幸福の王子は鍵の乙女をひらく

桐坂数也

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第二章 水の鍵の乙女

飛んで異世界、荒野の散歩。

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 上も、下もない。
 落ちているのか、昇っているのかもわからない。
 水の中に浮いているような、でもずっと動き続けている感覚。

 五感がまったく当てにならない空間で、ぼくはしっかりとサキを抱きしめ、サキもぼくにしがみついていた。

 お互いのほかには頼るものもまったくない空間を、落ちて――。


「いてっ!」

 背中をしたたかに打ちつけて、ぼくは呻いた。

「いてて……サキ、大丈夫?」
「はい。大丈夫です」

 ここはどこだ。異次元か。異世界か。過去か、未来か。
 多分、元の日本じゃないだろう。とほうもなく異様な空間を通り抜けてきたのだから。

 上半身を起こした。サキが立ち上がってぼくの手を引っぱってくれる。
 キリエの力で異世界に飛ばされたのはまず間違いない。まったくとんでもない奴に絡まれたものだ。

 立ち上がって回りを見回した。
 とりあえず、普通の山、野原。火星みたいな一面赤茶色の世界とか、そんな場所ではないみたいだ。さりとて、現代日本のどこかとも思えない。



「さてと。どうしたもんかな……」

 と呟きながら傍らのサキを見る。

「……サキ?」

 つないだ手が小刻みに震えている。やがてサキは左手で自分の身体を抱きしめた。

「サキ? どうしたの?」

 今の戦闘で負傷したのだろうか。

「……こわいです」
「?」
「わたし、自分がこわい。さっきのわたし、わたしじゃない」

 確かに、力を発動して赤の姫となったサキは、ふだんのサキじゃないみたいだった。自分の敵には容赦ない、冷徹な戦士だった。

「でも、だめなんです。遼太さんを守らなきゃって思うと、力がぐあーって出ちゃって抑えられないんです。力に振り回されてるのはわかるのに、どうにもできないんです。さっきの人、あの人……えぐっ」

 サキが口もとを押さえた。あの黒焦げにされて形すら残らなかった魔術師。そばにいたサキには、熱もにおいも感じられたことだろう。
 ぼくですら怖気づいた光景に、サキが何にも感じなかったわけがない。

「サキ」

 涙目のサキを、ぼくはそっと抱き寄せた。

「サキ、ありがとう」
「…………」
「何にもできないぼくを守ってくれて。ほんとに嬉しい」

 サキの髪をなでた。
 言葉がどれほどの慰めになるかなんて、わからない。
 だけど、伝えたかったんだ。

「きみは強くって、とても美しい。でもぼくは知ってる。きみはとても優しい。どんな力を持っていても、サキはサキだ。きみはとても優しい。ぼくを守るために力を振るってくれたこと、よく分かっているよ。ずっとそばにいてほしい。そうすればぼくが、ちゃんと手を握っていてあげる」

 サキはぼくの肩に顔をうずめて、声を押し殺して泣いた。

「大丈夫。大丈夫だよ。きみのそばには、いつもぼくがいるよ」

 ぼくはサキの髪をそっとなで続けた。



 + + + + +


 泣き顔のサキが泣き笑いになったところで、ぼくらは手をつないで歩き出した。


「それにしても」とぼくは言う。
「サキ、かっこよかったなあ」

 ぴんと腕を伸ばして炎を出すまねをすると、サキは真っ赤になってうつむいた。さらさらの髪の間からのぞいている、ちっちゃな耳まで真っ赤だ。

「からかわないで下さい。とっても恥ずかしいんですから」

 消え入りそうな声で言う。

「なんで? かっこいいのに」
「だって、ちょっと中二っぽいじゃないですか」

 だが、それがいい。
 サキはますます赤くなっている。あらあら、とんだ赤の姫になっちゃったな。


 サキによると、技のイメージさえできれば、力を使うのに呪文の詠唱とか道具などはまったく必要ないらしい。
 だがわかりやすい言葉にすることで、イメージを素早く、明確に描くことができるそうだ。

「うん、シンプルで、ぼくでもイメージできるよ。なにより、かっこいい」
「だから、からかわないで」

 照れまくるサキは、ほんとにかわいい。



 + + + + +


 そうこうするうちに、日も高くなってきた。まだ人や街は、見えてこない。

「のどかなところですねえ」
「そうだね」

 のどかどころか、淋しいけど。
 辺りは木もまばらで、畑も、もちろん田んぼもなく、ひたすら平原が続いている。

「おなかがすいたですねえ」
「さっきパフェ食べたよね」
「甘いものは別腹ですっ!」

 きりっ、と言わんばかりにサキが宣言する。なんか使い方を間違ってる気がするけど、その直後の激闘もあったしなあ。お腹はともかく、のどは渇いているかもしれない。ねぎらってあげたいのだけど、当然ながらコンビニも自動販売機もない。

