幸福の王子は鍵の乙女をひらく

桐坂数也

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第一章 火の鍵の乙女

ぼくと少女と逃避行ふたたび。

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「ごめんなさい。あんなことになるなんて思わなかったです……」
「気にしないで。しょうがないよ」

 あまりにしゅんとしているサキを見ると、可哀想になってくる。

 カラオケボックスを出たぼくらは少し買い物をして歩いていた。
 百均でウインドブレーカーを買ったり――ばっさり斬られたシャツは目立ち過ぎたから――ぼくの治療用に薬を買ったりしていると、ちょっとしたデート気分になってくる。

(と、あぶないあぶない。あやうく勘違いするところだった)

 女っ気のないぼくには、女の子と並んで歩いたような覚えがあまりない。なのでこの状況は素直に嬉しい。
 もちろん隣を歩く女の子――サキはぼくの彼女でもなんでもない。でもぼくを訪ねてきたということは、これから何かしらの関わりが生まれる可能性もあるわけだよね。

 いやいやいや、と再びぼくはぬか喜びを戒める。
 こんな可愛い娘と知り合っただけでも奇跡、というより、神さまの気まぐれじゃないかと思える。
 神さまってけっこう残酷だからな。
 そう、例えば丸腰の素人を手練れの剣士の前に放り出して、こう言うのだ。

「さあ、この娘を守ってみせよ。さすればこの娘はなれのものだ」

 ……無茶が過ぎるだろ、神さま。


+ + + + +

 ぞくっ。

 不意にぼくは背筋に寒気を感じた。
 思わず振り返りそうになって、必死でその動きを止める。

 武芸の心得なんて、ぼくには全然ない。ないけど今納得した。身をもって。
 これが殺気というものか。

「どうしたですか?」

 不思議そうにサキが訊いてくる。多分ぼくの顔色は相当悪いはずだ。
 冷や汗まみれで、前を見たままぼくは答えた。

「後ろを見ないで、そのまま歩いて……。追っ手だ」
「え?」

 確認したいのだけど、怖くて振り向けない。
 後ろを振り向いた瞬間、襲いかかって来るような気がする。

(落ち着け。落ち着け。こんな街中で襲ってくるわけがない)

 ぼくは自分に言い聞かせた。追っ手の剣士の得物がさっきの剣なら、こんな人通りの多いところで仕掛けてくるとは思えない。人が邪魔になって自由に振り回せないし、なにより人目に付きすぎる。常識的な判断力を持っているなら、ここで事を起こすことはないはずだ。

 ――異世界人にもここの常識が通じるといいけど。

 気がつくと、サキはぼくの服の裾をつまんでいた。表情が硬い。緊張している。
 気の利いたヤツならここで、ぎゅっと手を握って安心させてやるところなんだろう。残念だけど、ぼくにはそんな度胸も図々しさもなかった。

 けれど、少しでも元気づけてあげたかった。心からそう思ったんだ。

「大丈夫、心配しないで」

 ぼくがいるから、とは言えなかった。へたれだな。

「もうすぐ駅だ。電車で移動しちゃえば、何とかなるよ」

 なんの根拠もなかったけど、ぼくはそう断言した。
 サキもうなずいてくれる。

 言った通りにすぐ駅が見えてきて、ぼくは全身の力が抜けそうになった。
 すべての目的を果たしたかのような気分になってしまった。いや、まだまだだ。

 逃げないと。
 サキを守らないと。

 サキを前に改札を通す。続いてぼくも改札を抜ける。

(追って来るかな?)

 諦めるという選択肢はないだろう。
 と、後ろで改札の警報が鳴った。派手に響く音に思わず後ろを振り返ってしまう。

 帽子にフードの人物が、改札を振り切って走り出すのが見えた。

(ここで仕掛けるのか!)

 速い。ぼくなんか足元にも及ばないほど鍛え抜かれ、無駄がない。
 素早く人を避けて身を躍らせる。なんて動きだ。

「走れ!」

 サキが弾かれたように飛び出した。さっきもそうだった。いい勘をしている。
 ぼくも後を追った。二人で必死に走り、通路の突き当りを曲がって階段を駆け上がる。

 その寸前、角を曲がった直後にぼくはしゃがみこんだ。息を殺して角の向こうをうかがう。

 そこへ。

 剣士が全力で飛び込んできた。

(今だ!)

 足を伸ばしてその足を払う。

 剣士が綺麗に吹っ飛んだ。
 勢いがついているところで足を掬われたのだから、いかな身体能力が高い戦士といえどただではすむまい。
 剣士は見事なまでに滑空し、それでも受け身をとってダメージを殺そうとする。
 すごいな。さすがとしか言いようがない。

(と、感心してる場合じゃない)

 剣士の脇を駆け抜けて、サキの後から階段を上がる。
 ちょうど電車が来て人の流れが階段を降りて来る。これも少しは防壁になるか。
 電車に飛び乗って後ろを見る。

 それでも発車ベルが鳴っている間に、剣士が階段を駆け上がってきた。
 サキを連れて隣の車両へ移動する。
 車両に飛び乗った剣士が追ってくる。周りの人を押しのけて、ぼくらは走ってさらに次の車両に移る。
 そしてドアが閉まる寸前、車両を飛び降りた。

 ぼくの脇を列車が走りすぎていく。
 肩で息をしながら、ぼくは祈るような気持ちで見つめていた。どうかもう、来ないでくれ……。

 そして列車が走り去り、人がいなくなったホームで、ぼくはへたり込んだ。

「大丈夫ですか!?」

 サキが驚いてのぞき込む。
 いや、大丈夫、と言いたいけど、そんな余裕がなかった。もうだめだ。もういやだ。なんでこんなことになっているのか? どうしたらいいのか?

 呼吸は落ち着いてきたが、何も考えたくなかった。逃げたかった。むしょうに逃げたかった。だが、どこへ? 自分が追われているのに。

 ふと見ると、サキが心配そうにぼくを見ていた。ぼくはサキに怒りを叩きつけそうになり――そして我に返った。
 サキだって追われている。知人とはぐれ、ひとりぼっちでここまで来たのだ。どれほど心細かっただろう。

「ごめん。ちょっと力が抜けただけ」

 できるだけ明るく笑って、ぼくは立ち上がった。心配させちゃいけない。この娘を守ってあげなくちゃ。

「では、預言の書を取りにいきますか」


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