逸撰隊血風録~安永阿弥陀の乱~

筑前助広

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武揚会

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 屋敷に戻ると、伊佐は怒ってはいなかった。
 それどころか、「お役目ご苦労さま」と甚蔵を労わってくれた。それだけで、目頭が熱くなる。その夜は、途中で勝った饅頭を二人で食べた。
 翌日、詰め所に出仕すると、紅子が既に姿を見せていた。

「善童鬼、見事だったよ」
「何だよ、毘藍婆。藪から棒に」
「大杉の事さ。色々と吐いてくれたよ」

 珍しく、紅子が笑顔を作っている。それはそれで気持ちが悪い。

「お陰でかなり進展したんじゃないのか?」
「ああ。朝一で、共有する。三番組も、ちょうど戻ってきているしな」
「それで大杉たちはどうなる?」
「暫くは、牢だな。解決をすれば、智仙たちと一緒に小塚原こづかっぱらさ」
「まぁ、そうだろうな」

 協力者として、大杉を生かす事できるはずもない。それに、大杉の心は既に毀れてしまっている。
 甲賀から、食堂への参集がかかったのは、それからすぐだった。
 上座に、甲賀・勝・明楽と共に、三番組の組頭である矢倉兵衛門も座した。矢倉は厳しい顔付きをした大男で、以前は一番組の伍長をしていたそうだ。会うのは初めてだった。

「昨日、大杉が自白してかなりの事がわかった。それを皆に共有したい」

 まず集まった主旨を甲賀が説明し、勝が立ち上がった。

「まず羅刹道の教義だが」

 相変わらず、勝の説明はわかりやすい。こういう男は、組織には一人ぐらい必要なのだろうと改めて思う。

「羅刹道の拠点は、自白しただけで四か所。品川・内藤新宿・日野・程ヶ谷の四か所。全て、民家を拠点にしているようだ。敵の数はわからない。しかし、青龍隊のような部隊が五つはあるらしい」

 そして大獄院仙右衛門、そして羅刹道が破壊した世を智仙が治めるという話になった時は、一同から「おお」という声が挙がった。

「これで慈光宗と羅刹道の関係は濃厚になった。だが、証言だけで物証がない。そんなものでは、幕閣うえは動かん。ただ、羅刹道が焦っているのは確かだ。これからは、羅刹道を探る振りをして、慈光宗との関係を追う」

 それから、捜査の割り振りがあった。一番組は羅刹道と大獄院仙右衛門の捜査、二番組は屯所で待機と一番組の補佐、三番組は上州にて慈光宗の監視という事になった。

「加瀬、立て」

 最後に甲賀に名を呼ばれた。

「今回、進展を見せたのは、加瀬が汚れ役を買ってくれたからだ。感謝する、加瀬〔伍長〕」
「は?」

 今度は紅子がすっと立ち上がった。

「加瀬、あんたは今日から伍長だ。しっかり励みな」
「まて、どうして俺が伍長なのだ。三笠の方が適任だろ」

 すると、前に座っていた三笠が振り返った。

「駄目だ、駄目だ。俺は黒幕として、お嬢とお前を操る方が性に合っている」
「何だよそれ」
「俺は賛成ですよ。あんたなら、従ってもいい」

 隣りの梯が言う。末永は興味が無さそうにしているし、服部は何か言う事は無い。一番隊でも若手である安河内究やすこうち きわむ藤崎伊織ふじさき いおりも頷いている。

「諦めろ、加瀬。あたしはあんたを信頼してんだ」

 紅子の一言に、甚蔵は何も言えなかった。
 それから、紅子と加瀬は隊を三つに分けた。
 大杉が自白した拠点の数か所に踏み込むと同時に、大獄院仙右衛門に話を聞きに行くのだ。
 白阿寺で二名を失った一番組は、現在八名。それを三つに分けるには手が足らないので、二番組から河井と長内を借りた。
 紅子には梯と末永、三笠には服部・安河内・藤崎、そして甚蔵には河井と長内が率いる事になった。
 紅子は品川・内藤新宿、三笠が日野・程ヶ谷が受け持った。

「頼むぜ、伍長」

 駆け付けた河井が、甚蔵の肩を叩く。河井も長内も実際に竹刀を交し、力量を把握しているのやりやすい。知らない人間が来たらどうしようかと思っていたところだ。そこは勝の配慮なのかもしれない。

◆◇◆◇◆◇◆◆◇◆◇◆◇◆

「大獄院仙右衛門……名前からして、慈光宗っぽいな」

 そう言ったのは、河井だった。
 一番組の詰め所である。出発の前に、密偵に仙右衛門の動向を探らせていた。仙右衛門といい益屋といい、裏の首領おかしらというのは、表に姿を現さないものらしい。

