ヘルドゥラの神々:漆黒の女王

渡弥和志

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第四章

V. 混迷の議会

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 首府クレストル。

 トルイデア軍は都市の外れに待機、ヴァルスは父と共に議会へ赴く。

 サリスファは滅びた。
 『異形』の群れに押し潰されて。
 だが、最後には鎮まった。
 姉カルラが『神子みこ』として目覚め、その力で侵攻を退けた────
 そう、父は静かに告げた。

 ……本当に、そうなのか。

 目の前に湧き出た、あの影の大軍は、我らを襲わなかった。
 だというのに、都市は滅び、調停者の軍も追われた。

 胸の奥で、何かが小さく軋んだ。
 もしこれを口にすれば、家族も、立場も、何もかも崩れる。
 だからヴァルスは、その違和感を、ただ深く押し込めた。

 ガルドは、無事なのだろうか────


 ────


 白石で造られた円形の議場は、夜明けの光を拒むように静まり返っている。
 石の床は冷えた空気をたたえ、吐息の音すら響かせるようだった。
 中央に低い演壇。元素精霊を表す八芒の意匠が彫られている。
 その周りに円を描くように並ぶ八つの議員座があった。

 クレストルの議長、シリス・ラルス。
 西方シル・エザリス首長、ヘルゲン・デルテキス。
 レシャンクの王、メデス・グラムドレフ。
 クレストリア郊外クレス・クレストリア諸集落代表。
 リムレスの街の長。
 ゼルク街道宿場街の長。
 南方ラル・テイラの各部族代表。
 そしてトルイデアのメドゥル・ゼト・フィル。
 
 ヴァルスは、父の後ろに位置しながら、無言で外套の端を握っていた。

(……冷たい)

