辺境の娘 英雄の娘

リコピン

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第三章(最終章)

7-1.

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7-1.

事件が起きたのは、帝都での挨拶回りも済ませ、もう何時でも辺境への帰還が叶うというとき。

すっかり馴染んだ宿の一間。ラギアスと帰郷の手順について話をしていたところに、先日の夜会でわだかまりを残して別れたマクライドと、その友人の魔術師が飛び込んできた。

取り次ぎも無しに押し入った彼らの鬼気迫る様子に、サリアリアの身に何かが起きたのであろうことがわかった。

部屋の中を見回す男の顔にはやがて落胆が浮かび、後ろめたい表情へと変わる。

「何があった?」

問いに答えないマクライドの代わりに、傍らのディノールが口を開いた。

「久し振りだね、ラギアス。それと、ヴィアンカ嬢、ってもう嬢じゃないのか。話には聞いてたけど、本当に結婚したんだ、二人」

「…減らず口はいいから、さっさと用件を言えよ」

「ちょっとそんな恐い顔しないで!いきなり押し掛けたのは悪かった!」

「サリアリアに何かあったんだな?」

ディノールの顔が歪む。

「…サリアリア、居なくなっちゃったんだよね。あちこち探してるんだけど、もしかしてここかな?って思って」

「…誘拐か?」

マクライドの肩がビクリと震えた。

「それが、良くわかんなくって。サリアリアってああだから、一応、自衛もしてるし、護衛とか御守りとかもしっかりつけてたんだけど」

「…私が仕事に出ている間に家から姿を消した。家の警備は万全だ。誰かが押し入ったとは考えにくい。だが、自分から出ていったとすれば…」

「それは、サリアリアを見つけてから聞けばいいでしょ。彼女の安全を考えて、今は彼女を見つけ出すことを優先しないと。と言っても心当りは全部回っちゃったんだよね。ここが最後」

