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EP01「〔魔女獄門〕事変」
SCENE-030 >> 主のおきては完全であって、魂を生きかえらせ、主のあかしは確かであって、無学な者を賢くする。
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あの日。あの夜。一本の杖を掲げた魔女によって二つの世界を隔てる『壁』は打ち砕かれ、現世と幻世は混ざりはじめた。
そうして、何が起きたかというと。
にわかゲーマーから私のような廃ゲーマーまで。突如として超常の『力』を手にした人類がおよそ思いつく限りの、ありとあらゆる事件や問題が、世界各地で同時多発的に発生した。
たとえば。軽率なプレイヤーによるちょっとした(個人のスキルや魔法、あるいは手持ちのアイテムで容易に証拠隠滅が図れる規模の)器物損壊や傷害事件だったり。事実の確認ついでに徳を積もうと思い立ったプレイヤーによる辻ヒールだったり。いじめの被害者による加害者への復讐だったり。幻世での盗賊ロールに味を占めた輩による恐喝、強盗事件だったり。スキルホルダー同士の喧嘩だったり。施しだったり。ヒーローごっこだったり。
その大半が、現世では『科学的に説明のつかない超常の力』によって為され、市民の通報により警察や軍隊といった現地の治安維持に携わる公務員が現場に駆けつけたところで、そもそも何を根拠に相手を逮捕・拘束するのかという話になり。それ以前に、スキルを持たない人種にはスキルホルダーの制圧が困難であったりと。AWO式のステータスシステムが現世に実装されたことに端を発する問題は、事が起きてから二日目の今日にして既に、挙げはじめると枚挙に暇がない。
そんな未曾有の混乱の中、明確にスキルホルダーの故意、あるいは過失による死者が未だにただの一人も確認されていないことが不幸中の幸い、とも言えないような状況だ。
なにせ。あの夜から、現世では『死者』が生まれていないのだから。
幻世の『仕組み』を理解していれば、これはある意味、当然のことだと納得できる現象だ。
幻世の万象は二柱の神によって、バランスを保ちながら存在している。
陰と陽。
闇と光。
女と男。
創造と破壊。
受容と拒絶。
『ワルプルギスの夕べ』で〔魔女の鉄槌〕がコールされたのは夜。それも、月女神の力が最も高まり、逆に太陽神の力が最も弱まる午前零時だ。
おそらく(というか、十中八九)、今の現世には誕生と創造を司る月女神の力が満ち溢れ、死と破壊を司る太陽神の力が足りていない。
だから人も、獣も死なずに、生きてはいない体がふらふらと彷徨い歩くようなことになっているのだろう。
そして、世界統合機構の術者――この大規模な儀式魔術を主導する魔女、ないし魔法使いの類――は状況をコントロールできていない。
あるいは、ワルプルギスの夜にはじまった儀式が破綻しかけている事実を認識してはいても、現世へと勧請した幻世の神性をどのように祀ればいいのかを正しくは理解していない。
〔魔女の鉄槌〕がコールされ、打ち砕かれた『壁』の向こう側からこちら側へと月女神の力が溢れ出し、その恩寵が現世に満ちて。
それから二度目の日没が訪れようとしている今になっても、まだ、状況に変化がないのが、その証左だ。
「ミリー、見えてきたよ」
窓の外を流れる景色を見るともなしに眺めながら、ぼんやりと物思いに耽っていた私に、カガリが声をかけてくる。
カガリの方を振り返って、私が寄りかかっていたドアとは反対側の窓の外に目を向けると。まだ完成したばかりで、たいした上物もなく、がらんとしている新造区画の只中に、平らな場所へ落とされた水滴のようこんもりとした『闇』がわだかまっているのが、遠目にも見て取れた。
まるで夜の海を覗き込みでもしたよう、とっぷりと昏い。その『闇』のせいで、ちょうどその辺りにあったはずの、幻世の街並みを現世に再現したイベント会場の様子は、ちらとも窺えない。
『闇』から漏れ出す魔力の気配はとっくに、イベント会場として整備された新造区画の一角どころか、オケアノスを構成するギガフロートの一つ――第九フロート――全体にひたひたと満ちていて。私の家がある第三フロートからでも、その『押し寄せてくる力の気配』をひしひしと感じられていたほどだ。
……よくもまぁ、こんなになるまで放っておいたわね。
それとも、よくもまぁここまで保たせたものだ、と褒めるべきなのか。判断に迷うような光景が広がっている。
「ダンジョンを作るって話だったのに。このままだと、この世界がまるごと幻世に呑み込まれちゃいそうな勢いね」
「そうなったら、ミリーは困る?」
「そりゃあね。せっかくカガリがこっちに来たんだから、一緒にあちこち遊びに行ったりしたいし」
世界人口の一パーセントにも満たない数のAWOプレイヤー。
その中の、ほんの一握りが起こした事件や問題でさえ、これほど大きな騒ぎになっているのに。スキルホルダーよりもそうではない人種の方が圧倒的に多いまま、月女神の魔力に触発され、この地球上に魔獣なんかがポコポコ湧き始めたら。
それこそ、目も当てられないような大惨事になりかねない。
現世にダンジョンが出来たら楽しいだろうけど。それは、あくまで『非日常を体験できる場所』としてであって。
ダンジョンの外は武器も持たずに出歩けるほど安全で、なんの不安もなく夜を過ごせるほど平和な場所であってくれないと。私が困る。
