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十月二十六日(水)白い封筒
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「フジさん……もう……」
だって、当人たちに聞きようがないじゃないか。
そう言おうとした。
しかし、京子は穴が開くほど一筆箋を見つめると、恐る恐る切り出した。
「……私、やっぱりこの歌もフクちゃんのものだと思うのです。だって、あれだけ歌を詠んできた人なんですよ?そう考えた方がむしろ自然じゃないですか。だけど、字は……麻人くんのお母さんだと思います」
「え?」
「だって、フクちゃんはずっと病気していたんですから。ろくに学校にも行けるわけないです。こんなきれいな字、書けると思います……?」
「あ……」
「何か、こう……写したんじゃないかしら、藤石先生」
「写すって何です。では、その『原本』はどこにあるんですか。思い付きで物を言うと事態が混乱するだけですよ」
京子はすみませんと肩を縮めた。さすがに、白井は藤石を咎める。
「フジさん、さっきから言い方ってあるでしょう」
「俺は充分配慮したつもりだ」
「もう僕はこれで良いような気がしているんです。確かに何かモヤモヤしますけれど、これ以上は無理です……全員死んでしまっているんですから」
白井は一筆箋を見つめて弱々しく笑った。
ところが、藤石は腕組みをして何やら不服そうに口を開いた。
「お前、この古い紙切れに翻弄されながら、結局は何もわからなかったというのに、よく満足げにしてられるな」
「満足したわけじゃないですけど……」
「まったく、また折れ曲がってるじゃないか」
見れば、一筆箋の四隅が折れ曲がっている。
「気に入らない。貸せ」
「……何を怒っているんですか」
白井と同じように、京子も心配げに藤石を見つめた。当の藤石は二人を気にする風もなく、一筆箋を丁寧に広げ始めた。
「シロップ、隅っこが破れているぞ」
「あ、フジさんにFAXを送る時に少し切れてしまったかもしれないです……」
「まったく、お前は書類に対する愛情が足りない」
京子が、何ですかそれと笑うのを無視して、藤石は四隅を広げた和紙をテーブルに置くと白井を睨みつけた。
「お前が破ったところは、千切れる寸前だぞ。紙の繊維もボサボサになっているじゃないか。何が大事な遺品だよ。笑わせんな」
白井は押し黙るしかなかった。藤石は言い方はヒドイが、どれもこれも正論だった。
藤石が千切れかけたところを繋げると、果たして一筆箋は正確な長方形を取り戻した。
「……おい」
藤石は白井を肘で突いた。
「お前これに気づいていたのか?」
広げた一筆箋を見せられると白井は顔を近づけた。
八、一、二――。
何やら数字が書かれている。
白井は首を横に振った。
「いえ……、何でしょうか、これ」
京子も覗き込む。
「なんです?何かあったんですか」
京子も同じ箇所を確認すると、ハチイチニと呪文のように何度かつぶやいた。
「何かしら」
三人がそれぞれ、同じように口の中でブツブツ唱えだした。
「先生、何かの暗号でしょうか」
「ここにいる息子への暗号ですか?全然伝わってないみたいですがね」
確かに、と京子は再び困ったように笑った。
白井も三つの数字脳裏に浮かべた。
「数字……西暦じゃないですよね。八一二ですもんね……」
「平安時代の歌なら、むしろ大発見だったな」
京子が手帳に漢数字や算用数字で書き並べた。
「日付じゃないですか?」
「僕もそう思います。三桁だから、八月十二日でしょうか」
八月十二日。
はち月。
じゅうににち。
「あ」
ふいに藤石が声を漏らした。
「フジさん、どうしました?」
「最近、これに近い数字を見たぞ。いや、偶然か」
「え?」
「俺、何度かこの数字をパソコンで打ち込んで……」
そして小柄な司法書士は大きく息を吸い込んだ。
「そうだ。登記原因だ」
そう言った。
三人の視線が交錯する。
「フジさん、それは何ですか」
「相続開始の日付、死んだ日だよ」
