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第三章 風の鍵の乙女
06.子爵家の顔と裏事情。
しおりを挟む「誰か来るね」
クルルの耳がぴくりと動いた。
「失礼します」
ドアがノックされ、姿を現したのはメイドさんだった。
「お茶をお持ちしました」
ドアの前で丁寧にお辞儀をする。それを受けて頭を下げるぼくの向かいのソファにはサキとクルル。やっぱり一応、外聞はねえ。気にする。
もっともその位置は、不意の侵入者からぼくを守らんとドアの脇に張り付いたサキとクルルをなだめ、落ち着かせた上での位置取りだったのだが。
そうと知ってか知らずか、お茶のセットを持ち込むメイド。手際よくお茶の用意をしていく。ちなみにスカートはふわふわのミニスカ、ということはない。くるぶしまである伝統的なビクトリアン・スタイルである。念のため。
メイドの名はロゼッタと言った。
「みなさまのお世話を言いつかっております。何かございましたら遠慮なくお申し付け下さい」
「ご配慮、感謝します」
ぼくが代表して謝辞を述べる。
「ご丁寧にありがとうございます。そんなに警戒なさらなくても、このお屋敷は安全ですよ。みなさまを害するつもりはございませんのでご安心を」
ロゼッタはにっこりと、サキとクルルに笑いかける。
ふたりは顔を赤らめながらうつむいた。サキもクルルも、ぼくに危害が及ばないよう気を配ってくれていたのだ。その気配を察するとは、ただの家事担当メイドではないかも知れない。
「本日の夕食は、本館にて当主がもてなしたいと申しております。お時間になりましたらお迎えにあがりますので、それまでおくつろぎください」
彼女はそう言い残して広間を辞した。
後に残る沈黙。
「……なかなか、平穏とは縁がなさそうだね」
+ + + + +
はっきり言って、いきなり持ち込まれた虜囚、それも飛び切り厄介なやつを真摯にもてなそうというモリガン子爵の人の好さは相当なものだ。だがそれを差し引いても、彼にはもう一つの顔があるとクルルは言う。
(とすると、どちらが本性なんだろうな……)
会食は穏やかな雰囲気の中始まった。が、お互いがお互いを品定めするような微妙な空気は隠しようがなかった。
テーブルの正面には子爵とその夫人。夫人はこの地の人にはめずらしく、ほっそりとした身体つきの、やはり温厚そうなご婦人だ。人のよさそうなこのご夫妻に害意がないのはよくわかる。
緊張の元は、メイドたち。ロゼッタともうひとり、リリィという名のメイドさん。
給仕の仕事は申し分ない。皿を下げては次を供する、流れるような手際だ。だが二人同時にテーブルを離れることは、一度たりともない。
用意が終われば、脇に控えて呼び出しを待っている。位置こそ脇だが、距離的には違う。子爵一家より前にいる。つまり、何かあれば主人の前に割って入れる位置だ。
腕のほどはわからないが、彼女たちは女中であると同時に、護衛の役割もつとめているのだと見てとれた。
とは言え、ぼくらに子爵一家を害する意志はさらさらない。これからしばらくお世話になる方々だ。できれば敵としてじゃなく、仲良くしていきたい。
期せずしてぼくら三人は上手く役割を分担していた。ぼくはつとめて鷹揚に見えるようゆっくりと動き、用心しているような素振りを見せないよう気をつけていた。メイドのロゼッタが言った通り、この屋敷には不穏な空気は感じない。そんなに心配することは当面ないだろう。ぼくは珍しがりのおのぼりさんのように、きょろきょろと回りを見回しながら、当主一家と会話を交わしていた。
サキは次々と出される料理に無邪気に喜び、にこにこと無心で食べていた。そしてクルルは、わざと警戒心を見せるような目つきで向かいを睨んでいる。まったく無警戒というのもかえって怪しいだろう。クルルには面倒な役割を押しつけてしまったが、今日一日だけ。ぼくは心の中でクルルに手を合わせた。
相対するモリガン子爵の隣には次女のシンシア・ヴィオレッタ。赤みがかった長い髪が優雅な雰囲気の、たおやかな女性だ。眼の色はそら色に近い青。いずれもサキが教えてくれた。色がわからないぼくには想像するしかないが、サキの細やかな表現のおかげでとてもよくイメージできた。
「長女のアメリアは先日嫁いでしまったのでね。淋しいかぎりだよ」
