彼が愛した王女はもういない

黒猫子猫

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カイゼルの王女様

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 カイゼルはそう言うや否や、シュリの腕を掴み、自分の膝上に抱き寄せた。背に腕を回して逃れようとする彼女を抑え込み、自分の上に向かい合わせで座るように強いる。

「なに⋯⋯するの⋯⋯っ貴方⋯⋯酔ってるわね!?」

 そうでもなければ、カイゼルが自分にこんな真似をするはずがない。シュリが頬を染めて詰ると、カイゼルは冷笑した。そして、枕もとに転がっていた酒瓶を取り、口で栓を開けた。

「お前も飲むか」
「え⋯⋯っ?」

 戸惑う間にも、カイゼルは瓶に直接口をつけて酒を口に含んだ。そのまま抱き寄せられて、シュリは身体を突っ張らせたが、彼の方が力が強い。
 昔は喜んで額にキスをされていたが、今は違う。
「いやっ!」
 シュリは短い悲鳴をあげたが、無駄な抵抗に思えた。すると、ごくりと彼が喉を動かし、飲み干した音がする。目を見張り、恐る恐る見返すと、カイゼルは冷たい笑みを浮かべていた。

「口移しで、いきなりされると思ったのか? ――そんなもったいねえこと、しねえよ」

 そう言うと、今度は直接瓶に口づけて、一気に飲み干した。
 自分にやる酒は無いという事だろうが、それにしても心臓に悪いと、シュリは思った。

 唇の端から雫が滴り落ち、なんだか艶めかしい。相当酔っているらしく、カイゼルの頬はまだ薄っすらと赤かったが、シュリは自分がその倍は赤くなっている気がした。

「いらないんだろう?」
「えぇ⋯⋯」

 お酒の匂いがして嫌だ。でも、カイゼルから仄かに薫る甘い香りは、くらくらする。そんな事を考えながら、彼を見返すと、情熱をはらんだ瞳が向けられた。

「可愛すぎるだろ⋯⋯なぁ、俺の王女様」

 一気にシュリの頭が冷えた。
かなり酔っているとは思ったが、あろうことか、彼は想い人と自分を見誤っているのだ。涙がこみ上げそうになって慌てて顔を背けると、カイゼルは口元に暗い笑みを浮かべた。

「相変わらず、意地っ張りだな」

 小さく舌打ちすると、カイゼルはシュリの背に腕を回して抱き寄せ、自身の身体を捻って、彼女をベッドに押し倒した。我に返ったシュリが慌てて抜け出そうと上に身体をずらしたので、すかさず追いかけて、今度は両手の手首を掴み、ベッドに縫い付ける。
 カイゼルの目は、まるで獲物を狙う獰猛な獣そのものだ。

「なにをされるか、分かるな?」
「⋯⋯っだ、だめよ! 子ができてしまうわ!」

 シュリは必死で訴えたが、途端にカイゼルの目がギラリと光り、気配が一気に不穏なものになる。口角がゆっくりと持ち上がった。

 ――え。わたし、なにかまちがったこと⋯⋯いった?

「良いことを聞いた」

 カイゼルはまだ諦め悪く拒もうとするシュリを見つめ、身を屈めると、彼女の額に口づけた。
「あ⋯⋯」
 幼い頃、何度もされた行為だった。それをされると、シュリは弱い。

 額から、鼻の頭へ、両方の頰にも勿論触れて、最後に唇の端に軽く触れられる。
 そして、ゆっくりと離れていく彼を目で追って、縋った。
 シュリを長年捕えて離さない優しい目が、ふっと細められる。

「今度はどこにさせてくれる?」

 再び、カイゼルの唇が落ちてくる。その先がどこか理解したシュリの頬は赤く染まり、だが、彼は触れるか触れないか分からないくらいの距離まで来て、止まってしまった。

「最後までするぞ、いいな?」

 これ以上いじめると本気で泣かれると気づいたカイゼルは、今度は徹底的に甘やかしにかかる。
 髪を撫で、額や瞼にキスを落とし、できるだけ優しい声で囁く。彼女の慰める間とやり方を察知した男の、変り身の早さは実に効果的だった。
 シュリの頬が赤く染まり、蕩けるような柔らかな眼差しを彼に向けた。無論、カイゼルは見逃さない。

「お前に触れるのは、俺だ。⋯⋯怖くないだろ?」

 シュリは小さく頷いて、カイゼルを受け入れてしまった。


 行為を終えて、シュリはカイゼルの腕の中で微睡んだ。そんな彼女を包み込むように抱きしめて、カイゼルは額にキスを落とし、次いで唇にもそっと重ねた。
 シュリが僅かばかり応えてくれたのに安堵して、また抱きしめる。

