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第三章
2. 森の守り人
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坑道を抜けた一行は、アラムキエル荒野を東に進む。
広く東西に走るギレリ山脈をくぐり抜けた、この世界《メティル》北側の地ヴィラトリスは、南側サトスヘイテスの人々が訪れることは滅多と無い、未開の地であった────東端に位置する、サリスファを除いては。
荒野に巣食う魔獣たち、そして『異形』に幾度か襲われた。
大型の魔豹も、魔犬たちも、皆気が立っており、怯える様子を見せるものもいた。
「──やっぱり、『異形』は邪神の眷属なのですか?」
ミリアが消えゆく影を見ながらサルフェンに尋ねる。
「うむ……そう考えられよう。または、邪神そのものなのかもしれぬ」
山間に差し掛かり、沈む夕日を前に野営の準備を始める。
ガルドは落ち着かない様子で呟いた。
「……軍勢は、どこまで進んだだろう」
護りの結界を施しながら、老神官は答える。
「急《せ》く気持ちは分かるが、未開の地を歩むには慎重さも肝要じゃ。軍の足は遅い。きっと間に合おう」
「そうだな……」
「この先は『アギサルの森』に入る事になる。南の人間が訪れる事の殆どない、古き森じゃ。気を引き締めなければならぬ」
結界を張り終えたミリアが焚き火の前に腰かけた。不安が顔に滲む。広がる夜闇が、それを一層濃くした。
「……フォロア族は、すんなり通してくれるかな」
「あの種族は争いを好まないと聞いたわ。事情を知ればきっと……」
そう言うアディルに、ダインは剣を研ぎながら横目をやる。
「長く森に籠った連中だぜ。反応次第では力ずくで通るしかねえな」
「事を荒立てるべきではない。フォロア族は──」
サルフェンはフォロア族について語り始めた。
古《いにしえ》からの森の守り人たち────
その姿は人と似ているが、細く先細った耳で見分ける事ができ、人よりも長い時を生きる。
その長寿によって、知に長け、森の魔獣たち、そして竜族との共生関係を築いていた。
大古の時より『アギサルの森』と共に歩み、外界の人々との交流はほとんど無い。
────
夜を明かし、歩みを進めた一行は山間を抜けると、鬱蒼とした古き森に差しかかった。
長い時を経た大木たちが、昼間も日を遮って薄暗い。木々の揺れる音と、時折生き物が動く気配が茂みの奥から聞こえる。
「……ずっと何かに見られているみたい」
ミリアが呟く。
森の生物たちが、ざわめく木々が、来訪者を奇異の目で囁きあっているように感じられた。
「魔獣が襲ってくるかもしれねえ。警戒を──」
──その刹那。ダインは背後に気配を感じた。
剣を抜き放つと同時に、矢じりが首元に突きつけられた。
「……ちっ。いつの間に間合いに入りやがった……」
「止まれ。外の人間が立ち入ってよい場所ではない」
殺気は無かったが、その目は鋭く見据えられており、寸分の隙も無かった。
細くとがった耳が見て取れる。フォロア族だ。
気づけば、周りの木陰から十人ほどが現れ、こちらに弓を構えている。
「急ぎ東へ抜ける用向きが。戦を止める為です。
通り抜けさせて頂くだけで良いのです」
ガルドは両手を上げて敵意の無いことを示すが、弓は下ろされない。
「我らはあずかり知らぬ。去れ」
フォロア族たちは弓を引き絞った。
「──待て」
ひとりの男が、手を挙げて制した。
屈強な身体に、精緻な染めが施された草色の着衣。首元には魔石を彫り込んだ首飾りが鈍い光を放っている。質素だが、気品を感じさせる佇まいであった。
「そなたら、古の神々の気を纏っているな」
男は見定めるように一行を見据えると、周りの物らに目配せし、弓を下ろさせた。
「──戦を止めると言ったか。聞かせてもらおう」
「我が名はイシリツォ。この先の里を治める者だ」
────
彼らの結界を抜け、里に招かれた。
