辺境の娘 英雄の娘

リコピン

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第一章 

7-4.

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7-4

闇が深まる中、帝都にある侯爵家のタウンハウスへと馬車を急がせる。屋敷に近づくに連れて、窓に灯りが点るのが見えた。その灯りの、常には無い数の多さに招かざる者達の来訪を予期する。

手も借りずに、馬車から飛び降りるようにして玄関のステップに足をかければ、見計らったように内から開く扉。現れた、侯爵家に長年勤める執事の顔を見て、予感が確信に変わる。

「…叔父様が来ているのね?」

「はい、ご一家で見えられています。…ユニファルア様がお帰りになり次第、部屋まで来るようにとのお言付けです」

「わかりました。支度をしてすぐに向かいます。叔父様にそう伝えて」

「畏まりました」

男が戸惑っているのはわかっているが、今は説明している時間がない。自室に戻り、手を借りずに着替えを済ませてしまう。

あと少し。私達の人生をこれ以上好きにはさせない。そのためには、ここで下手をうつわけにはいかないのだ。気を引き締め直し、叔父の部屋の扉を叩く。





「とんでもないことをしでかしてくれたな、ユニファルア」

先代侯爵の弟、自分の叔父である男の顔には、隠しきれない喜色が浮かんでいる。子爵位を持ちながらも、兄無き後の侯爵位を虎視眈々と狙っていた男。

「報告は受けている。私の目が届かぬからと、ずいぶん好きかってしていたようだな」

―あなたが、それを言うのか。女であり、侯爵位を継ぐことのできない姪の後見におさまって、専横を振るおうとしてきた男が。領地経営を私腹を肥やすことだと勘違いした男に、どれだけ煮え湯を飲まされてきたことか。

「何にしろ、貴様の当主代理としての権利は全て剥奪された。今日からは私がレイド侯爵だ」

恐れていた通り、最悪の結末。

シヴェスタが『両家の承認を得ている』と言った時点で、こちらが完全に後手に回ってしまったのがわかった。後見人に―当主代理である私を飛び越えて―侯爵家としての権利は与えられない。つまり、既にあの時には、裁定を行える立場、侯爵位についた者がいるということ。

そして、レイドにとっての不運は、その立場に最も近かったのがこの俗物しかいなかったことだろう。

全く、なんと言う仕事の早さ。侯爵位の継承には、恐れ多くも、皇帝陛下の勅許が必要なのだ。さすが、軍と政治のトップを身内に持つ方達の力は恐い―シヴェスタの援護に立っていた男達を思う。

「セウロン家と貴様との婚約も破棄された。当然だな。貴族令嬢とは思えない醜態をさらしたんだ。まぁ、セウロン家にはカシアナを代わりにやれば問題ない」

何かと突っかかって来ていた同い年の従妹の得意げな顔が浮かぶ。

「お前は、サイジリア侯爵に嫁げ」

皇帝陛下の信任厚い、老獪ろうかいな政治家の顔が浮かぶ。確か、五人目の妻と死別したばかりだったろうか。

「妹の方はまだ10だったか。すぐには難しいが、ただ飯を食わせてやる義理もない。さっさと片付けてしまうか」

「…叔父様、」

「口答えをするな。貴様の意見など聞いておらん。決めるのは当主である私だ。貴様も侯爵家の人間なら家の役に立て」

言葉が胸に突き刺さる。役に立ちたかった。レイドのために生きると決めていた。だけど、たった一つ、譲れないものがあるから―

「…では、私達は侯爵家を出ます」

「ハッ!何を言い出すかと思えば。この家を出て、貴様らに何ができる?どうせ、のたれ死ぬだけだ」

「かまいません」

「っ思い上がった小娘が!いいだろう!ならば今すぐ出ていけ!金輪際、レイドの名を名乗るな!姉妹揃ってどこぞでのたれ死ぬがいい!可哀想にな!お前の我が儘で、妹は死ぬんだ!」

「っ!」




自室で持ち出すものをかき集め、妹の部屋の扉を静かにあける。そろりと部屋に滑り込めば、上半身を寝台の上に起こしたリリアージュと目があった。

「…ねえ様」

聡いこの子のことだ。突然の叔父たちの訪問に思うところがあったのだろう。大体、彼らがこの子をどう扱ったかなど考えなくともわかる。眠ることもできずに私を待っていたのか。もっと早く来てあげれば良かった。寝台に近づき、まろい頭をそっとなでる。

「リリィ、聞いて。私達はこの家を出ていくことになったの」

「領地に帰るの?」

「…違うわ。ごめんなさい。詳しい話をしてあげたいんだけれど、今は時間が無いの。あとでちゃんと話をするわ」

今は頭に血がのぼっているが、冷静になったあの男の気が変わらないとも限らない。駒としての私達にはまだ利用価値がある。監禁でもされてしまう前に逃げ出さなければ。

「直ぐに出なければならないの。歩けるような服に着替えてくれる?出来るだけ、目立たない服ね」

「…わかったわ、ねえ様」

日も落ちた、こんな時間に家を出ることに不安はあるだろうに。こちらの意を酌んで動いてくれる妹のいじましさ。

思えば、両親を幼くして失い、姉である私は自分のことに精一杯で傍にいてやることもままならず。この子が子どもでいられた時間は
あまりにも短かった。

彼女の荷物をまとめながら、目頭が熱くなり、張りつめていたものが切れそうになる。

「ねえ様、これでいい?」

「っ!」

未だダメだ。あの男の手が届かないところまで。この子を守るためにも。

「いいわ。荷物もまとまったし。…行きましょう」

「うん」

大人しく従う妹の手を引いて、降り始めた雨の中、屋敷を後にする。門を抜けたところで、振り返った。結局守りきれなかった家、支えてくれた人達。

―ごめんなさい。私はこの手にある温もりだけは失いたくない。力を持たない私には、この子を守ることが精一杯だから。後は全部ここに捨てて行く。

万が一のための少量の現金は持ち出せたが、これからのことを考えると切り詰めなければ。馬車は使えない。雨に体温を奪われながらも歩く。

「ねえ様、どこに行くの?」

「そうね。今は夜だから、取り敢えずどこかに宿をとりましょう?あれこれするのは、明るくなってからね。まずは、二人で住む家を見つけないといけないかしら?」

「…大丈夫なの?」

「ふふ。心配しないで。少しだけどお金があるし、宝石もいくつか持ち出せたから。それに私は字も書けるし、計算もできる。商家にでも雇ってもらえれば、二人でも生きて生けるわ」

意識して口角を上げて微笑めば、妹の頬もわずかに緩む。思い描く生活は、果たして夢物語に近く。

それでも、この子だけは幸せにすると決めている。例えこの身を売ることになるうとも―何の力も持たない女があがなう手段など限られている―この子を守るのに手段を選んでなどいられない。

「ああ、でもそうだ。リリィ、その前にちょっとだけ寄りたいところがあるんだけど、いいかしら?」

「?うん」

恐らく無駄足になるだろう。雨の中、リリィを連れてこんなことをしている場合ではない。それでもどうか、最後にあなたに一目会いたい。そしてどうか許して欲しい、弱い私の最後の甘えを―




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