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小樽のガラスと海鮮

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 電車の窓からは、波が寄せて返すのが見える。
 荒々しい白っぽい波が、岩にぶつかって弾ける様に少しの焦燥感が芽生えた。

「まーた、一人でぐるぐるしてんの」
「違いますよ、キレイだなって」
「悩んでる恵に課題です」
「なんですか急に」

 振り返るのをやめて、シロさんと横向きに座り直す。
 まっすぐ前の窓から山肌を眺めているうちに、めまいがした。
 きっと温められすぎた車内に、酔ってしまったのだろう。

「小樽でやりたいこと一つ見つけること」
「食べたいものとかってことですか」
「恵は、圧倒的に自分で選ぶ経験が少なさそうだから」

 シロさんの言葉にどきりとした。
 たった二日か三日とは言えないくらいには心の内を吐露している。
 シロさんはめざとそうな人だし、私の悩みもお見通しなのかもしれない。

 だからと言って、素直に頷くのは癪だ。
 なんて答えるか、考えてるうちにシロさんは勝手に決まりごとを増やしていく。

「食べたいものでも、やりたいことでもオッケー。今日中にまず一つ! 見つけられたら温泉代は出してあげよう」
「どうしてそうなるんです」
「ご褒美があった方がやる気出ない?」
「それってご褒美ない時にやる気出なくなるやつですよね」
「せっかくの好意に生意気な」

 生意気とかの問題じゃないと思うんだけど。
 言わずに、窓の外へと視線を戻す。
 風が波を起こして、鳥が海の上を飛んでいる。
 自由そうで、いいなぁ。
 
 シロさんは横で、小樽でできることを並べ立てる。
 実際に見てみないと、わからないことのほうが多いと思うのに。

 南小樽駅で電車を降りれば、思ったよりも静かだ。
 住宅がズラーっと続いている。
 降りていく人たちも、ここで暮らしている風貌の人たちばかりだった。
 目的地が決まってるように、迷いなく歩いていくから。
 
 地元の駅を思い出させるような雰囲気に、少し焦っていた気持ちが落ち着いた。
 南小樽駅から坂を下っていけば、よくテレビやネットで見る小樽に出会う。
 小樽といえばな、雰囲気に少しだけテンションが上がった。

「さて、どうする?」

 シロさんは案内を放棄する気満々らしい。
 見つけよう、くらいだったのが、いつのまにか私が選ぶことになってるらしい。
 押し付けがましさを感じて、ムッとなった。
 それでも、シロさんなりの優しさもわかってるから、しょうがなく街並みを見渡した。

 ふと頭に浮かんだのは、ガラスの街ということだった。
 あれ、オルゴールだっけ?
 漠然としたイメージだけど。

「作りたいです」
「作る?」
「ガラス?」
「あぁ、キーホルダーとかってこと?」

 ガラスといえば、勝手にコップとかだと思っていたけど、キーホルダーとかもあるんだ。
 知らなかったけど、うんうんと、頷く。

 定番の体験はやってみよう。
 シロさんが教えてくれた色々は、頭の片隅に置いてガラス工芸のお店を探す。
 お姉ちゃんからのメッセージにもそういえば……

「ここの工房にしましょう!」

 お姉ちゃんのメッセージに書いてあった名前と同じ、工房の名前。
 陽と書いてひなたと読むらしい。
 お姉ちゃんの名前に入ってる漢字だから覚えていたのかも。

 太陽が差し込むようなイラストが描かれた看板を見てるうちに、シロさんに手を引っ張られて店内に入り込む。
 キラキラとガラスに光が反射して、お日様の匂いすらしてきそうな空気だ。

「ガラス体験二名お願いしまーす!」

 シロさんが店員さんに声をかければ、店員さんは快く店内を案内してくれる。
 専用の部屋があるらしく、そこに案内された。
 大きいテーブルに、色とりどりのガラスの棒が置かれている。

 案内された席に座れば、一枚の紙を渡された。
 紙には作れるものの写真と説明が書かれている。
 コップ、ガラス玉のキーホルダー、動物型のガラス玉まで作れるらしい。
 「どれにする?」と小声で聞いて来たシロさんに、動物型と即答した。

