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第一章
V. 対価の神意
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城壁の外で、黒い軟体の群れが蠢いていた。
────フィレアル。
フィレアル城を中心に栄えるこの街は、強固な城壁に守られている。
これまでの長い歴史の中でも、騎士団によって他国との諍いや、魔獣、そして『異形』は退けられてきた──
一年前の一件を除いては。
ヴァルス・ストリフはガルドを見送って以来、城壁外に相次いで出現した『異形』の討伐にあたっていた。
今夜も百体はいようかという黒い軟体が、獣や蟲の姿に形を変えては襲いかかってくる。
しかし、彼が指揮する騎士団中隊によって次々とその数を減らしていった。
──まもなく撃退かと思われた、その時。
「もう一体来るぞ……!」
斬込みを務める一人の兵が叫んだ。
「──!?
なんだあれは! 人型だぞ!!」
言うやいなや、その胴体が両断され、鮮血が散る。
ヴァルスは戦慄した。
それは、〝かつて人だった〟かのように輪郭を残していたが、まるで異質なものだった。
兵の亡骸から紅い光の帯が『異形』へと吸い込まれていく。
兵たちが続けて斬りかかるが、剣はその身体をすり抜け、虚しく地を叩く。
一人、また一人と倒れてゆく。
「引け! 距離を取れ!」
ヴァルスは叫ぶと背の長剣を抜き、脇に構えて切っ先を地につけ、目を瞑る。
剣の黒みの刀身が青い光を帯びた。
『異形』人間離れした早い動きを、音と空気の揺れだけで感じ取る。
こちらの剣気を察し、恐ろしい俊敏さでこちらに向かう気配。
──刹那。
地面を裂きながら剣を斬り上げた。
左下脇腹から右肩へと抜けたその切り口から、影の身体が崩れてゆく。
耳を劈く叫びが轟いた。
人型の『異形』が完全に姿を消すと、ヴァルスは深く息を吸い、黒き魔剣『ヘルマトゥ』を背の鞘に戻した。
「数が増え続けている上、この様なものが現れるとは……人の技に通じて、しかも魔力を帯びた剣でしか斬れん……。
……一体、何が起きているんだ」
ナルバ曰く、『魔境のさらなる活性化』が起こっており、姉カルラから『神意』を解き明かす事が急務だという。
だがヴァルスは、その言葉の真偽を図りかねていた。
────
城壁の塔で休息をとり、双子の月を見上げた。
ガルドを見送ってから、五日目の夜だった。
父メドゥルはガルドを逃がした事を責めなかった。捨て置いても何も変わらぬと。
背後の扉が開き、メドゥルの声が響いた。
「ヴァルス──」
肩越しに後ろに目をやると、どこか物憂げな父の姿があった。
「──カルラが目覚めた」
「──!!」
ヴァルスは寝静まった市街を尻目に、城へと急いだ。
底知れぬ焦燥に押され、街路を抜けて城の廊下を駆け抜ける。
最後の扉を開くと、椅子に腰かけ、窓から射す月の光に照らされる見慣れたカルラの後ろ姿があった。
「……神器を……ヘルドゥラの座へ……」
「姉さん!」
「……神器を……」
カルラの声を聞いたのは、一年前のあの時ぶりのことだった。
瞼に熱いものがこみ上げ、息が詰まるほどに苦しい。
「俺だ! ヴァルスだ!」
「ヘルドゥラの座へ……」
ヴァルスは愕然とした。
何を問いかけても、同じ言葉を繰り返す。
薄く開いた瞼からは、虚ろな紅い瞳が覗いていた。
「父上! これは本当に姉さんの言葉なのか!」
ただ見つめる父に叫ぶ。
「……カルラの自我はまだ覚醒しきっておらんのだ。時が来れば……」
「ナルバがそう言ったのか!
