ヘルドゥラの神々:漆黒の女王

渡弥和志

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第五章

1. 宣告の刻

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 ガルドたちが、首府クレストルにようやく近づいた頃──

 都の空気は、変わっていた。
 トルイデア軍の兵が外周を警備しており、物々しい空気を醸していた。

「どういう事だ……このまま街に入るのは危険だ」

 様子を伺うためクレストルを迂回し、街外れの集落へ向かう。
 着くなり噂は流れ込んだ。

「〝魂喰い〟の群れがクレストルを襲ったんだ」

「ここまで内地に現れるなんて、例がねえ」

「居合わせたトルイデア軍が交戦し、最後には〝神子みこ〟が退けたっていうぜ」

「トルイデア侯に議会の非常権限が与えられたらしい」

 耳を疑う噂が飛び交っていた。


「何とかシリス様に会わなければ」

 ガルドが言うと、アディルがミリアに目配せした。

「私たちが前に出るわ。ガルドとダインは兜をかぶって護衛の傭兵に成りすますの」

 ミリアは頷き同意する。

「クリスは──ごめん、ムゥと荷馬車に隠れてくれるかな?」

「うん。私たちは目立つから、それがいいね」

 クリスは同意し、ムゥも小さく鳴いた。


 ───


 ラルス家姉妹一行となったガルドたちは、街へ入る事に成功し、ラルス邸へと足を急いだ。

 そこに駆け寄る騎士があり、警戒が走る。

「……! ご無事であったか!」

 八司祭騎士長フェイラスだった。
 シリスの警護に当たっていたのだ。

「この状況は、いったい……」

 当惑するガルドにフェイラスは顔を曇らせる。
 その拳は握りしめられ、革の軋む音が響いた。

「私が不甲斐ないばかりに……詳しくはシリス様から」


 館の応接室に通されると、シリスが迎えた。その顔色には苦悶と疲労がにじんでいる。

「ガルド、ミリア、それにアディル……よく無事で戻りました」

 シリスが言葉を続けようとしたとき、扉が静かに叩かれた。侍女が控えめに頭を下げる。

「治癒中の方が……お会いしたいと」

 シリスは快く許しを与えた。
 入ってきたのは、包帯を首に巻いた青年。
 顔色は悪く、まだ歩みは慎重だが、その背筋はまっすぐだった。

「──カイル!」

 ガルドが思わず立ち上がる。
 カイルは深く頭を下げた。

「ご心配をおかけしました。
 ……お叱りは、あとで承ります」

 冗談にも似た言い方。しかし声は静かで、真摯だった。

 シリスが優しく口を開く。

「毒は深く、命は細い糸でした。
 それでも、戻ってこられた。あなた自身が、まだ終わりを望まなかったからです」

 カイルは短く息を吐き、胸に手を添える。

「恐れながら……ガルド様に、背中を向けたままでは、行けませんでした」

 視線を上げるが、真正面からは見つめない。
 どこか遠慮するように、少しだけ横へ逸らす。

「お側に立つと誓いました。
 それを果たせぬまま死ぬのは──不敬かと」

 言葉は淡々と、しかし奥に熱があった。
 ガルドはしばらく何も言えず、拳を握る。

「……無理はするな。命を削る忠義は、俺は望まない」

 そう言いながら、胸の奥に鈍い痛みが残った。
 これほどの忠誠を向けられるほど、自分は応えられているのか──

 カイルは素直に頷いた。

「承知しております。
 ですので、まずは身体を治します。
 いずれ、再びお役に立てるように」

 その答えに、シリスが微笑む。

「当分は静養です。ここなら安全でしょう。焦らず、時を待ちなさい」

「は。深く感謝いたします」


 ────ふと、ガルドは言葉を失った。
 胸の奥に、まだ言い出せずにいた重石がある。

「……シリス様。カイル。もう一つ、伝えなければならないことが」

 その声音に、室内の空気がわずかに張りつめた。

「サルフェンが──没した」

 短く、それだけを告げる。

 シリスの瞳が、揺れた。

「……まさか、あのお方が……」

 指先が震え、口元へと運ばれる。視線はどこにも焦点を結ばず、静かに彷徨った。

「サリスファの惨劇の最中──皆を逃がすために踏みとどまり、命を賭して封呪を……」

 ガルドの声は低く、かすれていた。

 長い沈黙のあと、シリスはゆっくりと瞼を伏せる。

