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マザコン・リモコン
◆
講義が終わり、生徒たちが三々五々と講義室を後にしていく。
ハインは席に座ったまま、丁寧にノートを整理していた。
ヘルガの講義内容を一言一句漏らさず記録し、さらに自分なりの注釈まで加えている。
その真剣な横顔を、エスメラルダは数歩離れた場所から観察していた。
「素晴らしい講義でしたわね」
エスメラルダが声をかけると、ハインは顔を上げた。
その表情はまだ講義の余韻に浸っているかのように、普段より柔らかい。
「当然だ。母上の講義が素晴らしくないはずがない」
ハインは自信満々に答えながら、ノートを閉じる。
「特に今日の実演は見事だった。種から花を咲かせるまでの過程における魔力の流れ、その繊細な制御。まさに芸術的だったな」
エスメラルダは頷きながら、ハインの隣の席に腰を下ろした。
「ヘルガ様の魔術、本当に素晴らしかったですね。でも、ハイン様があんなに真剣に祈っていらしたのは何故ですか?」
その質問に、ハインは胸を張った。
「当然だろう。母上があれほど神聖な魔術を行使される時、俺が祈りを捧げないわけがない」
堂々とした宣言だった。
「母上の魔術は単なる技術ではない。それは芸術であり、奇跡であり、この世界に顕現した至高の美なのだ。俺はその瞬間に立ち会えることに感謝していたに過ぎない」
エスメラルダは、その熱弁に少し圧倒されながらも微笑んだ。
「まあ、素敵ですわ。息子としてヘルガ様をそこまで尊敬していらっしゃるなんて」
「尊敬? そんな生ぬるい言葉で表現できるものではない」
ハインは首を横に振った。
「母上は俺にとって、太陽であり、月であり、星々の輝きそのものだ。母上なくして俺という存在はありえない」
その言葉には一片の恥じらいもなかった。
むしろ誇らしげですらある。
エスメラルダはこの機を逃さなかった。
「それにしても、ヘルガ様はどうやってあれほどの技術を身につけられたのでしょう? やはり日々の修練の賜物ですか?」
案の定、ハインの目が輝き始めた。
「よく聞くがいい」
ハインは身を乗り出して語り始める。
「母上の魔術の才能は確かに生来のものだ。しかし、それを今日のような高みにまで昇華させたのは、たゆまぬ努力の結果に他ならない」
「まあ、やはりそうでしたか」
「母上は毎朝、日の出前に庭へ出て植物たちと対話をされる。それは単なる水やりではない。一つ一つの植物の状態を魔力で感じ取り、必要なものを与える。まさに魔術修練そのものだ」
ハインの声には誇らしさが滲んでいる。
「さらに母上は、古今東西の植物魔術に関する文献を読み漁り、理論的な裏付けも怠らない。実践と理論の両輪で、常に技術を磨いておられるのだ」
エスメラルダは感心したように頷きながら、さりげなく次の質問を投げかけた。
「ハイン様も、そのような修練をされているのですか?」
途端にハインの熱が冷めたかのように、表情が曇る。
「……まあ、それなりには。で? 話は終わりか? 俺は次の講義の準備がある」
明らかに気のないどころか、今この瞬間、エスメラルダと話す事は世界で一番面倒くさい作業の一つだとでも思っているかのような声色。
瞳の輝きも一瞬で消える。
エスメラルダは内心で苦笑した。
やはりこの少年は、自分のことになると途端に興味を失うらしい。
ただ、ハインのこの反応はエスメラルダに“気づき”を与えた。
──もしかしたらハイン様とコミュニケーションを取る事は案外そう難しくないのかもしれません
「でも、ヘルガ様のような素晴らしい方が身近にいらっしゃるなら、きっと良い刺激を受けているのでしょうね」
エスメラルダがそう水を向けると、ハインは少し考えるような顔をした。
機嫌も刹那でなおったようだ。
「確かに、母上から学ぶことは多い。特に魔術に対する姿勢というか、心構えというか……」
そこで言葉を切り、窓の外を眺める。
「母上は常におっしゃる。『魔術とは力を振りかざすためのものではない。世界をより良くするための道具だ』と」
──なお、ヘルガはそんなことは言っていない。
ハインの脳内では日々、ヘルガの新たな名言が生み出されているが、もし真偽鑑定の魔術をかければ、その八割以上がハインの妄想が作り出した産物だと判明するだろう。
