ヘルドゥラの神々:漆黒の女王

渡弥和志

文字の大きさ
2 / 32
第一章

1. 紅の目覚め

しおりを挟む

  おお、漆黒の女王が来たる

  闇と魂の支配者

  彼女がヘルドゥラに至るとき

  世界のとばりは下ろされるであろう

     『ゲルス書紀・バロマウル七章一節』




 今、世界《メティル》には影が落ちていた。

 世界を取り囲むように存在する『魔境《エヴィラ》』。
 かつては人の立ち入らぬ不毛の地にすぎなかったその領域から、人ならざるもの、〝魂喰い〟とも呼ばれる『異形《いぎょう》』が現れ始めた。

 その数は、年々増している。
 理由を知る者はいない──
 ──そして更なる災いを呼ぶ禁忌が、どこで行われているのかも。



 トルイデア領フィレアル城。

 その地下深く、長い廊下の先に隠されるように存在した扉の中。祭壇に向かい白いローブをまとった魔導士が、低く呪文を唱える。
 その声は波動となって生い茂る蔦のように広がり、神殿の石畳に絡みつき、中央に据えられた祭壇の上で脈打つように紅く輝く神器 『玉』に集まっている。
 『玉』からは魔力を帯びた風が巻き起こり、燭台の火を消さんとばかりに激しく揺らした。

 祭壇の前には、一人の男が膝をついている。
 トルイデア騎士団長、メドゥル・ストリフ。
 領主の信望も厚い屈強な壮年の騎士の背は、今は哀しみと執着に打ちひしがれていた。

「カルラ……」

 皺深く刻まれた彼の眼窩は虚ろで、その視線の先には、まるで生ける人形のように表情を失った娘が腰かけていた。
 父と同じ深い青緑の瞳には生気がなく、鈍色の長い髪が『玉』から漏れ出る風にたなびいているのみで、その身体は微動だにしない。

 その娘は、生きていた。
 ────だが、魂が欠けていた。


「メドゥル殿、これが唯一の機会です」

 魔導士、ナルバは囁く。

「この神器に宿る神の魂は、娘君の〝欠けた魂〟を埋め合わせるでしょう。
 対価は──世界《メティル》の民が長く忘れていた、古き神の神意を聞き入れること」

 メドゥルは顔を歪ませ悩み、苦悶した。 


 ────


 城の上空に、黒紅の雲が渦を巻いていた。
 領主クレドの嫡子にして若き剣士、ガルド・メル・フィルは、配下の兵二人を連れて急ぎ地下へ続く廊下を走る。

「父上の不在時に何が起きたというんだ……」

「ガルド様、ヴァルス様も向かわれているようです」

 ガルドは足を早めた。

 カルラの魂の欠損──その救済のため、メドゥルが何か危険な手段に踏み切る予感はあった。
 『異形《いぎょう》』の侵入増加を受けて、隣国レシャンクから魔導士ナルバが派遣された時から、彼に変調が見られていたのだ。
 友であり騎士団仲間であるメドゥルの子、ヴァルスも同じ懸念を漏らしていた。

 廊下を急ぐガルドの傍らに、老神官サルフェンが歩み寄り焦燥した様子で叫ぶ。

「ガルド殿、急いでくれ! あの魔力は──神器、『玉』。あれを用いて魂の補完など、うまくいきようはずがない」
「神器とは神そのものが宿った器──みだりに触れるは人の道に背く」

「──! 『玉』は、レシャンクに封印されているはずだろう!」

「ナルバが持ち込んだのだ。封印を如何にしたかは分らぬが……魔境エヴィラの活性化で、五神の加護そのものが揺らいでいるのかもしれぬ……」

「ナルバ殿が?」

「知識は深いが、何を考えておるのか読めぬ。いずれにせよ、今止めねばカルラ殿は──」

 険しいサルフェンの顔を一瞥し、ガルドたちは地下への階段を駆け降りた。 

 長い廊下を走る三人の前に、ナルバ配下の二人の魔導士が立ちはだかる。
 剣士らが躍り出て魔導士の杖を押さえつけ、その詠唱を阻んだ。

「ガルド様、ここは我らにお任せを!」

「頼んだ……!」


 突き当たった扉の向こうからヴァルスの声が漏れる。

「父上! 本当にこれで姉さんが救われるとお思いですか!」

 メドゥルの悲痛な叫びが響く。

「カルラは魂を欠き、このままでは生ける屍も同然……!
 ヴィリド神の力ならば補えるはず……
 私は、ただ……戻ってきてほしいのだ……」

「魂の、補完……まことにそのような事が……」


 ガルドは扉を開け放ち、目を疑う光景を見た。

 儀式陣は黒紅の渦と化し、『玉』が宙へと浮き上がっている。紅き玉は一層その輝きを増して、カルラの胸元へと近づいていた。
 その傍らにはナルバが立ち、両手を輝きの方へとかざしている。

