逸撰隊血風録~安永阿弥陀の乱~

筑前助広

文字の大きさ
14 / 39
転章

2

しおりを挟む
 城後村への帰り道を、友次郎はのそりのそりと歩んでいた。
 身体が重い。両の脚は鉛ではないのか? と、感じるほどだ。それほど、今回の仕事は疲れた。
 江戸で尾州屋を襲ったその足で、上州まで行かなくてはいけなかったのだ。

「古河様、お帰りでございますか?」

 村の百姓が声を掛けた。友次郎は軽く片手を挙げる。百姓たちの気持ちは無下にしたくはないが、ひと月ほど働き通しだった身としては、それぐらいが精一杯だった。

「おかえりなさいませ」
 屋敷に戻ると、野枝が三つ指をついて出迎えた。いつ戻っても、野枝は変わらない。いくら家を空けても何も言わないし、訊く事もない。それは野枝が、友次郎の仕事について承知しているからだ。

「風呂にしよう」
「支度を整えております」

 帰宅する前、手下に命じて風呂を沸かしておくようにと伝えておいたのだ。
 熱い湯に、身体を沈める。やや熱いが、緊張した筋肉が湯豆腐のように柔らかくなるのがわかった。それほど、今回の仕事は疲れた。

(それにしても……)

 加瀬甚蔵という男には驚かされた。笹子の鎌太郎と共に、全員を始末するはずだった。それが、甚蔵という男の奮戦で思わぬ損害を出し、その上目的を達成する事が出来なかった。
 目を閉じても、甚蔵の凄まじい戦いぶりが瞼に浮かんでくる。恐らくだが、片足を涅槃に踏み込んでいたのだろう。でなければ、あれほどの働きは無理だ。
 今回の仕事は、逸撰隊に捕捉された笹子一味の口封じだった。笹子の鎌太郎は羅刹道の別動隊として動いていたが、派手に動き過ぎて足が付いてしまったのだ。折角城後村の領主でもある阿部志摩守が目を掛けてくれたのに台無しである。

(まぁいい。これでも計画は順調だ)

 笹子の鎌太郎は始末し、沢辺村も皆殺しにした。甚蔵によって手下を失ったのは痛いが、それでもまだまだ替えはいる。人材は幾らでも手に入る畑があるのだ。
 風呂から上がると、食事を摂って野枝を寝室に呼んだ。この屋敷では、情欲を抑えるような事はしない。抱きたい時に、野枝を呼んで抱くようにしている。
 野枝は慎ましい女だが、抱くと大きく乱れるところがある。そして死んだ夫の名前を叫ぶのだ。友次郎の脳裏に、野枝の夫だった男の顔が浮かぶ。昔の手下。よく支えてもらっていた。
 見ているか? お前の女房を抱いているんだぜ。心中で嘯く。それが、友次郎の暗い喜びを誘った。
 次の日、大杉がふらっと訪ねて来た。手には松茸を手にしている。

「どうした、急に」
「いや、先日の礼だよ。友さんには、酒と肴を馳走してもらったからさ。野枝さんにも食べさせてくれ」

 と、松茸を差し出した。
 友次郎が野枝を呼ぶと、彼女にしては精一杯の笑顔で、松茸を受け取った。

「これで何か作りますね。お酒も」
「さては、野枝に料理させる為に持って来たな?」

 大杉がへへと笑う。こういう所があるから、この男は憎めない。
 野枝が拵えたのは、松茸の炭火焼き・吸い物・そして松茸雑炊だった。どれも、松茸の香りがする絶品だった。

「しかし、今回は手駒を失ったねぇ」

 一通り平らげた後、大杉が銚子を差し出して言った。

られたのは新参ばかりだったが、それでも痛いな」
「加瀬って名前だったな。あれは大した奴だよ」
「ああ、あれは凄い男だ。片足を涅槃に踏み込んでたようだった」

 ほぼ一人で、全ての手下を叩き斬ったのだ。勿論本人も無傷ではなく、重傷を負ったようだが、それでも生き残った事が凄い。

「何でも逸撰隊に入るようだよ」
「それは本当か?」
「阿部様からの情報だ。自ら志願したらしい」

 阿部志摩守は、〔あのお方〕を信奉する内通者だ。しかも田沼意次の側近の一人なので、正確な情報が早くに入ってくる。

「ますます逸撰隊が手強くなるね。友さん、増員も止む無しだよ」
「〔あのお方〕に頼むしかあるまい」

 そう言って、友次郎は腕を組んだ。
 友次郎の手下は、〔あのお方〕が直接声を掛けて選ばれる。それほど、重要な役目を負っているのだ。

◆◇◆◇◆◇◆◆◇◆◇◆◇◆ 

 村の百姓が駆けこんで来たのは、大杉が村から去ってすぐの事だった。不逞な浪人が村にやってきたようで、打ち払って欲しいとの事だった。

(村の者で対応出来るだろうに……)

