上 下
25 / 74
2 移り来たる者たち

女王様の無慈悲な宣告

しおりを挟む
「いやほんと、マジやばいんだって」
「バカじゃねえのお前」

 俺から無事回収したマウンテンバイクに片肘を預け、あきれ顔で見返す財部のブレザー姿が眩しい。待ち合わせ場所に指定した聖往学園正門前に、日輪の制服のままで来てしまった不覚を俺は思い知らされていた。

 財部が着ている紺色のブレザー。それは昨日まで俺の制服でもあった。しかし今、俺が着ているのは日輪高校の黒い詰襟だ。それだけで財部との間に見えない壁が立ち塞がってしまったかのような、何とも形容しがたい悲哀を俺は味わっている。

 なぜ、こうも卑屈な気分に陥るのだろう。高貴なる聖往学園生徒様の前へ引き出された下級民でもあるまいに。

「なんでそんなの引き受けたんだよ。どうせ話をよく聞きもしないでOKしたんだろ?」
「だって松田美根子の時のことが頭にあったわけでさ。今回も同じだろって思ったんだよ。普通そう考えねえか」
「あり得ねえ」

 横を向いて渋い顔をする財部を、いつの間にか俺はすがるような気持ちで眺めていた。

 いったん帰宅して、聖往の門前で会おうと電話で話を決めた時、財部にはその日の概略を伝えた。「俺が相手しなきゃいけないのは何百体、いや下手すると千体以上いるかも」と打ち明けると、電話の向こう側でけたたましい笑い声が炸裂した。
 
『なんっだそれ、マジ受けるんですけど』
「笑い事じゃねっつうの!」
『いやいや、何その圧倒的多勢に無勢。どう見ても壮烈な最期を遂げるフラグだろ。もう覚悟決めて悪霊の軍団相手に華々しく散って伝説になるしかねえよ。良かったなお前』
「うっせバカやろ」
『そういや何かの本に書いてあったな。悲劇的な最期を遂げる英雄ってのは、自分の悲劇性に全然自覚がないことが条件だとかなんとか』

 そこまで言うか。「いつからお前はそういう嫌味な男になった?」と喉元まで出かかったが、口に出したら負けだと思い、なんとか耐えた。

「それ何の本だよ」
『忘れた』
「お前の思い付きだろ」
『何でもいいけどよ、クライマックスはきっちり定石通りに盛り上げろよ? 周囲の期待もあるからな』
「てめえ……。いやマジな話、親父も出張中だから相談もできないし」

 前にも言った通り、親父が出張で滅霊に入っている間、原則として家族からは連絡を取れない。親父の任務に関しては機密保持のレベルが比較にならないのだ。財部は「笑ったのは悪かったよ。とにかく会って話しよう」と言って電話を切った。

 聖往学園前に財部は先に着いて俺を待っていた。とっくに日が落ちて夜の闇も濃くなっていたが、校門には生徒がちらほらと出入りし、正面の車道も交通量が多かった。

「つまんねえ意地は張らないこった。『僕にはできません』って水際さんに泣き入れろよ」
「いや、そう思ってたんだが、よく考えるとなあ……」

 1日で怖気づいて尻尾を巻いたと言われるのは、さすがに辛い。「1人で何ができる?」とは思うが、もう少し粘った上でタイミングを見計らって「やっぱり駄目でした」と降参する方が多少は格好がつくだろう。

 現にあの5人は今も登校し続けている。「いくらなんでも命までは取られまいから、引っ張れるところまで引っ張ってみるつもりだ」と言うと、財部は疑問を呈した。

「そうやって引っ張ってるうちに深入りして収拾つかなくなったらどうする? 霊だって滅せられたくなけりゃ、滅霊師のお前を殺す気でかかってくるのと違うか」
「殺す……マジでか? 本人まだ生きてんだぜ」
「それ関係ある?」
「ある……と思いたいが、やっぱりねえな」
「だろ。まだ頑張りたいか?」

 俺が黙っていると、財部は舌打ちを交えて「仕方ねえ」と呟く。

「明日生徒会長のところへ行って、助っ人として俺も日輪に転校できないか相談してみる」
「何だって? 正気かよ」
「お前のその暗い顔見てたら、そうでもするしかねえだろうが!」

 俺ははっとして財部の顔を見た。眉間に皺が寄って、俺の目を見返していた。

 その顔色に「こっちの迷惑も考えろ」とのメッセージを読み取ったわけではない。しかし、いかに腐れ縁の幼馴染ではあっても、そう解釈しなければならない場面が人生にはままある。今がまさにそれだという直感が、確かに俺の脳を貫いていった。

