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第四章 領主夫人、母となる
2.判明
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理不尽な非難の眼差しに憤慨しながら帰宅したその日、セルジュにも似たような説明をしたところ、彼の反応は至って普通。また考え込んではいるようだったけれど、それもいつものことと流した翌朝、セルジュが、少し真剣な顔で切り出してきた。
「…アオイ、瑠璃色蝶の繭を茹でる件についてですが…」
「…セルジュも、『信じらんない』って思うの?」
非難を予想し防衛線を張るが、セルジュの顔に浮かんだのは疑問の表情。
「?」
「あ、いや、うん、違うならいいんだ。続けて続けて。」
「…実は、今朝の内に、実験を兼ねて繭を一つ茹で上げてみたのですが…」
「…どうだった?」
「どうやら、熱を加えることで繭の繊維が解けやすくなるようですね。解しながら巻き取っていけば切断の必要もなく、アオイの言う通り、糸として活用できそうな仕上がりになりました。」
「…」
「…アオイ?」
セルジュの言葉に、多少、動揺する。
「…あれ?茹でるのって、そういうのが理由?別に、中の蛹をどうこうするためじゃない…?」
「?」
結果としては同じでも、目的が違うだけで、話はだいぶ変わってくる。残酷だったのは自分の思考の方だったかもしれない事実に愕然とした。こちらの動揺を見てとったセルジュが慰めの言葉を口にする。
「…人を襲うことはないとは言え、相手は魔物ですから。羽化前の処分は妥当かと…」
「そ、そうだよね…?」
魔物相手なら、多分、それが正解。
(…うん、よし、そういうことにしておこう。)
それ以上、深く考えないことにする。
「…それで、アオイ、本日の予定なのですが。あといくつか試してみたいことがあるため、領軍に協力を仰ごうかと考えています。」
「あ。今日はセルジュも領軍の方に行くの?」
「ええ。ご一緒させてください。」
「うん!」
久しぶりのセルジュとのお出かけ、ではないが、それでも一緒に過ごせる時間。嬉しくないわけがない。返事をする声が自然と弾んだ。
「…うわぁー、圧巻というか…」
(異様というか…)
朝一でセルジュと共に領軍に訪れた後、一旦、学校で子ども達の勉強を見てから、また、午後の結界張り直しのために戻ってきた領軍の訓練所。その開けた空間のあちこちで行われているのは、大鍋を用いた野外調理、に見せかけた別のもの。遠めに見えた白い物体は恐らく─
「アオイ…!」
「あ、セルジュ。お疲れ様。…どう?上手くいってる?」
「ええ、思ったより順調に進んでいます。」
言いながらエスコートのために差し伸べられたセルジュの手、それを取る。通い慣れた場所、人目もあるし、そこまでしてもらう必要はないんだけど。少し照れくさい気持ちで導かれるままに、見慣れた長身、マティアス達のいる調理場、大鍋の元へと近づいていく。
近づいて、分かったこと。
(うわっ…)
─匂いが
決して不快とまでは言わない、どちらかと言うと甘い香りの、どこか、懐かしい─
「よぉ。」
「…お疲れ様。」
声をかけて来たマティアスに返事を返す。
「マティアス達も今日はここを手伝ってるの?」
「ああ、いや、蛹を運んで来たついでに少しな。アオイが来たってことは、結界張り直す時間だろ?あんたを連れて拠点に戻る予定でいた。」
「なるほど。」
輸送作業お疲れ様、そう伝えながら視界の隅に入るものを確認する。多分、領軍の野営用じゃないかなと思われる大鍋、つまり、普通の調理用の鍋で茹でられている巨大な虫の繭─
(うっ…)
中身を具体的に想像すると色々支障を来すので、それは考えないようにして、マティアスに尋ねる。
「…ちょっと、見てもいい?」
「ん?まぁ、構わねぇけど、足元、気ぃつけろよ。」
「分かった。」
頷いて、大鍋へと近づく。立ち上がる煙と湯気の向こうで、ジグとオットーが二人がかりで引っ張り上げているもの。
「…結構、ほんとにしっかり、糸、なんだね?」