 何を作るか迷わなくて済むのはありがたい。
 動物型なら、見本が目の前にいるんだもん。

 注意事項やわからないことは聞いてくださいね、など説明を聞き終わればガラスを選ばせてくれた。
 色とりどりの棒が入ったグラスを渡されて、色を選んでいく。

 シロクマだからシロと、耳の内側ピンクとかもできるんだろうか。
 あまり難しくしすぎても、私には作れないかも知れない。
 白色をメインに、口周りにピンクを選ぶ。

 シロさんは何を作るんだろう。
 手元を見れば、色から推測するのは難しそう。
 私と同じ白色とそれに薄オレンジ色を選んでいた。

 もしかして、私と同じでシロクマかな……

 そう思いながらも、工程は進んでいく。
 ガスバーナーで炙られたガラスは、とろんっと溶けて丸くなる。
 
 店員さんの案内に従ってるはずなのに、形がきれいな丸にならない。
 シロさんの方は順調に耳を付けているのに、私はまず丸を作るところからだ。

「大丈夫ですよ、ゆっくり回してくださいね」

 ゆっくりと回せば、なんとか形になってくる。
 器用なシロさんは、やっぱりシロクマを作っていたみたいだ。
 隣で、キレイなシロクマを完成させていた。
 作り終わって冷ますのを待ちながら、暇そうに私の手元を覗き込む。

 シロさんの売り物みたいにキレイな出来上がりと、私の不器用な崩れたシロクマを見比べて悲しい気持ちになって来た。

 手を出しても私は物事をうまく進められない。
 わかっているから、人が選んだ安全な道を歩いていたのに。
 やっぱり、自分で選ぼうとするとこうなってしまうんだ。

 たかだか、ガラス玉作りで。
 っとお姉ちゃんなら言うかもしれない。
 それでも、ガラス玉作りの数分間で、私の心はバキバキだった。

 今は決められなくても、いずれ見つかるかも。
 変わっていくものだし、と言ってたけど。
 それはシロさんだからうまくできる人なだけであって、やっぱり私なんかがフラフラと生きていたところで壁にぶつかるのだろう。

「あつっ」

 悲観的になっていたせいか、意識を他に向けたせいか、火が指に触れそうになった。
 慌てて手を引っ込める。
 ほんの少し熱を感じただけで、火傷もしていないのにシロさんは大袈裟に私の左手を掴んで確認した。

「大丈夫? やけどしてない? してな、さそうだね、よかった」
「ごめんなさい」

 火を扱ってるので十分注意してくださいね、と店員さんに言われたのに。
 うっかりしてしまっていた。
 不格好なりに私のシロクマも完成して、店員さんが冷やした後にパーツを取り付けてくれるらしい。
 作ったものは預けたまま、観光に行って来て良いとのことだった。

「じゃあどこ行こっか、朝から何も食べてないし、お腹空いてない?」

 先程のモヤモヤはまだ私の心の奥底で燻っていて、シロさんの顔がうまく見られない。
 シロさんに嫉妬をすることすら、おこがましいとはわかっているのに。

「食べ歩きのほうがいいかな? 色々買って食べ歩く?」

 シロさんは、多分、気づいていて知らないふりをしている。
 お店の前のメニューを眺めながら、私の方を窺う。

 たくさんのお店が立ち並んでいて、試食や、食べ歩きメニューも売っているようだ。
 
 ふわりと吹いた風に乗って、バターの香りが漂ってくる。
 そちらを見れば、ホタテを殻付きで焼いていた。
 
 シロさんが、ゆっくりとホタテ焼に近づいていく。
 店の前で、網の上でジュウウウと音を立てながら、ホタテは汁を沸騰させている。

「食べる?」
「もちろんです!」

 頷けば、白いパックに乗せられたホタテを一つ私に渡してくれる。
 受け取ってじっくり観察すれば、バターが溶けたのかテラテラと輝いてた。

「あふいよ」

 はふはふと頬張りながらシロさんが、注意してくるのが面白くて、笑い声をあげてしまった。
 頬の横の白い毛を醤油で茶色く染めているし、おいしそうに目を細めてるのもいい。