 空気のせいではない。
 胸の奥に沈む、説明のつかない冷たさ。

 議長シリスが立ち上がる。

「独立都市サリスファが、失われました」

 祈るような声だった。

「しかし、『神子』の力によって、『異形』の侵攻は退けられた──
 トルイデア侯からの報告として共有いたします」

 議場にざわめきが走る。

「神の御業……」

「神子を擁するトルイデアは、いよいよ特別な立場だ」

「しかし一都市が壊滅しているのだぞ。議会に属さぬとはいえ……」

 感嘆と畏れと、打算が入り混じる。

 ……違う。

 ヴァルスはまぶたを閉じる。
 思い出すのは、黒く沈んだ姉の瞳。
 そこには、彼が知る〝カルラ〟はいなかった。

 たしかに〝力〟はあった。しかし、あれは────


「なお、付記として——」

 書記官が静かに読み上げた。

「トルイデア前領主クレド殿は、前回議会に向かわれる折、賊の襲撃により急逝。
  領主位は、嫡流不在のため、暫定としてメドゥル殿が継承するものとする」

 淡々とした報告だった。
 誰も異を唱えない。
 それが当然であるかのように、議事は次へ進もうとする。

 ヴァルスは、指先に力が入るのを感じた。

 クレド様は事故でも病でもなく——殺されたのだ。
 ──にもかかわらず、調査も弔いも、何も語られない。

 父の手によるものだと、疑っていない。だが証はない。
 だからこそ、誰にも告げられなかった。
 それを思うたび、胸の奥が軋んだ。

 シリスの後ろに立つフェイラスが前に進み出る。

「議長。まず一点、確認させていただきたい」

「発言を許します。八司祭騎士長フェイラス」

「クレド殿の嫡子ガルド殿はご健在。サリスファで共に調停を。
 ヴァルス殿はご存じのはず」

 視線が集まる。
 しかし父が遮るように言った。

「行方知れずであった故、驚きであった。父を亡くされ傷心で去られたものかと」

 シリスが父を見据え、何か言いかけたが。瞼を閉じ、黙した。
 その眼窩には苦悶が滲んでいるように見えた。

 フェイラスは疑念の眼差しを向けつつも、続ける。

「また──トルイデアは、神器の引き渡しを求めてサリスファへ軍を進めていた。
 これは、議会として看過できぬ行為です」

 場がわずかに張り詰める。

 メドゥルが静かに顔を上げた。

「誤解があるな」

 声は低く、揺れがない。

「我らはかの都市と戦うために向かったのではない。『異形』の兆しを察知し、援軍として向かった」

 僅かに眼を細めた。

「が──間に合わず、悔恨の極みだ」

「しかし攻城兵器を伴っていた」

 フェイラスの声音には、剣を抜く前の静けさが宿る。

「説明を」

「備えだ」

 すぐに返る。

「議会にも属さぬ城塞都市の動きは測れん。
 異形もまた、脅威は測れん。
 測れぬものに臨むには、想定以上の力が要る。
 そして——神子の覚醒に必要であった『盾』の貸与も、拒まれる可能性があった」