「ミリーが困るのはよくないね」
人が招き、神がもたらした災いへ、偽善ですらない我欲のために介入しようと目論んでいる私に、カガリはいつもの調子で微笑んだ。
//引用 詩篇(口語訳)19:7
そうして、何が起きたかというと。
にわかゲーマーから私のような廃ゲーマーまで。突如として超常の『力』を手にした人類がおよそ思いつく限りの、ありとあらゆる事件や問題が、世界各地で同時多発的に発生した。
たとえば。軽率なプレイヤーによるちょっとした(個人のスキルや魔法、あるいは手持ちのアイテムで容易に証拠隠滅が図れる規模の)器物損壊や傷害事件だったり。事実の確認ついでに徳を積もうと思い立ったプレイヤーによる辻ヒールだったり。いじめの被害者による加害者への復讐だったり。幻世での盗賊ロールに味を占めた輩による恐喝、強盗事件だったり。スキルホルダー同士の喧嘩だったり。施しだったり。ヒーローごっこだったり。
その大半が、現世では『科学的に説明のつかない超常の力』によって為され、市民の通報により警察や軍隊といった現地の治安維持に携わる公務員が現場に駆けつけたところで、そもそも何を根拠に相手を逮捕・拘束するのかという話になり。それ以前に、スキルを持たない人種にはスキルホルダーの制圧が困難であったりと。AWO式のステータスシステムが現世に実装されたことに端を発する問題は、事が起きてから二日目の今日にして既に、挙げはじめると枚挙に暇がない。
そんな未曾有の混乱の中、明確にスキルホルダーの故意、あるいは過失による死者が未だにただの一人も確認されていないことが不幸中の幸い、とも言えないような状況だ。
なにせ。あの夜から、現世では『死者』が生まれていないのだから。
幻世の『仕組み』を理解していれば、これはある意味、当然のことだと納得できる現象だ。
幻世の万象は二柱の神によって、バランスを保ちながら存在している。
陰と陽。
闇と光。
女と男。
創造と破壊。
受容と拒絶。
『ワルプルギスの夕べ』で〔魔女の鉄槌〕がコールされたのは夜。それも、月女神の力が最も高まり、逆に太陽神の力が最も弱まる午前零時だ。
おそらく(というか、十中八九)、今の現世には誕生と創造を司る月女神の力が満ち溢れ、死と破壊を司る太陽神の力が足りていない。
だから人も、獣も死なずに、生きてはいない体がふらふらと彷徨い歩くようなことになっているのだろう。
そして、世界統合機構の術者――この大規模な儀式魔術を主導する魔女、ないし魔法使いの類――は状況をコントロールできていない。
あるいは、ワルプルギスの夜にはじまった儀式が破綻しかけている事実を認識してはいても、現世へと勧請した幻世の神性をどのように祀ればいいのかを正しくは理解していない。
〔魔女の鉄槌〕がコールされ、打ち砕かれた『壁』の向こう側からこちら側へと月女神の力が溢れ出し、その恩寵が現世に満ちて。
それから二度目の日没が訪れようとしている今になっても、まだ、状況に変化がないのが、その証左だ。
「ミリー、見えてきたよ」
窓の外を流れる景色を見るともなしに眺めながら、ぼんやりと物思いに耽っていた私に、カガリが声をかけてくる。
カガリの方を振り返って、私が寄りかかっていたドアとは反対側の窓の外に目を向けると。まだ完成したばかりで、たいした上物もなく、がらんとしている新造区画の只中に、平らな場所へ落とされた水滴のようこんもりとした『闇』がわだかまっているのが、遠目にも見て取れた。
まるで夜の海を覗き込みでもしたよう、とっぷりと昏い。その『闇』のせいで、ちょうどその辺りにあったはずの、幻世の街並みを現世に再現したイベント会場の様子は、ちらとも窺えない。
『闇』から漏れ出す魔力の気配はとっくに、イベント会場として整備された新造区画の一角どころか、オケアノスを構成するギガフロートの一つ――第九フロート――全体にひたひたと満ちていて。私の家がある第三フロートからでも、その『押し寄せてくる力の気配』をひしひしと感じられていたほどだ。
……よくもまぁ、こんなになるまで放っておいたわね。
それとも、よくもまぁここまで保たせたものだ、と褒めるべきなのか。判断に迷うような光景が広がっている。
「ダンジョンを作るって話だったのに。このままだと、この世界がまるごと幻世に呑み込まれちゃいそうな勢いね」
「そうなったら、ミリーは困る?」
「そりゃあね。せっかくカガリがこっちに来たんだから、一緒にあちこち遊びに行ったりしたいし」
世界人口の一パーセントにも満たない数のAWOプレイヤー。
その中の、ほんの一握りが起こした事件や問題でさえ、これほど大きな騒ぎになっているのに。スキルホルダーよりもそうではない人種の方が圧倒的に多いまま、月女神の魔力に触発され、この地球上に魔獣なんかがポコポコ湧き始めたら。
それこそ、目も当てられないような大惨事になりかねない。
現世にダンジョンが出来たら楽しいだろうけど。それは、あくまで『非日常を体験できる場所』としてであって。
ダンジョンの外は武器も持たずに出歩けるほど安全で、なんの不安もなく夜を過ごせるほど平和な場所であってくれないと。私が困る。
「ミリーが困るのはよくないね」
人が招き、神がもたらした災いへ、偽善ですらない我欲のために介入しようと目論んでいる私に、カガリはいつもの調子で微笑んだ。
//引用 詩篇(口語訳)19:7
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