幸福の王子は鍵の乙女をひらく

桐坂数也

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第二章 水の鍵の乙女

乙女の水浴び、身を清める。

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 まもなく森、というには貧弱だが、それなりに木や茂みが点在する場所に着いた。
 それにしても、小さい川だ。地形からするとそれなりの川のようだが、水が流れている場所は少なく、ところどころ途切れたりしている。

 やがて、少し水が溜まった手ごろな浅瀬を見つけた。

「このへんがいいです」

サキは背中に手を伸ばし、ワンピースのファスナーを引き下げた。
 と、首だけ後ろを振り返って、

「見ちゃだめですよ」
「み、見ない見ない」

 ぼくは慌てて後ろを向いた。

「つめたっ!」

 背後ではねる水音が気になって仕方がない。けど、ここは見知らぬ地。どんな敵や害獣が潜んでいるかわからない。途中で拾った手ごろな木の枝を持ち、辺りを警戒する。今のところ危なそうなものは見当たらないが……。

「ああ、さっぱりしたです……あっ!」
「どうした?」

 小さな叫び声に慌てて振り向く。何かいるのか? 毒蛇か? 毒蜘蛛か?
 当然ながら真っ正面にいる、一糸まとわぬサキの姿が目に飛び込んでくる。

「きゃっ!」
「あっ、ごっ、ごめん!」

 裸の胸を、抱えたワンピースで隠してしゃがみ込むサキに、ぼくは大急ぎでもう一度後ろを向いた。

 どきどき。ほんのちょっとしか見てないから大丈夫だよね。服で隠していたし。
 ちらっと見えた肌は、白磁のような透き通る白さだった。思い出されて顔が火照る。

「あの……タオルがありませんです。どうしましょう?」
「ああ……」

 そりゃそうだよね。
 着の身着のままでこの世界に飛ばされたんだから。
 ぼくはシャツを脱ぎ、その下に着ていたTシャツを脱いだ。後ろを向いたまま、それをサキに渡す。

「これ、使いなよ」
「ええ!? そんな、悪いです」
「いいから。冷たい水に濡れたまんまじゃ、風邪ひくよ」
「……ごめんなさい。ありがとうございます」

 ためらいがちな声とともにTシャツがぼくの手を離れる。
 少ししてサキの許可が出て、ようやくぼくはサキと向き合った。

「ごめんなさい。もうちょっとシャツ借りてていいですか?」

 Tシャツをターバンみたいに器用に頭に巻いている。髪が長いのですぐには乾かないのだろう。

「うん、いいよ。なかなか可愛い」

 ぼくの褒め言葉に、サキはまたも真っ赤になってうつむいた。

「お、おだてても何も出ないです」
「おだててないよ。本当だよ」

 ぼくは笑いながらサキの手を取る。サキは、はっと真顔になった。

 そう、一時サキから離れて、ぼくはけっこう限界だったのだ。体温が急激に下がって震えがきていた。サキは大急ぎでぼくの身体に熱を送り込んだ。
 身体の芯が火照ってきて、ようやく震えがおさまってくる。
 同時にサキは、冷たい水で冷えた自分の身体も暖め終えたようだ。

「ごめんなさい」
「とんでもない」

 謝ることなんか何もない。きみのおかげで、ぼくはこうして生きていられるんだから。


 + + + + +


 次はごはんか。

 そう考えながら、歩き続けること、もう三時間くらいになるだろうか。

 すでに太陽(だと思う。多分)は真上を通り過ぎている。
 さっきの川で水を汲んでおけばよかったとも思ったが、入れ物がない。改めて、どこでも飲み物食べ物が簡単に手に入る日本という国はすごいな、と思う。

 ぼくらは川沿いに、森とは反対の方に歩いていた。水べりなら集落がある確率は高いはずだ。その集落が人のものか、はたまたスライムやゴブリンが群れをなしているのか、まだわからない。けど、何もないよりはずっといい。

 予想通り、一時間くらい前から、道らしきものをたどって歩いている。

(果たして、鬼が出るか蛇が出るか……まさかキリエは出ないよな?)

 思わず辺りを見回してしまい、サキに不審がられる。


 遠くから物音が聞こえてきた。
 だんだん近づいてくるそれは、どうやら車輪の音だ。馬車か何か?
 ぼくらは立ち止まって、それを待った。

 馬車だ。ぼくらの世界でも見られる、普通の馬が曳いている。周りには二足歩行の人の姿も見える。よかった。あまり想像からかけ離れた世界じゃないっぽい。
 人々は、言うなればラテン系だろうか。西洋人風の顔立ち。髪の色は割と濃いめだ。

 さてどうコントタクトを取ろうかと思うより早く、馬車を囲んでいた人影がばらばらと広がってぼくらを囲んだ。剣を手に持つたくましい男たちに、いきなり敵認定?