 律義に顔を青くして助けを乞う演技までしている。百姓の半分が、友次郎の手下なのだ。並みの浪人なら、始末する事が出来るはずだ。それでもしないのは、自分たちの素性を隠す為だ。良くも悪くも、村社会というのは噂が広まりやすい。そうした意味では、友次郎も真面目に用心棒稼業に勤しむ必要がある。
 村の広場に降りていくと、三人の浪人が懐手に待っていた。誰も彼も飢えた狼のような眼をしている。
 田沼意次の政事は、国内に新しい風を吹かせ、豊かさをもたらしたが、同時にその恩恵を受けない者も生み出した。その好例が目の前の浪人たちだ。
 季節は秋。これから冬になる。寒く厳しい季節になれば、体力のない者は死ぬ。だから、そうなる前に食い扶持を得ようと必死になるのだ。
 この三人も、その口だろう。友次郎を見ると、「なんだ、先客がいたのか」と呟いた。

「しかし、一人では心許ない。我ら三人も用心棒として、この村を守ろうではないか」

 三人の中で頭領格が言った。

「悪いが、私一人で十分だ。四人を食わせるほど、この村は豊かではないのでね」

 頭領格の頬がピクリと動く。

「そうは見えんがな。それとも、富を独り占めしようというのかね」
「その通りだ。この村に貴殿らは必要ないな」
「なるほど」

 全員が刀に手を回そうとした、その刹那。友次郎は大きく踏み込んだ。
 頭領格をの胴を薙いで、返す刀で頭蓋を唐竹割りに斬り下げる。

「貴様」

 二人目は抜こうとした小手を斬り、首を刎ねた。三人目は逆袈裟に脇腹を裂いた。
 ほぼ一息だ。仕事では大刀を使う事は少ないので、よい訓練になった。

「死体はバラして畠の肥やしにするといい」

 そう言い残して屋敷に戻ると、庭で野枝が土いじりをしていた。庭には猫の額ほどの畠があり、野枝が趣味で野菜を作っている。

「血の臭いがいたします」

 野枝は血の臭いにだけは敏感だった。それは、無惨に切り刻まれた夫を抱きしめたからだろう。そして、血を嗅いだ夜に決まって、野枝から求めてくる。今夜もおそらくそうなるはずだ。

「人を斬った。三人」
「そうでございますか」

 そう言い残して屋敷に入ると、居室で〔あのお方〕の使者が待っていた。今日は按摩の恰好をしている。

「趣味が悪いぞ、勝手に上がり込むとは」
「斬らずとも退けた相手を敢えて斬るよりましだと思いますが」
「それで?」

 使者は次の仕事を語った。今年になって仕事が頻繁に、そして複雑になってきている。それほど〔あのお方〕が焦っている事だろうか。そうさせているのは、間違いなく逸撰隊であろう。どんと構えていればいいのだと友次郎は思うが、〔あのお方〕は存外に小心なのだ。表には滅多には出さないが、仕事の内容を通して肝の小ささがわかる。

「やり方はお任せすると申されておりました」
「わかった。承知したと伝えてくれ」

 使者が消えると、友次郎は横になって考えた。
 今回の指図役は大杉にお願いしよう。そして自分は――。

(いっその事、殺してしまうか)

 そんな事をしたら、少なくとも世の為にはなる。だが、自分にはそんな義理は無い。世が自分の為にしてくれた事は、一度として無いのだ。むしろ、世はいつも友次郎に辛く当たった。
 浪人の子として生まれた。父は元々伊賀組だったが、忍術に傾倒し過ぎて、それを馬鹿にした同僚を斬り遁走した仇持ちだった。
 逃亡の日々は、筆舌に尽くし難い苦難の連続だった。その中で父は自分に忍術を授けてくれたが、厳しい修練の連続は思い出したい記憶ではない。
 十五の時に、父が死んだ。斬った相手の息子に斬られたのだ。父が死んで自由になった。そこで一番最初にした事が、復讐の復讐だった。父の仇を討ったのだ。
 そして、〔あのお方〕に買われた。五十両。それが自分の値段だった。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