実際のヘルガの発言は「〇〇の魔術は便利よね」程度のものが、ハインの脳内で壮大な哲学的言説に変換されているのだ。
「素敵な言葉ですね」
「ああ。だから俺も……」
ハインはそこで口をつぐんだ。
何かを言いかけて、やめたようだった。
エスメラルダは追及せず、話題を変えることにした。
「そういえば、もうすぐ母の日ですよね」
その言葉に、ハインの肩がぴくりと動いた。
「そ、そうか? 俺は特に意識していないが」
明らかに動揺している。
エスメラルダは心の中でクスリと笑った。
「私は母に手紙を書こうと思っているんです。ハイン様は何かご予定は?」
「べ、別に何も」
ハインは慌てたように立ち上がり、荷物をまとめ始めた。
「そろそろ次の講義の準備をしなければならない。失礼する」
そう言って足早に講義室を出て行こうとする。
しかし扉の前で立ち止まり、振り返った。
「エスメラルダ」
「はい?」
「お前は……その、どういうものを贈れば、女性は喜ぶと思う?」
唐突な質問に、エスメラルダは一瞬きょとんとした。
しかしすぐに状況を理解し、優しく微笑んだ。
「それは相手によりますが……でも一番大切なのは、贈る人の気持ちだと思います」
「気持ち、か」
ハインは何か考え込むような顔をした。
「高価なものでなくても、その人のことを思って選んだものなら、きっと喜ばれますよ」
エスメラルダの言葉に、ハインは小さく頷いた。
「……確かにそうだ。高価であれば、希少であれば良いというわけではない。あくまでも優先すべきは気持ち……。うむ、参考になった」
そう言い残して、今度こそ講義室を出て行く。
次の講義は帝国史で、教室を移動しなければならない。
エスメラルダは口元に軽く笑みを浮かべる。
「本当に分かりやすい人」
呟きながら、自分も荷物をまとめ始める。
ハイン・セラ・アステールという少年は、確かに変わっている。
傲慢で、他人を見下していて、自分以外のことには興味を示さない。
しかし母親のこととなると、まるで別人のように熱心になり、時には年相応の少年らしさも見せる。
そんなハインの姿がエスメラルダにはやたらと愛らしく見えてしまうのだった。
講義が終わり、生徒たちが三々五々と講義室を後にしていく。
ハインは席に座ったまま、丁寧にノートを整理していた。
ヘルガの講義内容を一言一句漏らさず記録し、さらに自分なりの注釈まで加えている。
その真剣な横顔を、エスメラルダは数歩離れた場所から観察していた。
「素晴らしい講義でしたわね」
エスメラルダが声をかけると、ハインは顔を上げた。
その表情はまだ講義の余韻に浸っているかのように、普段より柔らかい。
「当然だ。母上の講義が素晴らしくないはずがない」
ハインは自信満々に答えながら、ノートを閉じる。
「特に今日の実演は見事だった。種から花を咲かせるまでの過程における魔力の流れ、その繊細な制御。まさに芸術的だったな」
エスメラルダは頷きながら、ハインの隣の席に腰を下ろした。
「ヘルガ様の魔術、本当に素晴らしかったですね。でも、ハイン様があんなに真剣に祈っていらしたのは何故ですか?」
その質問に、ハインは胸を張った。
「当然だろう。母上があれほど神聖な魔術を行使される時、俺が祈りを捧げないわけがない」
堂々とした宣言だった。
「母上の魔術は単なる技術ではない。それは芸術であり、奇跡であり、この世界に顕現した至高の美なのだ。俺はその瞬間に立ち会えることに感謝していたに過ぎない」
エスメラルダは、その熱弁に少し圧倒されながらも微笑んだ。
「まあ、素敵ですわ。息子としてヘルガ様をそこまで尊敬していらっしゃるなんて」
「尊敬? そんな生ぬるい言葉で表現できるものではない」
ハインは首を横に振った。
「母上は俺にとって、太陽であり、月であり、星々の輝きそのものだ。母上なくして俺という存在はありえない」
その言葉には一片の恥じらいもなかった。
むしろ誇らしげですらある。
エスメラルダはこの機を逃さなかった。
「それにしても、ヘルガ様はどうやってあれほどの技術を身につけられたのでしょう? やはり日々の修練の賜物ですか?」
案の定、ハインの目が輝き始めた。
「よく聞くがいい」
ハインは身を乗り出して語り始める。
「母上の魔術の才能は確かに生来のものだ。しかし、それを今日のような高みにまで昇華させたのは、たゆまぬ努力の結果に他ならない」
