逸撰隊血風録~安永阿弥陀の乱~

筑前助広

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羅刹道

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 智仙は、肥えた男だった。
 二十五貫はあるだろうか。御座所に腰を下ろしているその様は、さながら布袋様である。
 白阿寺の大講堂。智仙を上座に、何人かの僧侶が脇に控えている。
 甲賀を先頭にぞろぞろと入って来た逸撰隊に、智仙は顔を向けた。
 両眼りょうまなこが白濁している。眼の光を失っているとは聞いていたが、その噂は本当だったようだ。
 甲賀の後ろに紅子ら一番組の面々が腰を下ろすと、佐伯と円兼も並ぶように続いた。

「よくおいでくださいました」

 智仙が言った。奥歯に何か挟まったような、聞き取りにくい声だ。

「私が、慈光宗門主の智仙と申します」
「逸撰隊局長、甲賀三郎兵衛と申します。これなるは、有象無象の隊士でございますれば、一々御門主のお耳に名を入れるような者たちではございません」

 甲賀がそう言うと、僧侶の間からくすくすと笑いが挙がった。智仙も笑顔で頷いている。

「此度の件、お聞き及びと存じますが、門徒の為にもお頼みいたします」
「かしこまりました。して、御門主。羅刹道と慈光宗。如何なる関係が?」
「甲斐殿、詳しい話は我々が」

 智仙に質問を投げかけると、すかさず脇に控えていた僧侶が割って入った。

「よい」

 と、智仙が手で制する。

「甲斐殿。羅刹道は、ご公儀そして民百姓に寄り添い、安寧を願い、慈悲の手を差し伸べる我々を気に入らぬようでしてな」
「確か、ご教義は『阿弥陀如来により、争いの無い楽土の建設』でしたかな」
「ええ。ですが、『ご公儀の下で』争いの無い楽土の建設でございます」
「なるほど。こうした脅しは初めてですかな?」
「左様にございます。おそらく、先日我々が羅刹道討伐に協力した事が引き金になったのでしょう。勿論、その事は後悔しておりませぬ。羅刹道あやつらは、罪なき者を害する悪鬼のような輩。それらを駆逐し、民に安寧をもたらす事は我々の願いですから」

 笹子の鎌太郎一味の一件の事だろう。あれからの捜査で、鎌太郎が羅刹道だった事が身体の刺青から判明している。背中に羅刹天が彫られていたのだ。

「門徒たちは、私を阿弥陀如来が現世した存在と申す者もいますが、斯様な存在ではございません。今、こうした窮地に立って自らの無力を感じております」

 それから幾つか言葉を交わして、面会は終了となった。詳しい話は、幹部が別で話をするらしい。甲賀はもう少し粘ると思ったが、やや強引に話を終わらせた慈光宗側に何も言わなかった。
 智仙が若い僧に支えられて大講堂を出て行くと、脇に控えていた僧侶が咳払いをして立ち上がり、甲賀の対面に座った。先ほど、話に割って入った僧侶だ。

「私は、天岳院才慶てんがくいん さいけいと申します」

 そう言った僧侶は、陽に焼けていて逞しい身体の持ち主だった。
 一見して若そうに見えるが、歳は四十路も半ばぐらいだろう。顔の皺がやや目立ってきている。
 面倒な男だろうな、と紅子は思った。礼儀正しく見えるが、眼と口元には強い意志とこちらを下に見た侮りを感じさせる。

「脅迫があったのは、昨日です。修行僧が境内の掃除をしておりましたら、こんなものが」

 と、書状を甲賀の前に差し出した。

「明楽、三笠、加瀬」

 名を呼ばれたので、紅子は二人に目配せをして前に進み出た。
 甲賀は、羅刹道からの書状を読めと言わんばかりに、顎でしゃくった。

「こいつは……」

 内容は、慈光宗と幕府との蜜月関係、ひいては智仙を激しく糾弾するもので、今日より十日の内に必ず智仙の首を挙げると書いてあった。

「十日とは長い」

 三笠が言うと、才慶が首を横にした。

「御門主が、今日より三日のうちと申しております」
「へぇ、それはまたどうして?」

 甲賀が才慶に眼を向けた。

「御門主が阿弥陀如来にお伺いを立てたようです」
「それを信じろというのかい?」

 紅子が訊いた。

「ええ。御門主は、御仏眼ごぶつがん白毫びゃくごうの位置に備えておりましてね」

 と、才慶は額を指さした。

「ここに氣を集中し、南無阿弥陀仏を唱えれば、阿弥陀如来が目の前に現れ教えてくださるというのです。その力で、今やご公儀を支えております」

 紅子は何も言う気になれず、ただ肩を竦めた。
 それからも話し込む甲賀と才慶を残し、紅子は一番組を率いて大講堂を出た。

「加瀬と服部は、ひとまず智仙の傍に行け。三笠、梯、末永は手分けをして境内をくまなく確認し、穴という穴を洗い出せ。他の者は佐伯の下へ行き、寺社奉行と一緒に境内の警備。さぁ行け」