【完結】ふたつ星、輝いて 〜あやし兄弟と町娘の江戸捕物抄〜

上杉
歴史・時代
■歴史小説大賞奨励賞受賞しました!■ おりんは江戸のとある武家屋敷で下女として働く14歳の少女。ある日、突然屋敷で母の急死を告げられ、自分が花街へ売られることを知った彼女はその場から逃げだした。 母は殺されたのかもしれない――そんな絶望のどん底にいたおりんに声をかけたのは、奉行所で同心として働く有島惣次郎だった。 今も刺客の手が迫る彼女を守るため、彼の屋敷で住み込みで働くことが決まる。そこで彼の兄――有島清之進とともに生活を始めるのだが、病弱という噂とはかけ離れた腕っぷしのよさに、おりんは驚きを隠せない。 そうしてともに生活しながら少しづつ心を開いていった――その矢先のことだった。 母の命を奪った犯人が発覚すると同時に、何故か兄清之進に凶刃が迫り――。 とある秘密を抱えた兄弟と町娘おりんの紡ぐ江戸捕物抄です!お楽しみください! ※フィクションです。 ※周辺の歴史事件などは、史実を踏んでいます。 皆さまご評価頂きありがとうございました。大変嬉しいです! 今後も精進してまいります!

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

『五感の調べ〜女按摩師異聞帖〜』

月影 朔
歴史・時代
江戸。盲目の女按摩師・市には、音、匂い、感触、全てが真実を語りかける。 失われた視覚と引き換えに得た、驚異の五感。 その力が、江戸の闇に起きた難事件の扉をこじ開ける。 裏社会に潜む謎の敵、視覚を欺く巧妙な罠。 市は「聴く」「嗅ぐ」「触れる」独自の捜査で、事件の核心に迫る。 癒やしの薬膳、そして人情の機微も鮮やかに、『この五感が、江戸を変える』 ――新感覚時代ミステリー開幕!

【完結】『紅蓮の算盤〜天明飢饉、米問屋女房の戦い〜』

月影 朔
歴史・時代
江戸、天明三年。未曽有の大飢饉が、大坂を地獄に変えた――。 飢え死にする民を嘲笑うかのように、権力と結託した悪徳商人は、米を買い占め私腹を肥やす。 大坂の米問屋「稲穂屋」の女房、お凛は、天才的な算術の才と、決して諦めない胆力を持つ女だった。 愛する夫と店を守るため、算盤を武器に立ち向かうが、悪徳商人の罠と権力の横暴により、稲穂屋は全てを失う。米蔵は空、夫は獄へ、裏切りにも遭い、お凛は絶望の淵へ。 だが、彼女は、立ち上がる! 人々の絆と夫からの希望を胸に、お凛は紅蓮の炎を宿した算盤を手に、たった一人で巨大な悪へ挑むことを決意する。 奪われた命綱を、踏みにじられた正義を、算盤で奪い返せ! これは、絶望から奇跡を起こした、一人の女房の壮絶な歴史活劇!知略と勇気で巨悪を討つ、圧巻の大逆転ドラマ!  ――今、紅蓮の算盤が、不正を断罪する鉄槌となる!

アブナイお殿様-月野家江戸屋敷騒動顛末-(R15版)

三矢由巳
歴史・時代
時は江戸、老中水野忠邦が失脚した頃のこと。 佳穂(かほ)は江戸の望月藩月野家上屋敷の奥方様に仕える中臈。 幼い頃に会った千代という少女に憧れ、奥での一生奉公を望んでいた。 ところが、若殿様が急死し事態は一変、分家から養子に入った慶温(よしはる)こと又四郎に侍ることに。 又四郎はずっと前にも会ったことがあると言うが、佳穂には心当たりがない。 海外の事情や英吉利語を教える又四郎に翻弄されるも、惹かれていく佳穂。 一方、二人の周辺では次々に不可解な事件が起きる。 事件の真相を追うのは又四郎や屋敷の人々、そしてスタンダードプードルのシロ。 果たして、佳穂は又四郎と結ばれるのか。 シロの鼻が真実を追い詰める! 別サイトで発表した作品のR15版です。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

天竜川で逢いましょう 〜日本史教師が石田三成とか無理なので平和な世界を目指します〜

岩 大志
歴史・時代
ごくありふれた高校教師津久見裕太は、ひょんなことから頭を打ち、気を失う。 けたたましい轟音に気付き目を覚ますと多数の軍旗。 髭もじゃの男に「いよいよですな。」と、言われ混乱する津久見。 戦国時代の大きな分かれ道のド真ん中に転生した津久見はどうするのか!!??? そもそも現代人が生首とか無理なので、平和な世の中を目指そうと思います。

処理中です...