そう言った子爵はきっととても娘思いの人なんだろう。羨ましい家族だな。
その子爵夫妻の愛を一身に受けているだろう存在が、夫人のとなり、末娘のエルミア・フランチェスカだった。
赤というよりオレンジ色の、ややくせのある長髪が可愛らしい。眼は姉と同じくそら色に近い青。肌が透き通るように白い。病弱でほとんど外に出ていないためだ。いずれもサキの説明と解説。
「なぜそのようなお話しをなさっているのですか?」
エルミアが問いかけてきた。
「お気に障ったら申し訳ありません、エルミアさま。ぼくは色がわからないので、これなるサキに教えてもらっているのです」
「まあ、そうなのですか。わたくしこそごめんなさい」
エルミアは素直に驚いて、そして謝った。行動がとてもストレートで、無邪気なのが好感が持てる。
「それでそのように仲むつまじいのですね」
微笑むエルミアは褒めてくれたのだと思うが、隣でクルルが不機嫌な目を向けているのがわかる。そんなに怒らないでよ。きみを蔑ろにしているわけじゃないんだ。あとでちゃんと頭をなでてあげるから。
「みなさま方は、遠い異国からおいでになったのですよね?」
「はい。エルミアさま」
エルミアの問いにぼくが答える。
「どのような国なのですか?」
「ぼくとサキは、東の果ての島国から来ました。緑と水がきれいな、でも火山と災害の多い、ちっぽけな国です。
クルルは平原に広がる大帝国の生まれです。永らく水不足で苦しんでいましたが、今はクルルのおかげで水も満たされ、きっとこれから発展していくことでしょう」
「火の姫さまも水の姫さまも、ゆかりの土地で生まれているのですね。おもしろいですわ」
エルミアはころころと笑った。笑いに力がないのは多分、喘息のせいだ。
「でも水がきれいな国、うらやましいです。一度は行ってみたいものですわ」
エルミアの言葉に、子爵夫妻の表情がわずかにくもる。やはり娘の身体を思いやってしまうのだろう。
この国は空気がひどく汚れている。都会から山を隔てたこの港町、グレネウィックでも、多少はマシだがやはり気管支にはつらい。港町だから海風が吹きそうなものだが、風はほとんどない。やはり風そのものが欠けているのだ。
「子爵さまは、お嬢さまのためにここに住んでいらっしゃるのですか?」
「そうだ、と言いたいところだが、当家はまあ非主流でね。実入りのいい領地なんてあてがってはもらえないんだ」
ぼくの問いに子爵は苦笑いで答える。これはまずいことを訊いたかな。門地争いはどこの国でもあるだろう。今のところぼくは、そんなどろどろした争いに首を突っ込むつもりはない。
「でもミアのためには、これでよかったと思う。中央のごたごたには関わりたくないし、関わらずにすめばそれに越したことはない。関わらずにすめばね」
子爵の表情には気づかないふりをした。
その間にもエルミアは興味津々で、異国人のぼくらの話を聞きたがった。日本の風物と言えば、同じ世界にいる人々にすら珍しがられる不思議なものがいっぱいある。常人にも理解できない二次元のあれやこれやは別の機会に譲るとして、話題は日本の遊びについてだった。
「紙を折り曲げて、動物をつくるのですか?」
「そうなんです。たとえば」
ナプキンを使って、ぼくは鶴を折り始めた。誰もが知っているこの折り紙は、綺麗に作るのが難しい。だけどこのくらい大きければ、まあなんとか。
「こんな感じです」
「まあ!」
エルミアがびっくりしている。折り鶴というのは、折り紙の不思議を端的に見せるにはちょうどいいんじゃないだろうか。その鶴を近くで見せようと、サキが席を立ってエルミアに歩み寄る。
空気が一気に張りつめた。
静かな、だが鋭い物音。
エルミアの眼前に、サキに刃物を突き付けようとしているロゼッタと、そのサキの前に割ってはいり、喉もとに刃物を突き付けられているぼくがいた。
クルルが激昂し、椅子を蹴倒して立ち上がる。
「あんた! リョウタになにを!」
「いいんだクルル。大丈夫だよ」
同時に水の技を叩きつけようとするクルルを手を上げて制止し、つとめて落ち着いた声を出した。
「ロゼッタさんはお嬢さまの安全を気にしただけだ。何も問題ないよ」
不用意にエルミアに近づこうとしたサキを牽制したのだ。牽制というには剣呑な一撃だったけど。
ぼくが慌てていないので、クルルも席に着いた。が、とても落ち着いたとは言えず、猫目が怒りに燃えてメイドの方を見据えている。