―これが、サリアリア一人のことならば放っておくこともできるのだが

脳裏にあるのは夜会で見かけた男。万が一の可能性を無視することも出来ず、

「ディノール…バルバラ・アメルンとは今でも付き合いがあるか?」

「え?誰?」

「以前のサリアリアの誘拐事件。証拠集めに協力してくれた女子学生がいたはずだ」

「え!?何でそんなの知ってるの!?あ!ラギアスから?」

ディノールがラギアスを振り向くが、ラギアスは不機嫌に返すだけ。

「それは今はいんだよ。で?付き合いはあんのか?」

「え、いや。彼女とは卒業以来会ってないよ。でも、それが、」

ディノールからの線は途切れた。では、ヘスタトルに連絡をとって、渡りをつけてもらうか?いや、それでは流石に時間がかかり過ぎる。他に誰か―

「…マクライド、クレスト・ハインシュタックと直ぐに連絡はつくか?」

「クレスト?…それは可能だが、彼が、」

「直ぐに連絡をとれ。どこかで彼に直接会いたい」

「しかし、」

不信があるのだろうが、マクライドの動きは鈍い。

「サリアリアを助けたいのだろう?ならば動け、直ぐに」

「!」

決断出来ぬまま硬直するマクライドに、ラギアスが嘆息して立ち上がる。

「…この時間、クレストは宮殿で執務中だろ?なら、向かいながら連絡をとったほうがいい」

その言葉に―決断したか―マクライドが弾かれたように部屋を飛び出した。





通された宮殿内の執務室。訪れた面子の組み合わせが意外だったのだろう、しばらくマクライド達とこちらの顔を見比べていたクレストの瞳にやがて理解の光が点る。

「緊急事態のようですね。…サリアリア夫人、ですか?」

「彼女が拐われた可能性がある。単刀直入に言おう、」

眼鏡の奥、研ぎ澄まされた黒を見据える。

「『影』と繋ぎはとれるか?」

「…どういう意味でしょう?」

いっそなんの反応も示さないその胆力には感嘆するが、今は時間が惜しい。

「サリアリアには影の監視がついているはずだ。彼女が消えた件についても、何か報告があがっていないか確認して欲しい」

「待て!サリアに監視だと!?」

「そうだ。彼女は英雄の娘だぞ?産まれた時から国の監視下にある。現に、前回の誘拐事件についても、貴方達に知らせたのは影の者だろう?」

「ちょっと待ってよ!前回って、あの時は、サリアリアが居ないって同じ寮の女の子が…!?」

男の脳裏に浮かんだであろう、女の名を告げる。

「…バルバラ・アメルン」

「!」

息を飲んだのはディノールの他にもう一人、やがてゆるゆるとそれが吐き出される。

「…そこまで、ご存知なんですね」

諦めか、認めはしたが、そこから先は言葉が続かない。彼の立場としては当然だ。例え、サリアリアの身がかかっているとしても、影とは個人が容易に動かして良いものではない。ならば、仕方ない、もう一押しだ。

―出来るなら

出来ないとわかっていて自嘲する。浮かぶのは愛しい赤眼、彼が傷つかなければいいのだけれど。

「六年前」

「!」

「六年前の罪滅ぼしだと思え。無実の人間に罪をきせ、その未来を奪うことで国の安寧を図らんとした、その罪を」

「っ!」

男の瞳が初めて揺らぎ、心の動揺を伝える。しかし、情に訴えるだけではダメらしい。

―何も感じていない訳ではないだろうに

大切な者の身を案じ、罪の意識を感じて、尚、拒絶できる―国の重石たらんとする者には必要な―ある種の強さ。

「…私が北の、ヘスタトル・ダーマンドルの庇護下にあることは知っているな?くだんの証拠も揃っている。知らぬ存ぜぬを通すつもりなら、北との全面戦争を覚悟されよ」

「!?馬鹿な!」

「何と言われようと。その馬鹿を通すのが、私の流儀なれば」

ヘスタトルに露見すれば、確実に厳しい叱責を受けるであろう、力押しの大博打はったり。こんなことで、現実に領軍を動かすわけにはいかないが。

―それでも

脳裏をよぎる万が一に、賭けた。

男の逡巡が伝わる。長い沈黙の後―

「…わかりました」

詰めた息が吐き出される。

「連絡を、取ってみましょう」

クレストが伝書用の紙に何事かを書き、半透明の蝶を模した魔術で宙に飛ばした。

「情報があれば、すぐに返って来るはずです」

「感謝する」

「…クレスト。お前、知ってたのか?ヴィアの無実をよ」

「…それは…」

ラギアスの詰問に、クレストが言い淀む。

「よせ、ラギアス。クレストが宰相補佐になったのは、二年前か?恐らく知ったのはその時だ。事件当時は知る由もない」

「…彼女の、言う通りです。影の存在は知ってはいましたが、当時は思いつきもしなかった」

「ちょっと待ってよ。さっきからの話を聞いてるとさ、六年前の事件はヴィアンカが犯人じゃなかったってこと?」

困惑するディノールが問う。

「…ヴィアは無実だ」

「じゃあ!誰が犯人だったって言うわけ!?だって、あんだけ証拠も…」

ディノールの言葉が途切れる。言葉を継いだのはマクライド。

「帝国の影、皇家か…」

「…あなた達に明かすつもりはなかったんだがな。クレストが強情だったせいと、今後、同じような事態を想定して、マクライドは影の存在を知っておくべきだろう」

己の言葉に、男達に重い沈黙が広がった。しばしの後、クレストが―恐らく、職務に付随する情報として入手した―過去の事実を補足する。

「…前回は、平民である彼女が人心を集めすぎたことが、皇家を刺激しました。しかし、今回は何の予兆もない。誘拐だとして、動いたのは皇家ではありません」

彼の言に、各々が思案にふける中、半透明な蝶が戻ってきた。止まった紙の上、蝶が溶けて文字が現れる。クレストがその文字を目で追っていく。

「…一刻ほど前、べブスファーの屋敷を男が尋ねたそうです。彼女はその男と連れ立って出掛けたと。無理矢理、力尽くということはなかったようですが…どうやら男の馬車で帝都を出てしまったようですね」

