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第二章 水の鍵の乙女
逢瀬は世界を救う駆け引き。
しおりを挟むぽつんと立つ、石の塔。高さは6、7メートルくらいだろうか。
この上にクルルは幽閉されている。
回りに見張りはいなかった。魔法の縛めを信頼しきっているのだろうか。まあ、その方がありがたい。
「クルル」
ぼくは呼びかけた。周りに人がいないとはいえ、やっぱり声をひそめてしまう。
だけど獣耳のクルルにはしっかり届いたようだ。塔の上の窓から身を乗り出すシルエットが見えた。
「リョウタ? 本当に来たの?」
投げ降ろされた縄をつかんで壁を登る。クルルと別れる前、渡してあったものだ。ちょっと現場でちょろまかしておいたやつ。
垂直の壁を登るなんて、やったことない。すごく怖い。
コツを掴むのに手間取ったけど、何とか塔のてっぺんの部屋まで登ることができた。
「まさか、ほんとに来てくれるなんて……」
クルルはぼくの手を取った。黄金色の猫眼がきらきら輝いているのは、星明りのせいばかりじゃないはずだ。
「必ず行くって言っただろ。お姫さまのためなら」
「ふふっ。そんな調子のいいこと言ってると、サキに叱られるよ」
笑いながらクルルは、ベッドの上の、自分の隣の位置をすすめてくれた。
灯りはない。幽閉されているだけの存在だから、そういった心配りはないのかも知れない。
「なんだかさあ、あんたって不思議だよね。のほほんとしてるのに、時々すごく凛々しい時もあるし、それにとっても物知りだし。異人さんて、みんなそうなの?」
「どうかなあ……」
……確かにうちの国の男どもは、のほほんとして平和ボケしてます。
「今生ではご縁がなかったけど、あんたみたいのが旦那だったらなあ。きっと愉快な毎日が過ごせた気がするよ」
「なんかそれって、馬鹿にしてない?」
「してないしてない。褒めてるんだってば。ほんのちょっとだけね」
クルルはけらけらと笑ってぼくの肩を叩く。
「まあ、それも今夜限りかあ……」
「本当にやるのか? 雨乞いの儀式って」
「さあね」
意外な返事が返ってきた。
「前も言ったけどさ、誰も雨乞いが成功するなんて信じてないんだ。だからやりたくない。失敗すれば、雨乞いをつかさどった司祭さまは処罰されるし」
「処罰? まさか首を刎ねられるとか?」
「まあさすがに今はそこまではないみたいだけど、でも面子丸潰れだからいたたまれないだろうね」
「そりゃそうだ」
「で、その上の執政官さまも責を問われるらしいから、みんなやりたくないんだよね」
執政官や司祭の機嫌が悪かったのはそういうことだったのか。
要するに、貧乏くじを引かされたと。
「じゃ、もしかして儀式そのものがなくなるってことは……」
「さすがにそれはないよ。だからいずれは必ずやるんだけど……」
クルルは足をぶらつかせながら、つぶやいた。
「いつ殺されるかわからないのは、やっぱり怖いよ」
もうちょっとでクルルを抱き寄せそうになる衝動をかろうじて押しとどめる。
心臓がどきどきしている。緊張して身体がこわばっているのは、気づかれているかも知れない。
決心はつかない。迷っている。
それでもまだ訊かなきゃならないことがある。
「クルル。きみは……水の鍵の乙女なのか?」
「んー。さあねえ……」
なんとも気のない返事。
というか、意味通じたんだ? 鍵の乙女の伝承はこの国にもあるのか。
「あたしの一族は水神さまの巫女だって言ったよね。その余禄として水の力を操れる。まあ、この国全部の水をまかなえるほどじゃないんだけどさ。
うちの開祖さまの言い伝えがあってね。その昔、この国が旱魃で困っていた時、東の海の向こうから術者がやってきて、開祖さまを使って水神さまを異世界から呼び出したんだって。おかげでこの世界には水がもたらされたんだってさ」
ぼくは黙って聴いていたけど、内心は穏やかじゃなかった。
「だけど術者はその報いに視力を失って、開祖さまはそれを悲しんで術者の目となって生きることを約したんだって。ふたりは結ばれて、幸せに暮らしたそうだよ。あたしたち、アクアスリスの女たちが憧れるおとぎ話さ」
間違いない。
クルルは、少なくとも鍵の乙女の血を引いている。
とすれば、彼女を「ひらいて」この国に水のエレメントを奪回できる可能性はある。
おそらく、ぼくにはそれができる。
だが、まだ足りない。
サキの時もそうだったが、呪文、祝詞、儀式……それだけでは足りない。
必要なのは。
「クルル!」
ぼくはクルルの肩をつかんだ。
「な、なに?」
ぼくの剣幕にクルルはびくっと身を竦める。
「ぼくと逃げよう」
「は?」
「ぼくならきみを救える。世界なんて関係ない。ぼくと逃げよう!」
「ちょ、ちょっと待って!」
クルルはあわてて、視線が泳いでいる。
「できるわけないよ。縛めが……儀式もあるし……放り出したらどんなことになるか」
「関係ない!」
ぼくは言い切った。
「きみは、明日を迎えたくないのか? こんなところで理不尽に人生を奪われて悔しくないのか? きみには幸せになる権利があるんだ。自分のために生きていいんだよ」
「だ、駄目だよ。儀式を放り出したりしたら、一族のみんなにも迷惑がかかるし……この国のみんなだって困るだろ?」
「誰かのためだって言うなら、ぼくのために生きろ」
クルルは両手で口もとを押さえ、目をまん丸に見開いてぼくを見つめている。
わかっている
ものすごく罪深いことをしているってことは。
生贄にされると決まって、やっと自分の心に折り合いをつけたはずなのに、今その過程も何もかもすっ飛ばして、ぼくは土足でクルルの心に踏み込んでいる。
やっと諦めた生への執着を呼び起こし、心を揺さぶっている。
クルルの目から、大粒の涙がぽろぽろとこぼれるのを見て、ぼくは心が掻きむしられるような気がした。
「あたしだって……あたしだって! でも、しょうがないじゃないか。どうしろっていうのさ?」
「ぼくと一緒においで」
静かに言って、ぼくはクルルを抱き寄せた。
「生きたいんだろ? 大丈夫、必ずぼくがきみを守る。
だから、ぼくと一緒においで」
ぼくの胸の中で、クルルはじっと動かなかった。
やがてぼくの胸から離れて、そっと涙を拭いた。
「リョウタ……あたしは、どうしたらいいの?」
「クルル……」
クルルの眼をのぞき込む。
黄金色の眼の奥に閃く光。
(やっぱり……)
条件は揃っている。
あとはぼくが、腹を括ればいいだけだ。ぼくは震える拳をぎゅっと握りしめた。
その足もとに忍び寄る影があることを、ぼくはまだ気づいていなかった。
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