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4 姉達への手紙
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すぐに執事を呼び、使者を出す準備が始まる。
姉たちへの急報。
周辺領への打診。
そして王都との細い糸を通じた探り。
私は横で必要な相手を挙げていった。
「まず、北西のラドナー伯爵家は外せません。あちらは兵数こそ多くはありませんが、街道の監視に長けています」
「うむ」
「それから南のアルヴェス子爵家。家格は劣りますが、河川輸送を押さえております」
「婿候補としてはどう見る」
「弱いですわね。協力相手としてなら有力ですが」
「同感だ」
お父様はペンを走らせながら、ちらりと私を見る。
「では、お前の中で縁談として現実的なのは」
「……アルトン伯爵家かと」
その名を出すと、お父様が筆を止めた。
「四男の件か」
「はい」
アルトン伯爵家は我が領地の西南に接する。
古くから農地改良に力を入れてきた家で、華やかさはないが、土と水を読むことには定評がある。
そしてそこの四男、ユリウス・アルトン。
十歳近く年上で、すでに家督争いからは遠い立場にいるが、代わりに長年、農地の改良と倉の管理に携わってきたと聞く。
用水の引き直しや輪作の見直し、新しい農具の試用にも熱心だとか。
社交界ではほとんど話題にならない。
洒落た恋文を書くとも思えない。
だが少なくとも、愛人を認めろなどと抜かす男ではあるまい。
「お前、会ったことは」
「幼い頃、二度ほど。ほとんど記憶にありませんわ。ただ、姉様の一人が“あの方は女にうつつを抜かす前に土を見ている”と笑っておりました」
「悪くない評だな」
「私もそう思います」
お父様はしばし考え込み、それから頷いた。
「よし。アルトン伯爵家へも文を出そう。ただし露骨に縁談としてではなく、まずは国境再編の相談として打診する」
「それがよろしいかと」
この局面で焦って婿探しをしていると見せるのは得策ではない。
まずは家同士の連携。その上で話が進むなら、それが最も自然だ。
私は机の上に広げられた白紙のうち一枚を引き寄せた。
「お父様、姉様方への文は私も別に書いてよろしいですか」
「もちろんだ。特にアデルには詳しく書け。あれは王都の噂の流れを読むのがうまい」
「ええ」
ペン先にインクを含ませながら、私は心の中で姉たちの顔を思い浮かべた。
長姉アデルは穏やかな笑顔の裏で、誰が誰に取り入ろうとしているかを一目で見抜く人だ。
次姉ベアトリスは華やかで気が強く、腹の立つ相手には容赦がない。
この件を知れば、どちらも黙ってはいまい。
たぶんまず間違いなく、ベアトリス姉様は手紙の一行目から怒る。
そしてアデル姉様は静かに、だが深く事のまずさを量るだろう。
私は書き出しを整えた。
『急ぎ知らせます。ヴァンゼ侯爵家のカレル様より、本日、婚約解消の申し入れがありました』
そこまで書いて、ふと手が止まる。
婚約解消。
紙の上の文字になると、ようやく少しだけ実感が湧いた。
私は本当に破棄されたのだ。
けれど、胸の内は今、泣き言には向かわなかった。
惜しいのは婚約者ではない。
十数年かけて組み上げてきた領地同士の均衡を、あれほど愚かな理由で崩されたことの方だ。
「はい」
「今夜のうちに返書が来ることはあるまいが、ヴァンゼ侯爵家から何かしら弁明があるかもしれん」
「あるでしょうね」
カレル個人の浅慮で済ませられる話ではない。
侯爵家としても、こちらにどう顔を向けるかを考えねばならないはずだ。
「だが」
お父様は淡々と言った。
「弁明がどうであれ、一度こうして軽んじた以上、あちらにすべてを預ける形は終わりだ」
「はい」
「婚約が戻ることがあっても、だ」
私は顔を上げた。
その可能性は、私はもうほとんど考えていなかった。
けれど確かに、侯爵家側が慌てて翻意することはありうる。
カレル一人の気迷いだった、若さゆえの過ちだった、と。
だが、お父様の言う通りだ。
一度崩れた信頼は、元の形では戻らない。
「戻す必要はないと思いますわ」
「私もそう思う」
父娘の意見は一致した。
そのとき、執務室の外で控えていた執事が、静かに扉を叩いた。
「旦那様、ヴァンゼ侯爵家より使者が参っております」
お父様と私は顔を見合わせた。
思ったより早い。
さすがに向こうも、自分たちのしたことの重さは理解しているらしい。
「通せ」
お父様が言う。
私は机の脇へ下がった。
扉が開き、ヴァンゼ侯爵家の紋章をつけた年配の家令が、深々と頭を下げて入ってくる。
その顔色は、春先の空のように冴えなかった。
