幸福の王子は鍵の乙女をひらく

桐坂数也

文字の大きさ
6 / 59
第一章 火の鍵の乙女

ぼくの独り暮らしに素敵ないろどり。

しおりを挟む
 反対側の電車に乗り、駅から歩くこと十五分、自分の部屋に帰りついて、ぼくは心底ほっとした。
 まだ何も終わっていないのだけれど。

「ともかくまあ、上がってよ。散らかってるけど」

 まさか女の子を自分の部屋に上げる日が来るとは想像、はしていたが想定はしていなかったな。
 けど悔いたところで、今さらである。

「探してみるから、その辺に座ってて」

 ぼくは押し入れを開けて、手近なものを押し込んで片づけながら本の箱を開いて回るという、器用な真似に挑戦していた。
 それほど物が多い部屋ではないけど、やっぱり少しは小奇麗に見せたい。

 そして目指す本は……どこにしまったかな。
 実家から持ってきた中にはあったはずだ。そして今手持ちの本はさほど多くはないはずだけど、いろいろ買い足しては適当にしまっているから、わかりにくいことこの上ない。

「……ん、あったあった!」

 奥のいくつ目かの段ボールの中に、それはあった。
 ただの白い表紙。『異界の冒険』と、タイトルだけが印字してある。

「しかし、これが預言の書とはねえ……」

 正直言って、家庭用のプリンターで作ってももう少しマシなものができそうだ。
 百科事典のような立派な皮張りの装丁、とまでは言わないけど、世界の命運を左右する本ならもう少し威厳があってもいいんじゃないだろうか。
 そう思いつつも、やっぱり懐かしい。思わず表紙をなでた。

 この本はよく読んだ。内容もよく覚えている。6章あって、それぞれの章でそれぞれのヒロインが出てきて主人公と冒険していく。ピンチに陥ると、主人公がいろいろな手順を踏んで――呪文であったり魔法陣であったり――ヒロインを覚醒させ、敵をやっつける。
 敵を撃退するたび主人公は力を手に入れ、ランクアップする。けれど同時に怪我をしたり、身体のどこかを失ったり、最後には次元の狭間に落ち込んで生死も不明になってしまう。でも今まで一緒に戦ってきたヒロインたちの「祈り」によって主人公は復活し、神に等しい存在となる。
 そんなお話しだった。

 それのどこに、そんなに惹かれたんだろう? 今となってはよく覚えていない。ハマるってそんなもんじゃないかな?
 強いて言うなら、おのれの犠牲を省みずヒロインを助け続けてぼろぼろになって、それでもメゲずに敵に立ち向かう主人公の姿だろうか。その犠牲によって最後は力を得るわけで、その過程はららどきどき、そしてハッピーエンドという流れがすごく好きだった。
 でもたとえ主人公が報われなかったとしても、やっぱりその姿には憧れるのだ。

「ありましたか?」

 サキに声をかけられて、はっと我に返った。表紙を眺めて感慨に浸ってしまっていたらしい。

「ああ、うん。見つけたよ」
「そうですか。よかったです」

 サキは笑って、

「コーヒーを淹れました。お茶にしませんか?」

 おおおお。
 彼女、ではないにしても、女の子が自分の部屋でお茶を給仕してくれるなんて!
 いろいろ不安もあるけど、今は忘れてこの幸せをありがたく享受するとしよう。

 サキはコーヒーカップをテーブルに並べてから、

「ちょっとハンカチ干してもいいですか?」

 と訊いてきた。
 ふたたびキッチンに立ってハンカチを持ってくると、拡げて窓に貼りつける。
 ああ、聞いたことがある。窓に貼って干すと、しわが寄らずにびしっと綺麗に乾くのだとか。
 なにか世界が全て、今まで見たこともない色で塗り替えられていくような気がする。サキが立っているところから、サキの回りから、どんどん色が塗り替わって、自分が知っている世界とは全く違う世界になっていくような感覚。

 新しいもの、新しい習慣との出会い。
 女の子との生活って、こんな感じなのかな。
 そもそも男って、生活に全然手間かけないからな。

「これでよし、です。じゃ、いただきます」

 サキはぼくの向かいに座って、カップを手に取った。
 あらためて見ると、美少女だ。こんなことでもなければ言葉を交わすことすらなかったかも知れない。同じ世界に住んでいながら、別世界の少女。でも別世界の少女は、ぼくの世界に迷い込んできた。

「ねえ、サキちゃんはどこから来たの?」

 この美少女ともっと話をしていたくて、でも口をついて出るのは当たりさわりのない世間話で。
 だけどサキが、一瞬身を固くしたのがわかった。

 まずい。
 当たりさわりないはずだったのに、どこで地雷を踏み抜いた?