「まあ、やはりそうでしたか」
「母上は毎朝、日の出前に庭へ出て植物たちと対話をされる。それは単なる水やりではない。一つ一つの植物の状態を魔力で感じ取り、必要なものを与える。まさに魔術修練そのものだ」
ハインの声には誇らしさが滲んでいる。
「さらに母上は、古今東西の植物魔術に関する文献を読み漁り、理論的な裏付けも怠らない。実践と理論の両輪で、常に技術を磨いておられるのだ」
エスメラルダは感心したように頷きながら、さりげなく次の質問を投げかけた。
「ハイン様も、そのような修練をされているのですか?」
途端にハインの熱が冷めたかのように、表情が曇る。
「……まあ、それなりには。で? 話は終わりか? 俺は次の講義の準備がある」
明らかに気のないどころか、今この瞬間、エスメラルダと話す事は世界で一番面倒くさい作業の一つだとでも思っているかのような声色。
瞳の輝きも一瞬で消える。
エスメラルダは内心で苦笑した。
やはりこの少年は、自分のことになると途端に興味を失うらしい。
ただ、ハインのこの反応はエスメラルダに“気づき”を与えた。
──もしかしたらハイン様とコミュニケーションを取る事は案外そう難しくないのかもしれません
「でも、ヘルガ様のような素晴らしい方が身近にいらっしゃるなら、きっと良い刺激を受けているのでしょうね」
エスメラルダがそう水を向けると、ハインは少し考えるような顔をした。
機嫌も刹那でなおったようだ。
「確かに、母上から学ぶことは多い。特に魔術に対する姿勢というか、心構えというか……」
そこで言葉を切り、窓の外を眺める。
「母上は常におっしゃる。『魔術とは力を振りかざすためのものではない。世界をより良くするための道具だ』と」
──なお、ヘルガはそんなことは言っていない。
ハインの脳内では日々、ヘルガの新たな名言が生み出されているが、もし真偽鑑定の魔術をかければ、その八割以上がハインの妄想が作り出した産物だと判明するだろう。
実際のヘルガの発言は「〇〇の魔術は便利よね」程度のものが、ハインの脳内で壮大な哲学的言説に変換されているのだ。
「素敵な言葉ですね」
「ああ。だから俺も……」
ハインはそこで口をつぐんだ。
何かを言いかけて、やめたようだった。
エスメラルダは追及せず、話題を変えることにした。
「そういえば、もうすぐ母の日ですよね」
その言葉に、ハインの肩がぴくりと動いた。
「そ、そうか? 俺は特に意識していないが」
明らかに動揺している。
エスメラルダは心の中でクスリと笑った。
「私は母に手紙を書こうと思っているんです。ハイン様は何かご予定は?」
「べ、別に何も」
ハインは慌てたように立ち上がり、荷物をまとめ始めた。
「そろそろ次の講義の準備をしなければならない。失礼する」
そう言って足早に講義室を出て行こうとする。
しかし扉の前で立ち止まり、振り返った。
「エスメラルダ」
「はい?」
「お前は……その、どういうものを贈れば、女性は喜ぶと思う?」
唐突な質問に、エスメラルダは一瞬きょとんとした。
しかしすぐに状況を理解し、優しく微笑んだ。
「それは相手によりますが……でも一番大切なのは、贈る人の気持ちだと思います」
「気持ち、か」
ハインは何か考え込むような顔をした。
「高価なものでなくても、その人のことを思って選んだものなら、きっと喜ばれますよ」
エスメラルダの言葉に、ハインは小さく頷いた。
「……確かにそうだ。高価であれば、希少であれば良いというわけではない。あくまでも優先すべきは気持ち……。うむ、参考になった」
そう言い残して、今度こそ講義室を出て行く。
次の講義は帝国史で、教室を移動しなければならない。
エスメラルダは口元に軽く笑みを浮かべる。
「本当に分かりやすい人」
呟きながら、自分も荷物をまとめ始める。
ハイン・セラ・アステールという少年は、確かに変わっている。
傲慢で、他人を見下していて、自分以外のことには興味を示さない。
しかし母親のこととなると、まるで別人のように熱心になり、時には年相応の少年らしさも見せる。
そんなハインの姿がエスメラルダにはやたらと愛らしく見えてしまうのだった。
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