辺境の娘 英雄の娘

リコピン

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第二章

6-3.

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6-3.
 
「離せ!会わせろっつってんだろ!」

ヴィアンカの個室へと続く廊下、引き留めようとする副官を力付くで振り払う。

結局、シャドウウルフを殲滅させ、城壁の外の魔物も粗方片付けたはいいが、討伐の責任者として城塞を離れることはできなかった。

彼女の元に増援を送った後は、じりじりとした気持ちでその帰還を待つしかなく。戦闘の後処理に追われる中、届いた『帰還したヴィアンカが怪我をおっている』という報告。

その場で指揮を秘書官に押し付けて彼女の元へと走った。居るはずの医務室にたどり着いても、そこに彼女の姿はなく、副官から告げられたのは―

「落ち着いて下さい!ヴィアンカ様はお部屋で安静にさせたいと!ホーンから報告がありました!」

「怪我してんだろーが!何で医務室で治療受けてねえんだよ!?」

胸を焦燥がこがす。一目彼女を見て、その無事を確認しなければ。息さえ上手く出来ない。

「ヘインズが治療するそうです!だから、回復するまでは部屋に籠るので、近づかないで欲しいと!」

「何でだよ!?無事か確かめるだけだろが!」

怒鳴りつけ、ダグストアを振り払ってたどり着いた部屋の扉の前、異変を感知する。

「結界?」

部屋への侵入を拒むそれに、怒りが膨れ上がる。

「っざけやがって!」

感情のまま、膨れ上がった魔力の奔流を叩きつける。解除の技巧も何もなく、ただ力任せに結界を砕いた。手を伸ばし、扉を開く―

「!」

目の前の光景に息をのんだ。思考が追い付かずに、ただ茫然と立ちすくむ。

ベッドの上、上掛けの下に横たわるヴィアンカ。その蒼白い顔を抱え込むようにして横になっているのは―ヘインズ?―その肩まで露になっている少年。二人は、何も身に纏っていないようで―

「ヂアーチ大隊長」

ベッドの横、椅子に腰掛け、ヴィアンカの手を握っていた男が近づいて来る。ヴィアンカから目を離せずにいると、視界をその体で遮られた。
 
「ヴィアンカ様は大丈夫です。ヘインズが治療しますから」

「…何故、軍医に診せねえ?」

「…」

普段から口数の多くない男が押し黙る。

「…どんな魔術かは知んねえが、あれで治療になんのか?軍医に診せて、」

「あんたが言ったんだろ?」 

高さのほとんど変わらない視線が、真っ直ぐに見据える。

「ヴィアは絶対に死なせない」

「!」

「だから、黙って見守ってて欲しい」

そう言って頭を下げる男に、拳を握りしめる。この男達も己と同じ、彼女の身を案じ、護ろうとしている。悔しいが、彼女を一番知っている彼らが、最良の手段だと言っているのだ。

「…ヴィアンカの目が覚めたら報告しろ。…覚めなくても明日の朝には一度俺の所へ来い」

「了解しました」

返事を聞いて、部屋を出た。律儀に控えていた副官を連れて、執務へと戻る。何か言いたげな部下に、しかし口を開けばこの胸に煮えたぎる苛立ちをぶつけてしまいそうで。





自室の窓から空が白むのを眺める。

ヴィアンカの部屋を追い出された後、執務室に戻ってがむしゃらに仕事を続けた。大攻勢の後始末、仕事はいくらでも降って来たが、何も考えたくない身には、却って有り難い。それでも日が落ち、月が高く上がる頃にはその執務室も追い出されてしまった。

