逸撰隊血風録~安永阿弥陀の乱~

筑前助広

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羅刹道

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 益屋淡雲の寮は巣鴨にあり、近隣からは慈寿荘じじゅそうと呼ばれている。
 見事な竹林で囲まれており、詫びを感じさせる細道が続いている。
 襲うにも監視するにに絶好の場所だが、特に不穏な気配は無かった。聞こえるのは、秋風にそよぐ竹のだけである。
 益屋は江戸でも大物の首領おかしらである。堅気は勿論のこと、配下にはやくざ・博徒・香具師やし女衒ぜげん掏摸すり・盗賊・始末屋など裏の世界で生きる者も多く従えている。
 常に血風吹きすさぶ冥府魔導を歩んできた男にしては、その棲家は剣呑とは程遠い、一種の静謐すらある。

「初めてか?」

 歩きながら甚蔵が訊いた。
 何が? と、問わなくてもわかる。

「会った事も無いよ」
「中々人前には出ない男らしいな。会う会わないは、かなり吟味しているとか」
「用心深いね。小心者?」
「さぁ。だが、いずれは江戸を統べる男になるって噂だぜ」
「興味が無いわ」

 紅子とて全く興味が無いわけではないが、裏で生きる人間とつるもうという気は全くなかった。捜査をする上では、裏の者とある程度は仲良くしておいた方がいい。火盗改長官の贄も、益屋と癒着する事で手柄を挙げているのだ。しかし、漢気おとこぎだの侠だのとありがたがって言っても、奴らは弱者にたかるクズだとしか思えないのだ。

「お前さんらしい」

 甚蔵が苦笑する。
 竹林を抜けると、畠があった。そう大きなものではなく、傍には農具を仕舞う小屋がある。百姓風の老爺が土いじりをしている。紅子たちには目もくれない。

「おい」

 甚蔵が声を掛けた。しかし、老爺は振り向きもしない。

「いい度胸だな」

 もう一度声を掛けると、やっと老爺が顔を上げた。

「ここは益屋の寮か?」

 今度は紅子が訊くと、老爺は申し訳なさそうに耳を指さしてから、手を横に振った。どうやら耳が聞こえないらしい。
 仕方なく畠をやり過ごすと、今度は工房があった。陶器を作っている者がいて、目の光を失っている事は見ただけでわかった。

「もし」

 背後から声を掛けられた。咄嗟に振り向くと、若い男が立っていた。
 細くて白い、美男の武士。浪人には到底見えない。ただ隙は無く、紅子はその気配を感じきれなかった。

「慈寿荘に何か御用で?」
「お前さんは、慈寿荘ここもんかい?」

 若い男は、甚蔵の質問に笑顔で応えた。
 紅子は、やり取りを全て甚蔵に任せるつもりだった。面倒だという事もあるが、甚蔵の実力を試す、という意味もある。

「ええ。私は慈寿荘の管理を任されております、小向愛次郎こむかい まなじろうと申します。本日はどのような御用向きで?」
「俺らは、逸撰隊の加瀬で、こっちが明楽。益屋淡雲に会いてぇ。取次を頼もうか」
「お約束は?」

 小向は笑顔を崩さず訊いた。逸撰隊の名を聞いても、表情を変えない。夜霧の弥蔵の一件を知らないのだろうか。

「約束は無ぇが、口添えはしてもらっている」

 甚蔵が書状を手渡した。差出人を目にした小向が小さく頷く。

「贄様ですか……」
「会えるのかい?」
「さて。ですが、ひとまずご案内いたします」

 小向の案内で歩くと、見事な茅葺の大きな屋敷が見えてきた。だが中には案内されず、庭の東屋に通された。小向が消えると、女中が現れて茶と茶菓が出された。何となくだが、気味が悪い。人間が生きている臭いが感じられず、全てが無味無臭に感じてしまう。
 暫くして、小向が現れた。奉公人の男を一人従えている。