「死んだ日……?」
藤石は少し何か考え込むような顔をして、白井に言った。
「まずは復習だ。例の墓地の名義を持っていた柳田のじいさんが死んだ時、その名義をお前のばあさんとお前のお袋さんが相続した。それが例のボロボロの権利証に書かれていたよな?」
「は、はい」
「そこにどういうわけか、白井の大伯父が埋葬されていたわけだが、ヒサ江さんの話によれば当時は共同墓地だったことから、みんなで持っていたのを最終的に柳田じいさんが管理していたのかもな。それはともかく、墓地はシロップのばあさんとお袋さんが持っていたが二人の死後も放置されていて、この前、俺のおかげでようやくお前に相続されたわけだ」
藤石は眠そうな目を白井に向けた。
「相続の手続き書類には故人の死んだ日をやたらと書くわけだ」
「は、はあ」
「お前のばあさん。柳田タツの死亡の日付が八月十〇日だ」
――。
白井は一筆箋を見つめ、首を傾げた。
「……でも、ここに書いてあるのは八一二ですよ。それなら八一〇じゃなきゃおかしくないですか」
にわかに藤石が苦々しい顔をした。
「そんなことは、わかってるっての。何だよ、シロップ……せっかく俺が知恵を絞ってやってるのに、お前も少しは頑張れよ」
二人が深い溜息を吐いた時だった。
京子がハンカチで口元を押さえながら小さく声を上げた。
「せ、先生」
泣きそうな目が白井にも向けられる。
ハンカチ越しに、息を吸い込む音が聞こえる。
「京子さん。当たりですか」
藤石が勝ち誇ったように笑うと、がくがくと京子は頷いた。
「お葬式です。お通夜です。思い出しました」
「なるほど……死亡日の数日後、そういうことか」
京子は再び頭を抱えて、懸命に記憶を辿っているようだった。
葬式。
白井の中では、あまりに鮮明なあの白と黒の世界だ。
「上手く話せないかもしれないですけど」
京子が自信なさげに笑う。
「もう慣れましたよ。ご安心ください」
藤石の妙な励ましに、京子はゆっくり言葉を紡ぎ出した。
「柳田のタツさん……美津子さんの実のお母さんが亡くなった時、なぜか通夜に私も連れて行かれたんです。高校は卒業していたと思います……短大だったかな……働いてはいなかったから」
ずいぶんと低い声だ。聞き取りづらくて自然に白井たちは顔を寄せ合う形になった。
「葬儀の支度をするのに人手が足りないとか母が言っていた気がします。昔は今みたいに斎場なんかではなく自分の家でやっていましたから。とにかく大勢の親戚や地域の人たちが集まっていたんですよ」
京子が顔を持ち上げた。この短時間でずいぶん老け込んだように見える。
目を閉じて、その日の情景を思い出そうとしているのか、強く眉根を寄せている。
「母も通夜振舞いの支度でとられて、私一人で座敷にいました。何の役にも立たない私は、せいぜい座布団を並べたりお茶を出したり……町内会の人なんかも来ていたのかな……私は誰が誰だかわからなかったんですよ。親戚とはいえ、柳田のタツさんは、私の祖父のお兄さんの奥さんですから。そんなに接点もないですし」
無理ないでしょうね、と藤石が言った。それに京子は頷き返した。
「寂しくて退屈で、何時間そこに座っていたんでしょうか。少し離れたところに女性がいました。ああ、そうだ。みんながバタバタしているときに、その人だけ自分と同じように座っているから不思議だなと思ったんです。そうしたら、その女性の前に初老のおばさんが膝をついて話しかけていました。だから、ああ、悲しみに暮れていたのかなあ、慰めてもらってるんだなとその時は思ってたんです」
ちゃんと話が伝わっているか心配したのか、京子は白井を見た。
かまわず続けるようにと白井もうなずく。
「それで、しばらくしたら、おばさんも女性も泣き出して。そういう雰囲気がイヤだったので私は場所を変えようとして……あっ」
それで聞いたんだ、京子は声を上げた。
「如月の、深雪にどうこうって。棒読みだからお経だと思ったんですよ。何しろ、おばさんだから」
それが原本――。
藤石はじっと一筆箋を見ている。