「これからも⋯⋯俺と一緒にいるよな?」

 彼女の答えはない。夢の中へと落ちていこうとしているのが分かり、堪えきれずに名を呼ぶと、また薄らと目を開けて、小さく頷いた。

「⋯⋯よかった」

 心底嬉しそうな声は、朦朧もうろうとするシュリの耳に届いていた。

「ずっとだぞ」

 見上げれば、カイゼルは子供のように無邪気に笑っていた。
 自分を拾ってくれた時と同じ笑み。迷いのない真摯しんしな眼差しだった。あの日のように優しく、それでいて強く抱きしめられて、シュリは涙が出そうになって、そのまま目を閉じた。


 翌日、夜が明けきらない内に、シュリは目を覚ました。カイゼルは傍らで深い眠りに落ちていて、起きる様子はない。シュリは彼の腕の中からそっと抜け出して、身体を起こした。
 白い素肌の至る場所に、カイゼルの独占欲の証しが刻まれていて、シュリは頬を染めた。そして、カイゼルを見つめ、目を潤ませた。

 カイゼルの手の甲に、竜紋が現れていたからだ。

 ――――⋯⋯カイゼル。貴方は私の番なのよ⋯⋯。

 シュリは、飛竜ひりゅうだった。
 時を同じくして生まれたきょうだいも数頭いた。シュリは最後に産まれたこともあってか、一番身体が小さかった。餌を与えられても他のきょうだいに押され、ずっと小さくて痩せていた。

 母竜は次第にシュリに餌も乳も与えなくなり――――やがて、森に捨て去った。

 竜は時に子を見捨てる。大勢の子を産んだ時など特にその傾向が著しい。生き残る可能性が高い子供への世話を優先するのだ。
 そのまま弱って死ぬのを待つばかりだったシュリは、カイゼルに拾われた。彼はまだ十歳だった。

「お前は本当に可愛いな、シュリ」

 カイゼルは、両親を説得してシュリを保護し、深い愛情を注いでくれた。家族に見捨てられたシュリは、彼の優しさと温もりに、どれほど救われたか分からない。

 いつしか、シュリは彼に恋をしていた。

 自分は竜で、彼は人間。叶わない恋だと分かっていた。言葉を直接交わすこともできず、色々な想いを抱えても中々伝わらない。

 それでも、シュリはカイゼルの傍にいたいと願った。

 だから、彼が王国の騎士になる時、シュリもまた一緒に軍隊に入った。彼の祖国は、飛竜を従えて戦力としていたからだ。軍にいた飛竜達は知能が低く言葉を交わせないか、もしくはシュリよりも力の強い飛竜ばかりだった。

 竜の子供の身体はあっという間に大きくなるが、成人してもシュリは小さいままだ。竜語を使える知能はあったが、さりとて身体は小さくて弱い。軍の中でシュリは中途半端な存在で、どうしても浮いた。
 シュリが軍属になる事に対してずっと難色を示していたカイゼルは、他の飛竜達から除け者にされているのを見て、追い返すのを諦めたようだった。

「俺がずっと一緒にいるからな」

 そう言って、いつもの優しさでシュリの孤独を埋めてくれた。彼のために出来ることは、なんでもやろうとシュリは胸に誓った。

 自分の想いは届かなくても、カイゼルが生きて、幸せでいてくれるだけでいい。

 日々悪化する戦況を感じ取り、彼が傍に仕えるようになった王女と仲睦まじく話し込んでいる姿を見て、シュリはそう思うようになった。成長して、人化できる力を手に入れても、それは変わらないはずだった。

 ただ、彼に求められた時、シュリは狂おしいまでの激情に襲われた。カイゼルが欲しいという事ばかりが頭を占め、どうにも我慢できなくなったのもそのせいだろう。
 自分の番だという確かな証を前にして、シュリは深く苦悩した。

 身体を重ねてしまった事で、彼の愛情に飢えていると自覚していた。本能的にも、カイゼルが他の人間と睦みあう姿が、どうしても許せなくなっていくだろう。もしも彼が今なお大切に思っている王女に、危害を加えるような事をしてしまったら――。

 想像しただけで、恐怖のあまり震え出し、シュリは涙が止まらなくなった。

 明け方近くになった頃、カイゼルは目を覚ました。
 寝ぼけ眼でぼんやりと空を見つめ、ふと自分の手の甲に見慣れぬ紋様が現れているのに気づき、一気に目が覚めた。
 そして、素早く周囲を見回して跳ね起き、寝台に自分一人しかいないことを確かめると、見る見るうちにカイゼルの顔色が変わった。

「おい⋯⋯約束しただろ」

 カイゼルが愛した彼女は、どこにもいなかった。
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