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第五章 桐生祥三郞
第三話
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「化け物?」
夕餉の席だった。
今朝の殺しを目撃した者がいて、その話によると殺したのは化け物だというのだ。
「もしかして、のっぺらぼうでやすか?」
太一が訊ねた。
夕輝と同じく、この前の異形のものを思い浮かべたらしい。
「いや、女の化け物だそうだ」
目撃者の話によると、倒れている女のはらわたを、髪を振り乱した女が四つん這いになって犬のように喰らっていたというのだ。
夕輝は顔をしかめた。
食事時に聞きたくはなかった。
太一はわずかに眉をひそめながらも、箸を止めなかった。
案外図太いんだな。
夕輝は感心して太一を見た。
ふと、さっきの女性のことを思い出した。
まさかね。
血の臭いだけであの女性だと決めるのは早計だ。
あの細さからすると労咳で大量の喀血でもしたのかもしれないし、どこかに大怪我でもしていたのかもしれない。
それに、太一は気付かなかったと言っていた。
きっと、気のせいに違いない。
夕餉が終わると、繊月丸を持って裏庭に出た。
「繊月丸」
夕輝が呼びかけると、繊月丸は少女の姿になった。
「何?」
「天満の一族って何? 何やってるんだ?」
「天満の一族はこの地上を支配してる」
「支配? じゃあ、偉いのか? 何でも出来るのか?」
夕輝は思わず大きな声で訊ねた。
支配しているならお唯を助けられるのではないのか?
それを訊いてみた。
「身請けって事?」
「よく分からないけど、それでお唯ちゃんは助かるのか?」
「助けられるけど、十六夜は帰れなくなるよ」
「どっちかなのか?」
「うん」
「支配者なんだろ。お唯ちゃんを助けられないなら何をしてるんだ?」
「何もしないよ。天満は天の一族だから地上のことには干渉しない」
「じゃあ、なんの為に支配してるんだ?」
何もしないのなら支配していると言えるのか?
「地下蜘蛛から地上を守ってる」
「地下蜘蛛? それ何? そいつが何をするの?」
「地下蜘蛛は地下に住んでる。人の血を糧にして生きてる」
人の血……。
「もしかして、人のはらわたを喰らっていたって言う……」
「それは地下蜘蛛に取り憑かれた人間」
繊月丸は、地下蜘蛛は地上を狙っている、と言った。
地下蜘蛛の糧は人の血だから、地上へ出て人間達を喰らいたいと思っているが、天満の一族が押さえているから出てこられないのだと言う。
「取り憑かれた人間? 地下蜘蛛そのものじゃなくて?」
繊月丸によると地下蜘蛛は炎の姿で人を喰らうのだという。
喰われた人間は黒焦げになる。
天満の一族が地下蜘蛛を押さえきれなくなったとき、地上で大火が起き、何万人もの人が地下蜘蛛に食われるのだという。
明暦の大火などは天満の一族が押さえきれなかった地下蜘蛛が大量に地上に出てきたものだそうだ。
「人を喰らってる人間って言うのはなんなんだ?」
「それは亜弓」
「亜弓?」
「亜弓は望月を打ち落とす為に地下蜘蛛の手先にされた人間」
そのため、望が凶月になったと繊月丸が悲しそうに言った。
「亜弓は元は未月楓だったもの」
「未月? もしかして椛ちゃんの……」
「お姉さんだった」
「だったって今は違うの?」
「今は亜弓」
よく分からないが、もう未月楓とは違うと言うことらしい。
「十六夜。望を助けてあげて」
「凶月になったのに?」
「望は悪くない。望のせいじゃないの」
繊月丸は大粒の涙を流しながら言った。
「……望が好きだった?」
「望はいつも優しかった。十六夜みたいに」
「俺は優しくないよ」
自分は唯を助けなかった。
「望を止めてくれる?」
「望が死ぬことになるかもしれない。それでも?」
「それで望が泣かなずにすむようになるなら」
「そうか」
夕輝に望を助けることが出来るかは分からない。
ただ、繊月丸の悲しそうな顔は見たくないと思った。
