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19 私の針
(ローズ視点)
チェリーの部屋を出た後、私はメイズ叔母様の家へ戻った。
父母は、また残れと言った。母は、今度は私にも薬草湯の話をしようとした。
だが叔母様が一言、「要りません」と言ったので、それ以上は続かなかった。
馬車の中で、私はほとんど話さなかった。
チェリーはまだ痛がっている。オルセーユ様はまた見舞いに来ると言っていた。
叔母様は親族会議の準備を進めている。マリエは、思い出したことを全部書き出すと言っている。
物事が、私の周りでどんどん動いている。
その中に自分もいるはずなのに、手を伸ばす先が少し分からない。
そういう時、私は針を持つ。
メイズ家へ戻ると、まず着替えた。マリエが指の布を替えようとしたので、今度は素直に手を出した。
「もうほとんど止まっていますね」
「小さな傷だもの」
「小さくても傷です」
そう言って、マリエは新しい布を巻いた。さっきより薄く、指を動かしやすいように。
「ありがとう」
「刺繍なさるのでしょう」
「どうして分かったの」
「お嬢様が静かすぎる時は、大抵そうです」
マリエは何でもないように言った。私は少し返事に迷い、結局うなずいた。
窓辺の椅子に座る。生成りの布を広げる。
黄色と白の小花は、少しずつ増えていた。まだ何にするか決めていない。飾り布でもいいし、小さな膝掛けの端にしてもいい。
使い道が先にない刺繍は、少し心もとない。けれど今は、それがありがたかった。
誰かのための手巾。誰かのための襟飾り。誰かのためのクッション。そういうものではない。
針に糸を通す。薄い黄色。チェリーの部屋にあった花より少し淡い色にした。
中心には、茶を入れる。ただ茶だけだと沈むので、ほんの少し橙も混ぜる。
最初の一針を入れると、ようやく手元だけがはっきりした。
布を張る指。針を抜く角度。裏へ渡す糸の長さ。表に出る色。
人の言葉は、言った人の都合で形を変える。
――欲しい。
――いらない。
――大丈夫。
――いいのよ。
どれも、誰かが別の意味にしてしまう。
でも糸は、通した場所に残る。曲がれば曲がったように。強く引けば布が寄る。緩ければ浮く。
そこは、分かりやすい。
「ローズ?」
叔母様の声がして、手が止まった。
「入っても?」
「はい」
返事をしてから、針を布の端に刺して置いた。叔母様は扉を開け、少しだけ中をのぞく。
「刺していたのね」
「はい」
「無理はしていない?」
「していません」
「ならいいわ。実は、明日来客があるの」
「お客様ですか」
「ええ。私の友人で、王立美術館に出入りしている方。正確には、その方の甥御さんも一緒にいらっしゃる」
――美術館?
その言葉に、私は少し首を傾げた。
「叔母様のお友達なら、私はこちらで控えていた方が」
「いいえ。貴女にも会わせたいの」
「私に?」
「その刺繍を見せたいのよ」
私は手元を見る。まだ途中の布。黄色い花が数本。白い花が少し。葉もまだ足りない。
「これは、まだ途中です」
「途中でも構わないわ」
「それに、これはただの」
「ただの、何?」
叔母様の声は穏やかだった。けれど、そこで逃げるのは少し難しそうだ。
「……家の中で使うものです」
「使うものは、美しくてはいけない?」
「いけないわけでは」
「なら、見せましょう」
叔母様は勝手に決めた。だが母の時のような、こちらの言葉を聞かない決め方ではなかった。
私が断れば、たぶん止める。けれど、断る理由をちゃんと見ている。
「私は、自分のものを作品として見せたことはありません」
「だからよ」
「だから?」
「ねえローズ。貴女は、自分の針がどう見られるかを知らないでしょう」
「……はい」
「一度くらい、ちゃんと知りなさい」
そう言って、叔母様は部屋に入り、私の刺繍枠のそばへ立った。
手は出さない。ただ見るだけだ。
「この花、チェリーの部屋にあったもの?」
「はい」
「少し色を変えたのね」
「本物より薄くしています。あのまま刺すと、布の上で少し強すぎるので」
「中心は?」
「茶だけだと沈むので、橙を少し」
「あなたはそういうことなら、すぐ言えるのね」
私は少し黙った。そういうものではないのだろうか。
「見れば、分かりますから……」
「いいえ、皆が分かるわけではないわ」
叔母様はそう言って、少し笑った。
「明日、見せてちょうだい」
私はすぐには答えなかった。
窓の外では、庭師が小道の落ち葉を掃いている。箒の音が、一定の間隔で聞こえた。
「笑われませんか」
口にしてから、自分で少し驚いた。叔母様は笑わなかった。
「笑う人なら、私の客間には通しません」
その言い方があまりにはっきりしていて、今度は私が少し笑いそうになった。
「では、見せます」
「ええ」
「途中ですけど」
「それでいいわ」
叔母様は満足したようにうなずいた。
「途中のものほど、刺した人のことが分かることもあるのよ」