「旦那様がお会いするそうです。ですが、その前に物騒なものはお預かりします」

 紅子は東屋の机に、脇差と飛砕を置くと小向が軽く笑った。

「明楽様、懐の中のものも全て出してくださいね」
「用心深いわね。折角の美男子が台無しよ」
「これが仕事ですから」

 紅子は思わず肩を竦めると、懐に入れていた、様々な暗器を置いた。
 鉄拳・微塵・猫手・苦無・撒菱・煙玉。

「凄ぇな、あんた。武具商でも開けるぜ?」

 その量に甚蔵も目を丸くしている。紅子は鼻を鳴らし、「護身用」と言い捨てた。
 修めたのは、杖術だけではない。様々な武具を使える程度には、修練を重ねている。 
 武器を預かったのは、小向が連れてきた男だった。頻りに頭を下げて、武具を駕籠にまとめた。近くで見ると、男は左眼が潰れてていて鼻も欠けている。
 身体に障害を負った者を、益屋は雇い入れているのか。それを紅子は珍しいとは思わなかった。悪党でも善行をする例は多い。

◆◇◆◇◆◇◆◆◇◆◇◆◇◆

「いやはや、お待たせしましたな」

 暫く待たされた後、小向と共に小太りの男が現れた。
 軽やかに歩く小向の横で、見苦しい身体を揺らしている商人風の男は、大福のような顔に大粒の汗を浮かべている。歳は五十路ぐらいか。頭髪の半分は白い。

「私が、益屋淡雲と申します」

 これには紅子は驚いた。江戸の裏で大きな力を持つ益屋が、人が善さそうな満面の
笑みを浮かべているのだ。それには隣りの甚蔵も同じ気分だろう。

「いやはや、急いで来ましたのでな。汗をかいてしまいましたよ」

 と、手拭いで額の汗をぬぐった。
 どこまでも、その辺にいる分限者だ。ただ、この男の裏の顔を知っているだけに、全てが胡散臭く感じる。

「逸撰隊の明楽さんと加瀬さんでございますね。書状は読みました。何でも御用の向きとかで」

 益屋は、机を挟んで座った。懐から扇子を取り出し、しきりに扇ぎだす。小向は少し離れて控えている。

「お腰のものを取り上げられて、さぞご不快な思いをされたでしょう。申し訳ございませんねぇ。小向あれには言っておきますので」
「いえ、益屋さんの身の上を考えれば、致し方ない事だろうよ」

 加瀬が言った。どうやら加瀬は、益屋にも遠慮をしない様子だった。それに対し、益屋は笑顔のままだ。

「それで、御用件は? 私が答えられるものならよいのですが」

 加瀬が目配せをしたので、紅子は頷いた。やれ、という意味だった。

「羅刹道って聞いた事はあるかい?」
「羅刹道?」
「あんたが知らねぇはずはないが、俺たちは今そいつらを追っていてね」
「そうですか。下谷の尾州屋さんとは付き合いがあったので、私も腹立たしく思っていたところです」
「あんたは、外道を嫌うって有名な人だからねぇ。それで、用件は二つ。まず、羅刹道について何か知ってそうな盗賊を教えてくれ。もう一つは、羅刹道についてお前さんは何か知らないか?」

 甚蔵を見つめた益屋の目が細くなる。

「報酬は三十両。これ以上は出せん」

 甚蔵が机に三十両の包みを置いた。益屋は、それに目もくれなかった。

「銭はいりませんよ。私は逸撰隊あなたがたと繋がれるだけで、三十両以上の価値があると思っています」
「あんたとつるむつもりはないわ」

 紅子は思わず口を開いていた。
 益屋の目がこちらに向く。相変わらず笑顔だが、目の奥の光は尋常ではなかった。

「あなたが明楽さんですね。毘藍婆と渾名されている」
「だから?」
「お会いしたかった。女でありながら、荒くれの男どもを率いているとか。しかも得物は鉄杖。とんだ豪傑だ」
「褒めても何も出ないよ」
「いえいえ。私は純粋にお話をしたかったんですよ。かの〔西丸下の爺〕と呼ばれた松平武元まつだいら たけもと様の御孫にして、館林藩主・武寛たけひろ様の年上の姪であるあなた様に」

