逸撰隊血風録~安永阿弥陀の乱~

筑前助広

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武揚会

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 その夜、甚蔵は宿直に叩き起こされた。今夜は二番組の河井と長内だ。二人は入隊試験で、甚蔵と竹刀を交えている。

「谷中で殺しだ。おそらく羅刹道の犯行らしい。行くか?」
 河井が訊いた。河井は安牧と相棒であり、甚蔵が安牧を死なせたと思っていた。服部の仲介でその誤解は解け、今は善き仲間だ。

「ああ。追っていく。先に行っててくれ」

 甚蔵は身支度を済ませると、佐津に跨って掛けた。場所は谷中の新門前町にある、本泉寺ほんせんじである。また真宗寺院かと思ったが、先行していた河井の報告を聞いて愕然とした。本泉寺は、慈光宗だったのだ。
 駆け付けた岡っ引きから、事のあらましを聞いた。
 最初に発見したのは、近所に住む寺男だった。深夜に目が覚めたので外に出ると、山門から黒装束の一団が逃げていくところだった。盗賊だと思って、中を覗くと人が死んでいたとの事だった。
 かなり大きな伽藍に乗り込むと、そこは酷い有様だった。至る所で、坊主が殺されている。慈光宗は妻帯が許されているので、中には女房と思われる女の骸があった。
 そして、胸元には羅刹道の木簡。甚蔵は溜息を吐いた。

「本堂はもっと酷いぞ。見るか?」

 河井が耳打ちしたので、甚蔵は頷いた。酷いものは見慣れた。特に羅刹道に関わってからは。
 本堂の前で、長内が吐いていた。それほどのものなのだろうと思ったが、中に入った甚蔵は、思わず胃を強く握りしめていた。
 四肢の無い赤子が、全身に釘を打たれた状態で、天井から吊るされていたのだ。尾州屋の時と同じように、切断された手足も吊るされて風に揺れている。

「狂ってやがる」

 甚蔵が本堂を出ると、勝が率いる二番組が到着していた。最近は二番組も裏方ではなく、現場に出る事が多い。それほど、羅刹道に力を入れているという事だ。
 勝が岡っ引きから話を聞き終えると、こちらに歩み寄って来た。

「お前がいるとはな」
「屯所にいたんでね。残念だが、うちの姉御はいねぇよ」

 そう言うと、勝が鼻を鳴らした。

「一番組の割りには仕事熱心だな。尋問も志願したとか」
「おかげで善童鬼と呼ばれるようになってしまったよ」
「渾名など、馬鹿馬鹿しい」

 甚蔵は肩を竦めた。勝に渾名をつけるなら、なんと呼ぶべきだろうか。そんな事を一瞬考えたら、長内が円兼が現れたと告げた。

「なに?」

 勝に目で合図をする。
 山門の前に、息を切らした円兼が立っていた。どうやら駆けてきたらしい。

「円兼、どうしてお前が」
「それより、水を一杯」

 円兼が喘ぎながら言うので、甚蔵は柄杓の水を隊士に持ってこさせ、手渡した。一気に飲み干した円兼は、大きく息を吐いた。

「話せるか?」
「ええ。申し訳ございません。一報を聞いて駆け付けたものですから」

 円兼は今、江戸に点在する小さな寺の監察官を兼ねた住持をしているのだという。

「羅刹道の仕業ですか?」
「そうだ。で、お前さんに話が聞きたい」

 甚蔵の言葉に、円兼が小さく頷く。

「ここの住持は、大胡院行珍《だいごいん ぎょうちん》様と申します。江戸の慈光宗に於ける、二番手といったところでしょうか」
「一番手は?」
廉浄院興照れんじょういん こうしょう様。元は浄土真宗でしたが、慈光宗に鞍替えしたお方です」
「行珍が狙われる心当たりは?」
「先日の仕返しではないですか?」

 白阿寺の襲撃を逸撰隊は阻止し、犯人を捕縛した。その意趣返しという可能性は当然ながら大きい。しかし、甚蔵は今回も偽装だと思っていた。確たる証拠はないが、いずれは大杉が自白してくれるはずだ。