 写真を撮ろうとスマホを片手で操作してるうちに、奪われてしまった。

「おいしいものは熱いうちに食べる! 持論だけどね」

 持論かもしれないけど、正しい気がする。
 いざ食べてみて、ダメだったらどうしよう。
 不安になりながらも、スマホをポケットにしまいこむ。

 そして、恐る恐る、ホタテを一口。
 プリっと身が弾けて、醤油とバター、それにホタテの出汁が口の中に広がった。

 ホタテはあまり好きじゃなかったのに、おいしい……。
 味がしないという印象が一気にひっくり返る。
 醤油とバターで味付けしてるから、おいしくないわけがはい。

「おいしいでしょ」

 殻に残った汁さえも、ごくんっと飲み干してからシロさんは茶色い口で笑う。
 私も釣られて笑えば、唇の横を指で示された。
 手で拭えば、どうやら私も口周りをベタベタにしていたらしい。

「手がかかる妹ですねぇ」

 シロさんは赤ちゃんを諭すように、わざとらしい口調で私の唇をおしぼりで拭ってくれた。
 手元のおしぼりを奪い取って、私もシロさんの口周りの茶色を拭いとる。

「シロさんもですよ」
「生意気な」
「生意気しかボキャブラリーないの、大丈夫そ?」

 煽り返すように口にすれば、手元のお皿と殻を私から奪い取って店員さんに返す。
 一つ食べたからだろうか、お腹が空いて来た気がする。

 ぐぅうっと小さい音で主張してきたお腹を隠すように、腕で抱きしめる。
 そして、勝ち誇った顔のシロさんから目を逸らす。
 周りのお店はどれもこれも、おいしそうに見えた。
 エビの塩焼き、メロン半分の上に乗せられたソフトクリーム、やたらと高いカラフルなソフトクリーム。
 たこ焼きや、焼きとうもろこしまである。

 目移りしながらも、次はどれにしようか悩む。
 シロさんがトントンと私の肩を叩いて、指し示した先には海鮮丼屋さん。

 引き戸がまるで、銭湯のようにも見える。
 でも、看板には「海鮮丼」と、デカデカと書かれていた。

 ナマモノは正直得意じゃない。
 お姉ちゃんが好きだったから、家族でのお祝い事はいつも海鮮だった。
 食べ飽きたのかもしれないけど、私は海鮮に興味を持てなかった。

「おいしかったんでしょ、ホタテ」
「そうだけど」
「苦手じゃなくなってるかもしれないじゃん、最近食べてないんでしょ」

 そんなこと言ったけ?
 不思議に思ったけど、シロさんのお見通しは今に始まったことじゃない。

「焼き魚定食とかもあるよ」

 海鮮丼を食べる勇気はでない。
 けど、焼き魚定食なら食べられる。
 好きかは、置いておいて食べられはする。
 シロさんは私の答えを聞く前から、海鮮丼にワクワクと目を輝かせていた。

 仕方なく頷けば、海鮮丼を食べて来た人たちだろうか。
「おいしかったねー!」や「あんなに盛ってて安いってやばい」など口々に言い合いながら、すれ違っていく。
 お腹を叩く仕草をする男の人もいた。

「行きましょう」
「やった!」

 私の後ろに回ったかと思えば、シロさんはぐいぐいと背中を押して進んでいく。
 先程指さしていた看板のお店に近づくたびに、怖さが少しだけ湧き上がってくる。
 海鮮がダメなわけじゃないのに、不安なのは、自分で選んだのに食べれなかったらどうしようって考えのせいかな。

 バクバクと音を立てる心臓を無視して、扉を開けばケースがまず目に入る。
 中には殻付きのホタテや、牡蠣、貝類が雑多に並べられていた。なんでもありな感じがする。

 店員さんはカウンター内から出てくることはなく、手で空いてる席を示して「そちらへどうぞー」と大きな声で迎え入れてくれた。
 初めての海鮮丼屋さんだ。

「どれにする? 焼き魚ならホッケ。あとは、ちょっとお高めだけど、キンキ」

 席に座れば、シロさんはメニュー表を渡してくれる。
 開けば、真っ赤な色をした魚がこんがりと美しく焼き上げられた写真。
 ご飯にお味噌汁、お漬物もついていて、ザ定食という見た目をしていた。

