54 / 69
第54話:シルヴィアの錯乱
しおりを挟む
「あ……、あぁ……。私の城が……、私の資産が……」
遠くで響いた爆発音の余韻が残る中、レイモンド殿下は床に膝をつき、亡霊のような声で呻きました。
それは、愛する我が家を失った悲しみではありません。
自分の借金を返す唯一の担保(と信じていたもの)が、物理的に吹き飛んだことへの絶望でした。
「どうするんだ……。修理費どころか、近隣への賠償金……。それに、国債の償還期限も迫っている……」
殿下がブツブツと呟いている横で、異変が起きました。
「――キャハッ」
乾いた、どこか壊れたような笑い声。
シルヴィア様です。
彼女は爆発のショックで泣き崩れていましたが、突然顔を上げ、引きつった笑顔を浮かべました。
「キャハハ……! 燃えちゃった。全部燃えちゃったぁ」
「シ、シルヴィア?」
「ねえ、レイモンド様ぁ。私のドレスも? 宝石も? あの家にあった私の幸せ、全部燃えちゃったのぉ?」
シルヴィア様がゆらりと立ち上がります。
その瞳孔は開ききり、厚塗りの白粉が涙と汗でドロドロに溶け、下の赤黒い肌(ヒ素中毒による炎症)が斑模様に露わになっていました。
まるで、溶けかけた蝋人形のような形相です。
「お、おい、落ち着けシルヴィア。家はまた建てれば……」
「建てられるわけないでしょおおおおッ!!」
突如、シルヴィア様が絶叫しました。
法廷の空気がビリビリと震えるほどの、金切り声です。
「あんた、一文無しなんでしょ!? 知ってるわよ! 国債が暴落して、借金まみれで、もうドレス一着も買えない貧乏王子なんでしょッ!」
彼女は殿下の胸倉を掴み、激しく揺さぶりました。
「返しなさいよ! 私の時間を! 私の美貌を! あんたがイイ男ぶるからついて行ったのに、くれたのはカビた家と、毒入りの化粧品だけじゃない!」
「な、なんだと!? 貴様、自分の贅沢を棚に上げて!」
殿下も逆上して、シルヴィア様の手を振り払いました。
「誰のせいで借金が増えたと思っている! 『もっと広い家がいい』『壁紙が気に入らない』『宝石が欲しい』……! お前の際限ないおねだりを叶えるために、私は無理をしたんだぞ!」
「はぁ!? あんたが『私に任せろ』って見栄張ったんでしょうが! できないなら最初から言うな、この甲斐性なし!」
「黙れ! この毒婦が! お前さえいなければ、私はジュリアンナと円満に結婚して、今頃は莫大な資産を手にしていたんだ!」
「ハァッ!? ジュリアンナを捨てたのはあんたでしょ! 『可愛げがない』とか言って! 私を口説いたくせに、いまさら被害者ぶってんじゃないわよ!」
取っ組み合いの喧嘩が始まりました。
髪を掴み、顔を引っ掻き、罵詈雑言を浴びせ合う二人。
かつて真実の愛を謳い、私を断罪した二人の姿は、今や見る影もありません。
「醜い……。あまりに醜悪だな」
マックス様が、吐き捨てるように言いました。
「ええ。ですが、これが必然ですわ」
私は冷ややかな目で見下ろしました。
「基礎(信頼)のない関係に、過剰な荷重(ストレス)がかかれば、崩壊するのは建物と同じ。……彼らは互いを愛していたのではなく、王子という肩書きと従順な人形という、相手の装飾(スペック)を愛していただけなのですから」
「お嬢様、見てられません……。シルヴィア様、お顔の白粉が剥がれて、鬼婆みたいになってますぅ」
ロッテが怯えて私の後ろに隠れます。
ヒ素の神経毒による精神錯乱と、極度のストレス。
シルヴィア様の精神は限界を超えていました。
「あんたなんか死ねばいいのよ! 私の人生を返せぇぇッ!」
シルヴィア様が殿下の頬に爪を立て、赤い筋が走ります。
殿下もカッとなり、彼女を突き飛ばしました。
床に転がったシルヴィア様は、呆然と天井を見上げ、そしてワァァァと泣き出しました。
もはや令嬢の品位も面影もありません。
ただの、欲に溺れて全てを失った、哀れな女性がいるだけです。
