逸撰隊血風録~安永阿弥陀の乱~

筑前助広

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逸撰隊

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 目が覚めると、床の中にいた。
 視界には、見慣れない天井があった。それは真新しいもので、染みだらけの見慣れた我が家のものではない。
 夜だった。暗いが、夜目は利く。四畳ほどの板張りの一間に、一人だけが寝かされている。静寂だった。

「生き残ったのか」

 呟いてみたが、声になったかどうかはわからない。喉の奥で、音が鳴っただけのような気もする。
 次の瞬間、自分の全身が火のように熱い事に気付いた。そして、猛烈な痛み。右手を上げるだけで悲鳴を挙げたくなる。しかし、それが生き残れた実感にも繋がった。
 ただ、生き残ってしまったという気持ちもある。頭はまだ重く記憶も曖昧だが、部下や仲間を失った事は覚えている。それと同時に、安堵感も確かにあった。生き残り、死ななかった。また娘に会える。その事に喜びを感じてしまった自分の浅ましさに、甚蔵の気持ちは重くなった。
 暫くその想いに苛まれていると、知らず知らず眠っていた。そして目が覚めると、明るかった。時刻のほどはわからない。感覚が完全に狂っている。しかし、全身の熱と痛みは少しだが和らぎ、ここは何処なのかと考える余裕が生まれていた。
 そうしていると、足音が聞こえた。甚蔵は思わず上体を起こした。思っていた以上の痛みが、甚蔵を襲った。それもそのはずで、甚蔵の全身は包帯だらけだった。その上、ところどころ血で赤く染まっている。
 戸が開いた。現れた女に、甚蔵は目を見開いた。
 逸撰隊の明楽紅子だったのだ。以前のように男装で、二本の六角鉄短棒なえしを腰に差している。起き上がった甚蔵を見て、意外そうな表情を浮かべた。
 そして、紅子の傍には伊平次が控えていた。所々に傷を負っているが、どうやら無事なようだ。

「目が覚めたようね」

 紅子が甚蔵の傍に座った。伊平次は、一歩退いた位置だった。傍から見て主従のように感じる。

「どうしてお前さんがいる? というより、何処だよここは」
「何も覚えてないの?」

 甚蔵は頷いて応えた。

「ここは金山御坊の療養所で、あんたが浪人どもと大立ち回りを演じていたところにあたしらが駆け付けたのよ」
「すると、俺はお前さんに助けられたという事か」
「あんたを馬に乗せて、ここに担ぎ込んだという意味ではね。でも、あたしらが到着した時には、あんたは最後の一人を始末した所だった。血塗れで、足元は死体の山だったわ」

 そう言われても、全く記憶が無かった。最後に覚えているのは、伊平次を逃がした直後ぐらいだ。

「礼を言わなきゃいかんな」
「構わないわ。今回は逸撰隊うちの助っ人だったわけだし。それに、あの浪人どもはあたしの一番組が追っていた獲物なの。でも、完全に裏をかかれて取り逃し、あんたらを襲われる羽目になってしまった。まぁ、あたしの不始末とは言えないけどね」
「お前が追っていたのか。何者なのだ、あいつらは」
「隊士ではない者に教えるつもりはないけど、でもあんたには知る権利があるわね」

 そう言って、紅子は伊平次に向かって頷いた。
 伊平次は一歩前に出て、

「浪人どもの懐にございました」

 と告げて、懐から木簡を取り出した。

「おい、これ」

 紅子が頷く。
 木簡は、下谷上野町の尾州屋で見たものと同じ、羅刹天が描かれていた。

「あいつらが、俺たちを」

 憤怒がふつふつと、身体の底から突き上がる。脳裏に、四肢を断たれてぶら下がった赤子と、目の前で死んでいった戸来たちが浮かび上がり、それは確かな憎悪に変わった。

「羅刹道。簡単に言えば、人殺しを善しとする狂った奴らよ」
「羅刹道……。そいつらを追っていたのか」
「ええ、そうよ。わかっている事はたった四つ。羅刹天を信仰している事。人殺しを善しとする教義である事。率いている奴が耶馬行羅やば ぎょうらだという事。そして、死を恐れていないって事」