木々に溶け込むように建てられた木造の建築は、優雅に曲線を帯び、施された精緻な彫刻は、洗練された彼らの文化を感じさせた。
フォロア族らの警戒の眼差が一行に注がれる。
族長の館に入ると、中は花々と魔石の装飾が施され、祝宴の準備がなされているようだった。
ミリアとアディルが花の装飾に目を奪われていると。
「明日は姪の誕生日……成人を祝す日だ」
イシリツォは広間に入ると、床の敷物に腰かけ、一行にも促した。
「東のサリスファから物々しい気を感じる。戦とは、それと関係が?」
族長の洞察に驚かされつつも、ガルドは硬い眼差しを向けた。
「はい。トルイデアが進軍しているのです」
「この『異形』の脅威が増している時にか」
サルフェンが瞼を閉じ、思慮を巡らせながら答える。
「それとも関係があるやもしれませぬ。かの地には『盾』があるからの……」
「詳しく聞かせてもらおう」
────レシャンクから消え、カルラに宿った『玉』、異形の変異。そして、ヘルドゥラ遺跡の記述。
話を聴くごとにイシリツォの視線は険しくなっていった。
「闇の邪神オーヴ。その封印の綻び。そして『異形』の変化……我々が懸念していた事は、事実かもしれんな」
その名を聞くだけで、部屋の空気が澱んだように感じられた。
「六年前、ここを強大な『異形』が襲った事がある。少なくともその個体は、獲物を選んでいた。綻びを探すようにな。
だが今のものは違う。ただ溢れ、喰らうだけ……既に封印は綻んでいるように思える」
ガルドは一年前のカルラが狙われた一件を思い出した。
「邪神が、カルラを選んだ……?」
その言葉に反応するように、一人の少女が広間へ姿を現した。
「私の時のように……?」
「居たのか、クリシテァ。その話は……」
イシリツォの言葉に、少女クリシテァは、広間の入り口で立ち止まったまま、しばし言葉を探すように視線を伏せた。
肩にかかった栗色の髪が、焚き火の光に揺れる。
その肩には、燃えるような深紅の魔鳥がとまっていた。少女の足元まで尾を垂らした鳥は、彼女を労わるように翼でその肩を覆った。
「……私の時も、森は最後まで戦いました」
イシリツォは、ゆっくりと頷いた。
「六年前のあの夜、我らは勝った。確かに『異形』は退いた。だが──その代償は、あまりにも大きかった」
族長は床に掌をつく。
「森は〝耐えた〟のだ。倒したのではない。ただ、押し留めただけだ」
サルフェンが低く息を呑む。
「……つまり」
「封印は、あの時すでに綻び始めていた。
私の妹はそれを悟り、自らを燃やし、それを縫い止めたのだ」
クリシテァは俯いたまま、静かに続ける。
「森はお母さんの命を糧に、邪神を退けた。
────だから私は、生き残った」
その僅かに震えた声には、誇りも恨みもなかった。ただ事実を語る響きだけがあった。
「だが……森はもう、以前の森ではない」
イシリツォの視線が、天井の奥──見えない森の広がりを捉える。
「結界は薄れ、魔獣は惑い荒れ、『異形』は質を変えた。もはや、我らだけでは守れぬ」
ガルドは拳を握る。
「だから……俺たちを通したのですか」
「そうだ」
族長ははっきりと頷いた。
「外の諍いも、邪神の動きも、もはや森の外の話では済まされぬ。ならば我ら守り人は、閉じこもるべきではない」
クリシテァが顔を上げる。
「私は……お母さんが命を懸けて繋いだ時間の中で、生きてる──それを無駄にはしたくない」
彼女の肩で、深紅の魔鳥ムゥが小さく鳴いた。
「森を守るために、森の外へ出る。
それが、私のするべき事」
イシリツォは立ち上がり、ガルドたちを真っ直ぐ見据えた。
「我らは森を守る。ガルド殿。東へ抜けるなら、どうか……この子を頼む」
それは命令ではなく、懇願だった。
「この子には特異な〝力〟がある。きっと役にも立とう」
沈黙が落ちる。
ガルドが仲間を見回すと、皆が深く頷いた。
「クリシテァ。この者たちと共にサリスファへ向かえ。それがお前の運命──母の遺志かもしれぬ。」
少女は胸に手を置き、深くうなずいた。