どうやら、向こうの屋敷でも今ごろようやく、事の重大さに気づいた者が出たらしい。
姉たちへの急報。
周辺領への打診。
そして王都との細い糸を通じた探り。
私は横で必要な相手を挙げていった。
「まず、北西のラドナー伯爵家は外せません。あちらは兵数こそ多くはありませんが、街道の監視に長けています」
「うむ」
「それから南のアルヴェス子爵家。家格は劣りますが、河川輸送を押さえております」
「婿候補としてはどう見る」
「弱いですわね。協力相手としてなら有力ですが」
「同感だ」
お父様はペンを走らせながら、ちらりと私を見る。
「では、お前の中で縁談として現実的なのは」
「……アルトン伯爵家かと」
その名を出すと、お父様が筆を止めた。
「四男の件か」
「はい」
アルトン伯爵家は我が領地の西南に接する。
古くから農地改良に力を入れてきた家で、華やかさはないが、土と水を読むことには定評がある。
そしてそこの四男、ユリウス・アルトン。
十歳近く年上で、すでに家督争いからは遠い立場にいるが、代わりに長年、農地の改良と倉の管理に携わってきたと聞く。
用水の引き直しや輪作の見直し、新しい農具の試用にも熱心だとか。
社交界ではほとんど話題にならない。
洒落た恋文を書くとも思えない。
だが少なくとも、愛人を認めろなどと抜かす男ではあるまい。
「お前、会ったことは」
「幼い頃、二度ほど。ほとんど記憶にありませんわ。ただ、姉様の一人が“あの方は女にうつつを抜かす前に土を見ている”と笑っておりました」
「悪くない評だな」
「私もそう思います」
お父様はしばし考え込み、それから頷いた。
「よし。アルトン伯爵家へも文を出そう。ただし露骨に縁談としてではなく、まずは国境再編の相談として打診する」
「それがよろしいかと」
この局面で焦って婿探しをしていると見せるのは得策ではない。
まずは家同士の連携。その上で話が進むなら、それが最も自然だ。
私は机の上に広げられた白紙のうち一枚を引き寄せた。
「お父様、姉様方への文は私も別に書いてよろしいですか」
「もちろんだ。特にアデルには詳しく書け。あれは王都の噂の流れを読むのがうまい」
「ええ」
ペン先にインクを含ませながら、私は心の中で姉たちの顔を思い浮かべた。
長姉アデルは穏やかな笑顔の裏で、誰が誰に取り入ろうとしているかを一目で見抜く人だ。
次姉ベアトリスは華やかで気が強く、腹の立つ相手には容赦がない。
この件を知れば、どちらも黙ってはいまい。
たぶんまず間違いなく、ベアトリス姉様は手紙の一行目から怒る。
そしてアデル姉様は静かに、だが深く事のまずさを量るだろう。
私は書き出しを整えた。
『急ぎ知らせます。ヴァンゼ侯爵家のカレル様より、本日、婚約解消の申し入れがありました』
そこまで書いて、ふと手が止まる。
婚約解消。
紙の上の文字になると、ようやく少しだけ実感が湧いた。
私は本当に破棄されたのだ。
けれど、胸の内は今、泣き言には向かわなかった。
惜しいのは婚約者ではない。
十数年かけて組み上げてきた領地同士の均衡を、あれほど愚かな理由で崩されたことの方だ。
「はい」
「今夜のうちに返書が来ることはあるまいが、ヴァンゼ侯爵家から何かしら弁明があるかもしれん」
「あるでしょうね」
カレル個人の浅慮で済ませられる話ではない。
侯爵家としても、こちらにどう顔を向けるかを考えねばならないはずだ。
「だが」
お父様は淡々と言った。
「弁明がどうであれ、一度こうして軽んじた以上、あちらにすべてを預ける形は終わりだ」
「はい」
「婚約が戻ることがあっても、だ」
私は顔を上げた。
その可能性は、私はもうほとんど考えていなかった。
けれど確かに、侯爵家側が慌てて翻意することはありうる。
カレル一人の気迷いだった、若さゆえの過ちだった、と。
だが、お父様の言う通りだ。
一度崩れた信頼は、元の形では戻らない。
「戻す必要はないと思いますわ」
「私もそう思う」
父娘の意見は一致した。
そのとき、執務室の外で控えていた執事が、静かに扉を叩いた。
「旦那様、ヴァンゼ侯爵家より使者が参っております」
お父様と私は顔を見合わせた。
思ったより早い。
さすがに向こうも、自分たちのしたことの重さは理解しているらしい。
「通せ」
お父様が言う。
私は机の脇へ下がった。
扉が開き、ヴァンゼ侯爵家の紋章をつけた年配の家令が、深々と頭を下げて入ってくる。
その顔色は、春先の空のように冴えなかった。
どうやら、向こうの屋敷でも今ごろようやく、事の重大さに気づいた者が出たらしい。
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