もう誰かが悲しむのを見るのは嫌だ。
夕輝は刀の姿になった繊月丸を掴むと、嫌なことを振り払うように一心に素振りを始めた。
東の空から昇ってきた月が西の空に傾くまでひたすら振り続けた。
翌朝、稽古場で拭き掃除を終え、雑巾を片付けていると、
「夕輝殿!」
祥三郞がやってきた。
「祥三郞君、おはよう」
夕輝がそう声をかけると、祥三郞は顔を寄せてきた。
「夕輝殿、お気を付けて」
祥三郞が小声で囁く。
「何が?」
「谷垣殿です」
「谷垣? ああ」
以前、夕輝に一緒に帰るように言って祥三郞に荷物持ちをさせようとした門弟だ。
「この前のことを根に持っています。きっと仕返しをする気故、隙を見せぬように」
「有難う」
夕輝がそう答えたとき、
「天満!」
当の谷垣に呼ばれた。
その後ろに、見知らぬ青年が三人立っていた。
この稽古場の門弟ではない。
「なんですか?」
夕輝は谷垣に歩み寄った。
谷垣はにやにや笑いながら後ろの三人を振り返った。
「この三人は高田稽古場の門弟だ。お前と試合をしたいそうだから受けてやれ」
なるほどね。
自分が夕輝を叩きのめすと師匠に叱られるから、他の稽古場の者にやらせようという魂胆らしい。
「他流試合は禁じられてます」
「他流ではない。高田稽古場の高田先生は、我が大久保稽古場の大久保師匠と同じ中野稽古場で学んだ兄弟弟子だ」
「……そう言うことなら」
仕方なくそう答えたとき、祥三郞が後ろから袖を引いた。
「駄目です、夕輝殿。谷垣殿のいつもの手です。あの三人は高田稽古場の高弟で、必ずうちの師匠の留守の時を見計らって連れてくるんです」
祥三郞が小声で言った。
さり気なく周りを見ると、皆こちらの様子を窺っていた。
祥三郞の言う通り、良くあることのようだ。
「大丈夫。適当に負けてやれば気が済むよ」
夕輝は祥三郞に囁き返した。
「しかし……」
まだ何か言いたそうな祥三郞を残して、夕輝は壁に掛かった木刀を手に取った。
高田稽古場の高弟三人は、背が高く――夕輝よりは低いが――がっしりしている肌の浅黒い男が石川、中肉中背の狐みたいな顔をしているのが奥野、眠そうな目をしている少し小太りの男が麻生と言った。
夕輝が木刀を持って稽古場の中程に立つと、他の門弟達が壁際に退いた。
夕餉の席だった。
今朝の殺しを目撃した者がいて、その話によると殺したのは化け物だというのだ。
「もしかして、のっぺらぼうでやすか?」
太一が訊ねた。
夕輝と同じく、この前の異形のものを思い浮かべたらしい。
「いや、女の化け物だそうだ」
目撃者の話によると、倒れている女のはらわたを、髪を振り乱した女が四つん這いになって犬のように喰らっていたというのだ。
夕輝は顔をしかめた。
食事時に聞きたくはなかった。
太一はわずかに眉をひそめながらも、箸を止めなかった。
案外図太いんだな。
夕輝は感心して太一を見た。
ふと、さっきの女性のことを思い出した。
まさかね。
血の臭いだけであの女性だと決めるのは早計だ。
あの細さからすると労咳で大量の喀血でもしたのかもしれないし、どこかに大怪我でもしていたのかもしれない。
それに、太一は気付かなかったと言っていた。
きっと、気のせいに違いない。
夕餉が終わると、繊月丸を持って裏庭に出た。
「繊月丸」
夕輝が呼びかけると、繊月丸は少女の姿になった。
「何?」
「天満の一族って何? 何やってるんだ?」
「天満の一族はこの地上を支配してる」
「支配? じゃあ、偉いのか? 何でも出来るのか?」
夕輝は思わず大きな声で訊ねた。
支配しているならお唯を助けられるのではないのか?
それを訊いてみた。
「身請けって事?」
「よく分からないけど、それでお唯ちゃんは助かるのか?」
「助けられるけど、十六夜は帰れなくなるよ」
「どっちかなのか?」
「うん」
「支配者なんだろ。お唯ちゃんを助けられないなら何をしてるんだ?」
「何もしないよ。天満は天の一族だから地上のことには干渉しない」
「じゃあ、なんの為に支配してるんだ?」
何もしないのなら支配していると言えるのか?
