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第一幕 壊れていく

1-6.泣いてしまえ

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 いつ、トゥトゥナは自分が眠ったのかわからなかった。気付けば空が白みはじめている。ランプのものとは違う光が瞼を撫で、ようやく目を覚ました。

「起きたかい、トア」

 柔らかなシーツで体を隠し、上半身を起こしたトゥトゥナに声をかけたのは寝間着を着込んだシュテインだ。ソファに座っていた彼は立ち上がり、トゥトゥナに近付く。

 体が重い、とトゥトゥナはぼんやり思った。この様子だと大した睡眠はとっていないようだ。自分を見下ろすシュテインを、顔を上げて見つめる。

「おはよう」

 悪びれた様子もなく、一転して柔和な笑みを浮かべるシュテインに、トゥトゥナは答えない。喉が嗄れたままだったためか、小さく咳きこんでしまう。

「トア、これを飲みなさい」

 差し出されたのは水差しとカップ。中に入っているのは茶のようで、香りからパナクスを主に煎じたものだと理解する。パナクスは他にも様々な薬効を持った避妊のための薬で、月経をうながす効果を持つ。放蕩な貴族がよく使う薬の一つだ。

 ――リシュ卿に抱かれて、私……。

 途中から記憶が朧気だった。それでも節々の痛みが全てを物語っている。容赦なく子種を中に注がれたことも思い出し、鈍い動きでその二つを受け取った。

 茶をカップになんとか注ぎ、少し熱いそれを飲み干す。水差しの中が空になるまで。

「君ならわかると思うけれど、それはパナクスと他の薬草を混ぜたものだ。抗炎症効果も持つ薬草も一緒に入っている」

 いつの間にかほどかれた赤毛が数本、トゥトゥナの頬に張りついていた。シュテインはそれに気付いたのか、ベッドの端に座り、遠慮もなく手を伸ばして肌に触れてくる。

 頬を優しく撫でられ、しかしトゥトゥナには振り払う気力すらなかった。

「僕が君を抱いたあとは、必ずそれを飲むこと。いいね?」
「……どうして」
「何か?」
「どうして……私なの……」

 震える声で聞いた。なぜ自分を相手として狙い定めたのか、それが全く理解できない。

 礼拝室でシュテインは言った。男を煽るような体をしている、と。だが、彼は次の龍皇候補だ。彼の美貌と地位を持ってすれば、どんな女性でもなびくだろう。

 確かにトゥトゥナは村一番の美人、ともてはやされたことはある。けれどその程度だ。他に美しい、器量もいい女性などいくらでもいるはずなのに。

 シュテインは瞬時に真顔となって、トゥトゥナの顎を持ち上げた。

「先に言っておく。衆人前では僕のことはリシュ卿と呼び、敬語を使いなさい。僕の名を呼んでいいのは僕が君を抱くときだけだ」
「あなたの名前なんて……呼びません」
「強情だね。君は覚えてないかもしれないけれど、営みの途中から僕の名を呼んで悶えていたんだよ」

 トゥトゥナは嘲るシュテインと視線を合わせる。虚ろな瞳のまま。

「私の問いには答えて下さらないのでしょうか、リシュ卿」
「答える必要を感じない」

 冷たい声音と共に手が離れた。自分を喘がせた指が、静かに首筋から鎖骨までをなぞる。

「この時間なら神官たちもまだ寝ている。水を使うことを許可しよう。身を清めるように」

 トゥトゥナは小さくうなずく。早く全身を拭いたかった。シュテインが触れた唇の、手の感触を消し去りたくて。

「数日間はこの館で勉強していなさい。その間に巫女の服を用意する」
「穢れた巫女で大丈夫でしょうか」

 揶揄するように唇を歪めてみせるが、シュテインはそれにも怯んだ様子は見せない。

「神官と巫女同士が交わるなんて、ここではよくあることだ。淫蕩に耽るのは何も貴族の専売特許じゃあない」
「リシュ卿は龍皇候補というお立場ですが」
「巫女を囲う候補もいる。そんな心配はいらないよ。だから君にも避妊薬を飲ませた」

 シュテインの不敵な笑みに、トゥトゥナはふとダリエのことを思った。彼女はギュントの巫女だ。もしかして、彼女もこんな目に遭っているのだろうか。

 ――ギュント……ヴィシュ卿に告発すれば、私の身は安全になるかしら。

 シュテインと派閥が違う、彼の兄を思い出す。だがすぐに甘い考えを捨てた。スネーツ男爵の件がある。巫女として生きていられるのは、悔しいことにシュテインがいるからだ。後ろ盾を失えばきっと自分は死ぬ。魔女として裁判にかけられるだろう。

 村に帰るのはどうか。いや、そちらもだめだ。スネーツ男爵が目を光らせている可能性もある以上、ドルナ村の皆に迷惑をかけるわけにもいかない。

 ――こんな目に遭っても、私はまだ生きたいと思うのね。

 自分はどれほど醜悪なのだろう。浅ましさにくらくらと目眩がする。

 サイドテーブルに水差しとカップを置き、トゥトゥナはベッドから降りる。近くの床に落ちていた自分の服を拾って、できるだけ素早く着替えた。

「これから数日の間、夜は必ず僕の部屋に来るように。選挙がはじまったときは……そうだね、食後に皮を剥いた林檎を出す。それが僕が君を抱くという合図だ。返事は?」
「……わかりました」
「いい子だ。ついでに逃げようとは考えない方がいい。見張りを置くからね」

 シュテインの言葉に、トゥトゥナは答えなかった。そのまま靴を履き、振り向きもせずに部屋を出る。

 まだ廊下は暗く、窓から覗く光は少ない。巫女用の風呂場があるとは昨日教えられた。そこへと急ぐ。一階の中庭、その横が目的の場所だ。

 歩いているうちに涙が溢れてきた。泣きたくないと気丈に思うも、一度出た涙は止まらない。淫らな嬌声を上げて悶えたこと、未亡人になった直後に男と体を重ねるという罪。二つの事実が胸を締め付け、込み上げる嗚咽を堪えるために唇を噛んだ。

 ――死んでしまいたい。

 切に願う。けれど、どこかでまだ死を恐怖し、嫌悪する自分がいた。

 同時に、これからも体を許さなければならないと思えば、違う意味で身も震える。はしたない声を出した自分が信じられなかった。シュテインによって処女を散らされ、なのに確かに法悦に導かれたことが恐ろしい。

 風呂場に入り、壁に背を預けてトゥトゥナは泣いた。泣いてもどうにもならないことを、心のどこかで理解しながらも。
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