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王都に出て行った片思いの相手が二年ぶりに帰ってくるらしいけど、二年もあればこっちも色々あるよねっていう話
しおりを挟む「リディ、お前ももう上がりか?だったら、一緒、飲み行くか?」
「テオ。いいけど、報告終わってないから、ちょっと待ってて」
「りょーかい」
顔馴染み、最近、大きな仕事では必ずといっていいほどバディを組む相手、テオの誘いに軽く頷いて、ギルドの受付へと並ぶ。
常時依頼の一つである、ジャイアントラビットの討伐完了報告に承認をもらい、ギルドの入口、テオの元へと急いだ。
「ごめん、お待たせ」
「いや。…お前、今日も兎狩りか?」
「うん。西の郊外で、また大量繁殖しちゃってたみたいで」
「そんな、面倒なだけで何のうまみもないような依頼、下の連中にやらせときゃいいのに」
「うまみが無いから、誰もやりたがらないんでしょう?仕方無いじゃない」
「そうやって、結局お前が引き受けるから、いつまで経っても、しょっぱい依頼料のままなんだよ」
「…分かってるけど。ギルドに余裕が無いのも分かってるから、まあ、もう暫くは…。それで、誰が困るわけでもないし」
「お前が、貧乏くじ引き続ける以外はな」
「もう!」
この町で生まれ育った自分と違い、他所の町出身であるテオには、特にこの町や、町のギルドに対する思い入れというものがない。五年ほど前にフラリと現れて、何が気に入ったのかそのまま町に居着いてはいるが、仕事は仕事として割り切るテオの方が、冒険者としてはきっと正しい。それでも、甘いと言われようと、私は、この町も町の人達も大好きなのだ。だから、
(中々、そう、すっぱりとは、ね…)
そう自分に言い訳しながら、ギルドを出て、テオと並んで歩く。
「『大熊亭』でいいか?」
「うん。飲みたい気分だから、そうしよう!」
町の治安維持のためとはいえ、手間がかかるだけで食用には向かない兎を延々と狩り続けた一日。その締めくくりに少しくらいの贅沢は許されるだろうと、今日は徹底的に飲むと決めたところで、
「…まぁ、一日、頑張ったみたいだからな。今日は、俺が奢ってやる」
「え?テオの奢り?やった!」
ギルド一の腕利き冒険者、つまり、一番の稼ぎ頭の奢りというなら、遠慮は要らない。ここは、お言葉に大いに甘えて、飲み倒そうと乗り込んだ食堂兼、酒場である大熊亭。元、冒険者であるマスターが営む店は、今日も―既に半分以上出来上がった―冒険者達で、賑わいを見せていた。
「よぉ、リディ、テオ。お前ら、カウンターでいいか?」
「うん!どこでも」
冒険者だった頃から、そこそこ親しかったマスターに手招かれて、マスターの正面の席をテオと並んで陣取った。
取りあえずのエールで、テオと乾杯し、互いの一日の労働を労いあったところで、マスターが、待ちきれなかったとばかりに口を挟んできた。
「リディ、お前、もう聞いたか?」
「え?ううん。特に何も?」
含みのあるマスターの言葉に隣を確かめれば、シレッとエールの杯を口元に運んでいるテオ。その、我関せずな態度が、余計に怪しくて、
「…テオは、何のことか分かるの?もう、何か聞いてる?」
「…まぁな」
基本、この町を拠点にしながらも、行動範囲の広いテオは、あちこちの町やギルドに顔を出し、いち早く情報を拾ってくることも多い。だから、彼が知っていること自体はおかしいことではない、のだけれど。
(…何だろう?)