「慈光宗ってのは、院だの坊だの付くからな。案外門徒かもしれんなぁ」
「仙右衛門はやくざなんですか?」

 長内が河井に訊いた。河井が甚蔵に目を向ける。答えろという事だろう。

「若いお前でも逸撰隊なんだ。武揚会という組織は、知っているな?」
「ええ、一応は」
「その武揚会ってのは、いわば江戸の裏を分割して支配している首領おかしらの集まりだ。その首領おかしらってのは、銭と暴力で自分の縄張シマのやくざや香具師、女衒・掏摸・始末屋・博徒などをまとめているわけだが、その殆どが商人なんだ」
「それはどうして?」
「銭があるからだよ。そんな中、仙右衛門はやくざから成り上がった。先代を暴力だけで追放して」
「武闘派って事ですか……」

 明らかに長内が怖気づいている。ちょっと怖がらせ過ぎたかもしれない。

「おい、加瀬。うちの若いのを苛めんな」

 たまらず、河井が助け舟を出す。甚蔵は茶に手を伸ばし、苦いだけの番茶を啜った。

「まぁ、仙右衛門は〔江戸の親父〕と呼ばれる重鎮だ。首領おかしら同士の喧嘩でいりでは、何度も調停役になっている奴さ。話は通じると思うぜ」

 かと言って、益屋も仙右衛門を突っついているだろうし、大杉が捕虜になっている事も知っているとすれば、いつもの仙右衛門ではない事は明らか。益屋以上に気を引き締める必要があるだろう。

(警戒は必要だが、怖気づいても始まらない)

 突っついて何が出るかは、博打のようなもの。要は自分のツキを信じるしかない。
 密偵が詰め所に現れた。川次郎かわじろうという、伊平次の手下だ。町人の恰好をしている。

「どうだった?」
「見つかりやせん。調べた感じでは、ここ二日は浅草の屋敷にも、深川の別宅にも姿を見せていないようで」
けたかねぇ」

 河井と眼を見合わせた。「どうする?」と言われている気がする。

「とりあえず、相手がどんな態度を取るのか出方を見てみる必要がある。ここにいても始まらねぇな」

 浅草までは、駕籠を使った。仙右衛門の屋敷は、浅草寺せんそうじの裏手にある。元はある大身旗本のご落胤が暮らしていた屋敷だったが、仙右衛門が無人となった時に買い取ったのだ。だからか、見た目は武家屋敷。しかし、訪ないに現れたのは、強面のやくざたちだった。

「へぇ、お役人様が何の御用で?」

 兄貴分と思われる着流しのやくざが、一歩前に出た。自分と同じぐらいの年頃だろう。口調こそ丁寧だが、視線は禽獣そのものである。

「御用の筋だよ。親分に会いてぇんだがな」
「あなた様は?」
「逸撰隊の加瀬甚蔵。こいつらは俺の手下だ。名のるほどでもないだろう」

 何か言おうとした河井を、甚蔵が目で制した。やくざに名前を晒すのは、極力避けるべきだ。

「ですが、親分は留守にしております」
「何処にいるんだい?」
「さて……」
「家探ししてもいいんだぜ?」

 子分たちが、いきり立つ。まるで雛のように、ぴいぴい煩い。兄貴分が、ひと睨みして黙らせた。それなりの気風はある。

「冗談はよしてください。あっしらは大獄院一家でございますよ」
「知ってるよ。やくざの大獄院一家。それでいて、武揚会では重鎮の一人。大したもんじゃねぇか」
「それを承知で家探しなんかすれば、お役人様の御身に色々と差障りが出るんじゃないでしょうか」
「おい、三下。誰を脅してんだ? 逸撰隊の善童鬼とは俺の事だぜ」
「善童鬼? 初めて聞きますよ」

 だろうな、と思いつつ甚蔵は苦笑した。最近つけられた渾名で、まだ売り込んではいないのだ。とすると、善童鬼という名を初売りするには、ちょうどいい機会かもしれない。

「まぁいい。それで、どうやったら仙右衛門に会える?」
「いきなり現れてすぐに会えるほど、うちの親分は安い男じゃありませんよ」

 兄貴分が一歩踏み出す。威嚇するような眼光を向ける。吐息がかかる距離。甚蔵は動じずに、男を睨み返した。

「お前さんにとってはそうだろうが、俺にとっては違うなぁ」
「お役人さん、親分を軽く見てるんですかい?」
「会った事もねぇのに、軽いか重いかわかるかよ。男の価値ってもんは自分の眼で決めるもんさ。他人様の評判で測るほど、俺は軽くねぇよ」

 すると、兄貴分が笑いだした。

「善童鬼の甚蔵様。気持ちのいい啖呵だ。いいでしょう、あっしは野火のび市助いちすけと申しやして、親分の下で若衆を纏めておりやす」

 市助という男は、視線を逸らさずに頭を下げた。

「代貸さんか。それで?」
「今は本当におりませんのでお引き取りを。今夜にも、屯所の方へご連絡差し上げますので」

 甚蔵は少し考えて、「わかった」と答えた。

「ただし、屯所じゃねぇ。浅草六軒町に〔菊屋〕という蕎麦屋がある。そこに遣いをくれ」
「へい。菊屋ですね」
「ああ、待ってるぜ」

 甚蔵は、踵を返すと片手を挙げて屋敷を出た。
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