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2 移り来たる者たち
怪物
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それから6時間目終了まで教室の内外を問わず、「ゲスト」たちは手を変え品を変えて出現した。
授業中突然入ってきて、「すみません、母が急に倒れて」などと言いながら席に着き、そのまま消える男子。あるいは、騒々しい物音を立て「森田君大嫌い!」と叫んで教室を飛び出していく女子(もちろん森田君が誰のことやら知る由もない)。5人の級友はほとんど関心を示さず、教師も平然と授業を続けた。
何気なく天井を見上げて、俺を見下ろしてにやついているジャージ姿の男と目が合った時には心臓が止まるかと思い、つい目を逸らしてしまった。そいつは蜘蛛のように天井に背中で張り付いていたのだが、俺の動揺ぶりに味をしめたのか、授業が終わるまで話しかけるのをやめなかった。
「君、将来について考えてる?」
「俺が友達になってやろうか?」
「彼女いないの? っていうかファーストキスもまだなんだろ?」
「孤独でいるのって辛いよねえ」
蜘蛛男の精神攻撃に耐える俺をよそに、級友たちはニヤリともせず教師の話を聞き、ノートを取るのに余念がなかった。怨霊のいたずらなど新入りへの通過儀礼程度に考えていたのだろう。
トイレがまた試練の場だった。3時間目の後、俺はどうせならと思って個室に入って鍵を掛けた。ズボンを下ろして便器にしゃがみ込むと、さっそくドアと左右の仕切り壁を激しく叩く音と甲高い笑い声が響く。続いてドアの外を走り回る数人の足音と、「座ってるよ」「学校でクソすんのか」「見えねえだろバカ」などという声が交わされる。
仕切り壁のてっぺんに指先が見えた。ジャンプした顔の上半分が壁越しに一瞬見えて消え、続いて別の顔が現れる。どの顔も笑っておらず、一瞬だけ見える目が無表情に俺を見下ろしては壁の下に消える。俺は学生服の内ポケットに手を伸ばし、用意してきたものを取り出した。
五鈷鈴は使い勝手のいい法具だ。悪意の強い怨霊にダメージを与える武器にもなれば、鈴の音で邪気を払うこともできる。右手で2回鳴らして「オム アビラウンケンソワカ」と唱えると、霊たちは即座に消え、トイレに静寂が戻った。
そのトイレには放課後までに2度入ったが、何も起きなかった。
極め付けは、5時間目の終わりに一人で教室を出た時のことだ。廊下の端に、等身大の人体のように見える物体がぐらぐらと揺れ動いていた。
目を凝らすと、服は着ておらず全裸だが靴のようなものは履いている。人間のようにも見えるが、高校生くらいの男の首が肩に二つ着いている。足の長さがどう見ても左右で違うらしく、むき出しの両腕をぶらぶらさせながらびっこを引くように歩いていたが、俺に気付いた様子で立ち止まると、こちらに向かって走り出した。
足の長さが違うためにそうなるのか、スキップをするように走り寄ってくる怪物を、俺は動くこともできず凝視していた。
二つある首のうち、一つは俺を血走った眼で上目遣いに見据えているのだが、もう一つは眠っているようにだらりと下を向いている。肉体は男のように見えても、その股間にはあるべきはずのものがなく、手術でもしたように癒着している。
辛うじて俺は懐から五鈷鈴を取り出し、怪物の前にかざして「アビラウンケン!」と唱えた。衝突する寸前、怪物は俺の正面で光の粒子となって四散した。廊下の先に別の怨霊の姿はなかったが、俺はその場にへたり込んでしばらく動けなかった。
レクチャーで聞かされた「深刻な心的外傷を負わされ、心療内科に通っている生徒もいる」というレベルの災難を、俺はこの時に初めて実感したのだと思う。
畸形の個体を俺が目にしたのはこの時が最初だったが、実はそう珍しくはないらしい。
人は誰でも、霊と特定の個人を「一対」にして考えたがる。だが親父によれば、それは多分に思い込みと無意識下の願望が働いているためなのだそうだ。
実際には複数の人間の魂が一つの霊体を構成したり、逆に切り離されて複数の霊体の部分になっていたりと、生体とはまったく違う存立の形を取っているのが普通なのだという。また、仮にある個人の人格と100%対応した霊体がいたとしても、その一部が別の霊を構成するパーツになっているような「重複」も起こり得る。
要するに「何でもあり」なのだ。ただ、何者かの意図でも介在しない限り、各部分が美しく融合した統一体になるようなことはない。
ほとんどの場合は出来の悪いパッチワークのような形で出現する(甚だしい場合には人間以外の動物がまぎれ込んで、文字通りの「怪物」になっていたりする)。こういう時、継ぎはぎの各「部分」は別の部分について何も知らないので、最も自己主張の強い部分がその霊体を代表する個性になる。親父はこういう霊体を「小さな地獄」と呼んでいた。
生物である限り、「不快」であろうとする者などいない。飢えの苦痛を逃れるために食い、疲労から逃れるために眠る。苦痛の回避は生物体としての安定につながるわけだが、人間は、これが意のままにならず死という究極の安定すら欠いた世界を想像して、地獄と名付けた。
継ぎはぎのいい加減さ、いびつさは、苦痛の象徴とも言える。苦痛を増幅すること自体が目的になっているなら、バランスとか統一といった概念からかけ離れていくのは当然だろう。「安定」「統一」「シンメトリー」……それらは、俺たち生者の視界に入る物質世界で追求される価値にすぎない。
