幸福の王子は鍵の乙女をひらく

桐坂数也

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第二章 水の鍵の乙女

異人と水の乙女の人命救助。

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 振り返ると、クルルだった。

「どのくらいの水が必要なんだい?」
「……あ、ああ。傷口を洗うんだ。そう、この程度の量かな」

 ぼくは両手を30センチほど広げてみせる。

「ちょっと難しいな。とにかくやってみるけど」
「やってみるって?」
「水だよ。あたしは水を操れるんだ。そんなにたくさんは出せないけど、少しなら」

 クルルは目を閉じて、両の手のひらを胸の前で上に向けた。

「我が名は青の姫、クルル=ミル・アクアスリス。我が名において水の盟約に命ず。我が身、我が心、我が力のすべては我があるじのものなれば、あるじがしろしめす我が名をここに知れ。その盟約のほまれを持ちて水のわざをここに導かん」

 言葉が出ない。ぼくの表情はどんなだっただろう?
 きっと呆けた顔だったにちがいない。

 クルルの手のひらの上空に、水のかたまりが出現した。透明な水の球体は輪郭をふるふると震わせながら、少しずつ大きくなっていく。そのうちハンドボールくらいの大きさになった。

「出したよ。この水、どうすればいい?」
「…………あ、うん。水を半分くれる?」

 我に返ったぼくは急いでシャツを脱ぎ、Tシャツを破いて手に持った。
 傷口に水をかけて泥を洗い流す。男が痛みに苦鳴を上げる。

「ごめん。痛むけど少し我慢して」

 手にした布で傷口を拭う。残りの水をかけて傷口を清め、Tシャツで水気を拭き取る。
 ちょうど薬草を持った女性が戻ってきた。ヨモギのような葉っぱを揉んでつぶすと、傷口に貼りつけた。この辺は現地の詳しい人に任せるに限る。
 その上からTシャツを巻き付け、包帯代わりにした。それから副木になりそうな板を見つけて足の両側に当て、上から布を巻き付けて固定する。

「ふう。これでよし」

 現時点ではこれが精いっぱいだ。というか、これだけ出来れば庶民にとっては出来過ぎだろう。



+ + + + +


「クルル。ありがとう」
「な、なにが?」
「貴重な水を出してくれて。あれは相当力を使うんだろう?」

 クルルはちょっとびっくりしたようにぼくを見て、それから赤くなってそっぽを向いた。

「そんな、べつに……いや、確かにそうなんだけど……」

 何かもごもごと言っているクルルの頭を、ぽんぽんとなでた。

「ひゃっ!」

 クルルが飛びすさって、守るように耳を押さえている。

「耳、敏感なんだよう」
「ごめんごめん」

 ぼくは笑いながらも、半分うわの空でいた。


 さっきの言葉を思い返していた。
 クルルの唱えた呪文。

 それはサキが唱えた誓いの言葉にとてもよく似ていた。
 ということは、クルルが水の鍵の乙女なのだろうか。
 この世界を救う鍵は、クルル?

(出来すぎだろ、それは……)

 けれど、思えばサキとの出会いだって、出来すぎだった。
 いきなり飛ばされた異世界で、出会った人間にゆかりがない、とは言えない。
 もしかすると既に名前がリンクされているのかも知れない。ナユタという人物によって。


 その後の労働も、なにかと忙しかった。
 松葉づえの作成を職人さんに頼んだり――ただの杖より、脇の下で体重を支えられる松葉づえの方がきっと使いやすいだろう。もちろんこの世界に松葉づえはない――牛や馬を使って畑を耕す方法を教えたり、スコップや農具の改良を考えてみたり。なんだ、地味だけど意外と使えるじゃん、異世界知識。

 クルルがくれた編み紐は、思いのほかすごかった。一時間、うまく体力を調整すれば二時間近く熱の供給を受けずにすむ。これでサキの負担も減らしてあげられると思う。



+ + + + +


 夜。
 夜ごはんも、質素なものだった。パンと少しの水。少しの野菜。野菜がついただけ上等かなあ。

 居場所は相変わらずの牢屋。
 でも、クルルはここにいなかった。別の場所に移されている。これからみそぎの期間を経て二日後の満月の頃、儀式にのぞむことになるのだそうだ。

(さて、どうしよう?)

 ぼくは迷っていた。
 昼の仕事の続きで、ぼくはスコップの手直しなどをしていた。この世界では鋼の刃は貴重品で、平民が手にできるのはまだ石器だったりする。
 つやつやの黒曜石の刃で木の柄を削りながら、ぼくは考えていた。

 情けない、とは自分でも思っている。
 サキの時もそうだった。あの時は追われていたから、命の危険があったから、やらざるを得なかった。
 今度も自分の命がかかってしまった。やらざるを得ない状況なのは変わりない。
 だけど多分、自分たちだけなら逃げ出すことはできると思う。あるいはクルルを連れて逃げることも。

 だがそれでどうなる?

 それでクルルの運命が変わるわけでもない。むしろ彼女は咎人として、この国にもいられず、自分の部族にも戻れない。
 万が一クルルを連れ出せなかったとしても、見て見ぬふりを決め込むこともできる。そうしたところで、クルルがぼくに恨み言を言うことはないだろう。

 だがそんなことをしたら、きっとぼくは一生自分を許せない。

(なんでこんな運命を背負わされたかなあ)

 運命というより、性分だろうか。神さまは本当に気まぐれで、残酷だ。


 そして気が付くと、朝になっていた。
 隣ではサキがぼくの手を握ったまま、ぼくの肩に寄りかかって眠っている。
 
(寝落ちしちゃったか……)

 サキはきっと、ずっとぼくの悩む姿を見て心配しながら、それでも何も言わずに見守ってくれていたのだろう。
 申し訳ない気持ちでいっぱいで、眠っているサキの前髪をそっとなでた。

(しっかりしなきゃ)

 そしてまた一日が始まる。
 のんびりしていられない。期限は明日。
 今夜、結論を出さないと。



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