ヘルドゥラの神々:漆黒の女王

渡弥和志

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第三章

3. 森の護り火

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 ガルドたちは、危険な森の夜を明かす為、フォロア族の里に一宿を許された。

 長の館では、一日早いクリシテァの誕生日、成人を祝う宴が、ささやかに行われていた。
 それは旅立つ彼女への餞《はなむけ》ともなっていた。

 アディルが少女に話しかける。

「急に旅立つことになってしまって……大丈夫なの?」

「……それが私の生きる意味だと思ったから」

 視線を伏せて言う彼女を見て、アディルはその背中を勢いよく叩いた。

「まったく! 小さい肩でそんなに背負いこんでたらもたないわよ!」

 目を丸くするクリシテァ。
 肩のムゥが抗議するようにアディルを見据えて鳴いた。

「私達の事は姉だと思ってくれていいのよ。ね、ミリア」

「うん! よろしくね、クリシテァ」

 ミリアが柔らかく微笑みかけると、少女の顔は少し緩んだ。

「それにしても……
 私達には名前が呼びにくいわ……
 ねえ。……クリス、って呼んでもいい?」

 クリシテァはしばしきょとんとしたが、恥ずかしそうに頷いた。

「……うん」

「クリス。その子は、なんて名前なの?」

 アディルは深紅の鳥を見やった。クリシテァはその身体を優しく撫でる。

「ムゥ。炎獄鳥……エグドバルマって珍しい魔鳥なんだって」

炎獄鳥エグドバルマ……本で見たことがあるわ。空想の生き物だと思ってた……」

 ムゥは少し翼を広げ、小さく鳴いて応えた。


 杯が回り、焚き火の明かりが広間を柔らかく照らす。
 フォロア族の者たちは派手に騒ぐことはなく、それぞれが静かに言葉を交わし、歌い、木の実酒を分け合っていた。

 年若い少年が、落ち着かない様子でクリシテァの前に立つ。その手には、編み込まれた草の輪が握られていた。

「……これ」

 差し出されたそれは、狩りへ出る者に贈られる守り紐だった。簡素なものだが、一本一本の草に祈りが込められている。

「もらって、いいの?」

 少年は大きく頷く。
 クリシテァが受け取ると、周囲の大人たちが静かに目を伏せた。

「……いつでも、戻ってきていいんだよ」

 誰かが、ぽつりと呟いた。
 それは引き留める言葉ではなく、帰る場所があることを示す言葉だった。

 クリシテァは胸の奥が熱くなるのを感じ、言葉を探した末、小さく頭を下げた。

「……必ず、生きて戻ります」

 その約束に、誰も声を上げなかった。
 ただ、焚き火の爆ぜる音だけが、静かに応えた。


 一方、少し離れた場所では、ガルドとイシリツォが杯を傾けていた。

「……姪を託す形になるな」

「いえ。しかしご心配であれば――」

「いいや」

 族長は首を振る。

「森は、我々はあの子を守り、あの子もまた森を守ってきた。だが、外を知らぬままでは、いずれ折れる。外の風を知ることもまた、守りだ」

 ガルドは杯を握りしめ、短く息を吐いた。

「必ず……無事を約束します」

「それで十分だ」

 族長はそう言って、杯を置いた。


 その後も、ガルドはしばらく席を立てずにいた。
 広間の隅で笑うクリシテァの姿が、どうしても視界から離れなかった。
 少年から守り紐を受け取っている彼女は、先ほどまでの張り詰めた表情とは違い、年相応の戸惑いと喜びを滲ませている。
 それが、胸に針のように刺さった。

(……本来なら、ここに居るべきなんだ)

 彼女は戦士ではない。
 使命を課された兵でも、旅を望んだ冒険者でもない。ただ、守られて生き延びただけの少女だ。
 それを〝外〟へ連れ出す。
 その選択の重さが、今になってずしりと肩にのしかかってきた。

 ガルドは無意識に、自分の拳を見下ろしていた。
 幾度も剣を握り、守れなかったものも、救えなかったものも、この手は知っている。

(……俺に、背負えるのか)

 ふと視線を感じ、顔を上げると、イシリツォと目が合った。
 族長は何も言わず、ただ静かに頷いた。
 その仕草が、許しなのか、託しなのか、ガルドには分からない。
 だが、逃げ道ではないことだけは、はっきりしていた。