「うひゃっ?」

 ぼくらは思わず手を上げる。
 敵意はありませんよ?
 人畜無害ですよ? あやしい力なんか、持ってませんよ?

「お前たち、何者だ? どこへ行く?」

 リーダー格と思われる男から誰何を受ける。よかった。言葉はわかる。

「異国から来た者です。遠く東の果てからやって参りました」

 せいいっぱいの愛想笑いで、ぼくは答えた。ほんのちょっとだけど、バイトで営業スマイル練習しといてよかった。

「東? 東は海、世界の果てだぞ」

 あちゃ、そういう地理関係だったか。だがもう、それで押し通すしかない。

「そのはるか彼方から万里の波涛を越えてきたのです。やっとの思いで着いたのですが、盗賊に会い、みな散り散りになってしまいました」

 あながち嘘でもない。
 おかげで皆、少しは信用してくれたようだ。

「して、これからどこへ行く?」
「どうしたものやら、途方に暮れているところです」

 男たちは顔を見合わせて話し合っている。
 その間ぼくは彼らの風体を観察していた。一番上に着ている上着は、布に穴を開けて頭から被る貫頭衣のようだ。剣は両刃の剣。みな髪は長く、後ろで束ねている。
 中世ヨーロッパ風異世界かと思ったら、もっと古い時代みたいだ。日本で言うなら飛鳥時代? ヨーロッパならローマの頃かなあ。ローマ帝政時代は長いけど、やっと中央集権が確立した頃か、それともその前の、ケルト民族が自由にくらしていた頃か。いずれにしてもルネサンス期よりはるか前だ。

「そこな女は何者だ?」
「同郷の者にございます。かろうじて二人だけ助かりました」
「同じ異人か。それにしてはずいぶんと面妖な風体だな」

 サキの格好、刺激が強すぎたかな? サキはぼくの陰に隠れてしがみつく。

「ほんとうに人か。物の怪ではないのか?」と別の誰かが言い、
「いや、魔女ではないのか?」と、その横の奴がとんでもないことを言い出す。
「めっそうもない! わたくしの妻にございます」

 もうめんどくさいので、そういうことだと断言した。説明したってわかるとも思えないし。
 サキがぼくの後ろで赤くなっているのがわかる。うー、どさくさに紛れておれの嫁宣言してしまった。ものすごく恥ずかしい。けど、ちょっと嬉しい。

「そうだな。執政官どのに検分してもらおう」

 リーダーらしい男が告げた。

「ちょうど村にご滞在中であるし、司祭どのも魔導士もついている。よきに計らってくれるだろう」

 よかった。とりあえず罪人として捕縛されたり、奴隷として売り払われたりする危険はないようだ。

 ぼくらは馬車に乗せられた。賓客扱いか、と一瞬期待したが甘かった。馬車は人用ではなく、物用、ぼくらは積み荷扱いだった。

 こぢゃごちゃと荷物が乗っている中にようやく隙間を見つけて、ぼくとサキは腰を下ろした。よかった。ともかくも、これで少し休める。思えば昨日から動きっぱなしだ。

 馬車が動き出した。一行は移動を開始したようだ。
 
「あんたたち、異人さんかい?」
「きゃっ!?」

 薄暗がりの中から声をかけられて、サキは跳び上がらんばかりに驚き、またもぼくにしがみついた。
 正面少し斜めに、女の子が座っている。

「ええ、まあ」

 ぼくは曖昧に愛想笑いを返した。

「ふうん」

 女の子は生返事だ。外国人は珍しくないのかな。
 怖がるようでも、さほど興味があるようでもない。
 しかし、この世界の情報を得るにはうってつけかも知れなかった。おそらく馬車の旅はまだしばらく続く。その間にこの娘からいろいろ教えてもらおう……。

「あの、ぼく……私はリョウタと言います。こちらはサキ。まだこの国に来たばかりなので、いろいろ教えて頂けるとありがたいのですが」
「へえ、その割にはずいぶん流暢にこの国の言葉を話すんだね」

 まずい。怪しまれたか?

「あたしはてっきり、異人さんの夜伽でも命じられるかと思ったんだけど……嫁さんがいるなら必要ないか。あたしより美人だしね」

 いきなり突拍子もないことを言われて、ぼくは目を白黒させていたに違いない。

「ああ、いや、ええと?」

 サキは顔を赤くして、ますますぼくにしがみつく。まあこの状態では嫁といわれても仕方ないかも知れない。さっきもそう言っちゃったしな。

「異人さんの相手なんて誰もやりたがるとは思えないしね。これから生贄にされる女になら命令もしやすいんじゃないかな?」

 またしても突拍子もない、しかも聞き捨てならない言葉が女の子の口からさらりと飛び出してきた。


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