身体は疲れているはずなのに、一向に眠りが訪れない。朝焼けの中、ぼんやりと浮かぶのは、血の気の引いたヴィアンカの顔で、同時に彼女を抱いていた男までも思い出す。

当然の権利のように彼女に触れる男。それが治療行為なのだとしても―ギリギリと胸が締め付けられ、男への嫉妬に怒りが爆発しそうになる。

―嫉妬。認めてしまえばこんなにも明白な感情。他の男が彼女に近づくことが許せない。己の近づけない彼女に―

いつかも感じた独占欲。彼女に、ヴィアンカに触れるのは、俺だけでいい―

朝焼けに染まる部屋に、ノックの音が響く。

「入れ」

「失礼します」

返ってきた声に、上着を引っ掻けて扉に向かった。開いた扉に現れた男を外へと促して、廊下を歩き出す。

「目ぇ覚ましたか?」

「いえ、未だです」

ホーンの返事に焦燥が募る。ヴィアンカが意識を失ってどれくらいだ?

「まだヘインズが治療続けてんのか?」

「いえ、あいつももう魔力切れなので。魔力が戻るまでは自然治癒に任せるつもりです」

「…それで大丈夫なのか?」

躊躇った末、男から返事が返ることはないまま、ヴィアンカの私室へと着く。寝ている彼女を思い、そっと扉を開いた。

部屋の中、変わらず血の気の失せたままのヴィアンカ。意識の無い彼女の手を、今はベッド脇の椅子に座るヘインズが握っていた。振り向いた少年の視線と睨み合う。

「…リュク、何でその男をつれて来た」

「レイ、お前はもう休め」

「嫌だ」

フイと視線を反らした少年は、ヴィアンカの手を両手で握りしめている。意識の無い顔を不安気に覗き込み、唇を噛む。

「このままでは、お前も倒れる。それに、今の俺とお前ではヴィアの助けにはならん」

「っわかってるけど!」

手を離すのは恐いんだ。そう言って一層、握りしめる手に力が籠る。

「…ヂアーチ大隊長、貴方に頼みがある」

「何だ?」

少年の説得を諦めたホーンが、今度はこちらを振り返った。

「何も聞かずに、ヴィアンカ様の手を握っててくれませんか?」

「!?リュク!」

ヘインズの抗議の声を無視して、ホーンが頭を下げた。

「それだけでいいのか?」

「!誰が貴様などに、ヴィアンカ様に触れさせるか!」

手を握る、それだけで何になるというのかは正直わからない。だが、それが彼女のためになる、そして、それが己に可能なことだと言うのなら―

「どけ、ヘインズ」

「ふざけるな!」

彼女の守護者たらんとする男に腹が立つ。

「どけよ、くそがき。俺は、ヴィアンカを護る立場を他の野郎にくれてやるつもりはねえんだよ。そこは、だ」

「何を言っている!貴様に何が出来ると!」

指をくわえて見てるだけなんてのは、もうごめんだ。

「何だってしてやるよ。俺に出来ることがあんだろ?必要だってんなら、命だってくれてやる」

「!?」

見開かれた目が、じっと己の目の中に何かを探す。

「…レイ」

ホーンに促されて、ヘインズが今度は大人しく立ち上がった。

「ヂアーチ大隊長、違和感があるかもしれないが、なるべくヴィアの手を離さずにいて欲しい。俺かレイの魔力が回復したら戻る」

「わかった。マイワットかダグストアに俺がここに居ると伝えといてくれ」

頷くホーン。何度もこちらを振り返るヘインズの背を押しながら、部屋を出ていった。

静寂に包まれた空間、カーテンの閉ざされた室内は薄暗く、ベッド脇に置かれた照明の灯りが微かに揺れている

ベッド脇の椅子に腰掛け、上掛けの上に置かれた細い手を持ち上げた。ヒヤリとした温度に不安を覚え、両手で包み込んで熱を与える。

意識の無い人形のような顔を見つめれば、次々と後悔が押し寄せる。このまま、目を覚まさなかったら。何故、あの時行かせてしまったのか。魔人に対する備えをもっと何か。

当然のように飛び出していったヴィアンカ。命を投げ出すような決断を平然と下した彼女に恐くなる。この女は、簡単に死んでしまうのではないか?

