ヘルドゥラの神々:漆黒の女王

渡弥和志

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第三章

1. 深淵の残響

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​ クレストルの西方、山脈の裾野にぽっかりと開いた暗闇の口──『エテの坑道』があった。

 人々から忘れ去られ、生い茂った草木に隠されたその入り口の奥には、長大な採掘跡が続いている。かつては魔鉱石の採掘で賑わったというその坑道は、今や冷たい湿気と腐敗した土の臭いに満ちていた。

​「……嫌な空気ね。まるで生き物の中にいるみたい」

​ アディルが顔をしかめながら剣の柄に手を置く。
 先頭を行くガルドは松明を掲げ、慎重に足場を確認した。その後ろを、ミリアが灯す魔法の光が淡く照らしている。

 サルフェンは言う。

​「ここを抜ければ北へ出られる。追手の目を避けつつメドゥルの軍勢より先に着くには、ここを通るしかないのじゃ」

「分かってはいるけどな……おい爺さん、道は合ってるのか?」

​ ダインが背後の闇を警戒しながら尋ねた。サルフェンは杖の先の魔石を輝かせ、古びた坑道の壁に刻まれた印を指でなぞり、多くの分かれ道を選択していく。

​「大丈夫じゃ。坑道を北まで掘り抜いた者の打った印がある。だが……妙じゃな」

「何でしょう?」

 ガルドも違和感を感じつつ尋ねた。

「静かすぎる。ここに住み着いたであろうコウモリや蜘蛛の一匹も寄り付かん」

​ サルフェンの言葉に、ミリアがびくりと肩を震わせる。

「……魔力の流れも、変。壁の奥から、何かが這うような……」

 その言葉に、ガルドは足を止めた。

 松明の炎が照らす坑道の壁には、ところどころに古い傷跡が残っている。掘削された岩肌ではなく、大きくえぐり取ったような、不自然な窪みだった。

「……掘り跡じゃないな」

 ガルドが低く呟く。ダインも目を細め、壁に指を走らせた。

「これは……人の仕業じゃねえ」

 サルフェンは顔色を曇らせた。

「この坑道が放棄された理由……魔鉱石の枯渇ではないのかもしれん」

 空気が、さらに重くなる。
 足音だけが響き渡り、五人分より多く聞こえるような錯覚すら覚えた。


​ その時だった。
 ガルドの松明の火が、一瞬風もないのに大きく揺らいだ。

​「────来るぞ!」

​ ダインの警告と同時に、闇の奥から叫び声のような奇妙な音が響き渡った。

 暗闇が蠢いたかと思うと、夥しい数の小さな影の群れが現れた。
 蜘蛛型の『異形』たちだ。

「こんな所にまで『異形』が……!」

 ガルドは松明を振り、群れを退かせ、剣を抜く。
 ミリアが術の詠唱を始めた。

エルケス・出でよ、サトスヴァラ爆ぜる光!」

 杖から光の玉が放たれ、群れの中で爆ぜた。光と熱で多くの『異形』が消滅していく。
 ────だがその光は、群れの更に奥に巨大な影を浮かび上がらせた。
 身丈の倍はあろうかという、黒き大蜘蛛。頭部には六つの紅い光が灯っている。

「親玉がいやがるぞ!」

 ダインが叫び、サルフェンが詠唱を終える。

エルケス・出でよ、サトスレドゥア光の盾!」

 光の壁が生じ、群がる小型のものたちはそれに触れると、小さな呻きと共に倒れていく。
 大蜘蛛型の『異形』が地響きのような唸りを上げると、四本の前脚を振り上げた。

 アディルは一本からの攻撃を、間一髪で躱《かわ》し、その脚に斬り上げる。
 ダインは左右の剣を薙ぎ、二本に斬撃を加えた。
 体制を崩した巨体の頭部が下がる。ガルドはすかさず剣を突き入れた。

 ────が。
 すんでのところで、残る脚で体勢を立て直す。
 剣の切先は頭部をかすめ、その目の二つを潰した。

「浅い……!」

 もがき、蜘蛛の形を崩しながら、のたうち回る『異形』。
 坑道が揺れ、上から崩れた岩石の破片が降り注ぐ。
 ────そして、足元に亀裂が走った。

「いかん!!」

 サルフェンが言うが早いか、足元が崩落する。
 一行は影もろとも、崩れ落ちる瓦礫と共に闇の底へ消えた。


 ────


 どれほどの時が過ぎたのか分からなかった。
 一瞬であるようにも、数刻であるようにも感じ、気がつくと身体は地についていた。

 音が、ない。
 息を吸う音すら、ひどく大きく響く。
 自分たちの存在だけが、この空間に異物として浮いているようだった。

「……変だ」

 寸分先も見通せぬ闇の中でダインの声が聞こえた。

「崩れ落ちたなら、ただでは済んでないはず……」

 ミリアが光を灯し、皆の姿が見えた。
 近くの壁をなぞる。平らな石の継ぎ目は正確すぎるほど整い、苔一つ生えていない。
 足元を見回しても、崩れ落ちたはずの瓦礫もなく、平滑な石の床がある。
 そこは先ほどまでの坑道とは全く異なる様子だった。
 壁の所々に、古の文字や意匠が彫られている。

