幸福の王子は鍵の乙女をひらく

桐坂数也

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第一章 火の鍵の乙女

ぼくの独り暮らしに素敵ないろどり。

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 反対側の電車に乗り、駅から歩くこと十五分、自分の部屋に帰りついて、ぼくは心底ほっとした。
 まだ何も終わっていないのだけれど。

「ともかくまあ、上がってよ。散らかってるけど」

 まさか女の子を自分の部屋に上げる日が来るとは想像、はしていたが想定はしていなかったな。
 けど悔いたところで、今さらである。

「探してみるから、その辺に座ってて」

 ぼくは押し入れを開けて、手近なものを押し込んで片づけながら本の箱を開いて回るという、器用な真似に挑戦していた。
 それほど物が多い部屋ではないけど、やっぱり少しは小奇麗に見せたい。

 そして目指す本は……どこにしまったかな。
 実家から持ってきた中にはあったはずだ。そして今手持ちの本はさほど多くはないはずだけど、いろいろ買い足しては適当にしまっているから、わかりにくいことこの上ない。

「……ん、あったあった!」

 奥のいくつ目かの段ボールの中に、それはあった。
 ただの白い表紙。『異界の冒険』と、タイトルだけが印字してある。

「しかし、これが預言の書とはねえ……」

 正直言って、家庭用のプリンターで作ってももう少しマシなものができそうだ。
 百科事典のような立派な皮張りの装丁、とまでは言わないけど、世界の命運を左右する本ならもう少し威厳があってもいいんじゃないだろうか。
 そう思いつつも、やっぱり懐かしい。思わず表紙をなでた。

 この本はよく読んだ。内容もよく覚えている。6章あって、それぞれの章でそれぞれのヒロインが出てきて主人公と冒険していく。ピンチに陥ると、主人公がいろいろな手順を踏んで――呪文であったり魔法陣であったり――ヒロインを覚醒させ、敵をやっつける。
 敵を撃退するたび主人公は力を手に入れ、ランクアップする。けれど同時に怪我をしたり、身体のどこかを失ったり、最後には次元の狭間に落ち込んで生死も不明になってしまう。でも今まで一緒に戦ってきたヒロインたちの「祈り」によって主人公は復活し、神に等しい存在となる。
 そんなお話しだった。

 それのどこに、そんなに惹かれたんだろう? 今となってはよく覚えていない。ハマるってそんなもんじゃないかな?
 強いて言うなら、おのれの犠牲を省みずヒロインを助け続けてぼろぼろになって、それでもメゲずに敵に立ち向かう主人公の姿だろうか。その犠牲によって最後は力を得るわけで、その過程はららどきどき、そしてハッピーエンドという流れがすごく好きだった。
 でもたとえ主人公が報われなかったとしても、やっぱりその姿には憧れるのだ。

「ありましたか?」

 サキに声をかけられて、はっと我に返った。表紙を眺めて感慨に浸ってしまっていたらしい。

「ああ、うん。見つけたよ」
「そうですか。よかったです」

 サキは笑って、

「コーヒーを淹れました。お茶にしませんか?」

 おおおお。
 彼女、ではないにしても、女の子が自分の部屋でお茶を給仕してくれるなんて!
 いろいろ不安もあるけど、今は忘れてこの幸せをありがたく享受するとしよう。

 サキはコーヒーカップをテーブルに並べてから、

「ちょっとハンカチ干してもいいですか?」

 と訊いてきた。
 ふたたびキッチンに立ってハンカチを持ってくると、拡げて窓に貼りつける。
 ああ、聞いたことがある。窓に貼って干すと、しわが寄らずにびしっと綺麗に乾くのだとか。
 なにか世界が全て、今まで見たこともない色で塗り替えられていくような気がする。サキが立っているところから、サキの回りから、どんどん色が塗り替わって、自分が知っている世界とは全く違う世界になっていくような感覚。