隠してる、わけではないけど、あまり積極的に口にするつもりはなさそうな。
そんな、テオの態度に焦れて、マスターへと向き直った。
「で?一体、何の話?」
「…クレトが、帰ってくるらしいぜ?」
「っ!?」
心臓が、止まるかと思った―
クレト、ここ二年の間、町で何度も噂になった名前。二年前、町を出ていった幼馴染みの―
「…帰ってくるって、クランは?『青嵐の剣』はどうするの?」
「ああ。どうやら、抜けたらしいな。怪我したって話は聞かなかったから、案外、故郷が懐かしくなって帰ってくるんじゃねぇか?」
「…」
王都で活躍する第一級クラン『青嵐の剣』が、依頼のついでにこの町に立ち寄ったのがちょうど二年前。憧れのクランの目に止まったクレトが、彼らのスカウト、誘いに応じて町を出ていったのも。
「…アビーナは?」
「あ?そういや、聞かなかったな。王都に出てた連中が、たまたまクレトに会ったらしくてな。『近々、町に帰るつもりだ』って話をしたらしいんだが…」
「そっか…」
なら、「帰ってくる」と言っても、一時的な帰郷。また、直ぐにこの町を出ていってしまうのかもしれない。
(…アビーナとは、会えない、かな…)
クレトとアビーナと私。冒険者になった幼馴染み三人で、パーティーを組み、依頼をこなしていた日々。クレトは気付いていなかったかもしれないけれど、私とアビーナは、二人ともクレトが好き、だった。
だから、クレトが青嵐の剣にスカウトされた時、始めに私を誘ってくれたこと、「一緒に行かないか」と言ってくれたことが、舞い上がるほど嬉しくて、ひょっとして彼も私を、そう、思ったのだ。
けれど結局、町を出ていく決心のつかなかった私ではなく、クレトについていくことを一瞬も躊躇わなかったアビーナを連れて、クレトは町を出ていった。
最初の一年間は、町に流れてくるクレトの噂を一つも取りこぼすまいと情報を拾い集め、彼の王都での活躍話を誇らしく思うと同時に、華々しい彼の女性関係の噂に、胸を痛めた。
あの時、クレトの誘いに「はい」と応えていれば、今、彼の隣に居たのは私だったかもしれないのに―
何度も、そう思った。後悔に襲われる度に、今からでも、彼を追いかければという考えに支配されて、身動きが取れなくなりそうだったあの頃。それを、蹲るだけだった暗闇から引っ張り出してくれたのは―
「ん?何だよ?」
「…別に」
今、隣で、こちらの話題には全く無関心に、杯を重ねている男。
慰められたわけでも、励まされたわけでもない。ただ、「手伝え」と駆り出されて一緒に依頼をこなし、「飲みに行くぞ」とお酒の席で食事を共にし。本当の本当に落ち込んでいた時には、酔い潰れるまでお酒に付き合ってくれて。
ただ、それだけ。それだけのことで、気付けば、声を出して笑えている自分に驚いたのが一年前。そこからは、流れてくるクレトの噂に涙することもなくなっていったのだが。
「…そっか、クレト、帰って来るんだ」
「おお!この町の英雄様の帰還だ。店で何かやるつもりだからよ。アイツが帰ってきたら、お前にも、声かけるからな」
「…うん」
まだ―
まだ、どんな顔をしてクレトに会えばいいのかは、分からない。それでも、胸を締め付けられるほどの懐かしさに、いつ以来だろう、少し、泣きそうになった。
―――――――――――――――
故郷へ帰る―
そう決めた時に、初めに浮かんだのは、一緒に故郷を出てきた女、アビーナの顔ではなく、故郷に置いてきた幼馴染みの顔だった。
結局、クランに残ることを選んだアビーナを置いて王都を去る時も、彼女を置いていく罪悪感より、故郷で己を待つ少女、リディへの想いに気持ちを急かされて、二年を過ごした地を振り返ることもせず後にした。
離れて初めて気づいた、リディへの想い。近すぎて、一緒に居すぎて、そうとは気付かないままに、彼女を置いてきてしまった自分は、本当に馬鹿だったと思う。何度もした後悔、故郷への道を急ぎながら誓う。今度は、間違わない。次こそは、必ず、リディを―
「…リディ、か?」
「うん、久し振りだね?元気にしてた?」
「…ああ」