 エビの塩焼きや、アワビ、先ほど食べたホタテまである。
 海鮮丼のメニューの中には、焼き鮭をほぐした丼まであった。
 ナマモノが苦手な私でも食べられそうなものがたくさんあるじゃん。

「ほっけ、かな」
「いいねいいね! 食べたことある? 脂乗っててプリっとしてて、ジューシィーだよ、あ、脂乗ってると被るか」

 海鮮丼のメニューを前に、シロさんはいつになく饒舌に語り出す。
 よっぽど好きなのかもしれない。
 それでも、北海道といえばなのに、ご飯屋さんで選ばなかったのは、私が苦手かもしれないと考慮してだったのかな。

 また、一つシロさんの優しさを勝手に知って、じぃんっと感動してしまう。
 本当のお姉ちゃんだったら、いいなとまで心の中で勝手に願ってしまった。

「私は三色丼にしよ、カニとウニと、やっぱりホタテかなぁ」
「ホタテが好きなんですか」
「そう! 北海道来てから好きになったの!」

 メニューを決めたかと思えば、すぐ店員さんに注文する。
 目の前のおしぼりで暖を取れば、やっと心が落ち着いた気がした。

「北海道来てからって言いました?」

 おしぼりで両手を擦るように拭いていたシロさんに問い掛ければ、ハッとした顔をする。
 そしてすぐに、照れたように笑顔を作った。

「出身こっちじゃないんだ」

 ちょっと上擦った声に、聞かれたくない理由があるのかもしれない。
 私には優しい言葉を掛けてくれるのに、隠すんだな。
 当たり前か、私たちは他人なのに、親しくなってしまった。

 初日だったらするすると気軽に答えてくれたかも知れないけど。
 今になってこの歪な関係に、変な気持ちが芽生える。
 たった数日一緒に観光してるだけなのに、どこまで私は心を許していたんだろう。
 こんなに素直に話せるのは、他人だからと思っていたのに。

 私みたいに地元が嫌いな理由があるかもしれない。
 私は別に、地元は嫌いじゃないけど……親と合わないってだけ。
 だから、お姉ちゃんみたいに逃げ出せたらって毎日考えていた。

 シロさんの地元のことを聞いていいのかわからずに、一人考えてたら、ごはんが到着した。
 ウニはプリっとていてオレンジ色がきれいだし、カニは美しいピンク色だ。
 ホタテは透き通るように白い。

 私の方のホッケはといえば、表面に脂が滲み出ている。
 そういえば、骨抜きの魚を食べることが苦手なのを今更思い出した。
 箸を使うのが、多分、得意じゃない。

「いただきます」

 シロさんは話を中断して、両手を合わせて挨拶する。 
 そして、すぐさま口いっぱいに海鮮丼を頬張って幸せそうな笑顔を見せた。

「おいしいー!」

 シロさんの地元はやっぱり聞かないことにして、ホッケの身をほぐす。
 ちょうどいい塩加減に、魚とは思えないようなジューシィーさが口に広がっていく。
 箸で摘んだ身は簡単に剥がれて食べやすい。
 ポロポロと身が崩れて落ちることもないし、もしかしたら苦手意識で魚料理を避けてるうちに大丈夫になっていたのかもしれない。

 シロさんの幸せそうな顔を見ていれば、刺身も食べてみたくなってしまった。
 明日以降、食べてみよう。
 心の中で決意してから、おみそ汁を口にすれば魚のアラで作ってるらしい。
 魚の出汁がしっかりと溶け出していて、深い味わいになってる。

「魚っておいしいんですね」

 他の人にとっては当たり前のことかもしれない。
 わかっているのに、つい口に出していた。
 お祝いのたびに出てきて、好きなのはお姉ちゃんだよ、私じゃない! って思い込みから嫌いだったのかな。
 今になって思えば、ずいぶん幼稚な考え方だとも思う。