「……何かに、守られた……?」

 無意識にこぼれたミリアの言葉に、誰も否定できなかった。
 先ほどまで耳を満たしていた坑道の唸りも、異形の気配も、ここには届いていない。

「みんな……無事か」

 四人が立ち上がるのを見て、ガルドは胸を撫で下ろした。アディルが腰を押さえて顔をしかめる。

「いたたた……落ちる時ちょっと背中を打ったけどね。でも、着地の衝撃は無かったわ……」

「ここは……遺跡……?」

 姉に治癒の術を施しながら、こぼしたミリアの言葉。サルフェンは震える声で応えた。

「なんと……これは人の時代よりも古い────ヘルドゥラ遺跡じゃ」

「ヘルドゥラはクレストル北の山中……ここよりずっと東では……」

「左様。地下ではここまで伸びておるとは、わしも知らなんだ……」

 言うと光の術を唱え、生じた灯りを宙に浮かべる。
 広大な空間が浮かび上がった。突き当たりには巨大な門が見える。
 門の上端ははるか上で、闇に溶けている。人の手で開けられるものには見えなかった。

 目の高さには、古の文字がびっしりと彫り込まれている。

 サルフェンは杖の明かりを近づけ、目を凝らす。

「────闇の邪神オーヴと、五神の封印〝ヘルドゥラ〟」

 一同は息をのんだ。

「闇を纏うオーヴ、天地を乱す時。
 五柱の神、姿を変えこれを封ず。

 光のラルセス、杖ラルスアトスに宿りて輝き、
 水のフィルス、剣フィルクレトゥに流れ、
 火のギート、冠ギートメリアに燃え、
 土のサリス、盾サリスレドゥアを形づくる。

 そして魂のヴィリド、宝玉ヴィリドナシスに坐し────
 闇のオーヴをその内に封じ、四神、その封を固めん。

 封の揺らぎし時、ヘルドゥラの座に五つを据えよ」


 ────皆が聞き入る中、ガルドが呟く。

「『玉』は、例の儀式でカルラの中に入ろうとしているように見えた……」

 老神官は瞼を閉じ、思慮を巡らせた。

「とすれば……今のカルラ殿には魂の神ヴィリドと、闇の邪神オーヴ。二柱の神が宿っておることになるが……まことそのような事が……」


 誰も、すぐには口を開けなかった。
 五神の名は救済の響きを帯びているはずなのに、今は逆に、逃げ場のない檻のように思えた。


「……もし、五つが揃わなければ?」

 アディルの問いに、サルフェンは唸った。

「揃えば封は保たれる。だが……揃わぬまま封が揺らげば、どうなるかは……」

 言葉を切り、老神官は首を振った。

「考えとうない」



「……!」

 ダインが、沈黙を破って振り向く。

「微かに──風の音がする」

 ダインの導く方へと足を進めると、はるか上へと続く階段があった。しかし、上部は瓦礫で塞がれていた。

「これを何とかすれば、元の坑道に戻れるかな」

 ミリアは言うと、詠唱を始める。

バウル・土よ、メノアリテ意に従え

 瓦礫が、ゆっくりと宙に浮き、道を開きはじめた。

「なんと、ミリア殿。土の術にも通じておられるとは」

「ちょっとだけね」

 サルフェンの言葉に、はにかんで応じるミリア。


 瓦礫が完全に取り払われようとするとき、ガルドはふと振り返った。

 巨大な門は、先ほどよりも暗く沈んで見えた。
 ────いや、違う。

 門の奥が、こちらを見返している。

 そう感じたのは、一瞬だった。

「……気のせいか」

 だが、その違和感は、胸の奥に小さな棘のように残った。


 階段の上は先ほどの坑道だった。しかし、落ちた場所とは異なるようだった。
 程なくしてサルフェンが道順の印を見つけ、皆から安堵の吐息が漏れる。

「急ごう。北側の出口へ」


 歩き出した直後、ミリアは小さく息を呑んだ。
 胸の奥で、何かが微かに脈打つ感覚がある。魔力の揺らぎ────だが、先ほどまで坑道に満ちていた異質な気配とは異なっていた。

「……ねえ、サルフェン様」

 呟くような声で老神官に呼びかける。

「あの遺跡……今も、封印は〝生きている〟のですか」

 一瞬の沈黙の後、サルフェンは慎重に言葉を選ぶ。

「確かな事は分からんが────少なくとも、完全に眠っているものではないじゃろう。神の力とは、時を越えて在り続けるものじゃ」

 その言葉に、ミリアは視線を伏せた。

 もし──あの門の先、『座』が〝五つ〟を待っているのだとしたら────
 ガルドは、無意識に拳を握りしめていた。

 その背に、ひやりとした感覚が走る。
 まるで、見えない糸がまだどこかに繋がれているような────
 振りほどいたはずなのに、引き戻される予感だけが残る。


 背後で、微かに石が軋む音が聴こえたような気がした。

 しかし誰も振り返る事はせず、闇の奥に見え始めた外の明かりを目指し、足を速めた。
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