これが『古の神の神意』なのか!?」
「……神器を……ヘルドゥラの座へ……据え……」
その声は、姉のもののはずなのに、どこか遠く、乾いた響きがあった。
「……姉さん……俺の声が聞こえないのか……?」
カルラの瞳は月光を映してわずかに揺れる。
だが、焦点はどこにも結ばれず、虚空を見つめ続けていた。
メドゥルがゆっくりと歩み出る。
「ヴァルス、今は刺激するな。……まだ魂が安定しておらん」
「安定だって……! これが姉さんの“目覚め”だというのか……!」
ヴァルスが言葉を荒らげたそのとき──
カルラの唇が、わずかに震え、新たな声が漏れた。
「……杭が……揺らぐ……
……を……縛る……戒めが……」
「杭……? 何のことだ……」
ヴァルスが息を呑む間にも、カルラの声は続く。
「……古の神が……サリスファの……サリス……」
そこで言葉が途切れた。
残りを言おうとした口は動くが、声音は漏れない。
苦しげに胸元を押さえ、次の瞬間、カルラの身体から力が抜け、ヴァルスは慌てて抱きとめた。
「姉さん!!」
口元の動きがふっと消え、カルラは倒れ込むように眠りへ落ちた。
メドゥルは深く息を吐く。
「……〝あれ〟は、カルラの声ではない。神器と繋がった魂の奥底に棲む神が……彼女を媒介に語っているのだという」
「では……姉さん自身はまだ戻ってきていない……?」
「……そのようだ。だが、今の言葉は古文書に記された『ヘルドゥラの座』の記述にある……ナルバなら、解き明かせるかもしれん」
──不意に、いつからそこに居たのか、背後からナルバの淡々とした声が響いた。
「ヘルドゥラの座──クレストル北方に残る巨城遺跡。その最奥に存在するといわれます。
五つの神器を迎え入れる『座』。
そこに五神の力が満ちる……そう伝わっています」
ヴァルスは息を呑んだ。
「すなわちそれは──
フィルの秘宝、『剣』フィルクレトゥ。
ラルスの秘宝、『杖』ラルスアトス。
アギサル森林の秘宝、『冠』ギートメリア。
サリスファの秘宝、『盾』サリスレドゥア。
そして、カルラ様の中にあるレシャンクの秘宝、『玉』ヴィリドナシス」
淡々と語るナルバにただ父子は耳を傾けた。
「『剣』はフィレアル領主の証としてクレド様がお持ちです。程なくしてクレストルよりここに戻られるでしょう。
カルラ様の仰るサリスとは……『盾』を指しているものかと」
二人を見据えて、落ち着いた声色で言う。
「カルラ様の完全なる覚醒のために、これらが必要になるものかと。『異形』、そして『魔境』の対処にも繋がる神意です」
──その時。メドゥルが、外套の裾をはらい、腰に佩いた剣を抜いた。
「──『剣』は……フィルクレトゥはここにある」
「──!!」
ナルバが眼を見開き、ヴァルスは事態を察して絶望した。
「そんな……!
父上!! クレド様を……!
如何されたのだ!!」
父は息子を真っ直ぐに見据えて言った。
「領主クレドはクレストルへ向かう道中、賊に襲われ──」
メドゥルはほんの僅か、息を震わせた。
「──殺されたのだ」
ヴァルスは打ち震え、憎悪の眼差しを父へ向ける。
メドゥルは他ならぬ主を謀殺したのだ。
「何という事を……!」
息の詰まるような苦しみを覚え、呼吸が荒くなる。
「……今より私は真名、メドゥル・ゼト・フィルを名乗る。庶流は分断を招くとしてクレドにより与えられしストリフの名を捨ててな。」
決意と苦渋の入り混じったメドゥルの眼光が、鋭くヴァルスを刺す。
胸の奥で何かが裂けるように痛んだ。
そして震える指で姉の頬に触れ、唇を噛みしめた。
「……俺は……どうすればいい? 姉さんを……このまま放っておけるわけがない……」
メドゥルは苦渋の表情のまま、しかし覚悟を固めた父の声で言った。
「……サリスファを目指す他あるまい。ヴァルス・ゼト・フィル、お前にも来てもらう。
カルラの求めるものを手に入れるのだ……」
窓の外では、双子の月の片方が薄雲に隠れ、夜気はひどく冷たかった。
────フィレアル。
フィレアル城を中心に栄えるこの街は、強固な城壁に守られている。
これまでの長い歴史の中でも、騎士団によって他国との諍いや、魔獣、そして『異形』は退けられてきた──
一年前の一件を除いては。
ヴァルス・ストリフはガルドを見送って以来、城壁外に相次いで出現した『異形』の討伐にあたっていた。
今夜も百体はいようかという黒い軟体が、獣や蟲の姿に形を変えては襲いかかってくる。
しかし、彼が指揮する騎士団中隊によって次々とその数を減らしていった。
──まもなく撃退かと思われた、その時。
「もう一体来るぞ……!」
斬込みを務める一人の兵が叫んだ。
「──!?