チェリーの部屋を出た後、私はメイズ叔母様の家へ戻った。
父母は、また残れと言った。母は、今度は私にも薬草湯の話をしようとした。
だが叔母様が一言、「要りません」と言ったので、それ以上は続かなかった。
馬車の中で、私はほとんど話さなかった。
チェリーはまだ痛がっている。オルセーユ様はまた見舞いに来ると言っていた。
叔母様は親族会議の準備を進めている。マリエは、思い出したことを全部書き出すと言っている。
物事が、私の周りでどんどん動いている。
その中に自分もいるはずなのに、手を伸ばす先が少し分からない。
そういう時、私は針を持つ。
メイズ家へ戻ると、まず着替えた。マリエが指の布を替えようとしたので、今度は素直に手を出した。
「もうほとんど止まっていますね」
「小さな傷だもの」
「小さくても傷です」
そう言って、マリエは新しい布を巻いた。さっきより薄く、指を動かしやすいように。
「ありがとう」
「刺繍なさるのでしょう」
「どうして分かったの」
「お嬢様が静かすぎる時は、大抵そうです」
マリエは何でもないように言った。私は少し返事に迷い、結局うなずいた。
窓辺の椅子に座る。生成りの布を広げる。
黄色と白の小花は、少しずつ増えていた。まだ何にするか決めていない。飾り布でもいいし、小さな膝掛けの端にしてもいい。
使い道が先にない刺繍は、少し心もとない。けれど今は、それがありがたかった。
誰かのための手巾。誰かのための襟飾り。誰かのためのクッション。そういうものではない。
針に糸を通す。薄い黄色。チェリーの部屋にあった花より少し淡い色にした。
中心には、茶を入れる。ただ茶だけだと沈むので、ほんの少し橙も混ぜる。
最初の一針を入れると、ようやく手元だけがはっきりした。
布を張る指。針を抜く角度。裏へ渡す糸の長さ。表に出る色。
人の言葉は、言った人の都合で形を変える。
――欲しい。
――いらない。
――大丈夫。
――いいのよ。
どれも、誰かが別の意味にしてしまう。
でも糸は、通した場所に残る。曲がれば曲がったように。強く引けば布が寄る。緩ければ浮く。
そこは、分かりやすい。
「ローズ?」
叔母様の声がして、手が止まった。
「入っても?」
「はい」
返事をしてから、針を布の端に刺して置いた。叔母様は扉を開け、少しだけ中をのぞく。
「刺していたのね」
「はい」
「無理はしていない?」
「していません」
「ならいいわ。実は、明日来客があるの」
「お客様ですか」
「ええ。私の友人で、王立美術館に出入りしている方。正確には、その方の甥御さんも一緒にいらっしゃる」
――美術館?
その言葉に、私は少し首を傾げた。
「叔母様のお友達なら、私はこちらで控えていた方が」
「いいえ。貴女にも会わせたいの」
「私に?」
「その刺繍を見せたいのよ」
私は手元を見る。まだ途中の布。黄色い花が数本。白い花が少し。葉もまだ足りない。
「これは、まだ途中です」
「途中でも構わないわ」
「それに、これはただの」
「ただの、何?」
叔母様の声は穏やかだった。けれど、そこで逃げるのは少し難しそうだ。
「……家の中で使うものです」
「使うものは、美しくてはいけない?」
「いけないわけでは」
「なら、見せましょう」
叔母様は勝手に決めた。だが母の時のような、こちらの言葉を聞かない決め方ではなかった。
私が断れば、たぶん止める。けれど、断る理由をちゃんと見ている。
「私は、自分のものを作品として見せたことはありません」
「だからよ」
「だから?」
「ねえローズ。貴女は、自分の針がどう見られるかを知らないでしょう」
「……はい」
「一度くらい、ちゃんと知りなさい」
そう言って、叔母様は部屋に入り、私の刺繍枠のそばへ立った。
手は出さない。ただ見るだけだ。
「この花、チェリーの部屋にあったもの?」
「はい」
「少し色を変えたのね」
「本物より薄くしています。あのまま刺すと、布の上で少し強すぎるので」
「中心は?」
「茶だけだと沈むので、橙を少し」
「あなたはそういうことなら、すぐ言えるのね」
私は少し黙った。そういうものではないのだろうか。
「見れば、分かりますから……」
「いいえ、皆が分かるわけではないわ」
叔母様はそう言って、少し笑った。
「明日、見せてちょうだい」
私はすぐには答えなかった。
窓の外では、庭師が小道の落ち葉を掃いている。箒の音が、一定の間隔で聞こえた。
「笑われませんか」
口にしてから、自分で少し驚いた。叔母様は笑わなかった。
「笑う人なら、私の客間には通しません」
その言い方があまりにはっきりしていて、今度は私が少し笑いそうになった。
「では、見せます」
「ええ」
「途中ですけど」
「それでいいわ」
叔母様は満足したようにうなずいた。
「途中のものほど、刺した人のことが分かることもあるのよ」
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