久し振りの故郷、慣れ親しんだ町、馴染みの店を訪れれば、元冒険者でもあるマスターが声をかけ、あれよあれよと言う間にかつての仲間達、顔見知りが集められ、その中に、見つけた顔。会いたくて、たまらなかった―
「クレト、本当に帰ってきたんだ。…一人?」
「ああ。…王都には、もう戻らないつもりだ」
「…そっか」
途切れそうになる会話、伏せられたリディの瞳が憂いを帯びて、
「…リディ、お前、なんか、変わった?」
「え?そうかな?」
「いや、なんか。…綺麗になった」
「ええっ!?」
先ほどまでの表情が嘘のよう、顔を赤く染め、大袈裟なほどの驚きを露にするリディの姿に、何故かホッとした。「綺麗だ」と言う自分の言葉一つで、こんなにも反応してくれる彼女に―
「…あの、さ。リディ。俺、お前と二人で話がある。ちょっと、いいか?」
「え?あ、うん。…いいけど」
一瞬、周囲を見回し、何かを探す素振りを見せたリディだったが、躊躇いながらもこちらの誘いに応じてくれた。そのまま、酒場の裏口、人気の無い裏路地へとリディを誘い出す。
「…リディ、俺、さ。王都に行ってからも、ずっと、お前のこと、考えてた」
「え?」
「クランに入って、色々、いい経験させてもらえて、ここに居た頃よりも強くなれたし、世界も広がって、スッゲェ充実した毎日だったんだけどさ。やっぱ、トップクラスの集団についてくのって、並大抵の努力じゃ、全然駄目だった」
「…」
「キツくて挫折しそうな時、苦しくて逃げ出したくなる時、浮かぶのはいつもお前の顔だった。…俺が、冒険者になれたのも、『青嵐の剣』に入れたのも、お前が、俺の隣に居てくれたからなんだって、俺、ほんと、今更だけどさ、気づいたんだよ」
「クレト…」
「リディ、俺、お前が好きだ」
「!?」
「そんな簡単なことに今まで気付かなかった俺のこと、馬鹿だと思うかもしれないけど、俺と、もう一度、パーティー組んでくれないか?それで、俺と、…結婚して欲しい」
ありったけの気持ちを込めた言葉、黙ったまま、じっと見つめ返すリディの瞳から、涙が溢れ出した。
「ごめん!ごめんな、リディ!俺が馬鹿だったせいで、本当、今更だよな。お前を泣かすなんて、本当、ごめん。許してくれ!」
「違う、違うの。クレトのせいじゃない…」
首を振るリディに伸ばした手は、寸でのところで避けられてしまった。そのことに、どうしようもない寂しさを覚えて、
「…リディは、やっぱ、俺のこと、許せないか?お前を置いていった、俺のこと…」
「ごめん、クレト。怒ってるとかじゃなくて、自分でも何でこんなに急に涙が出てくるのか分からなくて。ごめんね。…もう、泣かないって思ってたんだけどな」
「リディ…」
涙を拭った彼女が、震える口角を必死に上げて、
「クレト、あなたの気持ちは嬉しかった、ありがとう。…だけど、ごめんなさい」
泣き笑いみたいな顔で、謝った―
「二年前、あなたがそう言ってくれていたら、私、迷わずに頷いていたと思う。…あなたのことが好きだったから」
「…」
「…ひょっとして、気がついてた?」
「…うん、ごめん」
「そっか。…うん、でも、クレトが謝るようなことじゃないよ」
また、泣き出しそうなリディの顔。だけど、今度は涙が流れなかった。
「…クレト、『二年』、だよ。私の知らないクレトの二年があるように、私にも、あなたの知らない二年があるの」
「…」
「クレト程では無いけど、この二年で私も色んな経験をして、少しは成長も出来た。変わってないことも勿論あるけど、クレト、あなたへの想いは…」
「リディ!チャンスをくれ!俺に、もう一度、お前を振り向かせるチャンスを!」
「…無理だよ。クレトへの想いが無くなっただけじゃなくて、私、今、好きな人がいるから」
「!」
聞きたくなかった言葉。リディは、リディだけは、自分を想って、待ってくれていると―
「…ごめんね、クレト。あの、でも、クレトが、この町に帰ってきてくれたのは、スゴく嬉しいの。それは、本当に」
「…」
「…じゃあ、私、そろそろ行くね?」
背を向けようとしリディの腕を、咄嗟に掴んだ。
「クレト?」
