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第一章 火の鍵の乙女
ぼくは貢ぐチョコレートサンデー。
しおりを挟む途中何度も後ろを振り返りながら、人ごみの中を早足で歩いた。
隣にはかわいい女の子。その娘と手をつないで歩いている。形だけみればこんな幸せな状況はぼくの人生始まって以来かも知れない。だけど心はちっとも穏やかじゃなかった。
つい今しがたの出来事を思い返す。とても現実とは思えなかった。だって白昼の街中で剣を振りかざした人間に追い回されるなんて、おかしい。絶対におかしい。
ここは日本だぞ?
のほほんとしたお人好しの日本人が暮らす、安全安心の国日本だぞ?
なかば恐怖、なかば怒りに駆られながら足早に歩いていると、
「あの……遼太さん?」
「え? あ、はい」
いきなり名前を呼ばれて、ぼくはどきっとして立ち止まった。
女の子は少しの間視線を泳がせたあと、ぼくに視線を戻して、言った。
「あの……わ、わたしをひらいてください!」
「え? あ……はい?」
彼女はぎゅっと手を握り合わせて、大きな声で言ったのだ。
「わたしをひらいて、世界を救って下さいっ!!」
「…………」
頭の中、真っ白。
「…………」
道ゆく人々の奇異の視線が痛い。
ぼくは何を言われたのか理解できず固まっていた。
なにを言っているんだ、この娘は?
女の子は上目遣いにぼくを見据えている。
ぎゅっと噛みしめた唇が小刻みに震えている。
目には涙がいっぱいで、今にもこぼれそうだ。
「……え……えーと、あのさ……」
「……じゃないですから」
「え?」
「中二じゃないですから! 十七ですから!!!」」
いや、うん、中二病ってのはね、年齢じゃないんだ。
いやいや、そうではなくて、べつにきみが中二病だなんて言ってない。
言ってないから泣かないで。
「とっ……とりあえず……」
これ以上何か変なことを口走られるのは困る。とにかく通行人の視線が痛い。
ぼくは女の子を引っ張って、目についたカラオケボックスに入った。
話も聞きたかったけれど、それ以上に隠れたかった。
人ごみから。
追っ手から。
+ + + + +
ようやく女の子を落ち着かせて、ドリンクをオーダーし、ぼくは深くため息をついた。ここに来るわずかな間にいろんな冷や汗をかいた。冷や汗にこんなにバリエーションがあるなんて知りたくなかった。
まったくなんて日だろう。訳も分からず追いかけ回されるし、背中の傷はうずくし……。
そうだ! 傷!
「あいたたた……」
意識したとたん、ぴりっとした痛みを背中に感じる。
「大丈夫ですか……?」
女の子がぼくの後ろをのぞきこんで、「きゃっ」と 小さく悲鳴をあげる。
「え? なに?」
ぼくの身体どうなってるの? 自分じゃ見えないからものすごく不安になるんだけど。
「たいへん。早く手当てしないと」
言われるままにシャツを脱いでみる。
「うわあ……」
思わず声が出てしまった。
背中がばっくり切り裂かれている。あまり血はにじんでいないからそんなに深い傷ではないようだ。けれど痛いものは痛い。
女の子が傷の手当てをしてくれた。と言ってもハンカチでぬぐうくらいしかできなかったが。
濡らしたハンカチを傷口に押し当て、ていねいに拭いてくれた。
(いたいいたいいたい!)
