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第三章 領主夫人、王都へと出向く
10.再試行(Side A)
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愚か者の妄言、捨て台詞と分かってはいても。
「…まったく、巫女は相変わらず…、欠片も成長していないらしい。」
言いたいだけを言い、逃げるように立ち去った背中が人込みに消えて、軽く嘆息する。この地に、あの女を喚んだ直後からしている後悔。召喚陣がもっと優れたものであったならば─
「…アンバー、口を慎め。…巫女殿のご不興を先に買ったのは私だ。元はと言えば、私の言が彼女を不快にさせた。」
「いえ、それは違います。」
ティアの叔父、この国において、かなり「まとも」な部類に入る男の言葉に首を振る。
「巫女と私は元より相容れぬ仲。…先ほどのあれも、彼女なりの私への嫌味のつもりなのでしょう。ただの負け惜しみ。マルステア卿が気になさるほどのことではありません。」
「…アンバー、先ほど、巫女殿にも伝えたが、辺境に住む者で巫女殿を敬わぬ者など居ない。私は彼女に恩義を感じている。…巫女殿を軽んじる発言を許すつもりはない。」
「…」
(まったく…)
何故こうも、揃いも揃って自分が認めた人間ばかりが、あの女に傾倒していってしまうのか。
(ガイラス然り、サキア然り…)
目の前の男にしても、ティアの血縁というだけでなく、その保有する魔力量の多さには、元より一目置いていた。武で鳴らすマルステア領の守護神たるだけのことはあると。それが─
(…救いがあるとすれば、王太子殿下だけは血迷わずに済んだことくらいか?)
それでも、巫女への過分な配慮に対しては何度か進言する破目になったが。
「…巫女殿とは…」
「?」
「…いや、アンブロス辺境伯夫妻とは、同じ辺境を治める者同士、今後も互いに助け合っていくつもりでいる。」
「…」
「アンバー、君の辺境伯夫妻への態度は決して褒められたものではない。君が今後も同じ態度を取り続けるというのなら、私は北の領主として君との付き合い方を考え直さねばならない。」
「それは…」
「君も、よく考えてみてくれ。」
厳しい表情、妥協を許さぬ男の眼差しに舌打ちが出そうになる。男の言に反するのは容易い。しかし、彼は自身の最愛が最も慕う身内の一人。幼い頃より慈しまれてきたのだという話を、ティア自身の口から何度も聞かされた。この男を敵に回せば、ティアは─
自身の抱く温もり、寄り添うティアを見下ろせば、その憂い顔が目に入る。
「…ティア?」
「…巫女様が…、マルステアへ来て下さればいいのに。」
「それは…」
想像して、思わず歪みそうになる表情を何とか堪える。目の前の男が、困ったように笑った。
「ティア。その話はもういい。益体もないことを言ったな。忘れてくれ。」
「違う、違うの。」
「ティア?」
小さく首を振るう彼女の震えが、抱き寄せた腕越しに伝わってくる。
「…だって、巫女様は東へ嫁がれたのだから、きっとお分かりになってくれるはずよ。同じ辺境の、魔の脅威に晒されてきたマルステア領の苦しみを。」
「…」
「だから、巫女様ならきっと、マルステアの窮状をお救い下さると思ったのに…」
ティアの、無垢なる魂からの言葉。叔父の治める地とは言え、他領に住まう見ず知らずの者たちにまで向けられる慈愛と哀しみ。自身には到底持ちえぬ彼女の心根の美しさが、愛おしい。
(…ティアのこの魂があるからこそ…)
自身の見えぬもの、気づきもしないものを見せてくれる彼女が側にいてくれて初めて、自分は「ヒト」でいられる。
「…ティア。心配しなくていいよ。」
「…アンバー?」
「君が案ずるようなことは何もないと言ったんだ。」
「どういうこと?…アンバーが、巫女様にお願いしてくれるの?」
「ははっ!まさか!」
あり得ない事態を笑う。
(この私が、あの女に願う?頭を下げる?)
冗談じゃない─
「…あのね、ティア。君もマルステア卿も肝心なことを忘れているようだけれど、巫女をこの世界に喚んだのは他の誰でもない、この僕なんだよ?」
「そうね、それはそうだわ。でも、それが…?」
「…巫女に感謝を感じる人間がいるというのなら、それはそもそも…」
言って、目の前の男に視線を向ける。
「僕に向けられるべきものではないかと思うのですが、如何でしょう?」
「っ!それは、確かに。…アンバー、君の功績であることは否定しないが…」
「ああ、いいんです。僕は別に誰かの感謝を期待して巫女召喚を行ったわけではありませんから。」
「…」
「どころか、僕自身は巫女召喚は失敗。人生の汚点だと思っています。…彼女を喚んでしまったことで多くの者に迷惑をかけてしまいましたからね。」
ただ、魔力量が多いだけ。それだけの無知蒙昧な女が王宮を我が物顔で歩き回っていたあの日々を思うと、未だにぞっとする。
「…ですが、そうですね。失敗したなら、成功するまでやり直せばいいだけのこと。」
「アンバー?」
「うん。もう用無しだと思ったから、放っておいたけどね。巫女に別の使い道があるのなら…」
「なぁに?アンバー、何を言っているの?」
「心配しないで、ティア。」
折しも、今日は蒼月の日。此方と彼方が繋がる夜。
(…召喚陣が不完全、召喚対象が指定できないまでも…)
今より悪い結果が出るわけでなし。
(まぁ…、例え失敗しようと…)
その時はやり直せばいい。何度だって。
自分には、その力がある─
「…まったく、巫女は相変わらず…、欠片も成長していないらしい。」
言いたいだけを言い、逃げるように立ち去った背中が人込みに消えて、軽く嘆息する。この地に、あの女を喚んだ直後からしている後悔。召喚陣がもっと優れたものであったならば─
「…アンバー、口を慎め。…巫女殿のご不興を先に買ったのは私だ。元はと言えば、私の言が彼女を不快にさせた。」
「いえ、それは違います。」
ティアの叔父、この国において、かなり「まとも」な部類に入る男の言葉に首を振る。
「巫女と私は元より相容れぬ仲。…先ほどのあれも、彼女なりの私への嫌味のつもりなのでしょう。ただの負け惜しみ。マルステア卿が気になさるほどのことではありません。」
「…アンバー、先ほど、巫女殿にも伝えたが、辺境に住む者で巫女殿を敬わぬ者など居ない。私は彼女に恩義を感じている。…巫女殿を軽んじる発言を許すつもりはない。」
「…」
(まったく…)
何故こうも、揃いも揃って自分が認めた人間ばかりが、あの女に傾倒していってしまうのか。
(ガイラス然り、サキア然り…)
目の前の男にしても、ティアの血縁というだけでなく、その保有する魔力量の多さには、元より一目置いていた。武で鳴らすマルステア領の守護神たるだけのことはあると。それが─
(…救いがあるとすれば、王太子殿下だけは血迷わずに済んだことくらいか?)