「…俺は、俺は本当に、お前のことだけをずっと…」
吐露した心情に、リディから、小さなため息が返ってきた。
「あのね?クレト。あなたが、王都に出てから、アビーナ以外、たくさんの女性と浮き名を流していたっていう噂は、ここまで届いてきてるの」
「っ!そんな、まさか!?」
「本当よ。小さな町が生んだ英雄の噂話だもの。そりゃ、もう、色んな噂が」
「っ!いや、でも、それは!」
「ただの噂、真実は違うっていうの?」
「っ!そう、は言わないが…」
だが、本気で惚れていた、好きだった女が居たわけではない。ただ、クランの名と、自身の見た目に寄ってきた女達と適当に遊んでいただけで―
「…そういう噂が全く無かったら、あなたへの気持ちも変わらなかったかもしれないし、今のあなたの言葉も、違って受け止められたかもしれないけど、」
「リディ!違うんだ!本当に!」
噂になるほどのこと、ましてや、これだけ王都から離れた故郷に届くほどのことでは無かったはずなのだ。本当に、軽い気持ちで―
「違ったとしても、本当だとしても、それを乗り越えるだけのあなたへの気持ちが続かなかった。私はもう、あなたを好きじゃない」
「リディ…」
振り払われた手。リディが、最後、また、泣きそうな顔で笑って、
「…じゃあね、クレト」
「…」
扉の向こう、消えていく後ろ姿を引き止める言葉も見つけられずに、ただ、茫然と見送った。
―――――――――――――――
カウンターでグラス片手に、リディがかつてのパーティー仲間と共に消えた店の奥、裏路地へと繋がる扉を睨みつける。追って、奪い返したい気持ちを、必死に抑えながら―
「…リディは、クレトに連れてかれたのか?お前は、追っかけなくていいのか、テオ?」
「…」
カウンター奥のマスターが、愉快そうな笑みを浮かべてこちらを見る。
「クレトに持ってかれないよう、せっせとアイツの女遊びを噂にして流してたんじゃねぇのか?」
「…嘘は、流していない」
「まぁな。だが、若い時分なら誰だって、持て囃されていい気になりゃあ、羽目をはずしたくなるもんだろ?」
「…」
「お前だって、身に覚えの一つや二つあんじゃねぇのか?」
「…あそこまで、酷くはなかった」
「はっ!どうだかな?」
人の悪そうな顔で笑う男の言葉は聞こえないふりで、未だ開かぬ扉を睨む。じりじりと身を焦がされる思い、視線にこもる感情が湿度を増す。
「…そんなに気になんなら、様子見だけでもしてくりゃいいじゃねぇか」
「…リディは、人の世話すんのは好きだが、世話されんのは嫌いだろ」
「ああ、まあ、確かにな」
「助けを求めれるまでは、大人しくしてるさ」
「そんで、クレトにかっさらわれたらどうすんだ?」
「…また、新しい噂が流れるだけだ。『クランから追い出された英雄の真実』ってやつがな」
「…追い出された?」
「ああ。『国から連れ出して放置してた同郷の女がクランのナンバー2とデキた途端、女をてめぇのもん扱いし始めたガキ』なんざ、追い出されて当然、だろ?」
「そりゃ、また…」
続く言葉を失った男の様子に笑う。
「まあ、色々やらかしてるからな。俺が放っておいても、」
言いかけて、視線の先、開く扉から現れたリディの姿。
(一人、だ…)
彼女の視線が周囲を見回し、誰かを探す。その視線が重なって、笑った―
つられる笑み、片手を上げて合図を送れば、横から聞こえた呟き。
「…『双剣のテオドール』」
「…」
「青嵐の剣、創立メンバーがねぇ…」
「…言うなよ」
何の警戒も無く、近づいてくるリディの笑顔。カウンターの中の、食えない男に釘をさす。
「まあ、リディが良い顔してるうちは、余計な口を挟むつもりはないが。もう…泣かすなよ」
「ああ…」
僅かに刺激された罪悪感。本人の自覚以上に、この町の人間に愛される彼女を、果たして、本当に泣かせてしまった際には―
訪れるであろう報復を覚悟する。今頃、人知れず後悔のどん底に居るであろう男の、二の舞だけは演じるつもりはないが。
(終)
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