手繰り寄せるようにして剥がされる繊維を眺めながら、もう一歩、大鍋へと近づく。鍋の中を覗こうとした直前、不意に風向きが変わった。
「っ!?」
「っ!アオイ!」
「っ!ごめ、大丈夫、けど、なんか…」
湯気の直撃を受けて、嗅ぎ取った匂いの正体に気づく。
(…これ、あれだ、ご飯が炊きあがる時の…)
「っ!」
「アオイ!?」
途端、こみ上げて来た吐き気。口元を抑えて一歩下がる。ふらついた足元、背後からセルジュに抱き留められた。
「アオイ!?どうしましたか、何が…!?」
「ごめんごめん、大丈夫。ただ、ちょっと匂いが…」
「っ!?マティアス!カザス医師を!」
「…おぅ。オットー、先生呼んで来い。」
「え?いや、あの、大丈夫だよ?」
大事になりそうな雰囲気に、慌てて無事をアピールする。
「ちょっと匂いが駄目だっただけで、本当、」
「繭の残留魔力の影響かもしれません。」
「え?」
「診察を。」
「え?でも、本当に大した、」
「アオイ…」
「…」
真顔で諭され、それ以上の反論を封じられた。
マティアスが抱え上げていくという提案だけは何とか固辞して、向かったのは領軍の営舎。医務室のような部屋に押し込められ、セルジュ付き添いのもと老医師の診察を受ける。触診と魔術による診察、それからいくつかのかなりプライベートな質問を受けたところで、流石の私にも薄っすらと思い当たるものがあった。
(…これって…?)
老医師の質問の意図に、セルジュは気づいているのか。隣を見上げるが、その顔には未だ深刻な表情が浮かんだまま。判断に迷うその表情を眺めていると、
「…おめでとうございます。」
老医師の言葉に、セルジュの顔が怪訝に歪む。が─
「ご懐妊ですな。」
「っ!?」
続いた言葉に、セルジュが見せた表情。驚愕から、一転、自然と広がっていく満面の笑み。漏れそうになる声を抑えるためか、口元に当てられた手が微かに震えている。その視線が、ハッとしたようにこちらに向けられて─
「…アオイ。」
「うん。」
「アオイ、私は…」
「うん…」
言葉に出来ない感情、すっごく嬉しいのに、それを何て表現すればいいのか。
自然と、手がお腹を撫でていた。
(…ここに。)
ここに、命がある。
(…すごい。)
まだ全然、膨らみのないここに、私とセルジュの─
「…アオイ、瑠璃色蝶の繭を茹でる件についてですが…」
「…セルジュも、『信じらんない』って思うの?」
非難を予想し防衛線を張るが、セルジュの顔に浮かんだのは疑問の表情。
「?」
「あ、いや、うん、違うならいいんだ。続けて続けて。」
「…実は、今朝の内に、実験を兼ねて繭を一つ茹で上げてみたのですが…」
「…どうだった?」
「どうやら、熱を加えることで繭の繊維が解けやすくなるようですね。解しながら巻き取っていけば切断の必要もなく、アオイの言う通り、糸として活用できそうな仕上がりになりました。」
「…」
「…アオイ?」
セルジュの言葉に、多少、動揺する。
「…あれ?茹でるのって、そういうのが理由?別に、中の蛹をどうこうするためじゃない…?」
「?」
結果としては同じでも、目的が違うだけで、話はだいぶ変わってくる。残酷だったのは自分の思考の方だったかもしれない事実に愕然とした。こちらの動揺を見てとったセルジュが慰めの言葉を口にする。
「…人を襲うことはないとは言え、相手は魔物ですから。羽化前の処分は妥当かと…」
「そ、そうだよね…?」
魔物相手なら、多分、それが正解。
(…うん、よし、そういうことにしておこう。)
それ以上、深く考えないことにする。
「…それで、アオイ、本日の予定なのですが。あといくつか試してみたいことがあるため、領軍に協力を仰ごうかと考えています。」
「あ。今日はセルジュも領軍の方に行くの?」
「ええ。ご一緒させてください。」
「うん!」
久しぶりのセルジュとのお出かけ、ではないが、それでも一緒に過ごせる時間。嬉しくないわけがない。返事をする声が自然と弾んだ。
「…うわぁー、圧巻というか…」
(異様というか…)