傷口がぴりぴりとしみるけど、声をあげるのはなんとか堪える。顔を見られてなくて、よかった。やせ我慢だけど、やっぱり女の子にかっこ悪いところは見せたくなかった。
「ごめんなさい。わたしのせいで、こんなことになってしまって」
女の子が本当にすまなそうに言った。
こんな美少女にこんなしおらしい態度でしゅんと頭を下げられたら文句なんか言えるわけがない。男としてはこう答えるしかなかった。
「いや、いいよ。ぼくの方こそハンカチを汚しちゃって、ごめん」
あらためて向き合うと、ほんとに可愛い。可憐、と言ったらいいんだろうか。
なんてちっちゃい顔なんだ。お人形さんみたいだ。
まっすぐなさらさらの黒髪はウエストの辺りまで届くほど長い。そのウエストはものすごく細い。細すぎる。片手でつかめる、と言っては大げさだけど、両手の内に収まりそうな気はする。
黒いワンピースに黒いニーソックス。ショートブーツも黒。黒ずくめ。
(魔女みたいだな)
とびきり可愛い、妖精みたいな魔女だ。
唇だけが赤い。真っ赤だけどしっとりした命も感じられて、とてもなまめかしい。
「どうしました?」
「い、いや……」
思わず見とれていたことに気づいて、どきまぎしながら視線を外した。変に思われたかな。可愛い娘と二人きりで密室。うう、今更ながら緊張する。
「先ほどは助けて下さって、ありがとうございます」
女の子が丁寧に頭を下げる。
「うん?」
「わたしをかばって、後ろに居てくれましたよね。とても心強かったです」
「いや……」
無我夢中だったからよく覚えていないけど、この娘を守らなきゃ、という思いが意識の片すみにあった気がする。女の子を盾にして逃げるほど恥知らずなことはしなくて済んだようで、よかった。
いくらぼくがへたれでも、それをやったら死ぬほど後悔したに違いない。
頭をかいたぼくに、女の子は笑い返してくれた。初めて見せてくれた微笑み。なんかものすごく照れる。困った。こんな時はどうしたらいいんだ?
ちょうどそこに、オーダーしたドリンクがやってきた。
(助かった)
一番安いウーロン茶に口をつける。その瞬間、ぼくは夢中でそれを飲み干した。
ものすごく喉がかわいていたことにやっと気がついたのだ。インターホンに飛びついて、もの凄い勢いでお代わりを頼む。
ほっとひと息ついて顔を上げると、女の子がくすくすと笑っている。
ぼくは困ってうつむいた。気恥ずかしくていたたまれない。
一方、女の子が頼んだのはチョコレート・サンデー。こんな時でも甘いものは別腹なのか。すごいなある意味。
それを前にした女の子の喜びようと言ったらなかった。
「うわあぁぁぁい!」
すでに目がハートだ。
そしてぱくりとひと口。
「ん~~~」
と、ちいさく手を振る。微笑ましい。こんなに喜んでくれるなら、いくらおごっても惜しくない。
……こうやってぼくは、女に貢いでいくのかな。
それはともかく。
「ところで……」
訊きたいことは山ほどある。ありすぎて混乱してしまう。けどまずは。
この少女は何者なのか。
あの剣士は何者なのか。
なぜ追われていたのか。
全然「まずは」じゃないけど、それは知りたい。
追われていたから、かよわいから正義とも限らない。もしかしたら義はあの剣士にあり、この女の子こそ不義理をはたらいたのかもしれない。
いや、それを言ったら世界中の戦争なんて、どっちが正義かなんてない。どっちも自分は正義で、相手が悪だと思って戦っている。正しいから勝つのではなく、勝った者が正しいのだ。
とは言っても、だ。刃物を持って女の子を追い回すのはとても正義とは言えない。
それと、もうひとつ。
「なぜぼくの名前を知ってるの?」
さっきこの娘は確かにぼくの名前を呼んだ。
この娘とは初対面のはずだ。少なくともぼくは会ったこともない。なぜぼくを知っているのだろう?
ぼくが言葉を切ると、彼女は表情をあらためて座りなおした。空気が再び張り詰める。
はずなんだけど。
きゅっと引き結んだ形のいい唇の端には、クリーム。
ひざの上に置いた小さな手に握りしめた、スプーン。
「とりあえず、クリーム拭いて」
「ん~~~」
ナプキンで口を拭いてあげると、女の子は猫みたいに目を細めた。
ああ、なんか緊迫感が台なし。
「……あ、ありがとうございます」
ちょっと赤面しながら、彼女は口を開いた。やっと本題に入れそうだ。
「ご迷惑をおかけして、ごめんなさい。
わたしは火浦サキといいます。
さっき追ってきた剣士は異世界から来たみたいです……わたしを殺すために」
突然飛び出した物騒な言葉に、ぼくは心臓がぎゅっと掴まれる音を聴いた気がした。
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