「……サルフェン様らしい」

 祈るように両手を組み、微かに唇が動く。
 その脇で、カイルが膝をついた。

「……私は、シリス様とミリア様、そしてサルフェン様に救われた……」

 言葉は途中で途切れた。
 強く唇を噛みしめ、俯く。

「すまない、カイル。助けられなかった」

 ガルドがそう告げると、カイルは首を振った。

「いいえ。隊長の判断に、誤りはございません。
 私も同じ場に立てば、きっと同じ選択を」

 その声音は震えながらも、確かな敬意を帯びていた。

 やがて、シリスが顔を上げる。

「……ならば、なおさら進まねばなりません。あの方の死を、無駄にせぬように」

 悲しみは消えない。
 だが、その奥に、細い光がひと筋灯ったようだった。

 カイルは一礼し、退室する前に振り返った。
 一瞬だけ、言葉を探すように唇が揺れ、それでも、頭を下げる。

「……どうか、ご武運を」

 静かな言葉が、灯火のように残る。


 ────



 ひとときの後、シリスの表情が変わった。

「……では状況を、お話しましょう」

 その視線は沈み、それぞれを見渡す表情は暗い。

「議会は、屈しました。
 畏怖と、そして恐怖に」

 議会が屈した────
 その言葉の重さは計り知れない。

「クレストルを『異形』の群れが襲撃、それがメドゥルの指揮で鎮圧されたのです。そして最後には〝神子〟の力によって退けられた……」

 ガルドは動揺を隠せない。
 しかし、声を振り絞った。

「……竜皇の言葉が真実なら、カルラが──邪神が『異形』を操っている……」

「やはり……そのような予感はありました」

 シリスは額に手をあて、痛恨に顔を歪めた。

「しかし、議会は信じ、縋った。私は止められなかった……メドゥルは恐怖を使い、人心を掌握したのです」

 皆、言葉を失った。
 シリスは瞼を閉じたのち、意を決したようにミリアを見据えた。

「これを、お持ちなさい」

 その手にある長杖を差し出した。鈍く輝きを放つそれは、人の手によるものとは明らかに異なる精緻な造形。

「光の『杖』、ラルスアトスです」

 ミリアは、戸惑いながらも受け取る。
 何かに導かれるように。
 それは鼓動に呼応するように手の中で脈動した。

「五神器を集める──それが邪神の封印を修復する道……」

 ガルドは視線を伏せる。

「それを信じていますが──剣はメドゥルは手に、玉はカルラの内にある。いったいどうすれば……」


 ────


 部屋が沈黙に支配された、その時。
 外から街のざわめきが伝わった。

「神子様だ! 神子様がお出ましだぞ!」

 クレストル中央議事堂の露台に、人影が二つ、静かに立っていた。
 風に翻る旗が、まるで彼らへひれ伏すかのように垂れ下がる。

 メドゥルは、街を見下ろしていた。
 その姿は王でも将でもなく────
 ただ、結果だけを測る秤のように冷たい。

 その隣に、カルラがいた。
 白き衣をまといながら、白よりなお白い肌。
 その髪と目だけは、深い底へと落ちていくように黒い。
 群衆は息を呑み、やがて膝を折る者すら出た。

(────あれは、カルラではない)

 ガルドの胸の奥で、言葉にならない声が鳴る。
 かつて笑っていた面影は、どこにも見当たらなかった。

 ただ、静寂。
 そして、底知れぬ、異質。

 メドゥルが一歩、前に進む。
 その影が、議事堂の外壁を長く引き裂いた。
 群衆のざわめきが、波のように広がる。
 人々の目は、二人に縋りつく。

 誰も、自分の判断で世界を見ようとはしていなかった。ただ、答えを与えてくれる声を待っている。

「ここに宣言する」

 メドゥルが声を響かせる

「我に与えられし非常権限をもって、この神々の神子、カルラは────」

 右手をかざし、一段と声を張った。

世界メティル女王に即位するものとする!」

 人々が沸き立つ。

「女王カルラ様!」

「メティル女王万歳!」

 街はカルラを称える声で溢れた。

 メドゥルが両手を上げ、民に語る。

「その力の庇護のもと! 世界は恒久的な平和を────」

 その時。

 空気が、変わった。
 メドゥルの声は、突如、遮られた。

 全ての音が、消えた。

 カルラが進み出る。
 その動きはあまりにも滑らかで、まるで地面と彼女の間に距離があるかのようだった。
 伏せられた睫毛の下で、黒が深く沈む。
 その声が、発せられる。脳裏に、直接。