なんだあれは! 人型だぞ!!」
言うやいなや、その胴体が両断され、鮮血が散る。
ヴァルスは戦慄した。
それは、〝かつて人だった〟かのように輪郭を残していたが、まるで異質なものだった。
兵の亡骸から紅い光の帯が『異形』へと吸い込まれていく。
兵たちが続けて斬りかかるが、剣はその身体をすり抜け、虚しく地を叩く。
一人、また一人と倒れてゆく。
「引け! 距離を取れ!」
ヴァルスは叫ぶと背の長剣を抜き、脇に構えて切っ先を地につけ、目を瞑る。
剣の黒みの刀身が青い光を帯びた。
『異形』人間離れした早い動きを、音と空気の揺れだけで感じ取る。
こちらの剣気を察し、恐ろしい俊敏さでこちらに向かう気配。
──刹那。
地面を裂きながら剣を斬り上げた。
左下脇腹から右肩へと抜けたその切り口から、影の身体が崩れてゆく。
耳を劈く叫びが轟いた。
人型の『異形』が完全に姿を消すと、ヴァルスは深く息を吸い、黒き魔剣『ヘルマトゥ』を背の鞘に戻した。
「数が増え続けている上、この様なものが現れるとは……人の技に通じて、しかも魔力を帯びた剣でしか斬れん……。
……一体、何が起きているんだ」
ナルバ曰く、『魔境のさらなる活性化』が起こっており、姉カルラから『神意』を解き明かす事が急務だという。
だがヴァルスは、その言葉の真偽を図りかねていた。
────
城壁の塔で休息をとり、双子の月を見上げた。
ガルドを見送ってから、五日目の夜だった。
父メドゥルはガルドを逃がした事を責めなかった。捨て置いても何も変わらぬと。
背後の扉が開き、メドゥルの声が響いた。
「ヴァルス──」
肩越しに後ろに目をやると、どこか物憂げな父の姿があった。
「──カルラが目覚めた」
「──!!」
ヴァルスは寝静まった市街を尻目に、城へと急いだ。
底知れぬ焦燥に押され、街路を抜けて城の廊下を駆け抜ける。
最後の扉を開くと、椅子に腰かけ、窓から射す月の光に照らされる見慣れたカルラの後ろ姿があった。
「……神器を……ヘルドゥラの座へ……」
「姉さん!」
「……神器を……」
カルラの声を聞いたのは、一年前のあの時ぶりのことだった。
瞼に熱いものがこみ上げ、息が詰まるほどに苦しい。
「俺だ! ヴァルスだ!」
「ヘルドゥラの座へ……」
ヴァルスは愕然とした。
何を問いかけても、同じ言葉を繰り返す。
薄く開いた瞼からは、虚ろな紅い瞳が覗いていた。
「父上! これは本当に姉さんの言葉なのか!」
ただ見つめる父に叫ぶ。
「……カルラの自我はまだ覚醒しきっておらんのだ。時が来れば……」
「ナルバがそう言ったのか!