 ────守ると誓うなら、迷うな。
 そう言われている気がした。


 宴はやがて静かに終わりを迎え、人々はそれぞれの家へと戻っていく。
 そんな中、館の外れでクリシテァは一人、焚き火の残り火を見つめていた。
 炎は小さく揺れ、ぱちりと音を立てて薪が火の粉を散らす。

「眠れぬか」

 背後から、しわがれた声がした。
 振り返ると、白い髪を長く編み下ろしたフォロア族の老婆が立っていた。折れた背は低いが、その立ち姿には、この森と同じ重みがあった。

「……はい」

 老婆はクリシテァの隣に腰を下ろし、燃え残る火に枯れ枝を一本くべる。

「この森はな、かつては今よりもずっと広く、ずっと豊かで、賑やかだった。魔獣も竜も、そして我らも、もっと自由に息をしていた」

 遠い過去を見るように目を細めた。

「だが我らは守ることに心を砕きすぎた。外を拒み、変わることを恐れ……気づけば、森は守りではなく檻になっていた」

 クリシテァは胸元を押さえ、静かに息を吸う。

「私は……森を離れるのが、ほんとは少し怖いです」

「当然だ」

 老婆は即座に言った。

「だがな、恐れを抱きつつ外へ出る者こそ、真の守り人となる。恐れぬ者は、壊す」

 その視線が、少女の肩のムゥへと向けられる。
 深紅の魔鳥は、炎を映した瞳で静かに老婆を見返していた。

「お前は母に、森に守られ、生かされた。ならば次は、森を〝託される〟番だ」

 クリシテァは小さく頷いた。

「……はい」

 老婆は立ち上がり、夜の闇へと溶けるように去っていった。

 残された焚き火が、静かに音を立てて崩れる。
 その火を見つめながら、少女は胸の奥に芽生えた覚悟の熱を、確かに感じていた。


 ────


 夜半。

 里は静まり返り、木々のざわめきだけが、遠くで低く鳴っていた。
 月明かりは濃い枝葉に遮られ、地表に落ちる光は途切れ途切れだ

 その夜、眠りは浅かった。
 森の沈黙に気づいた瞬間、胸の奥で何かが冷たく鳴った。違和感に眉をひそめる。

「……音が、止んだ?」

 虫の声がない。
 風も、獣の気配も。森そのものが、息を潜めているようだった。

 彼はそっと起き上がり、館の外へ出る。
 見張りに立っていたダインと目が合った。

「お前もか」

「ああ。嫌な静けさだ」

 その時だった。
 遠くで、木が軋む音がした。
 まるで、無理に〝捻じ曲げられる〟ような、不自然な響き。

「……異形か?」

 ダインが低く呟く。

 次の瞬間、森の奥で紅い光が瞬いた。
 瘴気を含んだような、濁った光。

 同時に、里を囲う結界が、かすかに震えた。

「結界が……?」

 ミリアが館から駆け出してくる。
 彼女の指先に、緊張が走っていた。

「触れてきてる……でも、入っては来ない。探ってるみたい……」

 サルフェンも杖を携えて現れ、森の闇を睨む。

「……確かめておるな。結界の弱き場所を」

 その言葉に、ガルドは歯を噛みしめた。

「ここも……もう安全じゃないってことか」

 答えるように、森の奥から低い唸りが一度だけ響き、やがて消えた。
  瘴光も、気配も、嘘のように引いていく。

 結界の震えが収まり、再び静寂が戻った。

「……今のは、里への警告かもしれぬな」

 サルフェンが静かに言う。

「あるいは、誘いやも」

 誰も、それ以上言葉を発さなかった。
 ただ、夜の闇が、先ほどよりもわずかに近く感じられた。


 その少し離れた場所で、クリシテァは目を覚まし、胸元を押さえていた。
 枕元のムゥが、小さく低い声で鳴く。

「……大丈夫。分かってる」

 少女は闇の向こうを見つめ、そう呟いた。

 森は、確かに〝限界〟を告げていた。

 ────


 そして夜が明けた。

 森の冷たい空気と湿気が辺りを包む中、一行は出立する。

 アディルが皆の顔を見回す。

「あれ? クリスは?」

 少女は館の裏手の小さな丘に居た。
 母の名が刻まれた石を見つめて言う。

「お母さん、いつでもそばに居てくれるよね」

「おーい! クリス!」

 アディルが呼ぶ声が聞こえる。

「行こう、ムゥ」

 深紅の魔鳥が少女の肩で、その身の丈ほどもある翼を広げて応えた。
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