それらの欠如を伴う「出来の悪い歪み」が他の何にも増して常人を恐怖させるのは、それが生身の人間には不可知の領域に隔離され忘れ去ったはずの苦痛を、再び引きずり出して想起させるからだろう。
授業中突然入ってきて、「すみません、母が急に倒れて」などと言いながら席に着き、そのまま消える男子。あるいは、騒々しい物音を立て「森田君大嫌い!」と叫んで教室を飛び出していく女子(もちろん森田君が誰のことやら知る由もない)。5人の級友はほとんど関心を示さず、教師も平然と授業を続けた。
何気なく天井を見上げて、俺を見下ろしてにやついているジャージ姿の男と目が合った時には心臓が止まるかと思い、つい目を逸らしてしまった。そいつは蜘蛛のように天井に背中で張り付いていたのだが、俺の動揺ぶりに味をしめたのか、授業が終わるまで話しかけるのをやめなかった。
「君、将来について考えてる?」
「俺が友達になってやろうか?」
「彼女いないの? っていうかファーストキスもまだなんだろ?」
「孤独でいるのって辛いよねえ」
蜘蛛男の精神攻撃に耐える俺をよそに、級友たちはニヤリともせず教師の話を聞き、ノートを取るのに余念がなかった。怨霊のいたずらなど新入りへの通過儀礼程度に考えていたのだろう。
トイレがまた試練の場だった。3時間目の後、俺はどうせならと思って個室に入って鍵を掛けた。ズボンを下ろして便器にしゃがみ込むと、さっそくドアと左右の仕切り壁を激しく叩く音と甲高い笑い声が響く。続いてドアの外を走り回る数人の足音と、「座ってるよ」「学校でクソすんのか」「見えねえだろバカ」などという声が交わされる。
仕切り壁のてっぺんに指先が見えた。ジャンプした顔の上半分が壁越しに一瞬見えて消え、続いて別の顔が現れる。どの顔も笑っておらず、一瞬だけ見える目が無表情に俺を見下ろしては壁の下に消える。俺は学生服の内ポケットに手を伸ばし、用意してきたものを取り出した。
五鈷鈴は使い勝手のいい法具だ。悪意の強い怨霊にダメージを与える武器にもなれば、鈴の音で邪気を払うこともできる。右手で2回鳴らして「オム アビラウンケンソワカ」と唱えると、霊たちは即座に消え、トイレに静寂が戻った。
そのトイレには放課後までに2度入ったが、何も起きなかった。
極め付けは、5時間目の終わりに一人で教室を出た時のことだ。廊下の端に、等身大の人体のように見える物体がぐらぐらと揺れ動いていた。
目を凝らすと、服は着ておらず全裸だが靴のようなものは履いている。人間のようにも見えるが、高校生くらいの男の首が肩に二つ着いている。足の長さがどう見ても左右で違うらしく、むき出しの両腕をぶらぶらさせながらびっこを引くように歩いていたが、俺に気付いた様子で立ち止まると、こちらに向かって走り出した。
足の長さが違うためにそうなるのか、スキップをするように走り寄ってくる怪物を、俺は動くこともできず凝視していた。
二つある首のうち、一つは俺を血走った眼で上目遣いに見据えているのだが、もう一つは眠っているようにだらりと下を向いている。肉体は男のように見えても、その股間にはあるべきはずのものがなく、手術でもしたように癒着している。
辛うじて俺は懐から五鈷鈴を取り出し、怪物の前にかざして「アビラウンケン!」と唱えた。衝突する寸前、怪物は俺の正面で光の粒子となって四散した。廊下の先に別の怨霊の姿はなかったが、俺はその場にへたり込んでしばらく動けなかった。
レクチャーで聞かされた「深刻な心的外傷を負わされ、心療内科に通っている生徒もいる」というレベルの災難を、俺はこの時に初めて実感したのだと思う。
畸形の個体を俺が目にしたのはこの時が最初だったが、実はそう珍しくはないらしい。
人は誰でも、霊と特定の個人を「一対」にして考えたがる。だが親父によれば、それは多分に思い込みと無意識下の願望が働いているためなのだそうだ。
実際には複数の人間の魂が一つの霊体を構成したり、逆に切り離されて複数の霊体の部分になっていたりと、生体とはまったく違う存立の形を取っているのが普通なのだという。また、仮にある個人の人格と100%対応した霊体がいたとしても、その一部が別の霊を構成するパーツになっているような「重複」も起こり得る。
要するに「何でもあり」なのだ。ただ、何者かの意図でも介在しない限り、各部分が美しく融合した統一体になるようなことはない。
ほとんどの場合は出来の悪いパッチワークのような形で出現する(甚だしい場合には人間以外の動物がまぎれ込んで、文字通りの「怪物」になっていたりする)。こういう時、継ぎはぎの各「部分」は別の部分について何も知らないので、最も自己主張の強い部分がその霊体を代表する個性になる。親父はこういう霊体を「小さな地獄」と呼んでいた。
生物である限り、「不快」であろうとする者などいない。飢えの苦痛を逃れるために食い、疲労から逃れるために眠る。苦痛の回避は生物体としての安定につながるわけだが、人間は、これが意のままにならず死という究極の安定すら欠いた世界を想像して、地獄と名付けた。
継ぎはぎのいい加減さ、いびつさは、苦痛の象徴とも言える。苦痛を増幅すること自体が目的になっているなら、バランスとか統一といった概念からかけ離れていくのは当然だろう。「安定」「統一」「シンメトリー」……それらは、俺たち生者の視界に入る物質世界で追求される価値にすぎない。
それらの欠如を伴う「出来の悪い歪み」が他の何にも増して常人を恐怖させるのは、それが生身の人間には不可知の領域に隔離され忘れ去ったはずの苦痛を、再び引きずり出して想起させるからだろう。
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