「静粛に!! 静粛に!!」
裁判長が木槌を連打しました。
衛兵たちが慌てて二人を引き剥がし、拘束します。
「……これ以上、神聖な法廷を汚すことは許されん!」
裁判長は、軽蔑しきった目でレイモンド殿下を見下ろしました。
そして、私の方を向き、深く頷きました。
「被告人ジュリアンナ・フォン・ヴィクトル。……いや、原告と言うべきか」
「はい、裁判長」
「貴殿の主張は、物理的証拠、および状況証拠により全面的に認められる。……王家の主張には、一片の理もない」
裁判長が立ち上がり、判決文を読み上げ始めました。
「主文。……レイモンド王太子による、ジュリアンナ嬢への国家反逆罪および横領の告発を棄却する! 逆に、ジュリアンナ嬢の知的財産権の侵害、および不当解雇に対する賠償として、王家は……」
裁判長が一瞬言葉を詰まらせ、そして重々しく告げました。
「……王都における全資産の差し押さえを認める!」
傍聴席の貴族たちから、どよめきと、そして安堵の声が上がりました。
王太子を見捨て、新しい支配者(ジュリアンナ)を迎えることを選んだのです。
「そ、そんな……。私の王位は? 私の国は……?」
拘束された殿下が、力なく呟きました。
「ありませんよ、殿下」
私は最後に、彼に引導を渡しました。
「あなたが積み上げたレンガは、全て手抜き工事でした。……基礎のない塔は、嵐が来る前に自重で潰れるのです」
私はマックス様の手を取り、背を向けました。
背後でシルヴィア様の「イヤァァァ! 貧乏なんて嫌ァァァ!」という絶叫が、法廷の天井に空しく反響していました。
愛も、家も、地位も。
全てが崩れ去った瓦礫の中で、彼らの断罪劇は幕を下ろしました。
そして、私には最後の大仕事――事後処理という大規模なリセットが待っています。
遠くで響いた爆発音の余韻が残る中、レイモンド殿下は床に膝をつき、亡霊のような声で呻きました。
それは、愛する我が家を失った悲しみではありません。
自分の借金を返す唯一の担保(と信じていたもの)が、物理的に吹き飛んだことへの絶望でした。
「どうするんだ……。修理費どころか、近隣への賠償金……。それに、国債の償還期限も迫っている……」
殿下がブツブツと呟いている横で、異変が起きました。
「――キャハッ」
乾いた、どこか壊れたような笑い声。
シルヴィア様です。
彼女は爆発のショックで泣き崩れていましたが、突然顔を上げ、引きつった笑顔を浮かべました。
「キャハハ……! 燃えちゃった。全部燃えちゃったぁ」
「シ、シルヴィア?」
「ねえ、レイモンド様ぁ。私のドレスも? 宝石も? あの家にあった私の幸せ、全部燃えちゃったのぉ?」
シルヴィア様がゆらりと立ち上がります。
その瞳孔は開ききり、厚塗りの白粉が涙と汗でドロドロに溶け、下の赤黒い肌(ヒ素中毒による炎症)が斑模様に露わになっていました。
まるで、溶けかけた蝋人形のような形相です。
「お、おい、落ち着けシルヴィア。家はまた建てれば……」
「建てられるわけないでしょおおおおッ!!」
突如、シルヴィア様が絶叫しました。
法廷の空気がビリビリと震えるほどの、金切り声です。
「あんた、一文無しなんでしょ!? 知ってるわよ! 国債が暴落して、借金まみれで、もうドレス一着も買えない貧乏王子なんでしょッ!」
彼女は殿下の胸倉を掴み、激しく揺さぶりました。
「返しなさいよ! 私の時間を! 私の美貌を! あんたがイイ男ぶるからついて行ったのに、くれたのはカビた家と、毒入りの化粧品だけじゃない!」
「な、なんだと!? 貴様、自分の贅沢を棚に上げて!」
殿下も逆上して、シルヴィア様の手を振り払いました。
「誰のせいで借金が増えたと思っている! 『もっと広い家がいい』『壁紙が気に入らない』『宝石が欲しい』……! お前の際限ないおねだりを叶えるために、私は無理をしたんだぞ!」