古き森は、もはやすべてを抱え込めない。
その事実だけが、静かに重くのしかかった。
広く東西に走るギレリ山脈をくぐり抜けた、この世界《メティル》北側の地ヴィラトリスは、南側サトスヘイテスの人々が訪れることは滅多と無い、未開の地であった────東端に位置する、サリスファを除いては。
荒野に巣食う魔獣たち、そして『異形』に幾度か襲われた。
大型の魔豹も、魔犬たちも、皆気が立っており、怯える様子を見せるものもいた。
「──やっぱり、『異形』は邪神の眷属なのですか?」
ミリアが消えゆく影を見ながらサルフェンに尋ねる。
「うむ……そう考えられよう。または、邪神そのものなのかもしれぬ」
山間に差し掛かり、沈む夕日を前に野営の準備を始める。
ガルドは落ち着かない様子で呟いた。
「……軍勢は、どこまで進んだだろう」
護りの結界を施しながら、老神官は答える。
「急《せ》く気持ちは分かるが、未開の地を歩むには慎重さも肝要じゃ。軍の足は遅い。きっと間に合おう」
「そうだな……」
「この先は『アギサルの森』に入る事になる。南の人間が訪れる事の殆どない、古き森じゃ。気を引き締めなければならぬ」
結界を張り終えたミリアが焚き火の前に腰かけた。不安が顔に滲む。広がる夜闇が、それを一層濃くした。
「……フォロア族は、すんなり通してくれるかな」
「あの種族は争いを好まないと聞いたわ。事情を知ればきっと……」
そう言うアディルに、ダインは剣を研ぎながら横目をやる。
「長く森に籠った連中だぜ。反応次第では力ずくで通るしかねえな」
「事を荒立てるべきではない。フォロア族は──」
サルフェンはフォロア族について語り始めた。
古《いにしえ》からの森の守り人たち────
その姿は人と似ているが、細く先細った耳で見分ける事ができ、人よりも長い時を生きる。
その長寿によって、知に長け、森の魔獣たち、そして竜族との共生関係を築いていた。
大古の時より『アギサルの森』と共に歩み、外界の人々との交流はほとんど無い。
────
夜を明かし、歩みを進めた一行は山間を抜けると、鬱蒼とした古き森に差しかかった。
長い時を経た大木たちが、昼間も日を遮って薄暗い。木々の揺れる音と、時折生き物が動く気配が茂みの奥から聞こえる。
「……ずっと何かに見られているみたい」
ミリアが呟く。
森の生物たちが、ざわめく木々が、来訪者を奇異の目で囁きあっているように感じられた。
「魔獣が襲ってくるかもしれねえ。警戒を──」
──その刹那。ダインは背後に気配を感じた。
剣を抜き放つと同時に、矢じりが首元に突きつけられた。
「……ちっ。いつの間に間合いに入りやがった……」
「止まれ。外の人間が立ち入ってよい場所ではない」
殺気は無かったが、その目は鋭く見据えられており、寸分の隙も無かった。
細くとがった耳が見て取れる。フォロア族だ。
気づけば、周りの木陰から十人ほどが現れ、こちらに弓を構えている。
「急ぎ東へ抜ける用向きが。戦を止める為です。
通り抜けさせて頂くだけで良いのです」
ガルドは両手を上げて敵意の無いことを示すが、弓は下ろされない。
「我らはあずかり知らぬ。去れ」
フォロア族たちは弓を引き絞った。
「──待て」
ひとりの男が、手を挙げて制した。
屈強な身体に、精緻な染めが施された草色の着衣。首元には魔石を彫り込んだ首飾りが鈍い光を放っている。質素だが、気品を感じさせる佇まいであった。
「そなたら、古の神々の気を纏っているな」
男は見定めるように一行を見据えると、周りの物らに目配せし、弓を下ろさせた。
「──戦を止めると言ったか。聞かせてもらおう」
「我が名はイシリツォ。この先の里を治める者だ」
────
彼らの結界を抜け、里に招かれた。
木々に溶け込むように建てられた木造の建築は、優雅に曲線を帯び、施された精緻な彫刻は、洗練された彼らの文化を感じさせた。
フォロア族らの警戒の眼差が一行に注がれる。
族長の館に入ると、中は花々と魔石の装飾が施され、祝宴の準備がなされているようだった。
