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夢日記

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 『2月6日。友達の大輝だいきと下北沢のライブハウスに行った。』
『2月7日。ゲーム機が壊れて発狂した。新しいゲーム機を買う予定だ。』
『2月8日。体育祭のリレーで転んだ。とても痛かったが、それ以上に周りの目線が痛かった。好きなあの子も俺の事を卑下するような感じでこちらを見てきた。』

 これは俺の高校2年生の時の日記だ。日記と言っても、ただの日記ではない。これは”夢日記”というものだ。夢日記について簡単に説明すると、人間は自分の見た夢はすぐに忘れてしまう。しかし、起きた直後に夢日記を書くことで自分が見た夢を思い出すことができるのだ。
 だが、この夢日記はやってはいけない。
 夢というのは本来、直ぐに忘れるものだ。しかし夢日記では、忘れるはずのものを記録する。これがいけないのだ。
 俺は夢日記で、壊れたんだ。



 「中野なかのくん、今日一緒に帰らない?」
この子は俺が密かに恋をしている佐倉さくらさんだ。まさか佐倉さんから誘ってもらえるなんて思ってもいなかった。
「もちろん!一緒に…」
 「はっ!」
俺は夢から目覚めた。とてもとても幸せな夢で、つい俺はこの夢を紙に覚えていることをできる限り書いた。
『1月5日。佐倉さんから一緒に帰るのを誘われた。』
しかし、書こうと思ってももう既に忘れていることが多く、簡単なことしか書けなかった。
 この日から、夢を記録することに決めた。これが夢日記の始まりだったのだ。

 「夢かぁ。そうだ、書かないと。」
俺は起きて直ぐに夢を思い出して、日記に書き込んだ。
『1月6日。佐倉さんが日本史の授業で当てられて、答えが分かってなくて困っていた。そんな佐倉さんも可愛かった。』
昨日よりも具体的に夢を記録することが出来たが、半分くらいは忘れてしまっていた。
 この日から俺は1週間ほど佐倉さんの夢を見続けた。
『1月11日。佐倉さんが髪を切っていた。長いサラサラとしたロングヘアから、可愛らしいショートカットにしていて、さらに好きになった。佐倉さんの髪の毛1本1本がとても美しく、目が離せなかった。今日は佐倉さんと話せなかったが、とてもいい日だった。』
俺は次第に具体的に夢日記を書くことが出来て来ていた。
 ふと、今までの夢日記を読み返してみると、『佐倉さんがバスケで活躍していた。』とか、『掃除を佐倉さんが手伝ってくれた。』と書かれていた。幸せな夢を忘れることがなくいい気持ちになれる夢日記を俺は好きになっていた。

 しかし、この時から俺は壊れてきていたんだ。

 ある日、俺は学校で佐倉さんと話した。
「この前は掃除を手伝ってくれてありがとう。助かったよ。ところでさぁ…」
「私、掃除なんか手伝ってないよ。というか君と話すのも初めてだし。」
なんと俺は夢と現実の区別がつかなくなっていたのだ。現実でのことを思い出そうとしても必ず夢のことも合わせて思い出してしまう。完全に俺は壊れてしまったのだ。
 「大輝、この前下北沢行ったよな?」
「行ってないよ。誰かと勘違いしてねぇか。」
違う。みんな俺の記憶と違う。現実の記憶はなんなんだ。日が経つ毎に周りの人は俺を心配してくれたり、あるいは離れていく者もいた。

 「もう朝か。」
時計のアラームがなり、時刻は6:30を指していた。窓から日光が差し込み、今日の天気は晴天ということを表していた。しかし、俺がドアに手を掛けて部屋から出ようとした時だった。
「もう朝か。」
さっき見た光景が広がる。時刻は6:30を指していた。窓から日光が差し込み、今日の天気は晴天ということを表していた。混乱して俺はドアに手を掛けた。
「もう朝か。」
俺はようやく気づいた。自分が夢から抜け出せなくなっていることに。
 俺は無我夢中で部屋から出ようとドアを開けた。しかし、ドアを開けた瞬間、さっき見た光景が広がる。何回も何回も何回も繰り返した。
 「バシン!」
俺は頬に強い痛みを感じて久しぶりに見る違う光景に感動すら受けていた。
「お前、白目向きながら叫んでたよ。」
姉が言うには、俺はとてつもない格好で寝ていたそうで見かねて起こしてくれたそうだ。
 俺は姉がいなかったらもしかしたら、一生夢の中だったのかもしれない。

 この出来事も全て、夢日記の副作用なのだ。
 その後俺は夢日記を書くのをやめ、夢を忘れることにした。だが、後遺症のようなものがその後も俺をくるしめたのだ。

 俺は度々夢から抜け出せなくなっていたのだ。この副作用は数十年が経った今でも続いている。
 
 興味本位でやってはいけない、『夢日記』。
 俺は運がよく、夢から抜け出すことが出来たが、もし誰もおこしてくれなかったらと考えると恐ろしい。

 やってみるは自己責任。だが、後悔しても知らないぞ。
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