「おいしいよ、恵はどうして嫌いなの」
「飽きたと思ってたんですけど、そもそも最近は食べてなかったですね」

 思い返してみれば、家族揃ってのお祝いは、お姉ちゃんが大学に合格した時が最後だった。
 だから、魚を食べるの自体結構久しぶりな気がする。
 ここ最近の私の誕生日はいつも、おじいちゃんおばあちゃんと一緒だった。

 それでも、誕生日の朝起きて、お金だけ置かれたテーブルを見て、寂しいという感情が湧いていた。
 干渉しないでと言うくせに、一人は寂しかった。
 だから、おじいちゃん、おばあちゃんのお祝いに恥ずかしいと言いながら、嬉しかった。
 だから、帰った後にこっそり一人で泣いていたの。

 そして、そんなタイミングで掛かってくる、お姉ちゃんからの電話をうざい風に装って出た。
 でも、内心は、嬉しさのあまり飛び上がりそうだった。

「食わず嫌いみたいなもんだ!」
「かもしれないですね」

 おみそ汁を飲めば身体中があったまっていって、凝り固まった心もほぐれていく。
 まぁ、気がするだけだけど。
 今なら素直にお母さんにメッセージも送れるかも。

「恵は、お姉ちゃんに会いたい?」
「へ? 会いたいから、北海道来たんですよ」
「お母さん、お父さんのとこには帰りたくない? いや、なんとなくそんな気がした、だけだけどさ」

 帰りたくない、と即答できない程度には、少し寂しさが心の中に湧いている。
 連絡もろくに取らず、三日も離れてみればあんなに嫌いだった親でも会いたい気持ちが湧くのは不思議だ。

 「親がいるだけ幸せ」「お金を出してくれるだけいいこと」「感謝しなくちゃ」

 親に対する不満を彼氏にこぼした時に言われた言葉たちにあの時は、反発した。
 親がいたところで、不幸なパターンだってあるのに! と。
 不幸とまでは思っていないけど、私にとっては辛かった。

 お姉ちゃんと比較されて、型に嵌め込まれる。
 私の心の形は、どんどん歪になっていく気がした。

 選んでくれてる優しさは、あったかもしれない。
 お姉ちゃんが喜んでたから、私もという思い込みも、あったかもしれない。

 でも、私にとってそれは、悲しくて切ないことだった。

 嫌い、帰りたくない、と答えたら、シロさんは、なんて答えるだろうか。
 わかるよ?
 帰らなくていいんじゃない?
 それとも、彼氏みたいに「育ててくれた人なのに!」って決めつけてくる?

 想像してみても、シロさんに言われたら、立ち直れなさそうだった。
 だから、何も言葉にできない。
 ホッケの最後の身を口に放り込んで飲み込む。

「あ、答えたくないならいいけど」
「シロさんは、地元は好きですか?」

 聞かれたくない質問を聞かれた嫌がらせでは、全くもってない。
 でも、シロさんの答えを先に聞きたくなった。

「好き、かな。多分。育った愛着はあるし」
「でも、帰りたくないんですか」
「そんなこと言ってないじゃん」

 まるで、帰りたくないような言い方の「出身こっちじゃないんだ」だった。
 お水を飲んで唇を湿らす、言いづらい言葉はどうしても口の中でつっかえてしまう。

「でも、気まずそうな言い方だったんで」
「親と折り合いが悪くて。妹は可愛がられるのに、私はプレッシャーばかりで逃げ出してきた感じ?」
「本当にまんま、私の家みたい。お姉ちゃんばっかり愛されてる、私にはプレッシャーばかりって言う感じで逆ですけど」
「そんなことないんじゃない?」

 否定の言葉に、目を丸くしてしまう。
 シロさんはいつだって、優しい言葉ばかり返してくれたから甘えていたのかもしれない。
 不機嫌そうな言葉の音に、体の奥がひんやりする。

「シロさんはうちの家わからないでしょ。シロさんのとこだって、愛ゆえのプレッシャーだったかもしれないですよ」
「お姉ちゃんだって思ってたかもよ、恵ばっかりって」
「お姉ちゃんより恵まれてたことなんて、何一つ、なかったですけど!」