「ああ、あれがフクちゃんだったんだ。柳田家のお葬式に来ていたんだ。そうだったのね」
京子はその顔を覆った。
「やっぱり、私はあの時に歌を聞いていたんですよ」
「その座っていた女性はどうしました」
藤石の言葉に再び顔を上げて、京子はまた思い出しながら苦しそうな顔で続けた。
「フクちゃんが立ち去ってからも、しばらく一人で泣いていましたね。みんなそれどころじゃないくらい忙しくしていましたから、特別な人なのかと思いました。あと香典袋に何か書いたりしてました。うん、今思えばあれは香典だったんだろうな。キラキラした紐がついていたから」
「香典袋……?」
ふいに、藤石が顔を上げた。
「シロップ、お前なら何度も葬式やっているからわかると思うけど、普通、香典ってのは葬儀が始まる前に渡すよな。通夜振舞いのタイミングまで持っているって、どうなんだ?」
「え?何ですか、急に」
「その女性、座敷に上がり込むくらいだから、おそらく故人と近しい人間だろう。でも、一人ぼっちで座り込んでいるなんて、なかなか考えにくいと思わないか?何か事情がある間柄なんだよ」
「……」
「おそらく、お前のお袋さん、美津子さんだ。勘当も同然の身だけど、さすがに実の母親の葬儀には顔を出すだろうしな。すでに嫁いでいたから、白井家の香典を持ってきていたわけか。ただ、それも出しそびれたんだろうな」
「麻人くんのお母さん?そんなまさか、そうしたら」
京子の目から一気に光が失われる。
「白井の家の人に出会ってしまったなら、フクちゃんは……」
間違いない。
フクは、ずっと待っていたのだから。
煩わしそうな顔で藤石が口を開く。
「白井の嫁と知って、美津子さんに話しかけたのでしょう。そして、想い人のことを聞いてしまったんだと思いますよ。シロップのお袋さんも、白井家の仏壇に誰の遺影が並んでいるか知っているだろうからな。普通に答えただろうな」
幾度目の間だろうか。
白井は一筆箋を睨むように見つめ続けた。
麻人の死をフクには秘密にするという約束を、母が知るわけがない。聞かれたままに話しただろう。
「フクさんは大伯父が死んだことを知ったから、泣きながら歌を残したんですね。全部知ってしまって……でも……それも忘れて……」
京子も背もたれに寄りかかり、何だか小さくなっている。そして、そっとつぶやいた。
「辛いですね」
どこまでも救われない話だ。
――母さん、だから隠していたの?
――でも、何かを知って欲しいから、墓地と歌の秘密を僕に遺したんでしょう?
自問自答ばかりが、頭をめぐる。
これで良かったのか、確認のしようもないじゃないか。
「なるほど、袋か」
突然、藤石が楽しそうな笑みを浮かべて言った。
「ふん。やはり、中身は綺麗に書き直したもののようだな。しかし本体はどこへ行ったのやら」
「中身?」
「本体?」
白井も京子も暗い視線で藤石を見つめた。それを藤石は真っ向から睨みつけた。
「まったく、情緒の欠片もないのかよ。フクばあさんが恋い焦がれた相手を想って読んだ歌、一番に聞かせてやりたい相手は誰だよ」
――如月の深雪に惑う苔石の。
「シロップのお袋さんは、それがわかっていたから、フクばあさんが詠んだ当時の状態で白井麻人の仏前に手向けたかったんじゃないか?」
――色は変はらじしんと春待つ。
「……あ……」
京子がハンカチを握りしめ、泣きそうな顔で頷いた。
藤石はテーブルの隅で紙ナプキンと同化していた白い封筒を手にとった。
「京子さん、シロップのお袋さんは、当時香典袋に何か書いていたんですね?」
「は、はい。きっと、そうだと思います」
藤石が一筆箋が入っていた白い袋を白井の前でヒラヒラさせた。
「こいつは香典の中袋だよ」
「……え」
「一筆箋は白井美津子が書き直したダミーだ。本物は……さて、いつも大事なモノはどこにしまってあるのかな」
藤石がやたら好戦的な顔をした。
「白井美津子が実際に書き留めたモノが見つかれば、京子さんのモヤモヤした長話も、真実だってことだよ」
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