「拒めば攻めたと?」

 フェイラスの言葉が言い終わらぬうちに、議員の一人が手を上げた。

「神器の扱いについても、確認せねばなるまい。
 盾は、どこにあるのです」

「失われた」

 その言葉は、静かな議場に落ちた石のようだった。
 音はないのに、空気だけがきしむ。

「惜しむらく事に。戦の混乱の中で、な」

 盾は父自ら放棄した────言葉は出ない。

 シリスは問いを重ねる。

「もう一つ。
 神器、『玉』による魂補完の儀式。レシャンクの魔導士ナルバによる。
 これらへの関与は事実ですか」

「『玉』の所在は未だ調査中。ナルバの関与は────」

 メドゥルはメデス王の発言を遮った。

「事実だ」

 大きなざわめき。
 メデス王は言葉を失った。

「禁忌だぞ!」

「一国の裁量で許されるものではない!」

「魂に触れるなど——」

 口々に発せられる言葉に、メドゥルは声を張る。

「結果を見よ!」

 議場が息を呑む。

「儀式で神子たるに至ったカルラの力で異形の群れは退き、内地は守られた──それが、この世界にとっての事実だ」

 フェイラスが、静かに口を開く。

「結果だけを見てはならぬ。そこに至る道が歪んでいては、救いもまた歪む」

「ほう?」

 メドゥルが目を細める。
 騎士長の言葉は淡々としていた。

「我らが生還したのは、神官サルフェン殿の献身の術あってこそ。神子の力とやらを、私は見ていない」

「早々に去られた故か。程なくして神子が、我が娘が退けたのだ」

 父は、鼻先でわずかに笑った。

 ────我が娘が。
 ヴァルスの胸が、ひときわ大きく鳴る。
 その言葉が、姉という人ではなく〝力〟を指しているように聞こえた。

「……父上」

 思わず、声が漏れた。
 全ての視線が、ヴァルスへ向く。

 喉が焼けるようだった。
 それでも黙っていれば──何かが、確実に壊れていく。
 喉から、思うよりも早く声が出る。

「一つだけ……お伝えしたいことが」

 父が振り返る。
 視線は冷たいが、まだ〝父〟だった。

「何だ」

 ヴァルスは、姉の顔を思い浮かべた。

 漆黒。
 沈んだ瞳。
 あの、空虚な声。

 息を吸い、吐く。
 言えば戻れなくなる、と分かっていた。

「あれは姉上ではない」

 沈黙。

 誰も、すぐには言葉を見つけられない。
 自分の声が、自分のものではない。

「たしかに姉の姿をしている。話す。歩く。力もある」

 黒く沈んだ、あの目が脳裏に浮かぶ。

「——しかし、姉上ではありません」

 議場が凍りついた。

 シリスが、痛むように目を伏せる。
 フェイラスは、静かに拳を握った。

 議員の一人が、震える声で言う。

「神の御業を、否定するのか」

「否定ではありません」

 ヴァルスは首を振る。

「ただ——恐れているのです」

 言葉を探す。
 それでも、見つからない。

「姿は同じでも、中にいるものが違う。そう感じました」

 それ以上、言葉が続かなかった。
 メドゥルが、淡々と告げる。

「感情で議会を動かすな」

 切り捨てられた。
 しかし、議場の空気は変わっていた。

 フェイラスが口を開く。

「神器を集め、『邪神』の封印を修繕し、世界を救う。ナルバはそう言っていた」

 父の視線が動く。

「それが、進むべき道なのでは?」

「危うい」

 メドゥルは言い切る。

「邪神、封印──信用に足らぬ。『異形』は神子の力をもってすれば抑えられる」


 安堵とも畏れともつかぬ声が広がる中、
 一人の議員が、ゆっくりと立ち上がった。

 黒い法衣。
 痩せた頬に深い影。

 議員にして、西方シル・エザリスの首長ヘルゲン──〝律法の番人〟と呼ばれる男だった。

「議長」

 その声は、刃物のように冷たい。

「まずは申し上げねばなりますまい。
  ——我らは、神子の存在を軽んじすぎている」

 場の空気が揺れる。

「異形の大群を退けたる神子カルラ様の力。それは、議会の誰ひとり為し得ぬ御業」

 フェイラスの眉が、わずかに寄る。
 メドゥルは沈黙し、聞いている。

「禁忌の儀式? 神器の使用? 攻城兵器?」

 ヘルゲンは小さく首を振る。

「結果として、内地は守られた。罪なき民は救われたのです。
 誰もが正しさを語り、その間にだけ人は死ぬ」

 その言い切りに、ヴァルスの胃の奥が冷える。
 父の息がかかっている──そう確信した。

(〝結果〟だけで、いいのか? サリスファの民は罪深いというのか)

 フェイラスが口を開く。

「しかし——」

 だが、ヘルゲンは被せた。

「フェイラス殿。あなたは武の視点で語る。だがこれは、神の領域だ」

 静かに、しかし強く。

「今、この世界は滅びへ傾いている。神子の力は、唯一の救い」

 その語気には力があった。

「であれば——議会は、神子の行いを正当と認めるべきだ」

 メドゥルの眼が、わずかに細められる。
 フェイラスは一歩、前へ出た。

「正当化はできぬ」

 空気が張り詰める。

「確かに、神子の力が本当ならば強大だ。だが、私が見た限り——
 異形は〝変質〟していた。人のことわりでは測れぬ何かが、すでに動いている」

 ヘルゲンが鼻で笑う。

「恐怖は判断を曇らせるものです」

 強い眼差しがフェイラスを見据える。

「では各々方おのおのがたに問う。神子を疑うなら、何を信じるのです?」

 短い沈黙。
 ヴァルスは、息を吸った。

「——人です」

 自分でも驚くほど静かな声だった。

「戦って、逃げて、守って、迷って……それでも生きようとする人の選択を」

「人は、神には勝らぬ」

 ヘルゲンは冷笑する。

「我らは幾度、議論し、躊躇い、その間にどれだけの民を失ったか」

 そして、議場全体に向き直った。

「私は提案します。議会は、神子カルラ様を正式に〝世界の守護者〟と認め——
 それを擁するトルイデアに非常権限を委ねるべきです」

 議場が大きく揺れた。

「もちろんそれは一時的な措置。危機が過ぎれば、権限は議会へ戻されるものとする」

 フェイラスは低く呟いた。

「……それは、神の名を借りた覇権だ」

 ヘルゲンは即答した。

「覇権でも、救われるなら。
 救いなき自由より、救いのある神への従属を」

 その言葉に、メドゥルの唇がわずかに上がる。
 シリスが、重く目を伏せた。その顔には焦燥が浮かんでいる。

「本件——即断はできません。審議を継続します」

 ヴァルスは、背筋を冷たい汗が伝うのを感じていた。
 議会の中にも、〝傾く者〟が生まれている────
 言葉にならない不安が、静かに胸を満たした。

 きっと、このままでは何かが壊れる。
 目には見えない、細い裂け目が──静かに広がっていく。

 その始まりを、自分は確かに見てしまったのだ。
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