朝一でセルジュと共に領軍に訪れた後、一旦、学校で子ども達の勉強を見てから、また、午後の結界張り直しのために戻ってきた領軍の訓練所。その開けた空間のあちこちで行われているのは、大鍋を用いた野外調理、に見せかけた別のもの。遠めに見えた白い物体は恐らく─
「アオイ…!」
「あ、セルジュ。お疲れ様。…どう?上手くいってる?」
「ええ、思ったより順調に進んでいます。」
言いながらエスコートのために差し伸べられたセルジュの手、それを取る。通い慣れた場所、人目もあるし、そこまでしてもらう必要はないんだけど。少し照れくさい気持ちで導かれるままに、見慣れた長身、マティアス達のいる調理場、大鍋の元へと近づいていく。
近づいて、分かったこと。
(うわっ…)
─匂いが
決して不快とまでは言わない、どちらかと言うと甘い香りの、どこか、懐かしい─
「よぉ。」
「…お疲れ様。」
声をかけて来たマティアスに返事を返す。
「マティアス達も今日はここを手伝ってるの?」
「ああ、いや、蛹を運んで来たついでに少しな。アオイが来たってことは、結界張り直す時間だろ?あんたを連れて拠点に戻る予定でいた。」
「なるほど。」
輸送作業お疲れ様、そう伝えながら視界の隅に入るものを確認する。多分、領軍の野営用じゃないかなと思われる大鍋、つまり、普通の調理用の鍋で茹でられている巨大な虫の繭─
(うっ…)
中身を具体的に想像すると色々支障を来すので、それは考えないようにして、マティアスに尋ねる。
「…ちょっと、見てもいい?」
「ん?まぁ、構わねぇけど、足元、気ぃつけろよ。」
「分かった。」
頷いて、大鍋へと近づく。立ち上がる煙と湯気の向こうで、ジグとオットーが二人がかりで引っ張り上げているもの。
「…結構、ほんとにしっかり、糸、なんだね?」
手繰り寄せるようにして剥がされる繊維を眺めながら、もう一歩、大鍋へと近づく。鍋の中を覗こうとした直前、不意に風向きが変わった。
「っ!?」
「っ!アオイ!」
「っ!ごめ、大丈夫、けど、なんか…」
湯気の直撃を受けて、嗅ぎ取った匂いの正体に気づく。
(…これ、あれだ、ご飯が炊きあがる時の…)
「っ!」
「アオイ!?」
途端、こみ上げて来た吐き気。口元を抑えて一歩下がる。ふらついた足元、背後からセルジュに抱き留められた。
「アオイ!?どうしましたか、何が…!?」
「ごめんごめん、大丈夫。ただ、ちょっと匂いが…」
「っ!?マティアス!カザス医師を!」
「…おぅ。オットー、先生呼んで来い。」
「え?いや、あの、大丈夫だよ?」
大事になりそうな雰囲気に、慌てて無事をアピールする。
「ちょっと匂いが駄目だっただけで、本当、」
「繭の残留魔力の影響かもしれません。」
「え?」
「診察を。」
「え?でも、本当に大した、」
「アオイ…」
「…」
真顔で諭され、それ以上の反論を封じられた。
マティアスが抱え上げていくという提案だけは何とか固辞して、向かったのは領軍の営舎。医務室のような部屋に押し込められ、セルジュ付き添いのもと老医師の診察を受ける。触診と魔術による診察、それからいくつかのかなりプライベートな質問を受けたところで、流石の私にも薄っすらと思い当たるものがあった。
(…これって…?)
老医師の質問の意図に、セルジュは気づいているのか。隣を見上げるが、その顔には未だ深刻な表情が浮かんだまま。判断に迷うその表情を眺めていると、
「…おめでとうございます。」
老医師の言葉に、セルジュの顔が怪訝に歪む。が─
「ご懐妊ですな。」
「っ!?」
続いた言葉に、セルジュが見せた表情。驚愕から、一転、自然と広がっていく満面の笑み。漏れそうになる声を抑えるためか、口元に当てられた手が微かに震えている。その視線が、ハッとしたようにこちらに向けられて─
「…アオイ。」
「うん。」
「アオイ、私は…」
「うん…」
言葉に出来ない感情、すっごく嬉しいのに、それを何て表現すればいいのか。
自然と、手がお腹を撫でていた。
(…ここに。)
ここに、命がある。
(…すごい。)
まだ全然、膨らみのないここに、私とセルジュの─
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