 もちろん、こんなことを感じたのは生まれて初めてだった。

 どう返していいのか分からない。しばしの間を置いて、俺は自棄やけ気味に「お前の好きにしろよ」と言うしかなかった。

 こいつが転校を申し出たところで、鼻で笑われるだけだろう。水際様には、俺たちが極めて熟成度の高いお腐れな関係にあると疑われるのが関の山ではないか。冗談めかしてそう言うと財部は「そう思わせとけばいいだろ」と意にも介してない素振りを示した。

 会話が尽きたところで、「もう帰るか?」と聞かれた。

「とりあえず教室行って、置きっぱなしの荷物取ってくる」
「その格好でか?」

 俺は日輪の制服を着ていたのだった。正門前には「関係者以外の無断立ち入りはお断りします」と書かれた表示板が立っている。

 言葉を失っている俺に、財部は「俺が取ってきてやるよ。机の中と棚だけか?」と畳み掛けてきた。「ああ」と生返事をした俺は、校舎の方へ小走りしていく財部の背中を呆けたように眺めていた。


 教科書その他を受け取って財部と別れ、家まで歩きながらあれこれと考えた。あいつは英雄の悲劇性がどうとか言ったが、世の中には、一度はまり込んでしまうと抗いようもなくその方向に流されてしまうストーリーというか、トラップみたいなものがあるのかもしれない。そんな罠にはまるのは御免だ。

 勇者は格下をスマートに撫で斬りにするのがふさわしいのであって、悪戦苦闘はめんどくさい。というより、自分はまだそのステージに立っていない。

 財部には強気を装っておきながら、優柔不断な俺は早めの離脱を目指す方向へ傾いていった。水際様にはうまく説明して状況を理解してもらい、波風立てずに日輪高校から退散できるようにしよう。帰宅後、なるべく早くと思いながら生徒会長との想定問答を頭の中で組み立てているうちに、スマホが鳴った。

 前日の夕方に呼び出されたのと同じ番号──水際様からだった。

 残念、一歩遅かった。だが悔やんでも後の祭り。

『どう? 新天地の制服に袖を通した気分は』
「正直言って詰襟はNGですね。首とか絞め上げられてるみたいで」
『あら、それがいいんじゃない。初めは嫌だ嫌だと言ってても、時が経つうちに身体が馴染んでいくの。それが運命よ』

 始まった。スマホの向こうから奔流となって押し寄せる水際ワールドに、心身ともに困憊気味の俺は身を任せてしまいそうになる。

『いずれ詰襟服なしではいられない身体になっていく、それが「校則」いや「拘束」というものの本質で……今私、なにげにものすごく深いことを言った気がするけど忘れて。とにかくその頃には身も心も日輪の人間になって、そっちに骨を埋める覚悟もできてるってわけで』

 その瞬間、俺は我に返った。

「シャレになりませんよ!」
『そうなの?』

 疲れきった男子の叫びにも動じる気配のない生徒会長に、俺は転校1日目で知り得たことを細大漏らさず説明した。

『あらー。そりゃ大変ね』
「大変って……知らなかったんですか?」
『そりゃそうよ。私のところには教育委員会から「ちょっとおたくの座光寺っての貸してくれ」って話が下りてきただけだもん』
「えええー!?」
『大きい声出さないでよ、びっくりするじゃない。まったく転校童貞はこれだから困るわ。慣れ親しんだ学校、仲の良かった友達から無理矢理引き剥がされ、見知らぬ土地へ流されていく日。涙に霞んで見えなくなっていくみんなの顔。こういう経験は誰にでもいつかは訪れるの。これも人生の貴重な……』
「関係ないでしょ! そういう世間一般の転校とは」
『同じよ。あなたも人間なら、生理初日の乙女をこれ以上困らせるのはやめて。とにかく、帰りの切符は自分の力でもぎ取るしかないって腹をくくりなさい。私があれだけ誠意を尽くして君にお願いしたんだから、この期に及んで「魂は聖往に置いてきた」なんて三流野球選手みたいな泣き言は聞かせないでね。分かった?』
「正直言って、任務を達成できると確約はできません。お手上げだったら?」
『それだと、日輪高校は消えちゃうんでしょ。そうすると、県立高校の生徒である座光寺君をどの学校に振り分けるかは当然、県教育委員会の仕事になるわね。聖往こっちの理事会は関知しないと思う』
聖往そっちに戻れないってことですか!」
『騒がないで! だから「帰りの切符は自力で」って言ったじゃないの。あと、私を生徒会室で押し倒して無理矢理スカートの内側の湿度を測った件ですけど』
「え……?」
『これが表沙汰になるかどうかもそっちでの活躍次第。そのつもりでいることね。期待してるわよ』
「ちょっと何の話……」

 それ以上俺に言わせる暇を与えず、生徒会長は一方的に電話を切った。
しおりを挟む

処理中です...