八十太夫に直撃し転がる。額からは一筋の血が流れ落ちたが、八十太夫は表情ひとつ変えない。ただ、その血を軽く懐紙で拭い、したたかに平伏した。
 噴き出した怒りだった。自分でも、何故そうしたのか不思議である。今まで激高する事はあっても、我を忘れる事など無かったのだ。それがこうして、脇息を投げつけた。そうした自分もいたのか、或いは自分自身を御し得なくなったのか。
 そうした事を考えていると、怒りがすっと消えていくのが判った。

「どういう事だ」

 利重は着座して問うと、八十太夫が平伏していた顔を上げた。

「申し上げた通りにございます。夜吼党が叛徒の謀議に踏み込んだ所、あの平山雷蔵がたった一人で待ち構えていたのです」
「だから、何故そこに雷蔵がいるのだ。雷蔵はまだ夜須に入っておらず、帯刀の遺臣とは繋がっていないと申したのはお前ではないのか?」
「実際はそうではなかったという事です。叛徒の一人を寝返らせたつもりでしたが、どうやら我々が一杯喰わされました」
「我々? お前一人の間違いだろう」
「殿がそう申されるのであれば」
「お前は、詫びの一言もないのか。夜吼党と斉木という手駒を無くしたのだぞ」

 八十太夫と視線が合った。感情の無い表情だ。そして、再び平伏した。
 元々、名門の嫡男だった。父の弥刑部は能吏であったが、勤王騒動に関わった為に、謀略の中で死んだ。そうして没落した八十太夫を拾ったのが、義父の梅岳だった。ただし、男色の相手としてである。
 その八十太夫を、臣下として利重は迎えた。父を殺した平山清記や、身体を弄んだ梅岳への憎悪の中で磨かれた才を見込んでの事だ。それ以来、八十太夫は滅私の忠誠を捧げてくれている。ただ一度だけ、その忠誠を試そうと抱いてみたが、それにも応えてくれた。義父が八十太夫の身体に溺れた理由は判ったが、抱いたのはその一度限りである。

「何故、そこまで尽くす?」

 抱いた夜にそう問うと、

「復讐」

 だと、答えた。利重を藩主の座を奪わせ、夜須を覆す。それが復讐なのだと。
 それは実現した。今こうして藩主になれたのも、八十太夫の働きがあってこそだ。この男の執念が実ったといっていい。
 しかし、ここ最近は疎ましく思える事がある。この利重を知り尽くしているという自負が、態度や言動に滲み出ているのだ。それが、妙に苛立たせる。特に牧文之進や真部直記を使うようになると、その疎ましさが一層強くなった。あの二人は、実に明快で腹の底が知れるのだ。家臣らしい家臣である。一方の八十太夫は、主人である自分にすら腹の底を読ませない。どこかで、自分を操っているとも感じさせるのである。

「まぁよい。今までのお前の働きに免じて、今回は許そう。何せ相手は平山一族なのだからな」
「雷蔵を甘く見ていたつもりはございませぬが、次は必ず」

 それから、暫く二人で今後の話をした。
 雷蔵が夜須に戻ったと判れば、警護を厚くしなければならない。あの男が望むのは、この首だけなのだ。
 その為に、逸死隊と山筒隊を城内に常駐させ、各所に配備する手筈を整えているらしい。また相賀が執政府の命で、藩士の中から使い手を集めているとも、八十太夫が報告した。失敗しても次の一手を既に打っている所は、八十太夫の長所である。

「相賀様の動き、どういたしましょう?」
「好きにさせておけ。首席家老としては、何もしないというわけにはいけないのだろうしな」
「人選の裏取りだけは行いたいと思いますが」
「そうだな。そこはお前に任せよう。それと、この件については相賀と話しておこう。使いどころの問題もあるだろう」
「相賀様は、最近は焦っておられるようですね」
「ほう。お前にはそう見えるか」
「執政府の影響力が弱まる一方でございますし」
「そう仕向けているからな」

 藩主親政。その為には、執政府は無用だった。利景は執政府を幕僚として使ったが、自分はそのつもりはない。いずれは手駒で執政府を組閣するのもいいが、藩政を主導するのはあくまで自分だ。

「相賀様にも、密偵を差し向けたいと考えております。雷蔵と結びつかないとも限りません」
「用心深いな」
「一度、失敗しておりますから」

 そこで八十太夫が退室し、代わって文之進が現れた。二人はすれ違う時に目が合い、文之進が先に黙礼した。
 文之進は、五日に一度の報告である。役目は祐筆だが、それは表向きでしかない。何かあれば呼ぶのだ。特に今は、郡制について考えさせている。

「で、答えは出たか?」
「ええ」

 文之進が提案したのは、期間を定めた代官の派遣だった。藩庁から、代官を各郡に派遣する。任期は二年。定員は二名で、月番制とする。二名としたのは、お互いの不正を監視するという意味があり、もし二人が協力して不正に加担した場合は、その罪は重くなる。

「ほほう」
「如何でしょうか?」
「私が考えていた事に近い。二名という事には驚かされたが」
「忠誠の対象を、一人に絞ってはなりません」
「その為に、藩庁からの派遣か」

 文之進が頷いた。

「しかし、これでは代官の格が下がるな」
「ええ。しかし他藩を鑑みれば、当家が高過ぎるのであって、おかしな事ではございません」
「確かに」
「現行では世襲制で、国人領主から代官になった家門もあります。百姓にとって、代官はお殿様なのです。それを最優先に変えねばなりません。かの平山雷蔵の足取りが掴めぬのも、恐らく百姓共が協力しているからでしょう。公平な施政だった清記殿は、領民から絶大な信頼を得ています」

 文之進の提案に、異論は無かった。あとは、代官となる人材の提供元である。どこから人材を吸い上げるか。また、現在の代官をどうするかも考えねばならない。

「その案、八十太夫とも話し合ってみよ。水も漏らさぬ完璧なものにして、執政会議で諮る」

 文之進が退室し、利重は一人になった。
 雷蔵の捕縛。それと同時に、種々様々な事も進んでいる。一つの事に拘っていられない。これが為政者というものなのだろう。

(真部も身近に置くか……)

 ふと、思った。地蔵台の開墾は上手く進んでいる。相賀と真部が道筋を作ったので、あとはそれに沿って進めればいい。この件については真部の意見も聞かねばならないが、才能ある者を、一つの事に縛っていたくはないとも思う。特に、これからは代官衆や執政府との戦いもある。俺の改革は、まだまだ終わりそうにない。
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