 最後の一つに、甚蔵は深く頷いた。狂乱して殺到する浪人の顔。反撃を顧みずに踏み込んでくる姿。あれらを思い出せば、死を恐れていないという事に納得できる。

「他はわからないのか?」
「残念だけどね。何処を本拠地にしていて、何人ぐらい信者がいるのか一切不明。だからって、お手上げってわけじゃないわ。尾州屋もそうだけど、残された証言から辿って辿って、あの浪人たちに辿り着いたのよ」
「それを俺は」
「皆殺し。まぁ、捕まえて話を聞けなかったのは残念だけど、その事をあたしは非難する気は無いわ。あの光景をあたしは見たし、あんたは半分あの世に足を突っ込んでいたからね」
「しかし、重要な証言を得られたかもしれない」

 薄っすらと記憶が蘇る。息が切れ、もう駄目だと思った時、身体が急に軽くなった。そうなれば一方的だった。全員を殺す事しか、頭には無かった。

「あの中に、耶馬行羅がいたかもしれないし、いなかったかもしれない。一緒に襲った笹子の鎌太郎との関係も不明ね」
「そうか」

 甚蔵は疲労感を覚え、ゆっくりと身を横たえようとすると、咄嗟に手を貸してくれたのは伊平次だった。

「加瀬様の御刀、今は研ぎに出しておりやす。かなり血と脂を巻いていたので」

 伊平次の言葉に、甚蔵は小さく頷いた。まだ使えるか? という言葉は、何故か出なかった。同田貫正国は、早くに両親を亡くした甚蔵を育ててくれた祖父の形見だった。祖父も御家人で、名うての使い手だった。

「じゃ、行くわ。暫くは上州にいるけど。沢辺村にも行かなきゃいけないし」

 話を切り上げようと腰を上げた紅子を、甚蔵は二人を呼び止めた。

「生き残ったのは?」
「あんたと、伊平次。そして円兼とかいうお坊さんだけよ。でも、よっぽど怖かったんだろうね。庫裏で震えているわ」
「そうか。だが、あんたらには悪い事をした。安牧を死なせてしまった……。すまない」

 軽く目を伏せると、紅子は首を振った。

「よしてよ。あたしらには危険は付き物なの。隊士の戦死も日常茶飯事だから。むしろ逸撰隊こっちの助っ人で、部下全員を失ってしまったあんたこそ、謝られるべきよ」
「そう言ってくれると助かる」
「兎に角、今は休む事ね。あんたらの頭には逸撰隊うちから言っておくわ」

 二人が去ると、代わりに医者が現れた。その医者も坊主だった。何日眠っていたのかと問うと、四日と言われた。
 それから全身の傷を見られた。方々を縫われたようで、特に背中の傷は大きく縫合されていたようだ。
 傷に軟膏を塗られ、包帯を変えた。医僧に戸来たちは? と問うと、既に埋葬したと言った。場所は、旗本・桑山重之助の知行地にある寺院だった。巡礼者や鎌太郎一味は兎も角、戸来たち五人と安牧を金山御坊の墓に埋葬しなかったのは、紅子の判断だったらしい。何か考えがあるのかどうか、それについて甚蔵は何も考える気はなかった。死ねば無。墓は、そこに骸が眠っているという印に過ぎない。忘れなければ、それでいいのだ。
 それから三日経ち、熱が完全に下がると甚蔵は初めて外に出て歩いた。初秋の空は、まだ夏のように高い。金山御坊は相変わらずの賑わいだった。その活気の中に身を投じると、否が応でも自分一人が生き残ってしまったと痛感させられた。この中に、年齢的には自分を見送るはずだった戸来たちがいないのだ。
 何をしてても、喪失感を覚える。医僧に勧められて散歩に出たのだが、やはりこれぐらいでは気は紛れないし、今後もそうなる事は無いはずだ。
 包帯を巻いた甚蔵は、嫌でも人目を引いた。中には、甚蔵に向かって手を合わせる坊主もいる。事情を知っている者なのだろうか。
 研ぎ屋で、同田貫正国を受け取った。名乗れば受け取れるようにしていると、昨夜訪ねてきた伊平次に言われたのだ。