「……えと、前崎市です」
「そっか……」

 どうやら正直に答えてくれたみたいだ。その気持ちは嬉しく思いつつ、ぼくもその先が続かなかった。

 在来線で来られないことはない。けれど、一般的には新幹線を使ってくる場所。
 少なくとも未成年がおいそれとは来られない位置だ。

 ということは。

(家出少女?)

 訊けない。さすがに気軽には訊けない。
 いや、女に慣れた人間ならば、ひょいっと軽く言ってしまえるのかもしれないが、ぼくには無理だ。
 気まずい沈黙が、部屋の空気に漂う。

「ナユタ姉さまが来たとき」

 意を決したように、サキが話し出して、ぼくはちょっとほっとする。

「わたし、今が家を出る絶好の機会だと思ったんです。一日も早く家を出たくて、お金も貯めていたし、でもまだ17だから法律じゃ認められないし……。
 ナユタ姉さまが、この人が、自分を新しい世界へ連れて行ってくれるんだって、本当にそう思ったんです」
「うん。そうか」

 ナユタという人にぼくはまだ会ったことがない。が、サキの中では、とても大きな存在のようだ。ぼくも興味あるし、会ってもみたい。
 少なくとも今、こんな厄介ごとに巻き込まれている件については、きっちりと文句を言いたい。小一時間問いつめたい。
 
 その間もサキは、訥々と語り続けた。
 両親とも実の親ではないこと。母親はサキが小さい頃いなくなってしまったこと。そして親戚に引き取られ、家族仲は決して悪くないけど、早く独立したいとずっと思っていたこと。

 ぼくはずっと、黙って聞いていた。やっぱり家出少女なのは間違いなさそうだ。
 とすると、いろいろと問題も出て来る。このままだと最悪の場合、ぼくは未成年者略取誘拐などという罪に問われ、社会的生命を絶たれかねない。
 うーん、世間の目はこの程度のランクの男子学生には厳しいからなあ。
 もう少しルックスか、経済力か、あるいは度胸があったらなあ、と思うが、あいにくぼくはごく平凡な大学生Aに過ぎない。
 それに今は、さらに火急の事態を片づけなければならない。こっちの方は対処を間違えば物理的に生命が強制終了される。

 ぞっとした。

 サキに気づかれないようにしないと。
 不安にさせたらいけない。

「あの、ご迷惑ですよね?」
「ん? なんで?」
「突然こんなことに巻き込んでしまって……」
「んーん。そんなことないよ。サキが来てくれて嬉しいよ。キッチンも綺麗になったし」

 ぼくが探し物をしているわずかな間に、流しの回りも軽く掃除してくれたみたいだ。
 もともとほとんど使っていなかったから、そんなに散らかっていたわけじゃないけど、それでも明らかに手が入ったと認識できるほど綺麗になっていた。これが女子力というものか。おそるべし。

 ぼくが笑うとサキも笑顔になり、
「ありがとうございます。こんな話を聞いてくれて嬉しいです」と、頭を下げた。

「いや、ぼくは聞いていただけだよ」
「いえ、それでも嬉しいです。こんなことなかなか話せなかったですから」

 うー、なんかすごく照れる。

 ぼくはどうしていいか分からず、

「そうだ、本。試してみよう。きみが世界を救えるかどうか」

 かたわらの本を開いた。


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

生まれ変わったら飛べない鳥でした。~ドラゴンのはずなのに~

イチイ アキラ
ファンタジー
生まれ変わったら飛べない鳥――ペンギンでした。 ドラゴンとして生まれ変わったらしいのにどうみてもペンギンな、ドラゴン名ジュヌヴィエーヴ。 兄姉たちが巣立っても、自分はまだ巣に残っていた。 (だって飛べないから) そんなある日、気がつけば巣の外にいた。 …人間に攫われました(?)

侯爵家の婚約者

やまだごんた
恋愛
侯爵家の嫡男カインは、自分を見向きもしない母に、なんとか認められようと努力を続ける。 7歳の誕生日を王宮で祝ってもらっていたが、自分以外の子供を可愛がる母の姿をみて、魔力を暴走させる。 その場の全員が死を覚悟したその時、1人の少女ジルダがカインの魔力を吸収して救ってくれた。 カインが魔力を暴走させないよう、王はカインとジルダを婚約させ、定期的な魔力吸収を命じる。 家族から冷たくされていたジルダに、カインは母から愛されない自分の寂しさを重ね、よき婚約者になろうと努力する。 だが、母が死に際に枕元にジルダを呼んだのを知り、ジルダもまた自分を裏切ったのだと絶望する。 17歳になった2人は、翌年の結婚を控えていたが、関係は歪なままだった。 そんな中、カインは仕事中に魔獣に攻撃され、死にかけていたところを救ってくれたイレリアという美しい少女と出会い、心を通わせていく。 全86話+番外編の予定

お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます

菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。 嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。 「居なくていいなら、出ていこう」 この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし

つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました

蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈ 絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。 絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!! 聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ! ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!! +++++ ・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)

処理中です...