「馬鹿な!帝都を出ただと!?…しかも、サリアの意思で出ていった?いやしかし、家に訪問者があったとは聞いていない」

「何らかの魔術を使って呼び出したようですね。男が屋敷の外に立って暫くしてから、彼女が急いで現れたとあります」

「家には耐攻撃魔法と転移阻害の結界が張ってある。伝書系統の魔術も登録者以外のものは通さない…音や光で何らかの合図を送った?」

―或いは、魔力そのもの

サリアリアの行動が、『万が一』の可能性を高めた。

「…その男の特徴は?」

「十代から二十代、男性。背は夫人より頭一つ高し。細身。濃い茶の髪を後ろで一つ結び。瞳は赤」

ラギアスと目が合う。

「…あん時の男か?」

「確証はないが、髪の長さや背の高さ、体型は合う。さすがに髪色や目の色まではわからなかったが」

問題は、その男の目的。

「その後の足取りは?」

「西門から帝都を出たところで追跡を終了。影の活動範囲は帝都内に限られます。重要性も低いと見て、門を出た時点で報告のみで終わったのでしょう」

「馬鹿な!サリアが危険に晒されているのかもしれないんだぞ!」

「影の役目はあくまでサリアリア夫人の監視。皇家の指示無しには、彼女の行動に干渉もしないし、彼女を護ることもしません」

影で追えるのはここまでか。

「馬車は?どこの所有だ?」

「門衛が『ホロン商会』だと確認しているようですが、聞いたことがありません。どなたかご存知の方は?」

クレストの視線に、皆一様に首を振る。

「建国祭と言うこともあり、帝都に入る際の検問は常より厳しいくらいなのですが。その分、出ていく時はほとんど素通りと言ってもいい」

門から外となればその範囲は広大。闇雲に手をのばすわけにはいかない。手がかりは、影の情報から浮上した一人の男の存在。

―かつて、ヘスタトルとその可能性について語ったことのある存在

ずっと燻っている、漠然とした疑念がぬぐいされない。

「…クレスト、今日までの帝都からの出門者記録はあるか?貴族籍のものだけで構わない」

「…昨日付けのものなら。本日分は、予定表ならありますが」

クレストが魔方陣の刻まれた手元の石板を操作し、現れた文字の羅列をこちらに向ける。そこに現れた名前の一覧に目を走らせる。

―見つけた

「…今日、出発の予定か」

顔をあげれば、クレストと目が合う。

「クレスト…南の、ゼクレス辺境伯が既に出立したかを調べられるか?」

「!?」

『辺境』の言葉に、場に緊張が走る。

「…伯は、皇帝陛下の客人として宮殿の客室に滞在していました。客室の担当者に確認すればわかるかと」

「頼む。出来れば、彼の随伴者の容姿の確認も」

クレストは机に置かれた魔電を取り上げ、何処かへと繋ぐ。相手と、短い言葉をいくつか交わすと、直ぐに通話を切った。

「本日帰郷予定の滞在客は、全て午前のうちに出立済みだそうです。担当者が彼の部屋で姿を確認した随伴者は三人。容姿については、記憶が曖昧なようで、自信が無い、と」

「彼の随伴者…正確な数だけでも確認したい」

「宮殿に滞在していた者ならば、一覧があります」

再び石板が操作され、新たな名簿が浮かび上がる。現れた文字列、並ぶ四つのうち、一つの名前が目に飛び込む。

―コルネルト・ハース

ああ、そうか。思い出した。

母の呆れたような笑顔と、あの男―父―の声が甦る―



―『リュクムンド』?また四神の名前?

―いいだろ?例え離れて育っても、顔が似ていなくても。魔力が無くたって兄弟だと感じられんだぜ?

―じゃあまた子どもが産まれたらどうするの?女の子だったら?

―ヴィアンカ、サリアリア。そうだな、次は四神の子ども達、月の十二神長姉ちょうしのプロトスィアか?男だったら…



そう、男だったら、

「…コルネルト、豊穣と知を司る、秋の弟神」

「!」

ラギアスが己の呟きに反応する。かつての昔話を覚えてくれていたのだろう。驚きに見開かれた目に深く頷く。疑念は確信に変わった。

「ラギアス!馬を!」

言って、駆け出す。

「領地に連れて行かれる前に確保する!相手は馬車だ!何としても追い付く!」

連れ去った目的は何か。下手をすれば、国を割る大事。

辺境に転移されてしまえば、おいそれとは手が出せなくなる。転移可能になるのは帝都から十里四方の外。到達される迄に追い付くことができれば。




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