「大変な代物でございました」

 研師は若い男で、刀を渡すと安堵の表情を受べた。

「父の跡を継いで五年になりますが、向かい合うだけで息苦しくなる刀は初めてでございます」
「お前さんも聞いているいるだろう、数日前の事は。だからってわけじゃねぇが、善からぬものが憑いているかもしれんなぁ」
「失礼かとは存じますが、お武家様のお噂は耳にしております。ですが、噂よりもこの刀の方が私に色々と教えてくださいました」
「へぇ、何て?」
「怒り。理不尽に対する、激しい怒りを感じ取りました。そして、この刀も十分に応えたのかと思います。血脂は巻いていても、刃毀れが見当たらないのですから」
「その通りだ」

 代金を支払おうとしたが、それは伊平次が渡しているらしく、甚蔵からは頑なに受け取らなかった。
 店を出ると、坊主たちの行列に出くわした。行きかう人々も巡礼者も、脇に寄って行列が過ぎるのを待っている。
 甚蔵もそれに倣うと、輿に乗った僧が見えてきた。
 かなり肥えた男だった。だからか、六人掛かりで輿を担いでいる。歳は五十半ばぐらいだろう。剃髪しているので、はっきりとは読めない。

「あの輿に乗っている人って誰なんだい?」

 甚蔵は、傍にいた百姓男を捕まえて訊いた。

「お武家様、あのお方が御門主様でござます」
「へぇ、あれが」

 御門主、つまり慈光宗の開祖であり、大奥だけでなく時の将軍にすら強い影響力を持つと言われる、慈光大師智仙だった。

「阿弥陀会堂で説法をした帰りで、これから本山堂に戻るのでございましょう」

 輿に乗るのは、目が悪いからだそうだ。しかし、あんなに丸々とした坊主の上に、権力に近しい場所にいると思うと、どうにも胡散臭く感じる。
 翌日、紅子が伊平次を連れて再び現れた。

「顔色が戻ってきたわね」
「お陰様だよ。それでだが、沢辺村で何かわかったか?」
「わかったもなにも、あの村は皆殺しにされていたわよ」
「皆殺しって、冗談だろ」
「あんたに冗談を言ってどうするの? あの木簡が置いてあったので、羅刹道の仕業で間違いないわ。骸の状態から見るに、あんたらが襲われた直後よ」
「すると、羅刹道はまだいるという事か」
「残念だけど。沢辺村が襲われたって事は、おそらく羅刹道に関わっていて、その口封じね」

 そう言われると、甚蔵の中の無念さが増大した。
 どうして、あの時に気付けなかったのか。考えても詮無い事だとはわかっているが、部下を全員死なせてしまった様々な間違いを悔やんでしまう。

「さてと。これから、あたしらは野州に行く。別にあんたに別れの挨拶する義理は無いんだけど、伊平次がどうしてもと言うから」

 紅子は、後ろに控える伊平次を親指で指し、腰を上げた。

「そうかい。伊平次、世話になったな」

 そう言うと、伊平次が小さく頷いた。
 一人になると、やはり戸来たちの顔が浮かぶ。殺される直前の、怒りと無念さが混じった、何とも言えない表情で。
 これから、自分はどうなるのだろうかとも考える。江戸に戻り、また火盗改の役目に戻るのか。それとも、部下を死なせた責任を負うのか。どちらにせよ、甚蔵には一つの事しか頭には無い。
 羅刹道を潰す。何が何でも潰す。その為には、まず傷を癒さねばならない。傷の痛みはかなり落ち着いたが、背中の傷は未だに強かった。

(後ろ傷は、武士の恥ってか……)

 甚蔵は逃げなかった。逃げなかったが、部下を全員死なせて、自分一人だけが生き残ってしまった。それは、逃げる事より恥じるものではないだろうか。
 背中の傷の痛みは、心の傷としていつまでも残り、癒される事はない。癒されてもいけないと、甚蔵は思った。
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