ミリアとアディルが花の装飾に目を奪われていると。
「明日は姪の誕生日……成人を祝す日だ」
イシリツォは広間に入ると、床の敷物に腰かけ、一行にも促した。
「東のサリスファから物々しい気を感じる。戦とは、それと関係が?」
族長の洞察に驚かされつつも、ガルドは硬い眼差しを向けた。
「はい。トルイデアが進軍しているのです」
「この『異形』の脅威が増している時にか」
サルフェンが瞼を閉じ、思慮を巡らせながら答える。
「それとも関係があるやもしれませぬ。かの地には『盾』があるからの……」
「詳しく聞かせてもらおう」
────レシャンクから消え、カルラに宿った『玉』、異形の変異。そして、ヘルドゥラ遺跡の記述。
話を聴くごとにイシリツォの視線は険しくなっていった。
「闇の邪神オーヴ。その封印の綻び。そして『異形』の変化……我々が懸念していた事は、事実かもしれんな」
その名を聞くだけで、部屋の空気が澱んだように感じられた。
「六年前、ここを強大な『異形』が襲った事がある。少なくともその個体は、獲物を選んでいた。綻びを探すようにな。
だが今のものは違う。ただ溢れ、喰らうだけ……既に封印は綻んでいるように思える」
ガルドは一年前のカルラが狙われた一件を思い出した。
「邪神が、カルラを選んだ……?」
その言葉に反応するように、一人の少女が広間へ姿を現した。
「私の時のように……?」
「居たのか、クリシテァ。その話は……」
イシリツォの言葉に、少女クリシテァは、広間の入り口で立ち止まったまま、しばし言葉を探すように視線を伏せた。
肩にかかった栗色の髪が、焚き火の光に揺れる。
その肩には、燃えるような深紅の魔鳥がとまっていた。少女の足元まで尾を垂らした鳥は、彼女を労わるように翼でその肩を覆った。
「……私の時も、森は最後まで戦いました」
イシリツォは、ゆっくりと頷いた。
「六年前のあの夜、我らは勝った。確かに『異形』は退いた。だが──その代償は、あまりにも大きかった」
族長は床に掌をつく。
「森は〝耐えた〟のだ。倒したのではない。ただ、押し留めただけだ」
サルフェンが低く息を呑む。
「……つまり」
「封印は、あの時すでに綻び始めていた。
私の妹はそれを悟り、自らを燃やし、それを縫い止めたのだ」
クリシテァは俯いたまま、静かに続ける。
「森はお母さんの命を糧に、邪神を退けた。
────だから私は、生き残った」
その僅かに震えた声には、誇りも恨みもなかった。ただ事実を語る響きだけがあった。
「だが……森はもう、以前の森ではない」
イシリツォの視線が、天井の奥──見えない森の広がりを捉える。
「結界は薄れ、魔獣は惑い荒れ、『異形』は質を変えた。もはや、我らだけでは守れぬ」
ガルドは拳を握る。
「だから……俺たちを通したのですか」
「そうだ」
族長ははっきりと頷いた。
「外の諍いも、邪神の動きも、もはや森の外の話では済まされぬ。ならば我ら守り人は、閉じこもるべきではない」
クリシテァが顔を上げる。
「私は……お母さんが命を懸けて繋いだ時間の中で、生きてる──それを無駄にはしたくない」
彼女の肩で、深紅の魔鳥ムゥが小さく鳴いた。
「森を守るために、森の外へ出る。
それが、私のするべき事」
イシリツォは立ち上がり、ガルドたちを真っ直ぐ見据えた。
「我らは森を守る。ガルド殿。東へ抜けるなら、どうか……この子を頼む」
それは命令ではなく、懇願だった。
「この子には特異な〝力〟がある。きっと役にも立とう」
沈黙が落ちる。
ガルドが仲間を見回すと、皆が深く頷いた。
「クリシテァ。この者たちと共にサリスファへ向かえ。それがお前の運命──母の遺志かもしれぬ。」
少女は胸に手を置き、深くうなずいた。
古き森は、もはやすべてを抱え込めない。
その事実だけが、静かに重くのしかかった。
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