 シロさんはお姉ちゃんじゃない。
 それなのに、つい苛立ってしまう。
 私の気持ちなんて知らないくせに。
 真実は、そこにないのに、ついムキになってしまう。

「シロさんは何が不満だったんですか」
「愛されたかったの」
「愛されてたかもしれないのに」
「恵だってわからないでしょ」
「わからないですけど、シロさん見てると愛されて育ってきた人だと思いますよ!」
「なにが」

 シロさんの言葉はトゲトゲしていて冷たい温度で、私の身体中を締め付けていく。
 だって、自分で選べて、好きなものを理解できて、一人でこの地にいる。

 一人でしたいことして楽しんでるのは、芯を持って生きてるから。
 愛されてなかったら芯なんて持ち得ない。
 私みたいに選ぶこともできずに、好きなものもわからない人間になってしまう。

「シロさんは恵まれてますよ」

 シロさんの瞳から、光が消えてすぅっと心を閉ざされたのがわかった。
 心の底からそう思ったし、羨ましい。
 私なんて、好きなものも、選ぶことも、わからなくて今ここにいるのに、と。

「そう」

 それっきりシロさんは答えずに、お会計を済ませてしまう。
 この状況で温泉に二人で行くのは、さすがに苦しい。
 でも……どうしよう……

 頭に浮かぶのはお姉ちゃんだった。
 私は毎回悩むたびにお姉ちゃんに甘えては、許されてきたんだな。
 自分で今更実感して、乾いた笑い声だけが出そうになる。

「駅前からバス出てるから、ちょっと歩くよ」

 それでもシロさんは私をここで一人で置いていく気はないらしい。
 こんな時でも、優しさを忘れないのは、やっぱり愛されてきたからだよ、と追い討ちをかけたくなった。

 本当に性格が悪くて、どうしようもないな私。

 駅前までの道のりを無言のまま歩く。
 街並みはキレイだし、ガラスのお店がたくさんあって光の反射に目を惹かれた。
 それでも、ここ寄りたいとか、気になるは出てこなくて、ただシロさんの真っ白な毛並みを見つめて歩く。

 どれくらいの時間歩いていたかわからない。
 着いた小樽駅は、大きくてキラキラと光っている。
 シロさんは振り返ることなく、駅を素通りして横に逸れていく。
 バス乗り場があるのかもしれない。

 ほんの少し歩いた先にあったバス停の前で立ち止まって、近くにあるベンチに腰掛けてスマホをいじり始めた。
 もう私と口を聞いてくれる気はないらしい。

 私だってそれでいいけど、いいけど……

 隣に座って黙ってスマホを開けば、またお母さんからのメッセージが届いていた。
 【いつ頃帰ってくるつもりなの】と聞かれても、私も決めていない。
 お姉ちゃんに会えたら帰ろうとは思うけど、お姉ちゃんの方からは全然返事が来なかった。

 どこか観光をして、楽しんで……
 あれ……小樽に行くところって送ってきてた、悠木さんには!

 シロさんとの観光ですっかり忘れていたことを思い出して、お姉ちゃんの携帯に電話をかけてみる。
 プルル、プルルというツーコール目でガチャンと切られた。
 私からの電話に出る気はないらしい。

 どうして私の電話に、お姉ちゃんはこんなに出てくれないんだろう。
 悠木さんのメッセージには即レスしているのに、メッセージですら数時間後に観光地を送ってくるだけだ。

 お姉ちゃんに、私は嫌われている……?

 でも、今までそんな素振り一度も見せなかった。
 それとも、私と連絡を取れない理由が何かある?
 たとえば、彼氏と旅行中とか?

 一番しっくり来てしまって、肩の力が抜けた。
 お姉ちゃんにとっての優先順位が私より彼氏(架空)の方が大事ってことだろうか。

 だって、私は家出をして、知らない土地に来てるんだよ?
 それを伝えているのに、連絡が取れない理由なんて他にある?

 勝手に想像して、胃がムカムカとする。

「来たよ」

 一人で百面相してるうちに、バスが来ていたらしい。
 シロさんは私の肩をツンツンとつついてから、袖を引っ張る。
 目の前には、温泉の名前が書かれたバスが止まっていた。

 
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