「お風呂入りたいですねえ」
「……温泉ならあるかな?」
「温泉! うわあ、温泉!」
「何を期待している、何を」

 温泉はあるかも知れない。「お湯が湧いている」という意味なら。
 だけど風呂は文明のないところには存在しない。湯船に浸かるなんて、夢のまた夢かもしれない。
 いや、風呂どころか、飲み水が確保できるかも怪しい。もしかしたらアメリカやオーストラリアくらいだだっ広い荒地のど真ん中に放り出された可能性すらある。ぼくは急に不安になって、再びあたりを見回した。

「温泉あるといいですねえ」
「妄想だけで我慢しといて」

 きょろきょろ。

「露天風呂なら混浴ですねえ」
「そうかもね」

 そわそわ。

「あ、あの、遼太さんがお望みなら、わたしは一緒に入るのも、その、やぶさかではないですよ?」
「ああ、サキが大人になったらね」
「ちょっと遼太さん!」

 辺りを気にしていたぼくは相づちが適当になってしまい、サキはちょっとむくれたらしい。

「なんで生返事なのですか!? わたしと一緒に入るのは嫌ですか? 胸がないと女じゃないですか?」
「な!? そんなこと言ってないでしょ」

 むしろ胸がない方が好きなくらいなんだけど。
 でも今それを言うとこじれそうなので黙っておく。

「今でもじゅうぶん可愛いよ」
「でもこれから成長するかもしれないじゃないですか? ぼんきゅっぼん!ってなるかもしれないじゃないですか!」

 う~んいくらなんでもそれは無理……いや、とてもハードル高いと思うよ。

「今、それは絶対ないだろって思いましたね?」
「思ってない、思ってないってば」
「遼太さんは発展途上の健気な乙女を生温かく見守ろうって優しさはないですか!?」
「生温かくっちゃだめでしょ」

 ぼくは思わず笑い出してしまった。サキはそれがご不満な様子。
 それが可愛らしくてつい、涙目のサキの頭をくしゃくしゃとなでる。サキは「う~」と言いながらむくれている。

(やっぱり、これがサキだな)

 生真面目だけど、どこか天然風味で、可愛らしい女の子。
 戦女神いくさめがみのサキも凛々しくていいけど、今の方がサキらしい。
 たとえ出るとこ出てなくったって、ぼくはそんなサキを好きになったのだから。

「やっぱりサキといると、なごむな」
「なんか、人を犬猫みたいに思ってるですか? わたし、人間ですよ」
「わかってるよ。お姫さま」
「……やっぱりペット扱いされてる気がするです」

 サキは自分の胸を見下ろして、なにかつぶやいている。

「……いつかきっと、ぼんきゅっぼんてなって、悩殺してあげるです」

 はいはい。

「それにしても、本当に誰にも会わないな」

(もしかして、人がいない世界なのかな?)

 少しは茂みも増えてきた気がするけど、まだ人の痕跡は見つからない。いやもしかすると人じゃなくて鬼とか獣人とかナメクジみたいな軟体生物とかが文明生活を営んでいるかもしれないけど。なんにせよまだこの世界を判断する材料が全然足りない。
 このさいゴブリンとか魔族とか何でもいいから、誰かに会わないだろうか。そんな気分にすらなってきた。

 さらにしばらく行くと、小さな川が見えてきた。ようやく変化が現れたようだ。

「おお、水なのです」
「待て待て。あわてるな」

 水辺に駆け寄るサキを制止し、手ですくってにおいをかいでみる。透明なきれいな水だ。悪臭もない。ひと口飲んでみる。問題なさそうだ。

「よし。飲んでいいぞ」
「……なんかやっぱり、犬みたいな扱いなのです」

 文句を言いながらもサキは手ですくって飲む。二度、三度。やっぱりのどが渇いていたみたいだ。

「ああ、おいしい。生き返ったです」
「そいつはよかった」

 サキの飲みっぷりを見ていて、ぼくまで嬉しくなる。

「えっと……それでですね……」

 サキはぼくを見て、急にもじもじし始めた。

「ん? どうしたの?」
「あの……ここで水浴びはできないでしょうか?」

 ぼくは回りを見回した。昨日から夜どおし激闘だったしな。風呂がないならせめて水浴びして身体をきれいにしたいというのは分かるのだが、さすがに野っ原のど真ん中で年頃の乙女が沐浴というのは……。

「あのへん。森みたいになってる。あそこまで移動してみよう」

 サキは赤い顔のまま、うなずいた。



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