「しかし、これで教団内部も少しは風通しがよくなりますよ」

 円兼が、いつもの諧謔的な物言いを取り戻した。上州の一件から、円兼はすっかりと変わっている。以前を知らない甚蔵が、どちらの円兼が本物なのかわからないが、元々だったとしても隠そうとはしなくなった。

「どういう意味だ?」
「教団内部では、御門主の妹婿である天岳院才慶様と、武家の門徒から支持を集める願妙院永観がんみょういん えいかん様の派閥で二つに割れておりましてね。私はどちらも属していないのですが、雰囲気が重くて」
「どの世界でもあるもんだな」
「才慶様は妹婿という立場で、好き勝手しているのですよ。教団の銭を使い込んだり、何かと御門主を蔑ろにしたり」
「才慶。あいつか」

 白阿寺での事を思い出した。何かと智仙と話をさせようとしないところに、自分が教団を動かしているという自負があるのだろうとは思っていた。

「一方の永観様は、穏やかな人柄で身分の上下なく優しく接してくださいます」
「武家の門徒からの支持というのは?」
「永観様は元は尾張藩士なのです。それに、我が教団では武家というだけで高い地位につけるので、武家の支持は重要なのです」
「なるほど。なぁ、円兼。俺とお前さんの仲だ。これから面白い話があれば教えてくれないか」
「無理ですね」

 円兼がきっぱりと即答した。

「何故? お上への協力を拒むと、痛くもない腹を探られる事になる」

 聞き役に徹していた勝が言った。

「これ以上の事は、わたしの一存で決められる事ではありません。もっと上の人間の許可を得なければ」
「誰だ? 才慶か? 永観か?」
「御門主に決まっているでしょう」

 そう言うと、「では、私はこれで」と円兼は庫裏へと消えた。
 屯所に戻った時には、朝になっていた。
 既に甲賀と紅子は来ていて、甚蔵は勝と共に報告しに行った。
 局長室には、紅子も待っていた。眠そうな顔で欠伸をしている。

「勝、ご苦労だったな。加瀬も」

 出迎えた甲賀は、朝餉を摂っていた。茶漬けをかき込んでいる。
 勝が手短かつ要領よく説明した。襲った先が、慈光宗であった事に、甲賀も紅子も少なからず驚いていた様子だった。

「加瀬、まだ羅刹道と慈光宗との関係を疑っているのか?」

 甲賀が、箸を置いて訊いた。

「勿論ですよ。より疑いが増しました」
「その理由は?」
「先程、勝の旦那が言った、内訌の件もありますがね。俺には羅刹道が焦っているように思うのですよ」
「ほう」
「ここ最近、羅刹道の犯行の間隔が狭まっています。しかも初期に見られた無差別的な殺人や押し込みが減り、目的が明確なものが増えました」
「目的は俺たちの推察に過ぎないがな」
「少なくとも、推察が出来ています。俺への襲撃、白阿寺、毒蛙、そして今回の興照。羅刹道やつらは焦っていますよ」
「慈光宗の内偵は?」

 紅子が話を変えた。

「まぁ目立たぬようにしてるよ。この件は、意知様にも話したが、上様を説得するには証拠が必要だとさ」
「大杉が口を割ればな」

 紅子が甚蔵を一瞥した。
 大杉が口を割ったとしても、全容を知っているとは限らない。しかし、多少の進展はあるだろう。

「とりあえず、尋問に精を出しますよ」

 甚蔵は言った。

◆◇◆◇◆◇◆◆◇◆◇◆◇◆

 土蔵の扉を開けると、大杉はきのうのままで吊るされていた。

「すまなかったな。昨日の夜から忙しくてよ」

 そうは呟いても、耳栓をしている大杉に聞こえる事は無い。耳栓だけでなく、鼻栓・目隠し・猿轡をして、大杉の感覚を全て制限していたのだ。
 その全てを取ってやると、大杉がとろりとした眼を向けた。これをすると、皆がそうなる。その度に、暗い気持ちになった。