「はぁ!? あんたが『私に任せろ』って見栄張ったんでしょうが! できないなら最初から言うな、この甲斐性なし!」
「黙れ! この毒婦が! お前さえいなければ、私はジュリアンナと円満に結婚して、今頃は莫大な資産を手にしていたんだ!」
「ハァッ!? ジュリアンナを捨てたのはあんたでしょ! 『可愛げがない』とか言って! 私を口説いたくせに、いまさら被害者ぶってんじゃないわよ!」
取っ組み合いの喧嘩が始まりました。
髪を掴み、顔を引っ掻き、罵詈雑言を浴びせ合う二人。
かつて真実の愛を謳い、私を断罪した二人の姿は、今や見る影もありません。
「醜い……。あまりに醜悪だな」
マックス様が、吐き捨てるように言いました。
「ええ。ですが、これが必然ですわ」
私は冷ややかな目で見下ろしました。
「基礎(信頼)のない関係に、過剰な荷重(ストレス)がかかれば、崩壊するのは建物と同じ。……彼らは互いを愛していたのではなく、王子という肩書きと従順な人形という、相手の装飾(スペック)を愛していただけなのですから」
「お嬢様、見てられません……。シルヴィア様、お顔の白粉が剥がれて、鬼婆みたいになってますぅ」
ロッテが怯えて私の後ろに隠れます。
ヒ素の神経毒による精神錯乱と、極度のストレス。
シルヴィア様の精神は限界を超えていました。
「あんたなんか死ねばいいのよ! 私の人生を返せぇぇッ!」
シルヴィア様が殿下の頬に爪を立て、赤い筋が走ります。
殿下もカッとなり、彼女を突き飛ばしました。
床に転がったシルヴィア様は、呆然と天井を見上げ、そしてワァァァと泣き出しました。
もはや令嬢の品位も面影もありません。
ただの、欲に溺れて全てを失った、哀れな女性がいるだけです。
「静粛に!! 静粛に!!」
裁判長が木槌を連打しました。
衛兵たちが慌てて二人を引き剥がし、拘束します。
「……これ以上、神聖な法廷を汚すことは許されん!」
裁判長は、軽蔑しきった目でレイモンド殿下を見下ろしました。
そして、私の方を向き、深く頷きました。
「被告人ジュリアンナ・フォン・ヴィクトル。……いや、原告と言うべきか」
「はい、裁判長」
「貴殿の主張は、物理的証拠、および状況証拠により全面的に認められる。……王家の主張には、一片の理もない」
裁判長が立ち上がり、判決文を読み上げ始めました。
「主文。……レイモンド王太子による、ジュリアンナ嬢への国家反逆罪および横領の告発を棄却する! 逆に、ジュリアンナ嬢の知的財産権の侵害、および不当解雇に対する賠償として、王家は……」
裁判長が一瞬言葉を詰まらせ、そして重々しく告げました。
「……王都における全資産の差し押さえを認める!」
傍聴席の貴族たちから、どよめきと、そして安堵の声が上がりました。
王太子を見捨て、新しい支配者(ジュリアンナ)を迎えることを選んだのです。
「そ、そんな……。私の王位は? 私の国は……?」
拘束された殿下が、力なく呟きました。
「ありませんよ、殿下」
私は最後に、彼に引導を渡しました。
「あなたが積み上げたレンガは、全て手抜き工事でした。……基礎のない塔は、嵐が来る前に自重で潰れるのです」
私はマックス様の手を取り、背を向けました。
背後でシルヴィア様の「イヤァァァ! 貧乏なんて嫌ァァァ!」という絶叫が、法廷の天井に空しく反響していました。
愛も、家も、地位も。
全てが崩れ去った瓦礫の中で、彼らの断罪劇は幕を下ろしました。
そして、私には最後の大仕事――事後処理という大規模なリセットが待っています。
12
あなたにおすすめの小説
【完結】前代未聞の婚約破棄~なぜあなたが言うの?~【長編】
暖夢 由
恋愛
「サリー・ナシェルカ伯爵令嬢、あなたの婚約は破棄いたします!」
高らかに宣言された婚約破棄の言葉。
ドルマン侯爵主催のガーデンパーティーの庭にその声は響き渡った。
でもその婚約破棄、どうしてあなたが言うのですか?