 冷静な面持ちで、ガルドを見据えて言う。

「ガルド様、ここは危険です。お下がりを」

「しかし魂に触れるなど、人の道を外れている!」

「魂とは、本来世界と深く繋がるもの。カルラ様は 『異形』との接触により魂を欠き、人として不完全な存在となってしまわれた。
 この『玉』に宿るヴィリドは魂の本質を司る神。今こそカルラ様と世界の絆を取り戻し、あるべき人の姿へと戻す時なのです」

 説明は理屈として通っているように思えた。
 しかし目の前の異様な光景は、禁忌に触れた儀式のそれであった。
 ガルドは剣に手をかけ、メドゥルの前へ歩み出る。

「メドゥル殿、これ以上は……」

「黙れ! これは娘を救うため、ヴァルスのためでもあるのだぞ!」

 ガルドは友に目を向けた。膝をつきうなだれたその姿に、胸の奥に刺すような痛みを感じつつも、その意を決した。

「領主クレドの名において続けさせる訳にはいかない……!」

 ガルドが剣を抜き放つと、メドゥルもまた背の大剣を振りかざした。
 二振りの剣が打ち合わされ、衝撃が走った。
 ギリギリと鈍い音を立てる。
 メドゥルは鬼気迫る視線をヴァルスに向け、絞り出すように訴えた。

「ヴァルス! 姉を取り戻したくはないのか!
 今この時しか無いのだぞ……!」

 ガルドの背後で、ヴァルスが呻くような声を漏らす。 

「姉さんを……今、止めたら……」

 立ち上がる気配を感じた。
 ガルドがメドゥルの剣を擦り落とし、その気配に振り返るよりも早く──硬質な衝撃が後頭部を襲った。 

 友の剣のつかの感触が重くのしかかり、意識を闇へと引きずり込んだ。
 視界が歪み、最後に見たのは苦痛に歪んだヴァルスの青緑の瞳。
 剣が石畳に転がり乾いた音をたて、ガルドは倒れた。

「ああ……ガルド、許してくれ……」

 ヴァルスは膝から崩れ落ち、苦悶の表情を浮かべてその手を覆った。
 メドゥルは決意を固めたようにナルバに向かい、言った。

「この娘の瞳に、かつての光を戻せるのなら……私は、いかなる神意でも受け入れよう」

 彼の声を聞きとどけたナルバが両手を組み、最後の呪文を唱えたその時。
 『玉』がカルラの胸に吸い込まれるように沈み、そして地を揺るがすような恐ろしい轟音が響き渡り、城全体が震え、彼女を中心に、紅の光が爆ぜるように広がった。
 魔力の奔流が渦巻き、それが収束する。
 全ての波が彼女に収まると、部屋に静けさが戻った。

 ぴくり、とカルラの細く白い指先が動いた。
 その瞼がゆっくりと、薄く開く。
 そこには血のごとく紅い瞳があった。
 明かりが消え、暗い部屋が冷たい空気に包まれた。

「……儀式は完了しました、メドゥル殿。彼女の魂は補われました。いずれ自我を取り戻すでしょう。
 そして、古き神の神意が示されます────」

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

愛しているなら拘束してほしい

守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。

春の雨はあたたかいー家出JKがオッサンの嫁になって女子大生になるまでのお話

登夢
恋愛
春の雨の夜に出会った訳あり家出JKと真面目な独身サラリーマンの1年間の同居生活を綴ったラブストーリーです。私は家出JKで春の雨の日の夜に駅前にいたところオッサンに拾われて家に連れ帰ってもらった。家出の訳を聞いたオッサンは、自分と同じに境遇に同情して私を同居させてくれた。同居の代わりに私は家事を引き受けることにしたが、真面目なオッサンは私を抱こうとしなかった。18歳になったときオッサンにプロポーズされる。

屈辱と愛情

守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される

clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。 状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。

処理中です...