逸撰隊血風録~安永阿弥陀の乱~

筑前助広

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羅刹道

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「慈光宗とはな」

 その名を聞いた時、甲賀が苦笑いを浮かべた。
 逸撰隊屯所の局長室である。胡坐座の甲賀を囲んでいるのは、勝と紅子、そして甚蔵だった。

「羅刹道との関係は?」
「そこまでは知らないと言っていました」

 甲賀の問いには、甚蔵が答えた。

「それは直接訊くしかないか……」
「しかし厄介ですね」

 勝が腕を組んだまま言った。

「慈光宗と言えば、将軍の信頼厚く、大奥にも絶大な影響力があります。手を出すかどうか思案のしどころですよ」
「おい、勝。あんたは獲物が来るのを指を咥えて見てろと言うの?」
「失敗すれば、我が隊の存続に関わる」
「失敗なんかあり得ないわ。それぐらいの駒は揃えている」
「絶対などはない。局長、私は寺社奉行に任せて成り行きを見守るべきと存じますが」

 勝が甲賀に顔を向けた。

「勝、らしくもない小癪な真似を考えるものだね。いや、楽して利を得るってのは俺も嫌いじゃないんだけどさ」
「危険が高過ぎます。襲撃を阻止出来ずに智仙を死なせでもしたら、将軍のみならず、門徒まで敵になる可能性が」
「敵は羅刹道だろうに」

 紅子が呟くと、勝に睨まれた。紅子は肩を竦めて見せる。

「明楽、お前の考えは?」

 甲賀が煙管に詰めた煙草に火を付けながら訊いた。

「白阿寺に乗り込み、逸撰隊の捜査優先権を行使して護衛の任を奪う」
「お前な」

 口を挟もうとした勝を、甲賀が手で制した。

「しかし、出張った寺社奉行の太田様はちょいと知り合いなんだよねぇ。恨まれる真似はしたくないんだよ」
「局長」

 思わず勝と声が揃う。不本意だ。

「では、こうしたらどうです?」

 甚蔵が口を開いた。

「寺社奉行が益屋に報せたのは、腕の立つ護衛が足りないから。それに対し、益屋は返答をしていません。つまり、今は凄腕を一人でも欲しいんですよ」
「つまり、護衛として割り込めという事かい」

 紅子は思わず膝を叩いた。

「そうだ。で、局長は太田様と知り合いってんだから、間を取り持ってもらって。寺社奉行あっちは益屋に銭を払わなくて済む。で、逸撰隊こっちは羅刹道の一件に絡める。どうです?」
「妙案だ」

 そう言ったのは勝だった。そして「それしかない」と続けた。

(まどろっこしい真似をする)

 とは思ったが、一番現実的な策だ。甲賀の顔を潰さず、敵も作らない。

「小癪な真似だが、あんたらしくていいじゃない」

 それにしても、甚蔵は予想以上に使える。剣の腕前以外の部分を見ていたが、三笠と同等かそれ以上の事は任せれそうは。あとは、上手く人を纏められるかどうかだ。

「局長、どうします?」

 紅子が訊くと、甲賀は煙管の灰を雁首叩いて落とした。

「ふむ。それなら、恩も売れるね。……よし、俺と一番組は今から白阿寺に出馬だ。勝、留守は任せたよ」
「局長も行くのですか?」
「勿論じゃないか。俺がいた方が話が早そうだしさ。それに恩は手渡しで売りたいのよ」