「ごめんなさい、ロゼッタさん。ぼくらが不注意でした。これはロゼッタさんから渡していただけますか?」
ぼくはサキから折り鶴を受け取ってロゼッタに差し出した。メイドは表情を消して刃物をしまうと、それを受け取った。
「どうですか? 鳥に見えるでしょう?」
かなり強引に話題を元に戻したのだけれど、ありがたいことにエルミアはちゃんと付いてきてくれた。
「ええ。不思議な物体……ですね。確かに鳥に見えます。魔導士の秘術なのですか?」
「いや、そんなすごいものじゃないです。飛んだり呪ったりしませんし」
ぼくが苦笑すると、エルミアもころころと笑う。ちょっとセンスぶっ飛んでるけど、いいぞお嬢さま。さっきの暗闘はなかったことにしてくれていい。
「なんだ、がっかりです。魔導士の秘術が学べるかと思ったのに」
エルミアが口を尖らせているのはわざとなのか、それとも本気なのか。
「申し訳ありません。でしたら明日、こちらのサキから魔女の秘技をお教えしましょう」
「本当ですか!?」
「はい。我が国に伝わる高度な魔法陣形成の秘技です。『あやとり』と言います」
「ほんとにほんとに? 約束ですよ?」
「はい。間違いなく」
ぼくは気取って一礼し、それを区切りとしてエルミアは部屋に引き取った。だいぶ咳がひどくなっていた。ちょっとはしゃぎすぎたみたいだ。ロゼッタが付き添って行った。
「すまなかった」
なにが、とは子爵は言わなかった。居候の分際で問い質すようなことをするつもりも、ぼくにはなかった。それで充分だろう。
「いいえ。お気になさらず」
「エルミアさま、喘息ですか?」
サキが脇から訊いてきた。子爵はうなずいて、
「子供の頃からだ。だからここで静養している、というのもあるんだがね」
ぼくは念のため訊いてみた。
「この国は……空気が悪いですね。風が吹かないのですか?」
「風は……もう十年以上、ろくに吹いていないだろうか。空気はよどんで、街の方では身体を壊す者が後を絶たないよ。きみたちが来た街、ブロウスミスは工業都市だからね。この辺はまだましだが、昔よりだいぶひどくなっている。このままではいずれこの国はだめになってしまうかも知れないな」
やっぱり風のエレメントを取り戻さないと駄目か。
どうやら風の鍵の乙女探しから逃れることはできないらしい。
+ + + + +
離れに戻るなり、クルルが勢い込んでぼくに詰め寄ってきた。
「リョウタ! なんであの召使いをかばったのよ!? 客人に刃物なんて、無礼にもほどがあるわ!」
「まあまあ。そんなに怒らないで」
苦笑しながらクルルをなだめつつ、説明した。
「いきなりやってきた身元不明の異邦人だからね。警戒して当然だよ」
主の安全は、使用人としては最優先に確保すべき事項だろう。ぼくらはこの屋敷に子爵の友人として来たわけではない。
「でも、クルルの言う通りなのです。いくら異邦人でも食事の席でいきなり刃物を向けるなんて、普通ではないです」
サキの言い分にも一理ある。ぼくらに害意はなかった。明らかに過剰反応と言える。
そうまでしなければならない理由、事情があるのだろうか。
「さっきクルルが言っていたことは、案外当たっているのかも知れないね」
まだ見ぬ子爵の裏の顔。厄介なことにならないといいんだけど。
エルミアのあどけない笑顔が思い出される。あんな無垢な娘が血にまみれるような事にだけはなってほしくない。
「……でさ、やっぱりリョウタは新しい女に目をつけてるわけ?」
「は?」
クルルのじっとり目の向こうで、サキも同じ視線を向けているのに気がついた。
なんだなんだ、ふたりして。
「あのエルミアって娘。はかなげだもんね~。保護欲そそられるよね~」
「なにを一体……」
「それとも召使いの方かしら? ずいぶん親身にかばいだてしてたけど。大人の魅力ってやつ? あんた年上もいけるのね」
「そんなんじゃな……」
「白状なさい! ちょっといいな、とか思ったでしょ?」
クルルがぼくの首を絞めて揺さぶる。
「もう! あたしとサキだけじゃ飽き足らず、またお妾さん増やすつもり!? あたしたちだけじゃ不満なの?」
「待て! そんなこと言ってない、落ち着け!」
そんなふうに見えるのか。
まったく女の嫉妬というのは、おそろしい……。
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