「地下蜘蛛から地上を守ってる」
「地下蜘蛛? それ何? そいつが何をするの?」
「地下蜘蛛は地下に住んでる。人の血を糧にして生きてる」
人の血……。
「もしかして、人のはらわたを喰らっていたって言う……」
「それは地下蜘蛛に取り憑かれた人間」
繊月丸は、地下蜘蛛は地上を狙っている、と言った。
地下蜘蛛の糧は人の血だから、地上へ出て人間達を喰らいたいと思っているが、天満の一族が押さえているから出てこられないのだと言う。
「取り憑かれた人間? 地下蜘蛛そのものじゃなくて?」
繊月丸によると地下蜘蛛は炎の姿で人を喰らうのだという。
喰われた人間は黒焦げになる。
天満の一族が地下蜘蛛を押さえきれなくなったとき、地上で大火が起き、何万人もの人が地下蜘蛛に食われるのだという。
明暦の大火などは天満の一族が押さえきれなかった地下蜘蛛が大量に地上に出てきたものだそうだ。
「人を喰らってる人間って言うのはなんなんだ?」
「それは亜弓」
「亜弓?」
「亜弓は望月を打ち落とす為に地下蜘蛛の手先にされた人間」
そのため、望が凶月になったと繊月丸が悲しそうに言った。
「亜弓は元は未月楓だったもの」
「未月? もしかして椛ちゃんの……」
「お姉さんだった」
「だったって今は違うの?」
「今は亜弓」
よく分からないが、もう未月楓とは違うと言うことらしい。
「十六夜。望を助けてあげて」
「凶月になったのに?」
「望は悪くない。望のせいじゃないの」
繊月丸は大粒の涙を流しながら言った。
「……望が好きだった?」
「望はいつも優しかった。十六夜みたいに」
「俺は優しくないよ」
自分は唯を助けなかった。
「望を止めてくれる?」
「望が死ぬことになるかもしれない。それでも?」
「それで望が泣かなずにすむようになるなら」
「そうか」
夕輝に望を助けることが出来るかは分からない。
ただ、繊月丸の悲しそうな顔は見たくないと思った。
もう誰かが悲しむのを見るのは嫌だ。
夕輝は刀の姿になった繊月丸を掴むと、嫌なことを振り払うように一心に素振りを始めた。
東の空から昇ってきた月が西の空に傾くまでひたすら振り続けた。
翌朝、稽古場で拭き掃除を終え、雑巾を片付けていると、
「夕輝殿!」
祥三郞がやってきた。
「祥三郞君、おはよう」
夕輝がそう声をかけると、祥三郞は顔を寄せてきた。
「夕輝殿、お気を付けて」
祥三郞が小声で囁く。
「何が?」
「谷垣殿です」
「谷垣? ああ」
以前、夕輝に一緒に帰るように言って祥三郞に荷物持ちをさせようとした門弟だ。
「この前のことを根に持っています。きっと仕返しをする気故、隙を見せぬように」
「有難う」
夕輝がそう答えたとき、
「天満!」
当の谷垣に呼ばれた。
その後ろに、見知らぬ青年が三人立っていた。
この稽古場の門弟ではない。
「なんですか?」
夕輝は谷垣に歩み寄った。
谷垣はにやにや笑いながら後ろの三人を振り返った。
「この三人は高田稽古場の門弟だ。お前と試合をしたいそうだから受けてやれ」
なるほどね。
自分が夕輝を叩きのめすと師匠に叱られるから、他の稽古場の者にやらせようという魂胆らしい。
「他流試合は禁じられてます」
「他流ではない。高田稽古場の高田先生は、我が大久保稽古場の大久保師匠と同じ中野稽古場で学んだ兄弟弟子だ」
「……そう言うことなら」
仕方なくそう答えたとき、祥三郞が後ろから袖を引いた。
「駄目です、夕輝殿。谷垣殿のいつもの手です。あの三人は高田稽古場の高弟で、必ずうちの師匠の留守の時を見計らって連れてくるんです」
祥三郞が小声で言った。
さり気なく周りを見ると、皆こちらの様子を窺っていた。
祥三郞の言う通り、良くあることのようだ。
「大丈夫。適当に負けてやれば気が済むよ」
夕輝は祥三郞に囁き返した。
「しかし……」
まだ何か言いたそうな祥三郞を残して、夕輝は壁に掛かった木刀を手に取った。
高田稽古場の高弟三人は、背が高く――夕輝よりは低いが――がっしりしている肌の浅黒い男が石川、中肉中背の狐みたいな顔をしているのが奥野、眠そうな目をしている少し小太りの男が麻生と言った。
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