己には、彼女を止める力も、彼女を護る権利も無い。二人の間には、何かを成せる、そんな関係など何もないのだから―

「…早く、戻ってこいよ」

握った手を、己の額に押し付ける。無くしたくない温もり。その手のひらに唇を押し付ける。閉じたままの目蓋に、冷たい頬に、血の気の失せた唇に。還ってこい―思いを込めて、口づけを落とす。



結局、その日一日をヴィアンカの部屋で過ごすことになった。執れる政務はダクストアを使って片手で行い、後は、様子を見に来るホーンに短い時間その場を譲ってこなすことで、何とか一日を終えようという頃。

どういう仕組みかはわからないが、いつの間にかヴィアンカの治療に消費していたらしい己の魔力が尽きかけ、ホーンが交代のヘインズを呼びに行ったところで―

「!」

わずかに震えた目蓋。覚醒の気配を感じて、その表情を見守る。一度、二度、睫毛の向こう、薄く覗いた紅玉がまたたいて―

呼び掛けようとして、開こうとした唇が震える。頬を温かいものが流れた―

「…よお、ヴィア。お前、ちょっと寝過ぎじゃねえか?」





ヴィアンカが目を覚ましてからわずか1日。直ぐに立って歩けるまでに回復した彼女は、その任務の終了を告げて、帰還の途へ就こうとしていた。

「世話になったな」

結局、あの後部屋に飛び込んできてせっせと彼女の世話を焼き始めたヘインズのせいで、ヴィアンカと二人になることは出来なかった。

転移の間、別れを告げて、さっさと飛んでいこうとするヴィアンカに伝えたいことは山ほどあるというのに。彼女の潔さ、名残惜しさなど微塵も感じられないその態度に何も言えず。結局、ただ別れの言葉を返す。

「ヂアーチ大隊長」

「…何だ」

最後まで番犬のようにヴィアンカにへばりついていたヘインズに話しかけられる。

「ヴィアンカ様の回復が想定より大幅に早かった。貴方、ヴィアンカ様に、手を握る以外のことはしていないでしょうね?」

「…」

鋭い視線は真実を知っているように見えるが、ヴィアンカの前で認めることは出来ない。

「まぁ、いいでしょう。回復が早かったのは重畳ちょうじょう。今回は不問にしておきましょう」

最後まで生意気な態度に、さっさと行けと、少年を手で払う。転移陣の上、ヴィアンカの隣に並んだヘインズが振り向いた。

「ああ、そうそう。貴方、勘違いしていたようですから、一つだけ訂正を」

ニヤリと浮かぶ、人の悪い笑顔。

「私は『野郎』ではありません。女です」

「!?」

言いっぱなしで空間の向こうに消えた姿を唖然と見送る。慌てて背後を振り返れば、ダグストアが呆れたように肩をすくめる。

「まあ、薄々は。声も高かったですし。男所帯だから性別隠してるのかな、と」

横では秘書官が同意を示して頷いている。

―では、何か?俺は、女に嫉妬してあんな無様な真似を

あまりの羞恥に頭を抱える。己の所業を思い出して身悶えていると、副官の声がかかる。

「それで、ラギアス様はどうするつもりなんですか?」

「…決まってんだろ」

これで、終わりではない。居なくなるというのなら、追いかければいい。まだ、終わりにはさせない。

「とりあえず、とっとと後始末終わらせて、帰んぞ」

己の責務は果たす。帝都への報告が済んだその後は、そう、休暇を取るのも悪くない。ずっと続いた連続任務の後だ、多少の我が儘は許されるだろう。まあ、一部、迷惑をかけることになるかもしれないが。ダグストアに視線を送る。

「何すか?」

「…いや」

頼れる副官もいることだ、何とかなる、してみせる。あの時のように、簡単に去って行けると思うな。今度は、逃がさない―




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