これが『古の神の神意』なのか!?」
「……神器を……ヘルドゥラの座へ……据え……」
その声は、姉のもののはずなのに、どこか遠く、乾いた響きがあった。
「……姉さん……俺の声が聞こえないのか……?」
カルラの瞳は月光を映してわずかに揺れる。
だが、焦点はどこにも結ばれず、虚空を見つめ続けていた。
メドゥルがゆっくりと歩み出る。
「ヴァルス、今は刺激するな。……まだ魂が安定しておらん」
「安定だって……! これが姉さんの“目覚め”だというのか……!」
ヴァルスが言葉を荒らげたそのとき──
カルラの唇が、わずかに震え、新たな声が漏れた。
「……杭が……揺らぐ……
……を……縛る……戒めが……」
「杭……? 何のことだ……」
ヴァルスが息を呑む間にも、カルラの声は続く。
「……古の神が……サリスファの……サリス……」
そこで言葉が途切れた。
残りを言おうとした口は動くが、声音は漏れない。
苦しげに胸元を押さえ、次の瞬間、カルラの身体から力が抜け、ヴァルスは慌てて抱きとめた。
「姉さん!!」
口元の動きがふっと消え、カルラは倒れ込むように眠りへ落ちた。
メドゥルは深く息を吐く。
「……〝あれ〟は、カルラの声ではない。神器と繋がった魂の奥底に棲む神が……彼女を媒介に語っているのだという」
「では……姉さん自身はまだ戻ってきていない……?」
「……そのようだ。だが、今の言葉は古文書に記された『ヘルドゥラの座』の記述にある……ナルバなら、解き明かせるかもしれん」
──不意に、いつからそこに居たのか、背後からナルバの淡々とした声が響いた。
「ヘルドゥラの座──クレストル北方に残る巨城遺跡。その最奥に存在するといわれます。
五つの神器を迎え入れる『座』。
そこに五神の力が満ちる……そう伝わっています」
ヴァルスは息を呑んだ。
「すなわちそれは──
フィルの秘宝、『剣』フィルクレトゥ。
ラルスの秘宝、『杖』ラルスアトス。
アギサル森林の秘宝、『冠』ギートメリア。
サリスファの秘宝、『盾』サリスレドゥア。
そして、カルラ様の中にあるレシャンクの秘宝、『玉』ヴィリドナシス」
淡々と語るナルバにただ父子は耳を傾けた。
「『剣』はフィレアル領主の証としてクレド様がお持ちです。程なくしてクレストルよりここに戻られるでしょう。
カルラ様の仰るサリスとは……『盾』を指しているものかと」
二人を見据えて、落ち着いた声色で言う。
「カルラ様の完全なる覚醒のために、これらが必要になるものかと。『異形』、そして『魔境』の対処にも繋がる神意です」
──その時。メドゥルが、外套の裾をはらい、腰に佩いた剣を抜いた。
「──『剣』は……フィルクレトゥはここにある」
「──!!」
ナルバが眼を見開き、ヴァルスは事態を察して絶望した。
「そんな……!
父上!! クレド様を……!
如何されたのだ!!」
父は息子を真っ直ぐに見据えて言った。
「領主クレドはクレストルへ向かう道中、賊に襲われ──」
メドゥルはほんの僅か、息を震わせた。
「──殺されたのだ」
ヴァルスは打ち震え、憎悪の眼差しを父へ向ける。
メドゥルは他ならぬ主を謀殺したのだ。
「何という事を……!」
息の詰まるような苦しみを覚え、呼吸が荒くなる。
「……今より私は真名、メドゥル・ゼト・フィルを名乗る。庶流は分断を招くとしてクレドにより与えられしストリフの名を捨ててな。」
決意と苦渋の入り混じったメドゥルの眼光が、鋭くヴァルスを刺す。
胸の奥で何かが裂けるように痛んだ。
そして震える指で姉の頬に触れ、唇を噛みしめた。
「……俺は……どうすればいい? 姉さんを……このまま放っておけるわけがない……」
メドゥルは苦渋の表情のまま、しかし覚悟を固めた父の声で言った。
「……サリスファを目指す他あるまい。ヴァルス・ゼト・フィル、お前にも来てもらう。
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