「平和────即ち」

 拒む事のできない声が、全ての人間に響き渡る。

「それは、ヒトの滅び」

 その響きは、心臓を掴むような冷たさを帯び、畏れと恐怖が人々を支配した。

 メドゥルが、隣に立つカルラを愕然と見た。
 それは歓喜でも、確信でもない──その視線に、測るべき秤は、もうなかった。


 カルラの瞳がメドゥルを見返す。

「これは、あなた達が選択した帰結」

 なおも声は逃れようもなく頭に注ぎ込まれる。

「三つの影の王が降りる」

 叫び声をあげる者、泣き出す者もいた。だが、声を遮る事はなかった。

「七日ののちに。
 南──魔術の都。
 次に西──法の都。
 そして南東──剣の都」

 預言めいたそれは、宣告だった。

「抗いなさい。その叫びこそ我が贄」

 声の示した方角に、黒い雲が湧き上がった。
 世界にひびが入ったかのように、天から紫黒の光芒が降りる。


 音が、戻った。
 歓声は悲鳴へと変わり、街は狂乱で渦巻いた。

「……何ということ……」

 シリスが膝をつき、絞り出すように言う。

「影の王……古の文書にあります。都市を一晩で滅ぼすほどの脅威であったと。
 神器によって抑えられたといいますが……」

 彼女の声は震えていた。

 誰も、すぐには口を開けなかった。
 滅びの順序が、残酷なまでに明快だったからだ。三日後に、南、西、南東──

(どれかを救えば、どれかが滅ぶ)

 そんな言葉が、喉につかえて出てこない。


 最初に息を吐いたのは、ガルドだった。

「……都市を、守らなければ」

「『座』へ向かい、封印を急ぐ方法は──」

 と誰かが呟く。

 シリスは、かぶりを振った。

「神器は……恐らくまだ目覚めていません。
 覚醒を促す何かが必要──」

 冠と盾、そして杖を見据える。

「──それに都市が滅びれば、人の祈りも、秩序も失われる。封印は、その上には成り立ちません」

 言葉にした瞬間、その重みが胸に落ちる。

 ダインが低く笑う。

「守るさ。だが──手は限られてる」

 彼の視線は、皆の顔を順に確かめていく。

「時は少ない。手分けするより他ないな」

 そう言っても、誰もすぐには頷かなかった。
 別れるということは、誰かを見送り、誰かを失う覚悟をする、ということだった。


 その静寂を、シリスが破った。

「……最初の南。レシャンクレイへは、八司祭騎士を向かわせましょう。フェイラス、頼めますか」

 言葉は重く、それでも崩れない。

「御意。馬を駆ければ三日のうちには着くはず……現地の術師たちと連携を」

 その声音には、騎士長である前に、人を守りたい、という痛みが滲んでいた。

 クリスが、一歩前に出た。

「……私が一緒に行く」

 その瞳は強く、迷いがなかった。

「『冠』とムゥが居れば戦える」

 言い終えたあと、ほんの少しだけ、唇を噛んだ。
 ムゥの羽根が、かすかに揺れた。
 クリスは、一度だけ目を閉じる。

「失うのは、もういや」

 ムゥが翼を広げ、鋭く鳴いた。
 同意の声のように。

「なら、俺は西だ」

 ダインが言った。

「シル・エザリスには、『禿鷹の傭兵団』の砦がある。
 あそこは──逃げ場のねえ連中を、何度も守ってきた場所だ」

 軽口は消えていた。

「影になんざ、渡したくねえ」

 アディルが、すぐに応じる。

「私も行く。『盾』の力も必要でしょ」

 その目は、確たる覚悟を湛えていた。


 皆の視線が、最後にガルドへ集まる。
 言葉が、重く喉を塞ぐ。

(これで、本当にいいのか)

(全てを救うなど、可能なのか──)

 それでも、口を開いた。

「……俺は、トルイデアへ向かおう」

 その言葉が、自分の胸に落ちるのを感じた。

「俺の家は、あそこにある。父さんの、母さんの……そして────」

 言葉が喉で途切れ、数拍おいてから結ぶ。

「ヴァルス、カルラ。家族の、場所だ」

 ミリアが震える手で『杖』を抱きしめるように握り、頷いた。

「うん、一緒に行かせて。
 ……恐い。でも、逃げたくない」


 辺りは立ち込めた暗雲に陽光が遮られ、低く垂れこめていた。
 それでも彼らは、足を止めなかった。
 それぞれの胸に灯った、小さな光だけを信じて────
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