「さて、今日も作業を始めるか」

 大杉を地面に転がすと、甚蔵は馬乗りになった。
 握り拳を作ると、こつこつと一定の間隔で大杉の額を軽く打つ。赤子がやられても泣かない程度の力だが、大杉が悲鳴を上げ続ける。一刻続けた。すると昼餉の太鼓が鳴ったので、甚蔵は土蔵を出た。
 昼餉は握り飯食べ、また土蔵に戻った。馬乗りになろうとした時、大杉の顔が恐怖で歪んでいた。

「やめてくれ、何でも話す。話すから。それをやると、俺の心が毀れてしまう」
「知るか」

 甚蔵は構わず、こつこつと拳を打った。半刻ごとに間隔を変えた。その度に悲鳴が上がる。

「羅刹天は、破壊と滅亡を司る。邪悪な欲望をがまかり通る現世を破壊する為にあるのだ。それが我々の目的だ」
「それが、羅刹道の教義か?」
「そうだ。我々に殺されれば、輪廻転生が適う。羅刹天が破壊し、新たな世に転生して生きる事が出来るのだ。これは功徳なのだ」

 甚蔵は返事をせずに、また半刻続けた。その間も、大杉が話を続けている。

「もう、死なせてくれ」

 大杉が涙を流して懇願するようになった。

「頼む。死なせてくれ」
「なら、話せ」
「全部話した」
「いや、まだだ。訊きたい事は山ほどある」
「わかった。話す。話すから死なせてくれ」
「新たな世になった時、どうなる」
「阿弥陀様だ。阿弥陀如来が現生し、この世を治める」
「阿弥陀? それは慈光宗の智仙の事か?」
「そうだ。智仙様だ。智仙様が、この世を治める」
「羅刹道は全員で何人いる」
「それは知らない。俺は知る立場にない」
「お前はどんな立場だ?」
「耶馬の親友だ」
「根城は?」

 それを聞くと、大杉が幾つかの地名を挙げた。
 甚蔵は大杉を吊るすと、土蔵の外で待つ獄卒に幹部隊士を連れて来いと命じた。
 甲賀・紅子・勝の三人と、三笠と末永・梯がすぐにやってきた。
 全員、額が赤くなっている以外の傷らしい傷が無い事に驚いている。

「鬼だな、やっぱり」

 三笠が嘯く。甚蔵は「善童鬼だからな」と、軽く笑った。
 そして、また拳でこつこつ叩きだすと、大杉が甚蔵に話した内容を繰り返した。
 羅刹道の目的、教義。そして資金源の話に至った時、皆が一応に驚いた。
 なんと羅刹道は、抜け荷にも一枚噛んでいたのだ。禁制品の運搬の用心棒をしていたらしい。その口利きをしていたのが、大獄院仙右衛門だった。

「耶馬行羅という男は?」
「それは仮の名前だ。本当は、古河友次郎という」

 その間も甚蔵の拳は止まらない。

「本当だ。本当なんだ」
「信じられんな」
「信じてくれよ。本当なんだよ」

 その時、嫌な臭いが鼻を突いた。大便と小便を同時に漏らしたのだ。
 毀れる一歩手前、という気がした。

「どんな奴だ」
「優男だ。色が白い。頭のいい奴。人を殺しそうな顔はしていない」
「歳は幾つぐらいだ?」
「三十七だ。だが、見た目は若い」
「人相書きを作る。手伝うか?」
「当り前だ。逸撰隊の為なら何でもする。俺は走狗いぬになる」

 甚蔵は踵を返して、紅子に目を向けた。

「三日もあればと思っていたが、こんな感じでどうだ?」
「十分だよ。今日は帰って休め」

 甚蔵は、全員を残して土蔵を出た。
 秋空の下、褌になって水を浴びた。何度浴びても、嫌な感覚は拭えない。だが、一つ気が重い仕事が終わった。それだけで、今はいいと甚蔵は思った。
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