 甲賀が目配せをしたので、紅子は腰を上げた。

「では、私もご一緒します」

 勝が立ち上がる。

「駄目だよ。幹部隊士の誰かが残ってないと心配じゃないか」
「局長と明楽を行かせるほうが心配です」

 甲賀が口を尖らせる。紅子も何か言いたかったが、一刻も早く一番組の全員に召集を掛ける方が先だと思い、紅子は局長室を飛び出した。

◆◇◆◇◆◇◆◆◇◆◇◆◇◆

 逸撰隊の馬群が、高田四ツ家町を駆け抜けた。
 江戸市中ので疾駆は禁止されているが、逸撰隊だけは特別に許されている。
 先頭は青毛の蒼嵐に跨る紅子で、三笠や甚蔵らの一番組が続く。甲賀は、少し遅れて駆けていた。一番組に比べ、馬の質が悪いのだ。不要だとは思ったが、護衛には梯と末永を付けている。
 結局、勝は留守番だった。その代わりか、甲賀が色々と細かい注意を受けたようだった。
 二人の関係は、よくわからないところがある。二年前に他界した勝の父・市郎右衛門いちろうえもんと甲賀が師弟に近い関係にあったという話は知っているが、御家人から旗本のなった苦労人と、大身旗本・足代あじろ家出身の御曹司がどのような繋がりがあったのかまでは聞いていない。
 兎も角、逸撰隊の設立時に甲賀が真っ先に誘った男が、師匠の嫡男たる勝だったのだ。全幅の信頼を置いているという事は、何となくわかる。
 鞍上から眺める風景が、町屋より田畠の方が多くなってきた。
 白阿寺は、雑司ヶ谷村の外れにある。元々は、さる譜代の下屋敷があった場所であったが、無嗣断絶となった折に、将軍家治の口利きで、その土地を慈光宗に与えられたらしい。
 山門と伽藍が見えて来た。それは金山御坊で目にした壮大なものと引けを取らないほど、大きなものだった。慈光宗の江戸に於ける総本山という肩書は、伊達ではないようだ。
 ただ参拝客の姿が無いというのは、違和感しかなかった。こうも大きいと、寺社好きの江戸っ子が集まってもおかしくない。

「とまれ」

 門前で制止を受けた。
 武士。寺社奉行の配下だろう。伊平次の報告では、既に太田資愛自身がの手下を率いて白阿寺に入っているとは聞いている。

(そういう理由か)

 参拝客は、追い返しているのだろう。
 紅子は片手を挙げて、停止の合図を出した。

「何者だ」
「逸撰隊だよ。浅黄裏なら兎も角、定府であれば聞いた事があろう」
「なに」

 逸撰隊の名を聞いて、武士は明らかに動揺したようだ。

「どうして、逸撰隊が」
「捜査に決まってんだろ。逸撰隊はどんな場所でも踏み込む権利が保障されている。通してもらうよ」

 紅子が三笠たちに目配せをする。押し通るという合図だ。すると山門の奥から、数名の武士が出て来た。
 一人が進み出る。恰幅がよく、武士よりも相撲取りが似合いそうな男だ。この中では指図役なのだろう。

「掛川藩士・佐伯安治郎さえき やすじろうと申します。寺社奉行支配下で、大検使だいけんしを務めております。お手前は?」
「逸撰隊一番組頭、明楽紅子。御用の筋さ」

 と、紅子は逸撰隊の印籠を見せた。
 佐伯が一つ頷く。

「御用の筋とは、如何なるものでしょうか?」
「慈光宗が羅刹道から脅迫を受けたそうね。逸撰隊こっちは羅刹道を追っていてねぇ」
「それで?」
「警護に一枚噛ませてくれない? 何なら、任せてもらっても構わないけどさ」

 すると佐伯が一笑した。腹に響く声をしている。そこそこの胆力はあるのだろう。

「左様な事、私の一存で出来るはずはございませぬ。我が殿と智仙殿にお伺いを立てねばなりません」
「なら取次を頼めるかい?」
「明楽、それには及ばんよ」

 振り返ると、後を追っていた甲賀だった。梯と末永も一緒だった。

「甲賀様」

 佐伯が慌てて頭を下げる。どうやら見知っている関係のようだ。

「太田様はいるんだろ?」
「ええ、まぁ」
「なら案内をしてくれないかね? この件は、俺が直接話すから」

 不承不承という感じで、佐伯は頷いた。
 紅子は数名の隊士に馬を任せると、甲賀と共に佐伯の後を追った。
 元は下屋敷だけあって、境内は広大だった。真新しい伽藍が幾つかあるが、庫裏などは武家屋敷をそのまま流用しているので、継ぎ接ぎのような印象が強い。