それでも、巫女への過分な配慮に対しては何度か進言する破目になったが。
「…巫女殿とは…」
「?」
「…いや、アンブロス辺境伯夫妻とは、同じ辺境を治める者同士、今後も互いに助け合っていくつもりでいる。」
「…」
「アンバー、君の辺境伯夫妻への態度は決して褒められたものではない。君が今後も同じ態度を取り続けるというのなら、私は北の領主として君との付き合い方を考え直さねばならない。」
「それは…」
「君も、よく考えてみてくれ。」
厳しい表情、妥協を許さぬ男の眼差しに舌打ちが出そうになる。男の言に反するのは容易い。しかし、彼は自身の最愛が最も慕う身内の一人。幼い頃より慈しまれてきたのだという話を、ティア自身の口から何度も聞かされた。この男を敵に回せば、ティアは─
自身の抱く温もり、寄り添うティアを見下ろせば、その憂い顔が目に入る。
「…ティア?」
「…巫女様が…、マルステアへ来て下さればいいのに。」
「それは…」
想像して、思わず歪みそうになる表情を何とか堪える。目の前の男が、困ったように笑った。
「ティア。その話はもういい。益体もないことを言ったな。忘れてくれ。」
「違う、違うの。」
「ティア?」
小さく首を振るう彼女の震えが、抱き寄せた腕越しに伝わってくる。
「…だって、巫女様は東へ嫁がれたのだから、きっとお分かりになってくれるはずよ。同じ辺境の、魔の脅威に晒されてきたマルステア領の苦しみを。」
「…」
「だから、巫女様ならきっと、マルステアの窮状をお救い下さると思ったのに…」
ティアの、無垢なる魂からの言葉。叔父の治める地とは言え、他領に住まう見ず知らずの者たちにまで向けられる慈愛と哀しみ。自身には到底持ちえぬ彼女の心根の美しさが、愛おしい。
(…ティアのこの魂があるからこそ…)
自身の見えぬもの、気づきもしないものを見せてくれる彼女が側にいてくれて初めて、自分は「ヒト」でいられる。
「…ティア。心配しなくていいよ。」
「…アンバー?」
「君が案ずるようなことは何もないと言ったんだ。」
「どういうこと?…アンバーが、巫女様にお願いしてくれるの?」
「ははっ!まさか!」
あり得ない事態を笑う。
(この私が、あの女に願う?頭を下げる?)
冗談じゃない─
「…あのね、ティア。君もマルステア卿も肝心なことを忘れているようだけれど、巫女をこの世界に喚んだのは他の誰でもない、この僕なんだよ?」
「そうね、それはそうだわ。でも、それが…?」
「…巫女に感謝を感じる人間がいるというのなら、それはそもそも…」
言って、目の前の男に視線を向ける。
「僕に向けられるべきものではないかと思うのですが、如何でしょう?」
「っ!それは、確かに。…アンバー、君の功績であることは否定しないが…」
「ああ、いいんです。僕は別に誰かの感謝を期待して巫女召喚を行ったわけではありませんから。」
「…」
「どころか、僕自身は巫女召喚は失敗。人生の汚点だと思っています。…彼女を喚んでしまったことで多くの者に迷惑をかけてしまいましたからね。」
ただ、魔力量が多いだけ。それだけの無知蒙昧な女が王宮を我が物顔で歩き回っていたあの日々を思うと、未だにぞっとする。
「…ですが、そうですね。失敗したなら、成功するまでやり直せばいいだけのこと。」
「アンバー?」
「うん。もう用無しだと思ったから、放っておいたけどね。巫女に別の使い道があるのなら…」
「なぁに?アンバー、何を言っているの?」
「心配しないで、ティア。」
折しも、今日は蒼月の日。此方と彼方が繋がる夜。
(…召喚陣が不完全、召喚対象が指定できないまでも…)
今より悪い結果が出るわけでなし。
(まぁ…、例え失敗しようと…)
その時はやり直せばいい。何度だって。
自分には、その力がある─
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