 新しいもの、新しい習慣との出会い。
 女の子との生活って、こんな感じなのかな。
 そもそも男って、生活に全然手間かけないからな。

「これでよし、です。じゃ、いただきます」

 サキはぼくの向かいに座って、カップを手に取った。
 あらためて見ると、美少女だ。こんなことでもなければ言葉を交わすことすらなかったかも知れない。同じ世界に住んでいながら、別世界の少女。でも別世界の少女は、ぼくの世界に迷い込んできた。

「ねえ、サキちゃんはどこから来たの?」

 この美少女ともっと話をしていたくて、でも口をついて出るのは当たりさわりのない世間話で。
 だけどサキが、一瞬身を固くしたのがわかった。

 まずい。
 当たりさわりないはずだったのに、どこで地雷を踏み抜いた?

「……えと、前崎市です」
「そっか……」

 どうやら正直に答えてくれたみたいだ。その気持ちは嬉しく思いつつ、ぼくもその先が続かなかった。

 在来線で来られないことはない。けれど、一般的には新幹線を使ってくる場所。
 少なくとも未成年がおいそれとは来られない位置だ。

 ということは。

(家出少女?)

 訊けない。さすがに気軽には訊けない。
 いや、女に慣れた人間ならば、ひょいっと軽く言ってしまえるのかもしれないが、ぼくには無理だ。
 気まずい沈黙が、部屋の空気に漂う。

「ナユタ姉さまが来たとき」

 意を決したように、サキが話し出して、ぼくはちょっとほっとする。

「わたし、今が家を出る絶好の機会だと思ったんです。一日も早く家を出たくて、お金も貯めていたし、でもまだ17だから法律じゃ認められないし……。
 ナユタ姉さまが、この人が、自分を新しい世界へ連れて行ってくれるんだって、本当にそう思ったんです」
「うん。そうか」

 ナユタという人にぼくはまだ会ったことがない。が、サキの中では、とても大きな存在のようだ。ぼくも興味あるし、会ってもみたい。
 少なくとも今、こんな厄介ごとに巻き込まれている件については、きっちりと文句を言いたい。小一時間問いつめたい。
 
 その間もサキは、訥々と語り続けた。
 両親とも実の親ではないこと。母親はサキが小さい頃いなくなってしまったこと。そして親戚に引き取られ、家族仲は決して悪くないけど、早く独立したいとずっと思っていたこと。

 ぼくはずっと、黙って聞いていた。やっぱり家出少女なのは間違いなさそうだ。
 とすると、いろいろと問題も出て来る。このままだと最悪の場合、ぼくは未成年者略取誘拐などという罪に問われ、社会的生命を絶たれかねない。
 うーん、世間の目はこの程度のランクの男子学生には厳しいからなあ。
 もう少しルックスか、経済力か、あるいは度胸があったらなあ、と思うが、あいにくぼくはごく平凡な大学生Aに過ぎない。
 それに今は、さらに火急の事態を片づけなければならない。こっちの方は対処を間違えば物理的に生命が強制終了される。

 ぞっとした。

 サキに気づかれないようにしないと。
 不安にさせたらいけない。

「あの、ご迷惑ですよね?」
「ん? なんで?」
「突然こんなことに巻き込んでしまって……」
「んーん。そんなことないよ。サキが来てくれて嬉しいよ。キッチンも綺麗になったし」

 ぼくが探し物をしているわずかな間に、流しの回りも軽く掃除してくれたみたいだ。
 もともとほとんど使っていなかったから、そんなに散らかっていたわけじゃないけど、それでも明らかに手が入ったと認識できるほど綺麗になっていた。これが女子力というものか。おそるべし。

 ぼくが笑うとサキも笑顔になり、
「ありがとうございます。こんな話を聞いてくれて嬉しいです」と、頭を下げた。

「いや、ぼくは聞いていただけだよ」
「いえ、それでも嬉しいです。こんなことなかなか話せなかったですから」

 うー、なんかすごく照れる。

 ぼくはどうしていいか分からず、

「そうだ、本。試してみよう。きみが世界を救えるかどうか」

 かたわらの本を開いた。


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