*********
以前投稿した小説を長編版にリメイクして投稿しております。
内容も少し変わっておりますので、お楽し頂ければ嬉しいです。
「予備」として連れてこられた私が、本命を連れてきたと勘違いした王国の滅亡フラグを華麗に回収して隣国の聖女になりました
平山和人
恋愛
王国の辺境伯令嬢セレスティアは、生まれつき高い治癒魔法を持つ聖女の器でした。しかし、十年間の婚約期間の末、王太子ルシウスから「真の聖女は別にいる。お前は不要になった」と一方的に婚約を破棄されます。ルシウスが連れてきたのは、派手な加護を持つ自称「聖女」の少女、リリア。セレスティアは失意の中、国境を越えた隣国シエルヴァード帝国へ。
一方、ルシウスはセレスティアの地味な治癒魔法こそが、王国の呪いの進行を十年間食い止めていた「代替の聖女」の役割だったことに気づきません。彼の連れてきたリリアは、見かけの派手さとは裏腹に呪いを加速させる力を持っていました。
隣国でその真の力を認められたセレスティアは、帝国の聖女として迎えられます。王国が衰退し、隣国が隆盛を極める中、ルシウスはようやくセレスティアの真価に気づき復縁を迫りますが、後の祭り。これは、価値を誤認した愚かな男と、自分の力で世界を変えた本物の聖女の、代わりではなく主役になる物語です。
あなたのことなんて、もうどうでもいいです
もるだ
恋愛
舞踏会でレオニーに突きつけられたのは婚約破棄だった。婚約者の相手にぶつかられて派手に転んだせいで、大騒ぎになったのに……。日々の業務を押しつけられ怒鳴りつけられいいように扱われていたレオニーは限界を迎える。そして、気がつくと魔法が使えるようになっていた。
元婚約者にこき使われていたレオニーは復讐を始める。
もう散々泣いて悔やんだから、過去に戻ったら絶対に間違えない
もーりんもも
恋愛
セラフィネは一目惚れで結婚した夫に裏切られ、満足な食事も与えられず自宅に軟禁されていた。
……私が馬鹿だった。それは分かっているけど悔しい。夫と出会う前からやり直したい。 そのチャンスを手に入れたセラフィネは復讐を誓う――。
王妃様は死にました~今さら後悔しても遅いです~
由良
恋愛
クリスティーナは四歳の頃、王子だったラファエルと婚約を結んだ。
両親が事故に遭い亡くなったあとも、国王が大病を患い隠居したときも、ラファエルはクリスティーナだけが自分の妻になるのだと言って、彼女を守ってきた。
そんなラファエルをクリスティーナは愛し、生涯を共にすると誓った。
王妃となったあとも、ただラファエルのためだけに生きていた。
――彼が愛する女性を連れてくるまでは。
彼女の離縁とその波紋
豆狸
恋愛
夫にとって魅力的なのは、今も昔も恋人のあの女性なのでしょう。こうして私が悩んでいる間もふたりは楽しく笑い合っているのかと思うと、胸にぽっかりと穴が開いたような気持ちになりました。
※子どもに関するセンシティブな内容があります。
三回目の人生も「君を愛することはない」と言われたので、今度は私も拒否します
冬野月子
恋愛
「君を愛することは、決してない」
結婚式を挙げたその夜、夫は私にそう告げた。
私には過去二回、別の人生を生きた記憶がある。
そうして毎回同じように言われてきた。
逃げた一回目、我慢した二回目。いずれも上手くいかなかった。
だから今回は。
平民とでも結婚すれば?と言われたので、隣国の王と結婚しました
ゆっこ
恋愛
「リリアーナ・ベルフォード、これまでの婚約は白紙に戻す」
その言葉を聞いた瞬間、私はようやく――心のどこかで予感していた結末に、静かに息を吐いた。
王太子アルベルト殿下。金糸の髪に、これ見よがしな笑み。彼の隣には、私が知っている顔がある。
――侯爵令嬢、ミレーユ・カスタニア。
学園で何かと殿下に寄り添い、私を「高慢な婚約者」と陰で嘲っていた令嬢だ。
「殿下、どういうことでしょう?」
私の声は驚くほど落ち着いていた。
「わたくしは、あなたの婚約者としてこれまで――」
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる