ヘルドゥラの神々:漆黒の女王

渡弥和志

文字の大きさ
17 / 32
第四章

1. 崩壊の戦陣

しおりを挟む
 西に臨む森の中に、日が落ちた。

 丘の上に立つガルドの視界には、すでに灯りを失いつつあるサリスファの城塞都市があった。
 夕時までは生活の火で満ちていた街が、今は不気味な暗がりに沈んでいる。
 眼下に迫る軍に怯えるように息を潜めていた。

 丘と城塞の間の平原に、トルイデア軍の陣は横たわっていた。
 中央の一際大きな陣幕を囲み、多くの兵のたちの天幕、篝火が連なっている。
 ふと。それらに、ざわついた動きを感じた。

 嫌な予感が、背骨を這い上がる。
 クリスの肩に、偵察に出ていた紅き鳥が戻ってきた。ムゥに顔を寄せると、彼女の小さな身体が震えた。

「……影が、濃くなってる。騒ぎが起きてて、悲鳴も……」

 そこで、言葉を切った。

 ガルドはさらなる異変に気づいた。
 トルイデア軍と自陣の間。
 何もなかったはずの草原に、夜闇よりも濃い影が湧き出している。

 一筋、また一筋。
 影は地面から染み出すように現れ、瞬く間に数を増やしていった。

「……『異形』……すごい数だ」

 低く呟いた声は、誰に向けたものでもない。
 影は徐々に形を持ち始める。

 影が姿を成すまでに、わずかな時間があった。
 ほんの数呼吸分。
 だが戦場では、それが永遠のように引き伸ばされる────誰もが判断を保留した。
 前へ出るべきか、陣を固めるべきか、あるいは退くべきか。
 命令を待つ者、勝手に動き出す者、動けなくなる者────
 整えられていたはずの戦線に、見えない歪みが走る。
 トルイデア軍の陣に、動きはない。
 敵影の数が、距離が、把握できない。
 戦として測れぬものに対し、兵たちの経験は役に立たなかった。
 ガルドは歯を噛み締めた。

 獣、蟲、そして人の形が浮き上がる。
 それらが歪に組み合わさり、蠢き、無数の紅い光がこちらを見据える。

「皆こっちを向いてやがるぞ……!」

 ダインが剣を抜き、アディルがそれに並ぶ。
 ミリアとサルフェンは即座に距離を取り、詠唱に入った。

 傭兵たちも、八司祭騎士たちも、次々と武器を構え、歯を食いしばる。

 それは、数で脅かすばかりではなかった。
 後方には人型に加え、竜の姿も現れた。
 世界の裏側が、表へ溢れ出してきた──そんな光景だった。

エルケス・出でよ、サトスヴァラ爆ぜる光!」

 ミリアの詠唱が放たれ、閃光が夜を裂く。
 群れの一角が焼き払われ、黒い塊が崩れ落ちた。
 続けてクリスの号令とともにムゥが炎を纏い、低空を駆ける。
 燃えさかる翼が、多くの『異形』たちを薙ぎ払い、地面に火の帯を引いた。

 だが、空白はすぐに埋まった。
 倒れた数と同じだけ、影が補われる。
 いや、それ以上だった。

「……減らない」

 誰かが呟いた。
 サルフェンが守りの術を終え、さらに術式を続ける。

サトステラ汝の刃にロウル・トゥ光の恵みを!」

 光が剣へと流れ込み、ダインとアディルが前に出た。人型の異形へと斬り込む。
 刃は通る。
 だが、倒れても終わらない。

 異形に触れられた兵が、悲鳴を上げた。

「──っ、離れるんだ!」

 ガルドが叫ぶ。
 だが声は、剣戟と咆哮に掻き消えた。

 兵の皮膚が黒く変色し、脈打つ。
 喉を掻きむしるように呻き、膝をついた。
 骨が軋む音が、嫌なほどはっきり聞こえた。
 それは、人だったものが壊れる音だった。

「斬れ! こいつはもうだめだ!」

 傭兵の斧が振り下ろされる。
 だが刃は、肉ではなく、粘ついた膜に弾かれた。
 次の瞬間、変異したそれが跳ぶ。
 人の速度ではない。
 血が宙を舞い、声が途切れた。

「近接戦は危険すぎる!」

 サルフェンが叫び、ダインが号令をかける。

「群れから距離を取れ! 向かって来るものを迎撃しろ!」

 その時────
 サリスファの城壁が、轟音と共に崩れ落ちた。
 土煙の奥から、濁流のように異形が溢れ出す。
 街を、呑み込む。
 炎が上がり、瓦礫が崩れ、人の悲鳴が遠く夜空を裂いた。
 ガルドは、剣の柄を握り締めた。

「──これは、戦じゃない。
 人の戦ならまだ……勝ち筋も読めた」

 防衛線は、押されている。
 街が削られていく。
 壊されている。
 守る前提そのものが、否定されていた。

 『異形』の群れは、もはや押し返す対象ではない。湧き、満ち、流れ込む〝現象〟だった。

「……これは、もはや……」

 サルフェンが、低く呟いた。

 老神官は杖を突き立て、地を見据えている。
 詠唱でも、祈りでもない。
 それは──測量するような沈黙だった。

「サルフェン様……!」

 ミリアが呼びかける。

「……この後ろには司祭騎士の陣がある」

 その声は、芯を帯びていた。

「調停者が落ちれば、この場の証人が不在となる」

 杖の先が、震えた。

「彼らと、その旗、そしてお主らは、何としても守らねばならぬ。これから歩む道の為に」

 ガルドは、理解した。

「……やめろ。機を見て撤退を!」

「機は……待てども来ぬ。撤退は〝道〟があってこそ成り立つものじゃ」

 サルフェンは、振り返らなかった。

「……老いぼれが、最後にやれることなど、たかが知れておる」

 ガルドは叫んだ。だが老神官は肩越しに答える。

「わしが残せるのは、道だけじゃ」

 長杖を上げ、もう一度、突き立てる。
 その瞬間、地面に光の紋様が走った。
 丘から平地へ、そして崩れ落ちた城壁の先まで──巨大な封呪陣が、夜の大地に浮かび上がる。

 光を浴びた『異形』たちの動きが、明らかに鈍った。咆哮が、悲鳴に変わる。
 湧き出しかけた影の塊が、欠片となってのたうち回る。
 
「今だ! 退け!」

 ガルドの号令が、戦場を貫いた。
 兵が、傭兵が、騎士たちが──
 生き残った者たちが、一斉に下がる。

 その背後で。
 サルフェンの膝が、静かに折れた。

「……これが……限界じゃ」

 吐息のような声だった。
 封呪陣の光が沈んでゆく。
 その瞬間、老神官の身体から、力が抜け落ちた。

「散開! 別れて退け……!」

 その声を引き取るように、フェイラスが叫んだ。

「かたじけない……! 司祭騎士団、続け!
 我らは街道へ退く! 旗を落とすな!」


 騎士団が、傭兵団が、水竜中隊が、散開し撤退してゆく。

「クリス! 君も逃げろ!」

 彼女は首を横に振った。
 その瞳には固い意志が宿っていた。

 隊が去るのを見届け、ガルドの元には四人の仲間たちだけが残った。

 徐々に動きを取り戻した無数の『異形』たちに囲まれる。
 皆それぞれに技を尽くして抗う。
 後衛の二人を守るダイン、アディルの腕、足には、黒き刃が次々とかすめ、血しぶきが散る。
 守りの術で防ぎきれぬ猛攻。
 膝をつきながらも剣を振るい続ける。

 ────人型の一撃がガルドの盾を割り、身体が後ろに叩きつけられた。

 意識が遠のく。

 「エルケルス・ヴィゲラ・スクァエラ──!」

 クリスの声が遠く聞こえた。

 守り抜くと約束したばかりの少女。
 死地に連れて来てしまった悔恨が胸を強く締め付けた。

 ぼやける視界を巨大な影が覆った。
 そして、全ての知覚が闇の底へ沈んだ────
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

屈辱と愛情

守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。

【魔女ローゼマリー伝説】~5歳で存在を忘れられた元王女の私だけど、自称美少女天才魔女として世界を救うために冒険したいと思います!~

ハムえっぐ
ファンタジー
かつて魔族が降臨し、7人の英雄によって平和がもたらされた大陸。その一国、ベルガー王国で物語は始まる。 王国の第一王女ローゼマリーは、5歳の誕生日の夜、幸せな時間のさなかに王宮を襲撃され、目の前で両親である国王夫妻を「漆黒の剣を持つ謎の黒髪の女」に殺害される。母が最後の力で放った転移魔法と「魔女ディルを頼れ」という遺言によりローゼマリーは辛くも死地を脱した。 15歳になったローゼは師ディルと別れ、両親の仇である黒髪の女を探し出すため、そして悪政により荒廃しつつある祖国の現状を確かめるため旅立つ。 国境の街ビオレールで冒険者として活動を始めたローゼは、運命的な出会いを果たす。因縁の仇と同じ黒髪と漆黒の剣を持つ少年傭兵リョウ。自由奔放で可愛いが、何か秘密を抱えていそうなエルフの美少女ベレニス。クセの強い仲間たちと共にローゼの新たな人生が動き出す。 これは王女の身分を失った最強天才魔女ローゼが、復讐の誓いを胸に仲間たちとの絆を育みながら、王国の闇や自らの運命に立ち向かう物語。友情、復讐、恋愛、魔法、剣戟、謀略が織りなす、ダークファンタジー英雄譚が、今、幕を開ける。  

つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました

蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈ 絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。 絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!! 聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ! ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!! +++++ ・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)

三歩先行くサンタさん ~トレジャーハンターは幼女にごまをする~

杵築しゅん
ファンタジー
 戦争で父を亡くしたサンタナリア2歳は、母や兄と一緒に父の家から追い出され、母の実家であるファイト子爵家に身を寄せる。でも、そこも安住の地ではなかった。  3歳の職業選別で【過去】という奇怪な職業を授かったサンタナリアは、失われた超古代高度文明紀に生きた守護霊である魔法使いの能力を受け継ぐ。  家族には内緒で魔法の練習をし、古代遺跡でトレジャーハンターとして活躍することを夢見る。  そして、新たな家門を興し母と兄を養うと決心し奮闘する。  こっそり古代遺跡に潜っては、ピンチになったトレジャーハンターを助けるサンタさん。  身分差も授かった能力の偏見も投げ飛ばし、今日も元気に三歩先を行く。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

妻が通う邸の中に

月山 歩
恋愛
最近妻の様子がおかしい。昼間一人で出掛けているようだ。二人に子供はできなかったけれども、妻と愛し合っていると思っている。僕は妻を誰にも奪われたくない。だから僕は、妻の向かう先を調べることににした。

春の雨はあたたかいー家出JKがオッサンの嫁になって女子大生になるまでのお話

登夢
恋愛
春の雨の夜に出会った訳あり家出JKと真面目な独身サラリーマンの1年間の同居生活を綴ったラブストーリーです。私は家出JKで春の雨の日の夜に駅前にいたところオッサンに拾われて家に連れ帰ってもらった。家出の訳を聞いたオッサンは、自分と同じに境遇に同情して私を同居させてくれた。同居の代わりに私は家事を引き受けることにしたが、真面目なオッサンは私を抱こうとしなかった。18歳になったときオッサンにプロポーズされる。

自由を愛する妖精姫と、番にすべてを捧げた竜人王子〜すれ違いと絆の先に、恋を知る〜

来栖れいな
ファンタジー
妖精女王と精霊王の間に生まれた特別な存在――セレスティア。 自由を愛し、気ままに生きる彼女のもとに現れたのは、竜人族の王子・サイファルト。 「お前は俺の番だ」 番という名の誓いにすべてを捧げた彼は、王族の地位も未来も捨てて森に現れた。 一方のセレスティアは、まだ“番”の意味すら知らない。 執着と守護。すれ違いと絆。 ――これは、ひとりの妖精姫が“特別”に気づいていく物語。 甘さ控えめ、でも確かに溺愛。 異種族の距離を越えて紡がれる、成長と守護のファンタジー。

処理中です...