「甲賀さんじゃないか」

 本堂を出て、回廊を歩いている男が片手を挙げた。
 歳は甲賀よりやや下という感じだろうか。鼻筋が通った上に、渋みの利いた色男だ。若い頃は、さぞ美男子だったろうと思う。

「殿です」

 と、佐伯が言った。

「新六郎、久し振りだねぇ」

 甲賀も応えて、新六郎と呼ばれた資愛の方へ駆けて行った。

「明楽さんは知らないんですね」

 佐伯が、資愛の肩を叩く甲賀を眺めながら、ぽつりと呟いた。

「甲賀様と我が殿は剣の同門で、しかも兄弟子なんですよ。なので、あのような無礼を許しているのです」
「へぇ」

 佐伯としては、甲賀の振る舞いは看過出来ないものがあるのだろう。弟弟子だろうが、友人だろうが、資愛が掛川藩五万石の大名である事は変わりはないのだ。
 早速、二人は話し込んでいる。甚蔵の策を提案しているのだろう。資愛は右手を顎にやり、時折頷いている。

「おい、こっちに来い」

 甲賀が声を掛けたので、紅子と一番組隊士は佐伯と共に二人の方へ向かった。

「おお、これが逸撰隊か」

 資愛が言うと、紅子らは片膝を付いて控えた。

「甲賀さんが逸撰隊の局長として活躍している話は常々聞いていたが、手塩にかけているだけあって、皆の顔付きが違う」
「いやはや、暴れん坊ばかりで困っているよ」
「その噂も含めて聞いていますよ。でも子は親に似るもの。局長が暴れん坊でしたから、似てしまうのも仕方ないですよ」

 冗談も穏やかに話す資愛には、生まれの高貴さが漂っている。

(いや、育ちの良さかな)

 と、紅子は思った。生まれと言うと、祖父は松平武元という諸侯の血を紅子も受け継いでいる。それでいてこうまで違うのは、受けた教育と環境の違いだろう。

「甲賀さんから話は聞いている。此度の件、逸撰隊に任せる事にした。我々は指示に従う故、よろしく頼む」
「殿」

 軽く目を伏せた資愛に、佐伯が声を挙げた。

「佐伯、お前の言いたい事もわかるが、相手は百戦錬磨の賊徒だ。それに比べ、我が方には満足に人も斬れぬ者ばかりではないか」
「しかし」
「それに、逸撰隊かれらは田沼様の肝煎り。無下にしてはどんな事を言われるかわかったものではないぞ」

 と、資愛が笑顔で肩を竦めた。
 悪い男ではないが、こんな男が変わり者の甲賀の親友とは、本当に信じられない。

◆◇◆◇◆◇◆◆◇◆◇◆◇◆

「お前」

 世話役として現れた坊主を見て、甚蔵が口を開いた。
 山江坊円兼。羅刹道の襲撃を受け、甚蔵と共に生き残った、慈光宗の僧侶である。あの乱戦にあって死なずに済んだが、心に深い傷を負ったという話だった。
 寺社奉行の為にあてがわれた、庫裏の一間である。資愛は後事を佐伯に託して、藩邸へと引き上げている。

「調子はいいのか?」

 甚蔵が、嬉しそうに円兼の肩を叩いた。色が白く軟弱そうな円兼は、それまでになかった軽薄な笑みを見せた。
 紅子は、隊務で何度か円兼の世話になったが、こんな風に笑う男ではなかった。それこそ円兼は、山での生活しか知らない学僧という雰囲気だったのだ。

「まぁ、お陰様で。あの経験で、私は一歩も二歩も、ご門主様に近付いた気がしますよ」
「そうか」

 円兼の変わりように、甚蔵も戸惑っているようすだった。あれほどの修羅場を体験したのだ。無理もないとは思うが。

「詳しい事情は、太田様にお聞きしました。ご門主様もご承知しておりますが、皆様にお会いしたいと申しておりましたのでご案内します」
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