 紅子の音頭で、隊士たちが一斉に散らばっていく。我ながら癖が強い連中を、よくここまで従順にさせたものだと思う。そうなるまでに、紅子は何度も隊士たちと立ち合った。女に従う事を由としない者には、力を示すしかなかった。

「よう」

 濡れ縁の欄干に肘をついて境内を眺めていると、甲賀が出てきて言った。

「なに黄昏てんだ」
「いや、この寺は広いなぁと」
「まぁ、どこぞの下屋敷だった場所だ」

 境内には鬱蒼とした杜もある。池もある。これでは、一度潜入されると見つけ出すのが骨だ。

「話は終わりました?」
「一応。詳しい話はしてないけどな」
「羅刹道と慈光宗との関係は?」
「わからん。羅刹道は以前には真宗の寺院や神社も襲っているからな。これが慈光宗だけを狙ったのか、他の宗派を目の敵にしているのか、いまいち掴めん」
「慈光宗、調べた方がいいと思いますけど」
「お前もそう思う?」

 紅子が頷くと、甲賀が難しい顔をして溜息を吐いた。

「それ、かなり困難な道だよ。わかる?」
「大奥……ですか?」
「ああ。田沼様もおいそれと手を出せない場所だからなぁ」

 智仙の姉である妙秀尼が、かつて大奥で絶大な権力を有した松島局であり、今は信者である高岳たかおか上臈御年寄じょうろうおとしよりとして君臨している。
 それだけではない。家治の継室であるお知保の方も、慈光宗の熱心な信者だ。昨年に将軍世子であり実姉の家基いえもとを失い、悲嘆に暮れていたお知保の方を救ったのが、智仙の言葉だったそうだ。家治もそれ以来、深く信頼している様子である。

「まっ、まずは羅刹道を退ける事だけを考えよう。万が一にも智仙がられてみろ。俺たちはお終いだ」

 と、甲賀が舌を出して切腹する仕草をしてみせた。

「まずは三日。そこが山だ」
「信じるんですか? あの坊主を」
「まさか。個人的には外れて欲しいけどね。どんな言い訳をするか楽しみだ」

 そう言うと、甲賀が片手を挙げて踵を返した。
 一人残った紅子は、この広い境内をどう守ればいいか考えていた。

◆◇◆◇◆◇◆◆◇◆◇◆◇◆

「守らんとは、どういう事ですか?」

 佐伯が、遠くで聞こえる読経をかき消すように叫んだ。
 白阿寺境内にある、庫裏の一間。庫裏にしては、広く豪華だった。円兼が言うには、かつて外様大名の御殿だった建物を、智仙が住居として庫裏にしているらしい。

「寺全体を守らないという意味さ」

 と、甚蔵が言った。
 紅子は、襲撃に備えた会議に出ていた。
 出席したのは、甲賀の他に三笠・甚蔵・梯・末永・佐伯と数名の部下、そして才慶と円兼だ。全員で車座になり、中央に境内の見取り図を広げている。

「この広い境内を一番組の十名、寺社奉行の十三名で守るのは不可能だからね」
「だから守らないというのは」
「まぁ、まずは聞こうじゃないの」

 なおも言い募ろうとして佐伯を、甲賀が制した。

「佐伯さん、仮に守ってみようか?」

 と、見取り図に碁石を二十三個を置いた。
 山門、裏門、境内、本堂、阿弥陀堂、大講堂、御殿……。敵の襲来を見張れる場所に配置すると、碁石はばらばらになってしまった。

「羅刹道は十名にしよう」

 甚蔵が十個の碁石を、山門に置いた。

「もう、わかるでしょう。いくら我々が二倍以上の数があっても、これでは各個撃破されるだけだと」
「加瀬殿、ではどうするつもりですか?」
「御門主、幹部、修行僧、そして我々も、この御殿に立て籠もります」
「籠城とは、また」

 甲賀が思わず笑う。

「御殿の周りに、鳴子を張り巡らせましょう。出来れば、簡単な罠も仕掛けたいところですね。敵が攻め寄せてきたら、ひたすら迎撃します。どうです? 局長」
「面白いんじゃないの? 背水の陣だがね」

 甲賀は、こういう事態を楽しむところがある。腕を組んで嬉々としていた。

「しかし、敵は御殿に来ますかね?」

 佐伯が訊いた。

「来るしかない。相手は御門主の首を狙っているのなら」

 この案は、三笠と甚蔵、梯・末永で立てたものだった。当然、事前に紅子も聞いて意見を言っていたので異論は無い。

「その間、御門主は御殿の中の安全な場所に退避してもらいます」

 最後に才慶が言った。どうやら作戦には同意のようだ。
 夜になり、勝が二番組を率いてやってきた。世話役たる田沼意知の命令での出馬だった。どうやら「死ぬ気で守れ」と言外に匂わせているのだろう。屯所にはそのまま意知が入っている。

「守らないとはね」

 紅子に作戦を聞いた勝が、珍しく笑顔で言った。

「誰の発案だ?」
「加瀬だ。それが?」
「いや、私でも同じ手段を取ると思ってね」
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