 益屋の言葉に、甚蔵の視線が突き刺さる。それに対し、紅子は「またか」としか思わない。知らない者は、必ず同じ反応を見せるのだ。しかし、それも仕方のない事だとも思う。
 紅子の母である清子きよこは、武元と彼が使っていた忍びの間に生まれた子だった。その後、清子は武元の側近に引き取られ、公儀御庭番である倉知久兵衛くらち きゅうべえと結婚して、自分が生まれたのだ。

「嫌な事を言う男ね」
「申し訳ございません。しかし、私は武元様と浅からぬ付き合いがございまして。実に人情味のあるお殿様でございました」

 それは否定出来なかった。慈悲深い武元の人柄は家臣や領民に愛され、同時に自分を愛してくれていたとは思う。武元が逸撰隊を創設し今の地位を与えてくれたのも、愛情表現の一つだ。そんな武元は、去年鬼籍に入ってしまった。

「あたしらは、あんたと爺様の思い出話をしに来たんじゃないわ」

 と、紅子は強引に話を切って、甚蔵に目配せをした。

「益屋、話を戻すぜ。銭はいらねぇと言ったが本当かい?」
「私に二言はございませんよ。銭はいりません。私はこうして繋がれただけでいいのですから」

 そこまで言って、益屋が扇子で顔を隠した。射貫くような紅子の視線を感じたからだろうか。

「羅刹道について知ってそうな盗賊は、こちらで準備して後日お引き合わせしますが……」
「なんだ?」
「彼らの安全を保障していただきたいのです」
「勿論だ。会うのは俺ら二人。場所は、お前さんが指定した所でいいよ」

 益屋は甚蔵の返答に満足したのか、大仰に頷いて見せた。

「数日中には、まず報せを遣わせますので」
「次に羅刹道について、お前さんは何か知らないかい?」

 その質問に、益屋は険しい表情を浮かべた。何か困っているという雰囲気がある。

「どうした?」
「いや、これを伝えて良いものかどうか悩んでいましてね。如何せん、私は『ここだけの話』と言われたものですから」
「安心しろ。話して良いか悪いかは、逸撰隊おれたちが決める」
「ええ、実は羅刹道が慈光宗に脅迫状を送り付けたようで、智仙様とか申されましたかな? 彼が、寺社奉行に相談したようなのです」
「何?」

 思わず紅子も甚蔵も立ち上がっていた。

「ええ。江戸の白阿寺びゃくあじの山門に投げ入れられたようで、智仙様を血祭に挙げるだの何だの……」
「それはいつの事だい」

 紅子が訊くと、益屋は今朝と答えた。

「何故、羅刹道が慈光宗を襲うってんだい?」
「さぁ、そこまでは」
「誰に訊いた?」
「ここだけの話でございますよ? 私に報せを寄越したのは、寺社奉行の太田様でございましてね」

 太田様とは、寺社奉行の太田資愛おおた すけよしの事だ。

「家中に手練れがいないので、数名寄越して欲しいと言って来たのですよ」
「それでお前は?」
「少し考えさせて欲しいと。こちらも人材不足でしてね。如何せん、夜霧の弥蔵を失っておりますので」

 益屋の目の奥に、強い光が宿る。しかし、そんな皮肉に付き合うほど暇ではない。
 羅刹道が慈光宗を襲う。その意味は兎も角、脅迫状というのは今までになかった事だ。急ぎ、屯所に戻って報告をしなければならない。

「戻るぞ」

 甚蔵が頷く。やれやれという感じで益屋が片手を挙げると、小向がすぐに武具を差し出した。
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